田代誠と肥田式強健術
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肥田春充の後継者にふさわしいカリスマ
圧倒的な実力 つまり、自己満足ではあるけれども、正中心を発動ことで、自動的に無念無想の幸福な境地
に、誰でもがなってしまう。ということだと思います。 >>506
自分はできたけど客観的再現性が無いっていうのは
小保ちゃんと同レベルの話だね >>506
で、方法としては腰を据える事が、肉体労働でも、武道でも、デスクワークでも、芸術でも
健康法としても一番大事なことだ。と >>508
腰を反らして、正中心を発動するのは、朝一回10秒ぐらいでいいし、後は仕事していいし、
本を読んでも、音楽聞いても、寝転がってても、ご飯食べても、風呂に入ってもその気持ち良さ
が有れば、元気に一日過ごせるよ。と >>510
なるほど。腰を反らし、仙骨神経叢から脳幹を活性化するのは良いことだが、どういう効果が出る
かは、人それぞれ。ということですか。 難しいので、全部は読んでませんが、思考停止というのは、頭が回らなくなるという悪い意味では、
なく、雑念が無い状態で、本来の自然な状態になるという意味だと思いました。 腰を反るのはいいですね。ただ、腰は腰でもかなり下の方(仙骨の上)だという気がしますよ、
最近は。オステオパシーの仙骨後頭骨療法もこれかなとか思いますね。繋がってる感じします。 十年ほど前に買ってた原著を今頃になって、何故か読み返し、スレに書き込む今日この頃です。 平凡で、愚鈍で才能が無い、体が弱くて、何度も死にかけた自分でさえ、こうなったのだ。
元々健康で、能力のある人がこの道を進めばどこまで伸びるか分からない、と春充も言ってますよ。 その道こそ聖中心道(正中心の練磨)です。*肥田式というのは、人が便宜上付けたもの
だそうです。 そのとおり!
今までどれほどの人が春充のような超人になったことか 川合信水の言葉
彼死すと雖も、その精神は我が衷にありという風になって頂ければ、一人の肥田が死んで、
何十人、何百人の肥田が出て来ることになるのであります。丁度宗教の祖師達が死にまして
も、その精神が伝わって行くやうに、彼の精神が長く此処に伝はれてゆくように望みます。(中略)
そしてここにおいでになった方々が、村にお帰りになり、町にお帰りになって、幾人かの人
を指導してゆけば、これにより、日本の改革も、ここから出来る位のものであります。五十人
の義士があれば日本を動かせるということ、私も肥田の弟も今日まで働いて来たのは、其の為
であります。一人でもって千万人を導く人を造りたいということが私共の願いであります。
仏教では『大願を起さざるは菩薩の魔事なり』と言った。そういう望み、そういう大なる志を
立てて頂きたいのであります。 >>518
導くどころか隠遁しちゃって面会謝絶してたじゃん
ほんと、兄弟揃って美辞麗句だけの文章だなあ 枕無しはいいですよ。首痛と寝違えにならなくなった。 『それでは、胸が空いて頭が軽くなると云ふやうには、なりますまい。即ち無念無想にはなら
んでせう。駄目でせう。どうです。どうです。あなたはどうです』と、飛び飛びに指しながら、
聞いたら、みんな 『駄目です。なりません』と、正直に答えた。 学校やスポーツ界で導入したら故障者続出だろうな
軍隊で本当に採用されてたのかも怪しい 春充の晩年は仏法という法に照らして見れば一目瞭然、苦しみの絶え間ない境界である無間地獄に陥ったので間違いないだろう。
肥田式は地獄行である。 あの世の話なんかお前以外に誰もしてないぞ
馬鹿なのかな 春充ってやっぱすげえな
あの時代で22時から23時に寝るのが睡眠の効率が最もいいとか書いてるわ 又夜の九時頃から、十二時頃迄の方が、十二時以後よりか、倍も良く眠れるのであって、十二時
を過ぎると、脳はもう少しく活動を始めるから、充分な眠りは出来にくいものである。其れ故、最も
熟睡の出来る十時、十一時頃を、茶やコーヒーなどの刺激物を摂りながら、無駄話に空費することは、
頗る愚かなことと云はねばならぬ。 中心力を脊髄に上昇させるより、クンダリニーを上昇させるほうが簡単なんだよね
鍛練はオナニーだから三日坊主にもならないし クンダリニーを脳幹まで上昇させると、脳内の独り言が消滅する
肥田式でいう脳の休眠状態とはこのことだろう 春充が死んだ日、緑色の球体がゴォーと天に昇って行くのが目撃されたとされるが
あれは春充だったんでしょうかね?だとしたら隕石にでもなってしまったんだろうか?
隕石なら落下するかw 中心に活きると、働くのも楽しみ、運動するのも楽しみ、さうして眠ることも亦、大なる楽しみとなる。
仰臥の時、どんな低い枕でも、無い方が、體は非常に楽なものである。全身の機関は、平正にな
って、精神までもユッタリと嬉しい気分になる。眞に全身を、大地に任せ切って休息するの心持である。 其れを枕無しだと、頭が谷底へでも、落ちて行くやうな気持がして、却って窮屈に感ずるのは、
眞健康を得て居らぬのと、多年の習慣と違ふ為に外ならぬ。枕は、頭脳と気管と胸部とを、虐遇
するものである。體だけを稍々斜にした位では、枕は無くとも毫も差支は無いものである。別に
窮屈なこともない。だが無枕の楽しみを解するのには相当の鍛錬を経なければならない。私は
枕無しに寝るやうになってから、睡眠そのものに、大なる楽しみを感ずるやうになったのである。 ただに肉體のみならず、精神、魂共に健全にして、清眞の光明に、純化せらるるの道があるとし
たならば、人は須らく全力を振るって、これが獲得に邁進せねばならぬ。
だが一挙にして、心身両方面の健全を図り、天真の大道に、合一するが如き妙法が、果たして
現世に、存在するであろうか。
在る。在る。在って各人の衷に備へられて居るのだ。其れは云ふまでもなく、腰腹同力に
よって、造らるる處の、正中心である。『其れ以外には、絶対に無い』と、私は断言する。
驚くべき独断だと、罵る者があるならば、そは無縁の徒なりとして、其の人の自由に任せる。 ポカッ──、 空、空、空、空、何も要らない。凡ては塵の塵だ。我に此の力あり。我に此の
生命あり。此の光あり。此の真理あり。此の道あり。 即ち、我が求むるべきものは、我にあり。我が衷にあり。我が中心の世界にあり。然り、我が
腰腹中心の世界、……其処に、神聖不可侵の聖境あり。ダイヤモンドの神殿は、霊光燦然と
して、聳峙し、無限の生命、此処に動き、無上の法悦、これを繞る。 パラダイスの境は、其のまま此処にある。云ふこと勿れ。善行を積んで、死んだら極楽へ、
行きたいものだと。‥‥馬鹿な── 何を未来に求むるのか。それ其処に、極楽浄土は、お前
のそばにあるではないか。何時でも、何処でも、……而して永遠に、…須らく汝の正中心に、
活きよ。行住坐臥、至る處これ涅槃城裡の春。 酒を飲まずして陶酔の境、阿片を吸はずして、恍惚の域、而も清明艶麗の極、光耀と生命と
懽喜とを織りなした自然、生まれて初めて解かれた、絶大絶美の姿、なんと云ふ素晴らしい
光景だ。其の芸術的、音楽的情緒を、表現すべき適当の言葉を私は覚えない。一体何と叙述
すべきか、言語に絶して居る。実にや拈華微笑の外には、現すべき手段とては無いであらう。 恍然として陶酔の境にあるけれども、理性は益々鮮やかであって、一切は悉く明らかである。
けれどもその間、思考機関は全く停止せられている。其の矛盾と調和との妙境は、知る人ぞ知る。
心端しければ、即ち體正しく、心敬しめば即ち容、粛しむ。 何と云ふ、身軽さ、何と云ふ気安さ、何と云ふ楽しさ、何と云ふ穏やかさ、何と云ふ温かさ。
陶酔、恍惚、感謝、満足、充実……。もう沢山だ。受け切れぬ恩寵に、身も心も、張り裂けさうだ。
オオそうして何と云ふ輝かしさ。さうしてマア……何と云ふ力強さだ。
何と云ふ力だ。何と云ふ豪い力だ。─ 無限の力… あるべからざる其の言葉以外には、表現
の道がない。何処へも滞らない。何処へも触らない。ドカッと、何物をもぶち抜いて行ってしまった。
酷い力だ。恐ろしい力だ。けれども何処へも当たらない。腹にも、足にも、豪い力が走ったけれども
何物にも障らない。ツツウと、突き徹って行って仕舞った。 >>550
いえ、やってないです。本だけの独習です。 >>552
なんで自分への質問と思ったの?
統合失調症ですか 2000年位からの過去スレも見て勉強しています。
肥田式以外では、謝明徳、ヨガナンダ、アイアンガ−、大東流、甲田療法
整体、鍼灸、中医学、仙道の本をよく読みます。 今のところ、座式と仰臥式の呼吸法だけしかしていませんが、
スッキリして、体調が良くなって来ました。 一身の元気いつしか腰脚足心の間に充足して、臍下瓢然たること未だ篠打ちせざる毬の如し。
白隠禅師「夜船閑話」 肥田式スレってここだけになったんだな
だろうなって思ったw 結局はどこの板でも真面目に練習する人はいないからねー
だから寂れた >>559
違う
糖質荒らしが各スレを各個撃破していった だって肥田式の指導者が揃って何物にも成れてないんだもの >>560
そんな事実ないのだが
それ、君の妄想ではなかろうか? 肥田式をやると気が狂うらしいと分かったから肥田式そのものが廃れた。
研究者の一人がテレビ番組で虚言癖、誇大妄想を暴かれた。
研究者の一人が覚醒剤取締法違反で逮捕されて実刑判決を受けて服役中。
研究者の一人が肥田式の研究を辞めて介護術の方に舵を切った。
研究者の一人が癌で死んだ。 癌の人知ってるわ
若い頃お世話になったよ
肥田春充の言葉に嘘はないと信じてる 信心ほど下らないものはないよね
ガリガリの健康法の指導者
癌で死んだ
虚しい人生 テンカンの発作が起きると歓喜に包まれる場合があるから
聖中心は側頭葉のニューロンの過剰発火に関係があるのだろう ああ、いたね、20年。
肥田式やると偏差するのか、
糖質に肥田式やオカルト好きが多いのか
いずれにしても肥田式は害しかないの分かり切ってるね わかりきってるねも何も肥田式なんて誰もやってないから害があるかどうかすらわからんよ 高木受刑囚も20年も甲野善紀も佐々木もやってたじゃねーか。
やった結果、逮捕された高木、気が狂った20年、辞めた甲野、テレビで晒し者にされた佐々木。
誰もやらなきゃ分からなかったのだから、人柱になった連中のおかげだろ。 俺は一時熱心にやったんだけど慢性的な腰痛から
肩甲骨あたりの痛みや頭痛も酷くなってきてやめた
体治すのにいろいろやったけど一番効果があったのは
ごく普通の正しい姿勢にすることだったわ >>563
佐々木さんってテレビで何やらかしたの?
介護術と癌で亡くなったのはどなたですか?
メチロンは知ってます >>572
肥田式の信奉者ではないが
春充は、健康を維持するための運動は
限られた時間と少ない回数で成されなければならないとしていたのだから
熱心にやるなんてのは肥田式の基本原則に
反してるんじゃないか >>575
そんなことは春充は言ってない
短い時間で十分になったとは言ってるし継続するには短時間が必要とは言ってるけどね
短い時間でなければ健康を害するとかは全然言ってない >>575
簡易や上体下体なんかは規定回数よりは多くやってたな
ただそれよりも日常的にあの姿勢が癖になってて
それのほうが支障が大きかったように思う
自分では軽く腰腹同量の姿勢をとってるつもりでもやっぱり体には不自然だから 短時間で効率的に腰痛持ちと精神異常者を生み出す発明だぞ http://tanden11.seesaa.net/archives/201409-1.html
それでも肥田式がいいというのなら武術空手の宇城師範から教わった方がいいだろう。
このブログで肥田式の問題点を説明し禅病(魔界)に陥らないやり方を載せている。
ヨガ・気功でもそうだけどちゃんと極めた師匠の下でやらないとえらい事になったりするよ! 腰を反らして1時間毎日鍛練すれば
そりゃ腰痛にもなるさ
腰を反らさないで鍛練して、最後の締めとして、三回ほど腰を反らして斜腹筋の型をやればいいんだよ そんな事やるくらいなら三回だけ腰反って練習すればいい >>582
でもあの姿勢はだんだん体を蝕むよ
日常的に気づいたら腰反ってたりしてね 発言も居丈高になる副作用あるで
スキンヘッドにしてみたり
玄米喰ってみたり
形から入る人が多いからな でも腰反らすとパワーが出るんだよね。精神力というか。 まあほどほどにやるのが一番よね
俺も姿勢決めるにしても時間はある程度調整してやるし ttp://www.surftrip.biz/category21/entry1.html
ここのウルトラマンの姿勢の違いが面白い
腰反るとすごく格好悪い 「パワー」なんてものは、要するに疲労感のことなんよ。
本当に優れた人は力感も努力感もなく、ただただ脱力してるものだ。 >>589
そのウルトラマンの腰の反り方は頭の重心が腹に垂直に落ちてないから
肥田式の姿勢とぜんぜん違うように見えるけど でもさ、腰反った姿勢って見栄えが悪いよ
腰反ったボクサーや相撲取りや乗馬の人を想像してみ
滑稽だし、故障するわな >>595
実があったら駄目だよ。
そこを取られるわけだから。 聖中心道p615
若しそれ、坐臥正中心の妙諦に、精進せられ候はば、達磨面壁九年も、光明の天地なりしが如く、
陰森の獄裡も、忽として、燦然たる新乾坤の展開せらるること疑はず候。 何故だ?そんな有効、幸福の道を、なぜ教えないのか。何故勧めないのか?何でも、大体さう
であるが、此の道だけは、特に衷から、自発的精神に燃えて、出発するのでなければ、到底、
大成を期することは出来ないからだ。いい加減のことで、終るならば、やり始めた處が、意義が
ないではないか。
此の意見に就いては、教育上幾多の論難批評もあることとは思ふけれども、深奥な中心生命
の妙諦、得ることの容易ならざるを、知っている以上、濫りに、人に勧める気がしなくなったのである。 p647
外面の暴風雪も、何のその、中心に安住する私の身と魂とは、蕩然として、寂静涅槃の床に憩い、
只管生命の息吹に陶酔するのである。
中心精進の外、求むる處なき私は、昼は感謝と真勇とに心躍り、夜は静安の休息に又、限り
なき法悦を汲む。至高ならずや、中心無礙の道。大気と共に、宇宙の生命は、鼻から押し入って、
スースーと微かに行き通るやう。凡ては虚、全ては無、僅かに覚えるのは、只清快なる生命感これのみ。 p662
然り。私は何時、如何なる處に於いても、容易く其れを、造ることが出来る。けれども濫りに、
其の聖境に踏み入ることは、餘りに勿体なく、済まなく、申し訳ないやうな、気がされて致し方がない。
只相当な力を使って、隆々の筋骨を養ひ、清快な気分を味はふだけで──、それでもう沢山
……足れり。足れり。私は手を振って辞退する。充分です。充分です。そんなに沢山の恩寵は、
受け切れない。そんなに大きな喜びには、耐へ切れない。是れでもう沢山、もう溢れ滾れる。 p739
『下体は虚にして実、中心は実にして実、上体は虚にして虚』といふ、原則を以ってすれば、運動
上過激の問題は、断じて起こらない。過激の問題は、この部分の力が中心の力に優る場合に
生ずるもので、中心力が部分力に優る時は、如何に強大なる力を振ふとも、過激などといふ問題
は、断じて絶対に起こらない。動静一如、虚実相調ひ、虚なれば、瓢々太虚に浮かぶが如く、実
なれば、鉄拳猛虎を打つの慨あり。心気絶妙、痛快禁ずる能はざるところも、亦此の辺に在る
ことを知る。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています