少林寺拳法総合スレ23
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拳禅一如 力愛不二
おやくそく
一.あからさまな煽りや叩きには完全無視こそ最良の返し技
一.http://hissi.org/read.php/budou/ で各 ID の書き込み傾向がわかります
一.次スレは >>950 の方がたててください
一.その際、本文の頭に「!extend:checked:vvvvv:1000:512」と入力してください
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured >>650
俺は少林寺拳法の先生じゃあないし、それぞれが理念を自分なりに履き違えて
応用しても良いし一緒につきあってくれてお互いに向上すれば良いと思って書
いたんだよ。先手を取るってのは経験からも限られた個性的なとこもあったし。
それじゃ面白くないでしょう。自分の得意技隠して試合だけに使うとかも有り
だけど、練習でお互いの技量上げるってのも良いんじゃないかと思いますね。 >>655
理念を履き違えてるんじゃなくて、
理念の話だと履き違えてるんだよ
面白くないでしょうとまた決め付ける。
というか、話をすり替える気かな?
できるとやろうとするの違いを言ってるんだよ やろうとしないとできるにもならんと思うけどね。まあ、君ほど精密じゃないと思ってくれ。 >>657
違うことは違うという話だよ
やろうとしないとできないは全然違う話。
話をすり替えて誤魔化すから言葉が軽いのか、
言葉が軽いから話をすり替えて誤魔化そうとするのか 運用法や乱取りの動画を見ると、普通の防具空手(硬式空手)にしか見えない
少林寺拳法らしさってのがないんだよな >>659
まぁそう見えるんですが、しかしですね、
少林寺拳法の技術自体が後手で成り立っているので、
先手を出しあうとしかたないわけです。
ですので、競技化がむずかしいというわけです。 稽古自体、互いに見合ってたら稽古にならないな
下の奴の攻撃が当たっても、先に仕掛けちゃダメだよーとお説教できるか あとね、少林寺拳法というのは、
基本であり最大の徳目として、「下がる」というものがあります。
ですので、組手といってもお互いに下がってしまうのは出来ませんから、
そこで無理があるわけです。
よく考えれば、世界中の打拳体術のなかでも、
下がりながら撃ちつづける技法を持っているのは少林寺拳法くらいでしょうね。
突いて引いて突く、蹴って引いて蹴る、組んだら投げて蹴って引く、
下がりつづけながらラッシュできるんですから。 まぁ、お互いに先手を取ろうとするが大概の格闘技の初級レベルの競技だと捌けないとで軍鶏の喧嘩になってしまうんですけどね。
そういう経験を経て捌けるようになるし、迂闊には前に出ないようになる。
だけれども駆け引きの中で虚を突いて前に出ると先にあたることもできることがあると。 ともかく、どこかでそういう先手を取り合う稽古をしないといけないし、法形はそれをしてる前提なのではないでしょうか? 少林寺の人は誤解してるけど、ポイント空手も、コンタクト空手も、受け上手いんだよ。
本気攻撃が少林寺の標準より遥かに強力だから受けられ無いこともあるるだけ。
外を知らない少林寺の偉い人たちには分からないんですよ。 >>654
交流スパーは、あくまで練習で、勝負では無い。
お互い、ガチでは無いから、 だから、接待でもない。
流派関係なく、上のレベルが下のレベルに合わせて自分の足りないところを補填している。 >>665
言葉たらずでした。
私はむしろ貴方のおっしゃる内容に賛同して、そういう千手争いを経験しての後手と
いう一段上の・・・というつもりで述べたつもりでした。
だけどそういう理想というか目標が、現状ではクリアーできないというもどかしさがあるのではないか・・・
だからショウリンジャ氏みたいに腰をあげた方もいらっしゃるんだなぁと つーか運用法で勝つ人のほとんどのバックグラウンドが伝統派空手をはじめとした他格闘技出身者なのはどーなん 組手競技での実力というのは競技者間での能力差になるんですよ。
はたしてそれを武術としての実力と言うべきかは難しいものですよね。 最終的に若くて運動神経の良い者が勝つ
センスの無い奴や運動神経の悪い奴は絶対に勝てない
良い悪いは別にして
勝ち負けを絶対的な価値をおくなら
競技とは最終的にそうなる そうですね。昔の乱捕りばっかやってた時代高校で空手黒帯持ってた人も
入部しても、673さん、674さんの言われてる感じだったね。最初は気性な
ど乱捕り競技に持って生まれた対格差もあるけどしばらくすれば慣れて来る。
そのうち又違った少林寺拳法独自の護身に気付いて来るからそうなると理法
を自分にあてはめて自分に合う少林寺拳法を考えるように、個性的なもんかな。 井上弘先生のユーチューブチャンネルいつの間にか消えてるな。
運用法を盛り上げたかったのかよくわからないが、
解説の声は雑音でほぼ聞こえず、なにがしたかったのか。
中達也とのDVDのPRが忙しいのか、本部から圧力掛かってチャンネル閉鎖したのからよく分からないが、やるならちゃんとして欲しかった 若くて運動神経の良い者が勝つのは演武も一緒
そもそも自分が勝てないから意味がないと思う事自体が勝ち負けに拘ってる証拠と言える
乱捕りはあくまで鍛錬としてやるのだから日本拳法ルールとかフルコン空手ルールとか色々試して見るとよい 大阪の警察拳法会なんかは日本拳法を並行してやってる人多い。練習中に鉄面付けて乱捕りしてるし。
少林寺拳法の技術だけでは乱捕り強くなれないと認めてしまってるみたいで悲しいね。 >>679
反対
世の中は経験に学ぶ愚者ばかりたから、多少なりとも体験しないと >>680
なるほどね。
ぼくとしては、撃つことよりも撃たれることを経験してほしいですね。
ですので、競技というのは要らないかな、と思います。 演武で賞をとれればいいとか拳法には圧力などいらないとか見当違いのことを言ってる人は
理解できるまでこれを何度も読み返そう
「少林寺拳法奥義」 第一遍 少林寺拳法の思想
どんな攻撃に対しても、何とかなるという肉体的な自信は、人生全体からみれば、もっとも初歩的で、些細な
ことかもしれないが、しかし、最も基本的なものであることも事実なのである。
(中略)
もちろん、楽しみながらということは、なれあいとは違う。自分が、一つの技をほんとうにこなせ、いざという
ときに自信をもって対応できるようになるためには、相手に、真剣に攻撃してもらわなければならない。
受けそこなえばひっくり返るしかないような突き蹴りを受けたり、かわしたりできるようになってこそ自信も生ま
れるし、下手をすると、胸ぐらをとってこづきまわされかねないほどの攻撃を守ることができ、逆になげとばせる
自信から平常心も育つ。 約束稽古ですら、思いっきり当てに行ったら怒る高段者とか多い >>682
そのためには常日頃から、自由攻防の稽古を何度も重ねていることが前提としてないといけないよ。
その中で特定の技を生かそうと、何度も繰り返す。それを自由攻防の中で試す。
自由攻防くらいしてないと、真剣な攻撃の仕方もわからない型稽古になる おもいっきり打つと怒られるから寸止めで当てないように突き・蹴りを出すと「それじゃ届いてない」「それじゃ間合いが近すぎる」「それじゃ遅いから当たらない」「それじゃ急所ではない」「それじゃ体重が乗ってない手打ちだから効かない」
と言われるんですがどーすればいい? おもいっきり打つと怒られるから→ この怒る人が突くようにする。この怒る人に突くようにしてもらう
で、寸止めで当てないように 以下は受けてる人に対する力量の上の突く人からの注意になるかもね。 >>682
いきなりそんな練習できまっかいな。誰もおらんなるわ。
徐々にやらな >>687
戦後のノリで残る人は一握り。今は徐々に慣らしていかないと人が残りません 少林寺拳法+柔道=柔術のフルセット
ここには異論ないようだね >>682
昭和の極真ではあるまいし
そんな練習したら生徒なんていなくなる
それに一部の適性のある人しか上達しなくなる
それが良いか悪いかは置いといて >>689
中野拳法と言った方がより正確だよ
ジークンドーみたいなもん >>678
日本拳法と少林寺の剛法って似てるとは聞いていたけど本当にソックリなんだよね
軸が常にまっすぐか揺らすかと言う違いはあるけど突き方もよく似てる
https://www.youtube.com/watch?v=vxm78P_M0F4 少林寺は試合や自由攻防の稽古もしないから、レベルがまったく違うけどね そう、レベルが全然違う。
少林寺の良いところは、ほぼスパーをしない、演武や技練しかしないので年行っても出来るところ。
逆に悪いところは、ザコの高段者や自称達人が多い。
日本拳法の良いところは、好きなだけどつき合いができるが、悪いところは、強打でないと取ってくれないので脳にダメージが残りそう。
日本拳法でどつき合いがしんどくなったら少林寺に転向してまったりするのが良さそう。 大体、毎日6時間の乱捕りとか現代人には無理。世界タイトル控えたボクサーじゃあるまいし。それを教える指導者もいない。
かといってダンスしたいわけでないから、そのへんの上手いさじ加減ができる指導者がもっと増えればいいけど 少林寺拳法など弱いからいいのではないですか。
強いだなどと思っているやつは稽古にも不要ですね。 少林寺は目打ち金的あるから他の武道より実戦的、急所を的確に叩いてko出来る。おまけに人づくりの行だから人間性も素晴らしいと思ってる高段者が多い >>697
高段者が思い込んでるケースで多いのは、少林寺は目打ち金的あるから他の武道より実戦的、急所を的確に叩いてko出来る、おまけに人づくりの行だから人間性も素晴らしいなど。
としたほうが文が長くならないわけです。 >>694
個人的には社会に出てからの時間の方が長いし
拳骨の強さよりも仕事をこなせる能力の方が大事なわけで
それを考えると
あまり脳へのダメージを負うような競技は避けた方が良いとは思うけど
勿論価値観は人それぞれだが
日本拳法とキックをやった長島自演乙の動画観てると色々と考えさせられる。
https://youtu.be/ST8fHiBKOtY >>695
これとか、脳障害になるほど乱取りとか、乱取りやらないか、とことんやるか二つしかないんかい?
なんか、少林寺脳は極端だな。 >>701
日本拳法は乱取りがメインだから
大なり小なり脳へのダメージはあるよ
これは別に他のスポーツも同じだけどね
過度な有酸素運動を続けると老化が早まったり プロはともかく、練習で毎回ガツガツ殴りあっているわけではない。
試合があるから自分なりテーマをもって、互いに申し合わせや加減して自由攻防をやってる。
武道は所詮、相手を傷つけるもの
相手を傷つけるけれど、その過程で自分は傷つかずに達人のように強くなりたいんですという都合の良い武道はどこいってもないと思うよ
そんなに頭や健康が気になるなら、ジムで筋トレしてるか山でも登ってた方が良い 筋トレでマッチヨになるのが、一番効果の高い護身術。
ガリの達人はなめられて喧嘩になるけど、マッチヨは相手怒らせるような行動しない限り喧嘩売られない。 パワーあると、いざとなった時の自信もあるから心に余裕できて、
変にかっかしなくなって、喧嘩にもなりにくい。
半端に武道やってるガリは自信無いので、エキサイトしやすい。
過去のガリな俺の体験な! 何より、体力あるのは、みんなに便利がられて、ほんと、実践的。半ばは他人のためやりやすいし。 体鍛えて、ボクシングの基本と守法と抜き技、これだけをキチンとやれば、護身術としては十分。
少林寺はらしい風格とか高度な柔法とか、それに時間取られて守りや抜きやパンチが薄くなるなら、無駄。
護身の足を引っ張る練習。 ガリとかチビとかデブとかだからって、喧嘩なんて売られるか?
問題はそれをコンプレックスに思ってびくびくしてるのが原因。
逆に言えば、
ムキムキだろうがノッポだろうハンサムだろうが金持ちだろうがびびってる奴はなめられる。 学生の時を思い出せば、
一目置かれてた奴となめられてた奴がいるが、
その違いは体型や入ってる部活など関係なかった
気の弱い奴がなめられる
逆に言えば趣味が
将棋でも切手収集でも読書でもアニメでも、
堂々としてりゃ喧嘩なんてそうそう売られないよ 仮に殴られたとしても、
あとから訴えるなり脅すなり社会的に抹殺するなりいくらでも手はある
空手やキックや拳法や言っても、
一歩社会に出ればもっと怖い世界などなんぼでもあるわ >>710
おたくみたいに
ちゃんとした大人がいると安心するわ
こういう武道板だと永遠の14歳が多くて というか今なんて顔を掴んだだけで暴行罪だよ
そんな事より社会で強者になるために
もっと大事な事がある
それとは別にストレス発散や息抜きや趣味としての拳法を嗜むというのが
ある種正常だよ
いつまでも中高生の気分のままでも別に構わないけど
いい大人がいつまでもそんな事を言ってたら痛すぎ コメディアンの松本人志よりヒョロい拳法家ばっかりだからな 少林寺の先生方は松本人志より社会的に成功してんの? 開祖が凄いと思うのは喧嘩や技も出来るけど武だけじゃなくて、
組織の防衛とか外部の偉い人たちとの交流とか人間として、でかかったというところ
法話テープを聴いてたらそれがよく分かる。敗戦後の体験を満州で一年経験、綺麗事でない悲惨さがある。
そんな体験者だから試合で勝った負けたよりもじんせ
やみくもに敵を作って喧嘩するのではなく仲良くしたり、弟子のにしてしまったりする
その意味で武道家ではなく教育者というのには賛成 試合で勝った負けたよりも、
人生に負けるなというのは敗戦体験に裏打ちされているから
敗戦があったから少林寺は始まった
だから開祖は武道家とかスポーツとか競技性のあるものは好まなかった。
現代人からみるとちょっと理解し難いかもしれないが、それは当たり前だ。
何故なら戦争を体験していないからだ。
開祖を本当に少しでも理解しようとするなら昭和史を勉強すると良い 他武道対策とかは武道好きな人はやるだろうが、
昭和史研究はやってる人は少ない。
昭和の始めに二十歳くらいだった青年の感覚、それを知ることは少林寺の教義に通じるので興味深い
そういや平成も終わりだ。さあ昭和史を研究しよう。 試験は単なる暗記科目になってると批判されるようになってから久しいがその通り。
暗記科目、教範の受け売りなど何の役にも立たない。
血と肉として自分に落とし込もうとしたら、最低限自分の言葉で語れるようにならないといけない。
その意味で昭和の直弟子たちは技にも教義にも研究熱心だった。
まあ研究しなくてもその時代の生活や出来事、
当時の開祖や少林寺を肌で感じれていたから自然に分かったというのも大きいが たかだか初二三段で求め過ぎじゃね?
就業就学後のレクリエーションだぞ 開祖は少林寺を試合に一喜一憂する場でなくて、
生き方を学ぶ場にしたかった。
ただしいたずらに闘いをを求めないが、いざというときは盾になりあえる関係に
つまりレクリエーションとか単なるお稽古ごとでなくて、
よその宗教の人が神様を信じてたり、肉を食べないとか、毎日お祈りをするとか、
そういうくらい生活に浸透させたかったのだと思う。
まあ少林寺は祈祷も存在しないし食べ物などに規制もないが、
行動の規範として。
ある有名な道院長は、
開祖の教えに背いていないか折に触れて家族で話し合いもすると言っていた。 初二段どころか白帯の頃から教育せねばならない
白帯の頃が良くも悪くも一番染まりやすいから >>724
とんだ馬鹿ですねそいつ、皆さん笑ってあげてください。 やはり少林寺は武道そのものでなくて、
思想運動を元にした日本復興運動である
だから技がどうの組織がどうのというのは開祖から見れば枝葉末節であって、
大局を見失うなと言いたかったはず。
晩年、原点に帰れとあれほど言われたのは、
技や競技ばかりで思想や金剛禅運動が無くなっきていると危惧したからに違いない
そして祈祷や読経を生業とする宗教に対してのアンチテーゼで、
拳の主行を生業とした宗教、
北禅を復興させたという自負もあったというのは想像に難くない 技にしろ思想にしろ私自身が少林寺、と胸を張って言えるほどの道院長でなくては尊敬するところまではなかなかいかない。
昔の直弟子たちは博識だったし喧嘩も出来た。まさに強く賢い狼の群れだ。
段は持ってるから道院長、でも教養や思想はそのへんのおっさんと大差なし..
こんなのじゃ魅力ないな 仕事はからっきし
物覚えは悪く要領も悪い
物事を理解し深く考察したりは
判断や決断はできず万年ヒラ
低収入でパッとせず
困難が訪れたらすぐ凹むし逃げる
人望も協調性もなく
でも自尊心は人一倍でちょっとでもからかわれるとすぐ怒るほどの短気
でも拳法だけは一人前で
口癖は「真の護身は〜
偉そうにしててもあんな奴と喧嘩したら一発だ」
極端だが
こういうのを否定したんだろ 実際本当に強いなこの人
と思う人はそんな腕力を誇示するような単純なものじゃないよね
それくらい強さの定義というのは多種多様
知り合いの空手を長年やってる奴がいるが
最近仕事である重要なポストにつき
毎日の重圧や問題が降りかかり
しまいには鬱になり精神科に通院してる
スポーツや武道の世界なんて物凄く狭い小さな世界
そんな中で一番二番とやっていても
所詮スポーツ
娯楽だよ
別にそれ自体を否定してるのではなく
それが全てのように少林寺を否定するのもどうなのかと。
自分に合わないなら合う武道に移ればいいだけじゃん
別に動院に就職してるわけでもないんだし >>659
普段法形などで習っている技術をそのまま活かしているようには確かに見えんな。
運用法は攻めの方はともかく、受けの方は少林寺の技術をもっと活かせないのか。
後手の技術なわけだから。 構えが多様にあるように、こだわらず変化する攻防の中で一瞬だけ出りゃ良いんだよ 中野先生って埼玉にきて仕事なにやってた?
一応本部職員だったの? 少林寺拳法の考えていることっておたくらが参照になっているんですよ。 中国が悪いことして目立ってるときは、政治にはふれない。
安倍が何かすると、中国様みたいな意見で安倍批判。 >>730
具体的強さを求めると言うと強さを誇示するみたいに言う、極論が少林寺脳。
愛国の空手師範もいれば、中国手先みたいな少林寺重鎮もいる。
清廉潔白な空手師範も、銭もうけ主義の空手師範もいる。
それは、少林寺もおなじ。
大きな組織は、割高なグッズ買わせる。 >>741
ズボンは少林寺拳法特注の幅広のがいいですよ。
6分丈くらいに短く切ってしまってもいいですね。 >>741
防具。数珠等。
ほぼ同性能で定価レベルで安いのはある。 数珠なんてものは無いほうがいいくらいですね。
仏壇じゃないんですからね。 独占販売問題ですね。どっちも欲深いものだったんですよ。
まぁイサミに任せておけばいいのです。 金剛禅の信者って結婚式や葬式も金剛禅式でやるんですか? ばかばかしいですよね、武道のなかでですらばかばかしいというのに。 チベット大虐殺は現在進行形、加担する日本のODA
http://jjtaro.cocolog-nifty.com/nippon/2012/11/post-833b.html
平成21年(2009年)1月の時点で1000名以上が行方不明です。ダライ・ラマ法王日本代表部事務所では平成22年(2010年)7月にも依然として行方不明である発表がなされています。チベット大虐殺は現在進行形なのです。
中華人民共和国(中共)は西部開発を進めていますが、
これらは独立志向の強いチベット族、ウイグル族に対して漢族資本を押し寄せることで少数民族を経済支配するものです。
貧困を軽減し、観光を促進するという名目で支配するのです。道路や鉄道、光ファイバーなどで漢民族の移住を増加させ、
チベットの文化とアイデンティティを弱体化させ、チベット武装化を進めています。
これらを間接的に支援しているのが日本のODAです。
今はODA一部を残し終了したけど、その影響は今でも残っている。
日中友好とか言って中国援助してた連中は、中国政府の非道をしらない馬鹿でした。
ほんと、金儲けや仕事や、武道の技しか見えてない職人さんでした。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています