当たり前ですが、考える事なんでしょうね。
 
剣も柔も、それをそのまま習ったり修したりしたところで、
新しい型、要するに奥義には、達しない。
 
合気道と聞けば植芝盛平と短絡するのも、頭が固まってます。
考えてません。
グレイシー柔術が、その成立に複雑な経緯があるのは、
今や知られ始めているように、
合気道もそれと同等かそれ以上、
支流が多過ぎて、本流がどこにあるのか、観えづらくなってる。
塩田氏が習ったのも、盛平ではありません。
それはここでは、深入りしない事にします。
 
塩田氏の柔道の段位は、
昭和11、12、14年の『柔道年鑑』によれば、初段です。
塩が旧字体の鹽になっていて、「鹽田剛」の本名で、記載あり。
多分参段は、言い渡しだったんでしょう。
 
昔はよくあったんで、経歴詐称とか、そういう話じゃありません。