和道流空手道について語る2
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和道流空手道の理合についてなど語るスレです。
和道会、和道流柔術拳法についてもここで。
前スレ 和道流空手道について語る
http://itest.5ch.net/test/read.cgi/budou/1533022271/l50 >>384
少林寺草創期の高弟には、和道流出身の佐々木氏とかがいた
最初に粛清された弟子だけど いじめ道場も被害者が自殺して殺人事件化しなくて良かったんじゃないか
人生をつぶしたのだから一生責任追及されるだろうけど 少林寺拳法はふせん流が母体ですからね。
ほんとはそっちのほうが比重あるんですよ。
和道は空手のオマケっぽいというか。 >>389
空手よりも、あれな内部闘争あるんですよ。
わどうかい
みたいな分派はできないでしょ そうなんでしょうね。とくに、技術だけじゃなくて教育にうるさいから、すごくモメそうですね。 教育絡みなんてどの業界でもジャスティス合戦だからな 空手そっちのけで、いじめや内部闘争、粛清と凄い流派だな
純粋に空手をしたい人間からしたら迷惑 和道流は長モノどりとか短刀どりとか、対武器に特化すればもっと発展したとおもいます。 宗家は和道流空手と柔術拳法を分け、空手の方は寄り危険な技は脇に置く指導にしている時点で、
空手を武道として普及させようとしたのだと思う。
逆に宗家が学んだ武術は、柔術拳法として残そうとされたのだろう。
戦争以降の日本に武術の技よりも武道としての空手の方が普及しやすいと言う判断だったのか、
或いは何方かが普及に成功すれば良いと言う判断だったのかは今となっては解らない。 空手学んだ人しか柔術指導しないんだから何方かってことはなくないか 空手は教えやすいし覚えやすいですが、柔術は手間暇かかりますからね。 >>399
んなこと言うがお前ってホントjujitsuがやれるのかい?
ネット柔術家だろうが。 >>380
日本武道は右構えが基本だから、それに倣ったんだよ。
右側を前に出す理由は、相手の武器から心臓を遠ざけるため。
>あと和道の人はその他の約束組手とかってやるの?昇級試験とかで。
昇級審査は道場単位で行うので、道場の方針による。
昇段審査は基本・形・基本組手・自由組手この4つが課題。
いわゆる約束組手はやらない。
ちなみに和道流では「開祖」よりも「流祖」と呼ぶ方が一般的である。 そういえば昇級試験は道場単位で、和道流空手道連盟は本部の人が昇段を審査するとして、和道会は昇段試験どんな風になってんの?
昇段の難易度はどっちも同じ? >>398
普通に考えれば、空手を入り口とし一部の高段者達のみにより危険な技を含む柔術の技を伝える。
という流れを作られたという事なのだろうね。
古流柔術の技には壊すことを目的とした物が多いので、それらを一般の門人達に伝えるのは、
時代的に考えても余り好ましくないと判断されたのかも知れない。
裏の基本組手10本も急所攻撃などを含めた危険な技で構成されているが、普通の門下生達には
指導はされない。 >>403
会の方は、各県連の資格を持つ人間達によって審査されるので、
難易度に関してはどうしても振れがある。
流とどちらが難しいかとなると比較のしようがないが、私個人の印象ではどちらもそれなりに厳しく、
動きのキレが良い大学生の形競技の選手が三段の試験に落ちる光景も見ることがある。 内容に関しては少し違う。
ただ、それはあくまでも同一の流派の中での違いであり全く別物という差はない。
(移動基本の内容が違っていたり、形や基本組手のやり方が少し違っていたりなど) 空手のほうはバカでもできるからやらせるんですよ。
柔術はめんどくさいから避けたんでしょう。 ピンアン四段むずかしい
初段と二段がやり込まれる理由がわかる気がしてきた 今、全日本で高体連代表の奴が和道のチントウで1回戦勝ち上がったぞw この舟田葵って選手、普段は和道の型なんて使ってないみたいだが、何故全日本でそれを選んだんだろうか
和道のクーシャンクーで喜友名選手に勝てるわけが無い そもそも形それ自体の良し悪しをジャッジしてもらうみたいな発想が和道的じゃない せっかく和道の型を使いこなす天才が現れたのに、ジャッジしてもらうのがダサいとかw
何なんだ、その下らないプライドは 他の流派の立場や素人から見たら総じてダサい
全空連のルールでは勝ちにくい
基本的に腰が高いし、独自のものが多すぎる(立ち方とか)
勝てる形は、長いからクーシャンクーか(それでも観空大ほど見栄えが良くない)、指定型だから認知されてるチントウ、セイシャンぐらい
チントウならそれなりにかっこよく見えるかもしれないがマスターするのが難しい形
相当練習しないと全空連ルールで勝つのは難しいし、完璧でも勝てるとは限らない
同じ流派の人間なら理解できるしうまい下手分かるが、他流派の人間からしたら、、、 現代の空手が必要以上に腰を低くしてるような気がするんだよね。
戦前の写真なんか見ると結構腰が高いし。
実際、空手の稽古の時はもっと下げろって言われるけど
古流の居合の稽古の時は低く過ぎって言われる。 低ければ良いみたいな風潮、あれデマですよね。
動きやすい位置があるはず。
基本は脚がよく使えてて、股、膝、足首が柔らかく使えていることでしょう。 だから、動きにくい体勢でキレが出せれば高得点なんだろう バカかって話ですよ。形かわってんじゃんよと。
逆立ち空手でもしてりゃいいんですよ。 >>419
バカはどっちだ
型は金太郎飴じゃないんだ
腰が低い状態で腰が高い奴よりキレが出せれば、歩幅が広い分、そっちの方が戦闘力は上だろう >>404
そんなもん、護身術兼伝統芸兼スポーツ=武道としてやる人には無用の長物だもんな。
技が切れれば、殺人技使う奴を先に倒すことは可能だし、最、深い意味で武道鍛えたい人だけで良いもん 現代の形競技には弊害があるのも事実だが、同時に恩恵があるのも事実だろう。
出なければ、競技形がここまで普及する事もない。
競技としての形と流派の伝統的な形とは、組手同様今後は切り離して見るべきだろうし、
また指導もそこを混同しないように生徒達に指導すべきだろう。
私は師匠から教わった形はけして、競技形で勝つための物ではないが、
組手同様共通点もあるので、競技形にでる生徒達にそこを重点的に指導をする。
出るからには勝つ気概がなければ、出た所で多くの学びはないだろう。
同時に常々、生徒達には競技形と伝統的な形との違いも指導はする。
混同してしまうと後の人間達が訳がわからなくなってくるので。 >>420
おたくバカですね。そんなことやってたら型おかしくなりますよ。
一代そのへんのこと忘れたらもう誤伝の始まりですからね。
空手なんて誤伝まみれの欠陥武道なんですから。 なんでそのダサい型の流派に所属してんの?
柔術は分離して宗家にいかないと習えないんでしょ >>423
空手を神格化して強くなれるんだったら、こんな楽な話は無いよ
誤伝まみれの型をしっかり守ったところで何の意味があるの?
だいたい、和道の型は細かいところ変えまくってるよ 和道流けちょんけちょんjやないですか。どこかなにかないんですか。 和道流の柔術を特別視している連中がいるようだが、形稽古しかやらないから実用的な価値はそれほどない。
技を使えるようになるには自由攻防の練習が不可欠である。
しかし柔術技法を自由攻防で練習すると講道館柔道の乱取りに収斂されるはず。
事実、神道揚心流の使い手には講道館柔道と併修していた者が多かったと聞く。
柔術界は既に講道館に制覇されており覇権奪還が難しかったので流祖は柔術技法は保存するに留め、当時まだ珍しかった空手の方に力を入れた所、たまたま時流に乗って空手の大家に成り上がれたと考えるのは邪推と妄想が過ぎるだろうか。
一応フォローしておくが、俺は空手に日本武道の術理を導入した流祖と和道流の術理をリスペクトしている。
ただ、現存する動画を見る限りでは流祖自身が和道流の術理を体現できたのかは疑問が残る。
(またしても問題発言をしてしまった)
流祖の実力に関しては日本人よりも外国人の方がドライに調査することもあって、海外の研究家により明らかになっていると聞く。
ただ、センシティブな問題なので公にはしずらいようである。 >>427
お察しの諸事たいへんよく分かります。
ぼくも同じく思うといえば失礼になりますが、
しかしやはり、講道館の潮流とは別の歩みをしただけに、
陽が当たることはなかったのだと思います。そして、それは単なるトレンドですからね。
技術体系のまとめについても同感で、やはり異質なものをまとめるのが難しく、それは至難のこととも思います。
ひとつ言えるだろうのは、
この時代すでに、空手のような打拳能力が必要だとき気づいたのだろうことです。
本土には当身の発達がありませんでしたから、身体武器化や破壊力的な強化は斬新だったことでしょう。
明治以降、制圧よりも護身需要が高まるなかでは尚更、当身技術に長を見たとしておかしくありません。 開祖が残した柔術拳法は、いわゆる柔の術(投げ関節技など)は一般的な古流柔術に比べ少なく
代わりに各種当身の技法がより詳しく色々なバリエーションが技法として存在している。
その技法の中核は、やはり流しでありいなしである。
根本的な技のコンセプトは、和道流空手と変わらない。
和道流空手に長ける事が出来れば、柔術拳法の技も短期間で習得出来るように作られている。
この辺りの一連の体系化を一代で作る事が出来たと言うのは、本人の中に技としての核心が有ったからだと思う。
大塚開祖にとって余計と感じられる物は、空手からも柔術からも削ぎ落とし、技としての芯だけを残してそれを柱として作られたのが和道流空手であり、和道流柔術拳法になる。
ただ、柔術拳法の技法は急所攻撃や壊す技の種類も多く余り一般的に指導されないので、
現在では一部の高段者達しか練習、指導されないと言うのは勿体ないとは思いつつも、
時代を考えれば当然な流れなのかも知れない。 和道流って「身体の武器化」と言えるほど部位鍛錬やるか? >>430
ぜんぜん当然じゃないと思いますよ。
技術を二分してるのが失敗なんです。
まとめられていない。
しかも、柔のほうは段以後、これではダメです。
編成の失敗です。
よく考えられなかった。
足し算では良いものは出来ません。その結果です。 なんか、変なオタクがdisりに来てるんだなぁ。
刻み突き一発で血を吐いて訴訟騒ぎ起こすタイプの輩と認定した >>341
和道の型をやったことがあれば、分からないほうがおかしい 多くの古流柔術の現在の状況を見れば、2つに分けたのが失敗だったのか、
最高だったのかは論ずまでも無いような気がするが。 だめだめですね。
融合できないのなら和道流の意味がない。
完全な空手と完全な柔術をやったほうがいいです。
和道流は柔術の内容オマケくらいしか無いのに、
それすら融合できてないんです。 衰退か形骸化の一歩を辿っている他の多くの古流柔術に対して団体として成功している訳だから結局、大塚博紀の決断は正しかったと言う事だな。 柔術もはんぱで型もくだらないんでは、オワコンじゃないですか。 >>441
下段の関節蹴りはあるが、下段の回し蹴りはない。 和道流じゃなかったらなんの流儀やりたかったとかありますかね。 松濤館流に興味あったけどやばいぐらいガチですぐ歯折られると聞いてやめた 昔よく聞きましたよね、寸止めといってもまだ緩衝用の小手も無いし、マウスピースも無い時代です。
しかも、ボクシングの影響なのか、手をケガしないようにってテーピングしたのが、
けっこう固い握り拳になって、力入っておもわず当たって歯がっていう事。
まぁアクシデントだしょうがないって済まされてましたけど。
そのせいで、親が習わせるのを嫌うっていうことありましたね。 >>444
ニーセーシーにあるだろ
それから和道は型じゃなくて形
何も知らん素人は消えろ そんなものがひとつあっただけで、頼みどころのように言うのも、なんだか弱いなーって。 まあ、バッサイ、ニーセーシ知らなくても黒帯取れるし 和道流の型に頭突きってないじゃないですか。よその柔術では当然あるのに。 >>451
頼みどころなんて感じるのか。
ただあるから明記されただけでは? >>454
なんかがんばっててイタいなって。
口ぐせに負け根性が滲んでて、こっちが哀しいです。 ずっと和道ディスってんのってもしかして10年昇段ボーイ? >>453
頭突きなんて誰でも出来るもんじゃないの?
型でわざわざ習う意味あるの >>456
単なる純粋ねらーだろ。
他でも同じ活動やってるんよ 和道流すきですよ。でも柔術入りのとこのほうが好きですね。
なのにどうしてそこをやらないんだろうと。 >>459
基本的には和道流柔術拳法でも重要視される転移・転体・足捌き・体捌き・流し等の動きは空手の方にも組み込まれているので空手をやり込めば、柔術拳法の方の体の使い方も身に付く。
後は柔術の方がより武術的な技法や或いは対刀などの戦い方を教えている。
現代において対刀の戦い方や危険な技法を求める人間達の方が少ないだろう。
(実際に使う事を目的としていなくとも)
その目線で空手を前提として指導している。 >>460
そういえば、和道流の動きって空手諸派よりなめらかですよね。
空手っぽいぎこぎこしたかんじが少ないというか。
しかし対武器のほうがかっこいいからそっちがやりたいのになー。
どうして柔術を前面に出していかなかったんだろう。もったいない。 日本において対武器の技術を求める人間達は少なく、
空手の指導の方が社会的にも教育的にも汎用性が高いと判断されたのではないかと思う。
或いは、柔術拳法も当身を主体で構成されているので先ずは空手で当身の術を身につけなさい。
という開祖の考えだったのかもしれない。
個人的には、この両方の考えで決められたのではないかと思う。 >>462
一理ありますね。
細かいことやるよりも、空手で身体のばして、っていうことも考えられますね。
現在はいろいろ変な事件が多くて、対武器が念頭というくらい社会不安があります。
そんな今のぼくには、対武器は意識として欲しいものなんですよね。
日本刀で斬られることはなくても、そういう考えをもっていれば、有事に心の備えくらいできるなーと。 >>422
よく講習会で「競技形」と「本来の和道流の形」は違うという話を耳にするが、彼等(高段者)が言う違いとは手の位置やリズム、見た目だけの緩急強弱の違いなどであり、そんなのは枝葉末節な違いでしかないと言える。
君がいう「競技形」と「師匠から教わった形」の違いとは何を指すのか教授願いたい。 >>464
大きな部分で言えば、私が教わり今でも道場で指導している和道の伝統的な形は競技形ほどの極めやスピード、
また形をよりよく見せる為の動きではなく技としての使い方の動き重視している。
これは、私の所だけではなく和道の技術講習会でも指導される事なので、何も私の所だけが特別とも認識してはいない。
ただし、同時に極めの強さやスピードも別にいらないとは思わない。
事実、道場で競技形にでる子供達にはそれらも重点的に指導をする。
私の中ではそれらも伝統的な流派の形のやり方の応用での範疇と言う認識であるから。
とは言え、競技に出すからには競技で勝つ為の練習も同時にさせる。
負ける事を前提で出てもそこから得るものは少ないと言う考えからである。 和道流において分解とは形の動きのままの分解をさし、
いわゆる他流のような「本来はこう使う」と言う分解はない。
「応用として」こういう使い方も出来る。
というのはあるが。
つまり形の動きが即技である。
その為にその動きが技として成立しているのか、或いはただそういう動きになってしまっているのかが和道に限って言えば大きな違いになる。 首里手系の形によく出てくる、肘打ちをもう一方の掌で受け止める動き、これは分解としてはどう解釈してますか? >>467
基本的には、相手を掴んで引き込んで肘打ちすると言う使い方で学んでいる。
突きに比べ肘打ちは打撃としての間合いがかなり近いので使う際にはその補助の動きを取り入れるようにすると良いと言う考え。
(カウンターとして使う場合はニーセーシーの使い方が良いが)
尚、更に近い間合いから仕掛けられる場合に限って言えば相手の背中に形のままの動きで手を回してから打つと普通に打つよりも効く。
これは、講習会で実際に私が70過ぎの講師の先生に笑顔でやられて効いた経験からである。 なので、片方の腕でもう片方の肘打ちを受ける挙動の場合、形において必ずその前に受け技か或いは前蹴りのような技を一つ挟んでから構成されていると思う。
これは、自分から攻撃として使う肘打ちの場合は一度受けるか、或いは攻撃して間合いを詰めてから使いなさい。
と言う意図が含まれていると理解している。 ですからそうやって無理やりに分かろうとするじゃないですか、それが弊害だっていうんですよ。 私の中では無理ではない無いので何とも答えにくいのだが(実際にそう使えるという事も含め)
もっと理に適った使い方を指導する流派があるのならその流派の使い方が何は世の中に出てくるのかもしれないね。 なにかしら、これはこうだってしないと気が済まないという時点で、ほとんど扱えてない、迷ってるってことなんですよね。 「基本的には」と事前に書いた通り、技はその時の間合いや状況で幾らでも使い方は変わるだろう。
だから和道には「本来はこう使う」と言う分解が存在しない。
ただし、それでは初心者から中級者達には余りに形が難解になる為にあくまでも基本的な使い方は説明される。
そこから先は個人の修練と工夫で更に理に適った使い方があるのならそう使えば良い。
それが技としての完成度が高ければ或いは後世に残るかも知れない。
私自身は相手を掴んで引き寄せての肘打ちは実際に使いやすいくバリエーションも組みやすいのでこの使い方に何も迷いはないが、
他人がどう感じるかまでは何も言えないので、
そう感じられるのならそう言う部分も有るのかも知れない。 こういうときは、こうするんだ、っていうことです!で満足してるわけですね。 いじめ道場のいじめ事件発覚後から雰囲気悪くなったな
一部の道場でそういうことをしてるせいで和道流全体がそういう目で見られて迷惑 ぼくはやっぱり思うんです、型と解釈のあいだにひどい断絶があって、
解釈に答えないものをいつまでも難解なものとして扱おうとしてしまう不遇。
これではずっと不健康ですよね。
一つの問題に、空手のひとは、型を抽象だと認められていないんです。
そもそも日本人は抽象を理解する能力が弱いと言われますが、まさにそれで、
具象を求めてしまうんですね。
そういう人種には具象した体系、例えば少林寺拳法などのような表現が必要なんですよね。 >>474
それが必要な場合だってあるでしょう。何事も是々非々です。
だって肘打ちの動作なんてそのままじゃ意味不明ですから。
平安五段やバッサイに出てくる、蹴りを掌で受ける動作もなんかもそうですね。
ある程度具体的な使い方に落とし込んで理解することは形を活きたものにするのに有効だと思いますよ。
そこからの応用は個人の力量が問われる部分でしょうけど。
「こういう時はこうするんだ」ということを否定して終わるのは、ベクトルが逆なだけでやってることは満足で終わるのと同じです。 >>477
ぼくね、その考えには異見なんですよ。
型って、もう具体的なハウトウでは無いっていう認識でやったほうがいいと思うんです。
抽象物として、抽象表現として、残ったものだとしたほうが、むしろ価値できると。 >>478
用ないですよ、おたくみたいな文句だのととるような奴。 少林寺拳法やってる奴が空手の型に文句つけたところで何が生まれるんだ?
せめて段を取ってから書き込んでもらいたいね
どうせ白帯止まりの坊主なんだろう あ、ぼく和道流じゃないですよ。念のため。
和道流に憧れすらもっている者です。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています