73年ごろの吉丸は佐川道場の内弟子のようになっていた
佐川道場はのちにかなりのブランドになるが、この時点ではあまり知られていなかった
門下生を拡充したいと考えた吉丸は、佐川の同意を得て新聞に広告を出す
これを見て連絡してきたのが堀辺正史
堀辺は東中野に出店する整体屋に、吉丸を指導員とする道場を併設することを提案してきた
佐川とも昵懇になり、中伝三段を授けてもらう
75年、現在の東中野に道場がスタートする
以上は吉丸の述懐