少林寺拳法総合スレ23
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
!extend:checked:vvvvv:1000:512
拳禅一如 力愛不二
おやくそく
一.あからさまな煽りや叩きには完全無視こそ最良の返し技
一.http://hissi.org/read.php/budou/ で各 ID の書き込み傾向がわかります
一.次スレは >>950 の方がたててください
一.その際、本文の頭に「!extend:checked:vvvvv:1000:512」と入力してください
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured 周りの一人が中野先生に技を掛けられた人に快感?と聞いてすこしウケるシーンがあるから、
そのセリフが流行った映画やドラマは昭和56、57年らしい。
だからそのへんか、それ以降じゃないかな それと、合気会合気道。
合気道自体強さを求めて無いから強さを云々しても
しょうが無いけど、4代目は動きいいね。
パパよりもいい。
まさしく円を体現している。
あそこは後継者にめぐまれている 半転身蹴や横転身蹴は中段構えで誘っている。
上段攻撃をさせるには一字で中段を実にしてるからこそ上段を誘える。
これらは非常に難しい事を初心の頃から行わせている。
その意味を昇段と共に深めていく人は非常に少ない。
守者は誘ってる場所にだけ気がいってしまい、
いざそれ以外の場所を攻撃されれば、
もらってしまうのが現状ではないだろうか。 うちの三代目はどうか。
いやそれ以前に技は職員に任せているから、技には関わらないというスタンスにも思える。
まあそれで良いけど。
出来もしないのにしゃしゃり出られたらそれはそれで不満が募るだろう てか、中野先生の息子さんお亡くなりなったんでしょ
お嬢さんもいらっしゃるみたいだが、
拳法やってないのかな? 親父があんな事になったらできんでしょ
一般の道院長でも本部と喧嘩して破門されたら普通息子はやらない。てかやれない 親父が破門されてまで少林寺にすがるか?
普通に空手か柔道、合気道でもやるだろ >>872
おたくとは考えが合うなぁ
構えは切るための構え
もっといくと切ろうとすることすら悟られてはいけない
しかしこの動画を観ると少林寺の立ち上げの最初はどうあれ
独自に進化してるんだな 養神館の塩田さんはどうよ?
二代目なんかやらかしたの?
自分とこ投げ出して他に行っちゃったんでしょ? 塩田Jr.は本部の職員たちと揉めたんじゃなかったか。追い出されたのか自ら出たのか..
まあそう考えたら少林寺だけじゃないな。
合気も極真も柔道も和道も太気も多かれ少なかれこの手の問題はありますな 合気道と言えばセガール
セガールのアクションも合気道より少林寺化してる >>883
しらべました。
追い出されたっぽいですね。
いらんことせずに、本部でニコニコしてたり、ひたすら秀忠みたいに親の言うこと守る律儀者でとおせば回りがやってくれるのに。
ほんと二代目大事。
吉祥丸先生の実戦性は疑問ですが、組織力や子育てはたいしたものです。
合気道の王道です。 4代目は曾祖父さんみたいに小柄なせいか、技も爺さん父さんよりいいと思う。
このまま成長していったら、更に切れると思う。 >>888
にしてはちょっと小規模でないかな。地区の合同練習あたりだろうか。 最新の検証動画で若手が30年前の機関誌について少し話してたね
やはり今の少林寺は中野三崎のものではなく、
あらはんが元ネタである。
もちろんどちらも両方に共通点もあるし凄いのだけれど、
先の中野先生の動画を見てたらやっぱり違うなと感じる(優劣ではなく)
それを本部職員は
「見た目の形や動きに惑わされず、
何故そうするかという意味や原因を見なさい」という。
確かにそういう視点で観れば手足の細かな動きは枝葉であって、
幹は同じとも言えるが 治安が良いから(警察が守ってくれるから)強さに意味が無い、みたいな事を主張する少林寺拳法家は、
例えるなら、
生活保護があるから(国民の税金で暮らしていけるから)働かなくても良い、と言っているようなもん。
それは究極の他力本願、武道界のニート理論や! >>870
40秒過ぎぐらいのとこ
突き蹴りしながら「おりゃー、これは役者やな」って言ってるの? そう。受けの速さの必要性とと腰の安定性がないと役者だと言ってるみたい。 中野先生って少林寺に出会わなかったほうが幸せだったのかな.. >>894
名前まで変えて人生全てを捧げてきたから
覚悟はできてたと思います 中野先生の逆技が不思議に思うのは、
開祖の著書がそのまま出てきたようなあの簡潔な説明、
あれで本当に出来るのが凄い。
三角技法のように重心や崩しにもあまり言及していないし 開祖存命中は「崩し」と一口に言っても今のように共通したイメージが拳士になくてバラバラだったそうな。
更に言えば崩しという言葉を使う先生も少なかった。
どちらかというと技は体で捕れとか正中線で捕れ、
手首を生かせ拇指丘で押せ等の、
昔ながらの基本を教える先生が多かった。
そして何より、
よく本部が言うように攻者の体勢ではなく守者の体勢を教える先生が多かった
中野先生もそういう意味では、
かつての時代の説明からは大きく離れてないと思う。
なのにあの動くごとに相手が吹き飛んだり浮き上がったりするのは何だ?
他の直弟子たちも上手いが中野先生の上手さは何か別のようにも見える 開祖が「俺より実力あるんじゃないか」と言った唯一の先生が中野先生 中野戦前にとって、崩しはあたりまえ、だから、説明しない。
というか、みんなも知ってるとおもってる、だから、見た目の形だけ説明。
これ、難しい問題だね。
天才を正確に翻訳する人が必要。 ただ天才ゆえ、
非常に癖のある性格だと伺いました
埼玉ぶせんだかなんかの会議で
意見が合わなかった道院長に
向かって
お前は何段だ!
どこの支部だ!
って罵声を上げたことがあるらしい
埼玉のぶせんとかも中野先生の罵声が飛びかったりしたんじゃないの?
古株の埼玉の先生がここを見ていたら分かると思う ウイグル人権プロジェクトのニュリ・トゥルケル(Nury Turkel)会長は、
国務省人権民主労働局のマイケル・コザック大使が、
中国は「1930年代以降見られなかった」状況にあると述べたと紹介した。
ホロコーストを生き抜いたホロコースト人権教育センターのサミ・シュタイグマン
(Sami Steigmann)氏も同じように関連づけて言った。ホロコーストが起きた
のは誰もそれを止めようとしなかったためであり、今、新たな大量虐殺を前に
して世界中の政府が立ち上がらなければならない。中国の市民パワーイニシアチブ
の理事長、楊建利(ヤン・ジャンリ)博士は、残念ながらウイグル族が
「中国的な特徴を持つファシズム」の犠牲になっていることを指摘し、
人々を救うべく私たちは「二度と繰り返さない!」誓いを守らなければならない、
と訴えた。共産主義の犠牲者の記念財団(the Victims of Communism Memorial
Foundation)のクリスティーナ・オルニー(Kristina Olney)氏は、
ナチスドイツと世界の共産主義にふれながら「 二度と繰り返さない!」の
言葉を口にした。 「弾左衛門」でググればわかるが江戸時代から芸能・興業と風俗は同和の独占利権。
弾左衛門みたいな同和の頭領は大名クラスの豪勢な生活を送っていた。
それが維新後も当然に残って戦後はドサクサで上陸した犯罪朝鮮人もつるんで
ヤクザのインチキビジネスのひとつになっただけだろ。
暴力団の6割は同和、3割が在日と公安調査部長が発表しているとおりだな。
「ヤクザの6割が同和、3割が在日」「日本は裏社会が支配している国」
「日本の芸能と政財界がやくざと渾然一体となって発展してきた」・・・公安調査部長発表
https://www.youtube..../watch?v=wNAJVnjlR2g
会見ノーカット版(6分割の1)
https://www.youtube..../watch?v=YRFmzRKvx7I 2010-03-03[右翼の正体]というデマ 朝鮮右翼はウソ
http://d.hatena.ne.j...uyoku/touch/20100303
人生いろいろ、右翼もいろいろ 👀 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:61478b67f36653e61f34eb92918cc3ed) 「事大主義」は強者に屈する臆病者の思想である。
http://andow.seesaa.net/article/465146759.html
事大主義の朝鮮人は、自分が強い立場にいると思った途端に横暴になる。
「日韓併合」時に、それまで朝鮮人だと馬鹿にしていた支那人たちに、「俺たちは日本人だぞっ!」
とばかりに威張り散らしたという事例を探せば幾らでも当時の資料を見つける事ができるというのに
半島国家の悲しき世界観
https://ironna.jp/article/563 このスレというか武板にキャハのように文武両道に秀でる人物、
または秀でないが、文武両道を追求しようと意識している人はいないのか? キャハが文武両道www
マジで言ってるなら病院で脳味噌の検査を受けた方が良いですよ 逆に個人的に多かれ少なかれは有るだろうけど文武両道を目指してないやつなんかいるのか? 文武のいう文というのは、いわゆる西洋学問ではないと思いますね。 江戸時代の蘭学を学んでいた剣士の文武両道は西洋学問だろう 拳技以外の教えの話もしよう。
既存の武道や宗教との共通点も確かにあるけど、独創性を感じるよ。
他人の幸せも大切だけど、
まずは己の強さ、幸せを求めよと。
その上で初めて他にも影響を与えれるのだと。 学問こそペーパーテストをやめていかないと劣化してしまう。 教えは暗記科目かと言われて久しいが、現実問題本当に理解と実行に繋がっているかを確かめる方法は難しい。
まあ他の宗教団体もそうだけど。
そして何より理解出来たとしても、行動が伴っているかというのはまた別の問題だし.. 中野先生を退任に追いやった功績に
八段 九段になった先生がいるって本当なの? 有力者が別派を興してたら本部も今ほど傲慢にならなかったろうに・・・ 中野先生が解任になった時、他の県連から
中野先生を守れなかった埼玉県連の先生は
腰抜けの集まりだって言われたんだろ 日本空手協会の中達也先生のDVD「大いなる遺産2 少林寺拳法」を観たけど、少林寺拳法良いですねぇ。
ちなみに私は大学時代日本拳法部でしたが、少林寺拳法部に入る選択肢もあったなと感じました。 日本拳法は打撃柔道というかんじに陥ってしまいましたからね。
少林寺拳法のような武術本来の護身能力が求められる時代かもしれません。 何故この時代に少林寺拳法の護身能力が必要だと思ったんですか? 現刑法に絡み、急迫不正の侵害に対して過剰防衛を避ける為の護身技術としては一番向いていると思います。 私としては、武術でありながら退避するというのが少林寺拳法のすぐれた技術と思います。
少林寺拳法は、開始はじめに引くんです、そして応じて敵をくじいたら、また引く。
引きではじまり引きで終わるのは最適な護身なんですよね。 敵をくじく為には相手が出ると同時に寄り相手間合いを殺す。難しいし怖い。法形でやってるのはちょっと甘いね。 >>926
それは武道脳なんですよね。すぐに敵の罠にはまってしまいますよ。 >>921
日本拳法を最初にやって正解だと思います
やっぱ若い頃は血気盛んだから競技に打ち込んだほうが楽しいですからね
少林寺は竜王拳(抜き技)
これをみっちり体に叩き込み条件反射で動けるようにするのが重要かなと思ってます
殴るのも投げるのも逆を取るのも
実際は躊躇するものだが
抜き技は躊躇なくできますからね
相手が酷く興奮して掴みかかってきたとした場合ですら殴る蹴る投げる逆を取るのは躊躇するもの >>35
守破離と口では言うが、守以外は認めないみたいな空気が嫌で他行った俺。ちなみに325期。でもって懐かしくてここ見に来てる 少林寺拳法にも一部として競技はあるべきなんですよね。 演武があるじゃないか
綺麗に投げられるために飛び受け身の練習をし、打撃も素早くて綺麗に見せられるよう、腕を目一杯伸ばしても届かず、克つ投げられ安い距離を意識し工夫して、若い拳士たちは日々の稽古に励んでいるのだ >>933
まぁみんなそう言ってきたわけですけどね。 少林寺の技を探索してみようと
開祖が習ったふせん流を習いに行ってみるのも有りかな https://youtu.be/2TQDyRekmmg
身体柔らかいし思った以上に手足が長くてカッコよく見えるな。
俺みたいなずんぐり昭和のおっさんではこうはいかない。 対の先とカウンターは同じという人と違うという人がいる。
同じという人は格闘技系が好きで、違うという人は古武術系が好きな傾向がある 武術の一番やりたく理想的なのは相手が準備してない時に必殺の突きを入れる事だよ
極論だけどそれが理想 >>938
違うと言う人はカウンターの事を何と言うんですか? 日本語は表現の幅が広いから、先の先や後の先、もっともダメな後の後の後なんかあるが、横文字は一括りしてカウンターだと思う 後の先とは、
単なる2動作で遅いと思ってる人がいるみたいだけど、
そんなのは本当の後の先じゃない。
本当は受けで崩したり居着かせたりする高度な技法だよ >>254
開祖の言い方は開祖がどつき合いしても強いから説得力があるが、演武屋が言っても説得力ないんだよな >>258
少林寺拳法は演武大会が失敗だったと思う。演武の大会など弊害だった。あれがなかったらもっと技を追及する練習ができていたような気がする。 >>420
日本の政治家も役人も国防なんて全く興味ないから、将来は北斗の拳かマッドマックスみたいな世の中になるのはめにみえてるなw >>448
少林寺拳法の連中が試合に臨むとは思えない 昭和40年くらいまで全盛だった乱捕大会から、
徐々に演武大会にシフトして行ったのは、
開祖が大衆の前で勝ち負けを競うのを嫌ったから。
そもそも在来のスポーツや武道にあった勝負至上主義を嫌っていた。
だから助け合い拝み合いの横の関係、調和の世界を作りたかった。
もちろん死亡事故やマナーの悪さなども原因ではあるが、
遅かれ早かれ演武大会に移り行く運命だった気がする 演武が悪いのではなく、
演武しかやらない事が悪い
開祖の頃は乱捕大会を辞めても、
乱捕の練習は皆当たり前にやっていた
まさか乱捕練習やらずに演武練習ばかりになるなんて、その頃一体誰が想像出来たろう 死亡事故は乱捕大会禁止のきっかけにすぎない。
本質は開祖は少林寺を競技にしたくなかった。
そして武道とか教育とか言うのも違うと思う。
宗門の行なのだから。
しかし、
組織運営の為には新しい人を増やさないといけないといけないから、
相反する事もしないといけないのが難しいところだ 100パーセント型というのはちょっと不安ですね。
ミット使いや防具当ては必要です。でも、試合となると脱線する。
安心できる練習ができてければ、それでいいんです。 強くなりたいからやるので、ミット打ちや自由攻防くらいないとな 乱捕り大会が禁止されたのは権力闘争による多分に政治的な理由からでしょ
競技を否定しておきながら組演武だけは順位をつけるって矛盾してるし
実際開祖の本来の意向では組演武大会も乱捕り大会と同時に廃止するはずだったのに 宗道臣が少林寺拳法は単なる武道ではない宗門の行と言ってますが 武道そのものではなく、武道の側面も持っている宗門の行と言われていた
しかし組織運営の事まで考えると、
武道や教育と言ったほうがやりやすい事も多いので武道団体や教育団体と言っている 昭和の先生たちは小さいしルールのある格闘技の試合では実力を発揮出来ないかもしれないが、
かつては喧嘩もよくしてきたし、道場破り撃退もした。
金的も蹴る、場合によっては武器も持つ
だからいざというときの強さにおいて疑問の余地はない
しかし他武道の事も認めているし、少林寺だけが崇高だとは思っていない
そういう己だけしか認めないのではなく、人間としての幅が感じられる
そういう他人との争いや競争ではなく、
協力や調和が出来る人間を造りたくて少林寺は始まった
だから他武道から転向してきた自分にとってその先生に出会ったときはなんて暖かい世界だと幸せを感じたものだ そりゃ他の武道でも優しさとか礼儀とかも言われるけど、
それよりはどうしても試合に勝つことのみが目的になりやすい
もちろん少林寺も同じで、
強さは必要とは言うがどうしても形だけの練習になりやすい
他武道にせよ少林寺にせよ、
そんな悪い落とし穴に気を付けて、いい練習をしている人はいる。少数だけど。
形重視でも試合重視でも又はそのブレンドでも、
どういう練習形態をとろうが一長一短あるのは仕方ないし、
指導者が落とし穴に気を付けて、
いい練習をさせるしかない 0480 名無しさん@一本勝ち 2019/04/21 10:56:55
合気道の稽古は、特定の条件下で理合が起きる、中国武術の推手のようなものだ。
たまたま敵がド嵌りの攻撃を仕掛けてこない限り、稽古の通りには行かない。
合気道とか中国武術でスパーリングを採り入れた流派が、
総合とかキックのようになってしまうのも、その所為だ。 強さに依存するというのは、すでに弱さでもあるんです。
強さを身につけただなんて思うのは危険なことです。
人を大事にしてこつこつ研究していく、そういう意思が社会には必要なんです。
それができているのは少林寺拳法だとおもいますね。 >>962
認識が違う
若い頃は条件を決めずに自由に体力・気力・技術を競い合って勝敗を決めることが出来るが
歳を取ってくるとそれができなくなる
だからある条件下に持っていってそれで勝負する
上記が格闘技や競技武道
下記が伝統武術や伝統武道
もっとも基本的で簡単で昔から使われていたのが
道場破りにきたら
さぁ思いっきり中段を突いてきなさい
そして華麗に捌く
これはとても初歩的なことだが
実践においては別にガンマンの対決みたいな事をするわけではないから
なんとか相手を自分の得意な条件下に持っていくことに注力する
それが武術だと自分は認識してる
そうではいと自分より大きいやつや若いやつ力の強いやつには勝てないからだ >>963
話が逸れちゃいそうだが
強さってさ
若い頃は喧嘩の強さや各々の肉体的な強さに憧れるものだが
社会に出ると
精神的な強さ
例えば仕事の重圧や逆境、過度なストレスの中やらなければならない‥・・などなど
様々な困難があるわけで
多くの人が挫折したり酷いときは鬱病になったり
そんな中、自分に負けることなく逆境も乗り越え、物事を成し遂げる
そういう強さもあるわけで
これって武道の稽古だけでは身につかない
少林寺はまた方向性が違うが
宗道臣が目指していた強さというのは
違うアプローチではあるにせよ、そういう事なのではないか? >>966
精神的に強い力ということを目指すんだというのも、私はあまり良い教えではないと思っています。
強さということそのものが不要な考えであって、それが人にとって生きる上でじゃまになるんです。
一体どうして、弱いことを自覚することから逃げるのかと思います。
少林寺拳法を身につけるのはまず弱いからです。弱いからやるんです。そして熟練しても弱くていい。 >>966
おっしゃる通り。
開祖が言いたいのは
試合に勝つより人生に勝て。
乱捕大会で優勝したからといってそなもの何になると思とる。とも言われていた。
しかしいざというときは負けるなとも言われた
今の人たちにはこの辺りの独特なバランスが難しいのかもしれない 乱捕は手段であり目的ではない。目的は人造りによる国造りだ。
箸は手段であり目的ではない。目的は飯を食う事だ。
手段と目的はとかく混同しやすいと著書の中でも書いておられる 筋トレこそ、人生の悩みの9割りを解決する。
格闘技の試合でも、コーフンしてイキッてる選手が喧嘩しそうになってるのをなだめ引き離してるのはマッチョ。
相手を壊すなら武術や格闘技かもしれんが、戦いを収めるのは、圧倒的パワー。
おまけに、マッチヨは抑止力がある。
常識レベルの行動してる限りなめられないし、喧嘩もうられない。
回りはマッチヨを弱いとはおもわないので、謝ったり、わざと殴らせてその場を収めてもはずかしくない。
普段、金的あれば無敵とか言ってたら、引っ込みつかないので戦うしか無くなるので、戦いを納められない。
普段武術や格闘技して強いと言っててもショボい体だと、謝ってもビビったと思われる。
なめられて、喧嘩になりやすい。
おまけに、少林寺は、特定の時間に集合し無くてはならないけど、トレーニングは、空いてる時間利用できるので、人生に無駄がない。 >>967
熟練して弱いんなら、筋トレの方がまし。
武道で熟練して弱いと言うのは、
熟練してない。
勘違いの練習してるだけ。
時間のむだ。
それなら筋トレ。
正しくやれば、高齢者になってもベンチで自分の体重あがるし、
何よりメタボになりにくい。
成長ホルモン出るので年のわりに若々しい。 そもそも、乱取りしようとか、強くなろうとか言い出すと、必ず言うのはチャンピオンになってもしょうがない。
イヤイヤ、イヤイヤだれもそんなこといってない。
そもそも、演武大会こそ採点やめてみんな素晴らしいにしないとね。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。