ブラジリアン化した時に一番発展しそうな剣術流派
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今のブラジリアン柔術みたいに広がっていくのがあるとしたらを考えて適当に楽しむスレ
適当でも良いし、法律とか治安状況とかから真面目に考察するのもあり 兎に角ブラジリアン柔術が苗刀と同じケースか良く考えるんだな >>67
だからそれおまえにしか該当してないことだから自分に言い聞かせなよ
論理的な推測を考える前に不可能だって放棄して延々発狂してるやつが言うことじゃないな
イキリオタクの基地害芸は飽きたから柵のついた病室に帰って静かに余生を過ごしてください >>68
それは俺が教えて内容そのままですよね
それは自分で考えたふりして攻撃とした返すことじゃなくて
真摯に受け取るべきだと思います このスレに実際に剣術習ったことある奴一人もいない説 途中のスレの流れ面白かったんだけどな
タイ捨流が陰流を仮想敵にしてたんじゃないか?とかの考察とか
素人目ながらもガチャガチャした剣戟の方が強そうに見えるのに今の日本の居合の方はほとんどそれをしてないところとか
取捨選択していく中で残ったんだろうけどどういう基準なのかとか >>75
>>28で言及されてるはくどー庵、読んでみたところ結構興味深い事が書いてある
先人は実戦的な稽古の限界に気付いて、実戦に必要な要素を分割して教えようとしたって説らしい
はくどー庵を読んでくれた前提で書くと
ボクシングで言えばアドバイスを受けて形を直しながら行う基礎ミット打ちや砂袋蹴りは正しいフォームを身につける一人形稽古
https://youtu.be/5zkMuU2zbtQ ここまで手順が複雑化すると攻防理論が入ってる関係で形稽古の特に二人組の組太刀みたいな話になってきて
剣道みたいな条件を限定した物は、はくどー庵によると初太刀における打突の好機を捉える訓練
基礎を固めた上で行うボクシングのスパーリングは、初太刀における好機を捉える剣道と、その前中後の攻防理論の組太刀を同時に行う
(同時であること自体がそれぞれに応用性を求める)高度な練習みたいなものと考えることも出来なくはない
居合的一人形稽古、剣術的組太刀稽古、剣道的競技の関係はボクシングの練習過程を分割して独立した物と見る事ができる、という考え方
(ここまで言ってしまうとはくどー庵から話を広げ過ぎかもしれない)
>>75に戻って、取捨選択の基準として俺個人は有力だと見てる、もちろんただの私見だし押し付ける気ももめる気もない
おまけ:この説と近い事に偶然言及してる別スレ(本題が終わった後の荒らされ方はひどいが)
昔話、ある剣道部にDQNが勝負を持ち掛けてきた話 ガチャガチャした剣戟が仮に強かったとして
ガチャガチャのまま学習習得するのが高難度非効率だと先人は判断したのかも、ということ
で、分割
昔は武芸十八般の複数を学んだ方が色々認められやすかったのも一部はそういう流れが関係してるのかなと見てる いや面白いから続けて欲しい
くどー庵のやつは後で読んどくわ >>79
ありがとう
ただ、いったん書きたいことは書けたし続く話は今は特に思いついてない
確かに、初心者にいきなりスパーだけやらせてもひたすら叩かれて変な癖ついて強くなりにくいなってのと
袋竹刀考案の上泉伊勢守信綱、凄いなってくらい >>81
わかるけど、それを言われると個人的にはMGRのホドリゲス新陰流が出てない方が驚き
ブラジリアン剣術で検索したら真っ先に出てくるのに やる夫で学ぶ柳生一族の宗矩あたりのお話とかを一緒に輸出したら
そこから柳生新陰流とか柳生心眼流あたりに人を引っ張れないかな
刀が人を斬る時代から人を鍛える時代に変わるきっかけの逸話はあっちの人も面白がりそうだけどな
ブラジルに行ってるサッカーの本田選手周辺のニュースをみるに思想面が評価される土壌がありそうに感じる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています