【公式】合気道関係総合スレ6【ワッチョイ】
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合気道関係の総合スレです
初心者から有段者まで、会派、流派問わず語りましょう
※このスレはコテハン禁止です (粘着も来ないで)
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured あくまで自分の感覚なのですが、
うちの道場は皆さん強引に掛けず、スイートスポットの感覚を確かめながらやってる感じです。
なのでズレてるなぁと思っても「まぁ掛かっとこう」的な。
もしくは相手がその感覚を掴めるように自分からスイートスポットに入っていく?
言い方が難しいな…^^;
あと演武に関してはたま〜に出ますけど、二人一組で協力して作り上げようみたいな感じでやらせてもらってます。
(演武に関してはあくまで個人的考えなので師範に言ったら怒られるかも^^;
>>559さんや他の道場の方からしたらヌルいと思われるだろうけど ダメだコリャ
全然リアリストじゃないじゃん
自分のやってるヌルい基準で、一流一派の主席師範、
最高師範をされている方の技術を体験もせずに
批判してたのか・・・
で、実戦だのなんだのと??
便所の落書きで息巻いて、武道コスプレやってるのは
どっちだよって話だわ 安藤先生にムラがる小バエがいるけど ご本人もいい迷惑だろうなぁ。 安藤先生が悪いよ。そりゃ自分でDVD出して宣伝してわけわかめの事説明
して自己評価を下げてるのは自分自身なんだからあんなの出しちゃいけんよ。 高樹沙耶さんが大麻所持で逮捕された時に、
「医療大麻なんてありません!」と医者の権益保護に躍起になっていた西川史子の現在(笑)
https://goo.gl/images/QdCXwC
あははははは!ざまー(笑)
ガンかエイズか?
外国行って医療大麻吸った方が良いんじゃね?(笑) https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
あんなの出しちゃいけな・・・
自分の師の師で流祖がわざわざ「」示演して見せて下さっている
ことを、「忖度」だの「見世物にしかならん」だのなんだのと
体験もせず検証も研究もしないでここで吠えてりゃ楽だわなぁ〜
お前ら、合気道やめて格闘技やってろよ >>554
>師を侮辱されたと思ったのなら
そんな事はありませんよ。意に沿わないなら、いくらでも批判すればいいと思います。
ただ安藤先生とやってみるまでは憶測に留めるべきだとは思いますがね。
あの流れで俺が言いたかったのは、矛先を間違えない様に、という事です。 >>556
実際、開祖に忖度があった、という旨の事を言い残しておられる高弟の方も
おられますけどね(笑)
お名前は記せません。 俺は安藤先生の門弟ではないけれど、受けをとらせて貰った事は何度かあります。
確かに得も言えぬ求心力があります。
それは触れていてもいなくても。
ただ合気道は型稽古として、受け、つまり攻撃を仕掛ける側が二の矢を
端から考えていない、という暗黙の前提があるのでね。
そこんとこは、う〜〜ん、な気もしますが、そもそも合気道は「道」と名が付いている以上
もう格闘技のそれらとは一線を画していると思うのです。
それは開祖の道文からも明らかです。
だからと言って技が使い物にならなくてもいい、弱くてもいい、は首肯できませんがね。
そこのところが集中と執着の差の一つだと思います。
故に俺は(体験した結果)安藤先生を肯定します。
先生には失礼ながら、不満に思うところもありますがね(笑) >>556
これは見る方がそれ相応に思えば良いことで、見る方は自分の判断でどう思おうと勝ってなんだが、安藤先生が悪いよって言ったことを別の動画を見せて一緒くたにしちゃいけんでしょ。
安藤先生は自分でDVD出して宣伝してわけわかめの事説明して自己評価を下げてるのは
自分自身なんだからあんなの出しちゃいけんよ。 大東流合気柔術を武田惣角先生から習い、技のカタチだけをパクって勝手に合気道を名乗り創始者を自称したペテン師植芝盛平
bp.blogspot.com/-MpkOEzbA6x4/WXnWqc0HqQI/AAAAAAAABJM/7ybrhTpySboyxRcXleQoSU1Iz7kBqTuPQCLcBGAs/s1600/ueshiba-kyoju-dairi-eimeiroku.jpg >>570
>>ただ合気道は型稽古として、受け、つまり攻撃を仕掛ける側が二の矢を
>>端から考えていない、という暗黙の前提があるのでね。
こういう認識が説得力を持ってしまう所が合気道の技の形骸化を生むのだと思う。
受けが隙あらば攻撃する→受けが技を返すことがあることを前提にした型稽古をしないとダメ。
取りは技が決まるまでの間、受けの態勢を崩し続けていないと技が返される隙を生む。
これに気づいている師範は対策を考えるんだけど、大抵はスピード&パワーでねじ伏せているようだ。
それ、合気道のイメージである「力がいらない」に反しているよな。
俺の稽古している道場は崩しの理合いを重視しているからゆっくりでも技が決まる。 > 故に俺は(体験した結果)安藤先生を肯定します。
> 先生には失礼ながら、不満に思うところもありますがね(笑)
師に対して、上っ面では肯定 心の中では不満
それって裏切りでは? 時々大東流合気柔術と合気道を創った人をどうやらこうやら言ってるけど
技法も思想も違うのなら流派は全くの別物なんでしょ ? 習ったことが
あるからと言っていつまでも執着してることの方が問題なのではないかな。 >>579
それぞれに自分の合気道があることの方が健全だと思いますが。
それって裏切りとか・・・変ですよ。合気道への自分の裏切りじゃないと思う。 不満があれば正直に言えばいいかと。
信頼関係がないから言えない。不満があるのでは? 不満も言えない雰囲気があるんではないですか ?
信頼関係がないとかあるとか武道で相手に求める方がどうかしてる。 >>568
当たり前の話ですけど「全ての人にかかる技」なんてものは
ないわけで、そういう方がいらっしゃるのは当然だと思います。
全員が「忖度」なるものをしてたって言うのなら問題ですが。 >>584
当たり前の話ですけど一定の条件が揃えば「全ての人にかかるのが技」なんですけど。
じゃなかったら技と呼んで名前つけたりはしません。だから技の有効性のせいではなく
て、そういうことをはしょる方がいらっしゃれば忖度問題となるのは当然だと思います。 >>586
師匠の師匠は自分にとっても師だと思い尊敬されてることと 考えなく師匠の
やり方のまま追随して疑問も持てないこととは全くの別の話ではないかな。 疑問をさしあたり控えておくべき時期はあると思われないか。 >>587
全ての人に条件を揃えることができる術者など、この世の中、
どこにもいませんが??そういう意味で「全ての人にかかる技」
なんてものは存在しません。
なにか幻想を持ちすぎてませんかね??
>>571
>これは見る方がそれ相応に思えば良いことで、見る方は
>自分の判断でどう思おうと勝ってなんだが、安藤先生が悪い
>よって言ったことを別の動画を見せて一緒くたにしちゃ
やって見せて起こしてる現像は一緒ですが、開祖がやってる
ものだと都合が悪いと??
>安藤先生は自分でDVD出して宣伝して
開祖は、若い頃から動画撮らせて宣伝に使って人を集めて
ましたけどね???
宣伝してなきゃ不思議な技を使う爺さんとして、世の片隅で
一生を終えてましたよ。宣伝して評価されて広がったから
貴方も出会えたんでしょうに。
>わけわかめの事説明して
ご自身が理解できないだけで、人のせいにしちゃいけません。
(ぼくも分かりませんが、分かる人もいるでしょう。)
>自己評価を下げてるのは自分自身なんだから
>あんなの出しちゃいけんよ。
下げたのは貴方の持っていた評価ですね。ぼくは龍を作られて
秘伝で取材を受けた頃の安藤氏しか知りませんでしたから
驚きましたけど??
動画を見た全員の総意のような印象操作は、やめた方が
良いですよ。 >>588
おっしゃる通り。
なので疑問があれば失礼のないように聞いてみたら良いのでは?
稽古中に質問するというバカなことはしないで一緒に帰る時や飲みに行く時etc(距離が縮まってるなぁと感じる時に)
師範も稽古外の付き合いで質問タイムを設けてるのでは?
自分には質問を待っているとさえ感じる時があるけどなぁ。
>>589
にも同意
師匠にしか見えてない世界があるので
解らなくても信じて無心に行う段階があると思います。 https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs
同じ穴のムジナ
大東流合気柔術の偽物である植芝盛平の合気道は、合気という名前をパクっただけで、肝心の合気の技術が無い為、
他流試合をすると柳龍拳の様に殴られて終わり。
埼玉の合気道のゆうすけと名乗るヘタレは、格闘技の巌流島に名乗りを上げるも、直前にビビって試合を辞退。 >>590
技と術者を一緒にしてませんか ? 技は技でしかないのでかかれば有効です。
前の人安藤先生は言わんでも良いわけわかめの説明してる。それは通常おかしい
と思うのが普通の人で俺の意見でもあります。触れないで何らかもんもあるのかも
それはわからないけど印象操作関係なく本人の電波とか今の時代とか説明が不可解です。 >>591
俺は門外漢でもって自己判断してるんだけど、なので自分なりに不可解に感じる
ことを言うので失礼なところはあるとは思いますがあまり気にされなくても良いですよ。 >>576
>こういう認識が説得力を持ってしまう
なのが問題なのでなく、合気道愛好家が二の矢三の矢を想像すら
していない、という所が大問題なのだと俺は思っています。 >>579
>師に対して、上っ面では肯定 心の中では不満
>それって裏切りでは?
そんな事ないですよ。結婚だって相手を好いてする人が多いと思いますが
100%全く不満の無い相手ですか?
それに俺は>不満に思うところもある、と言ったのです。
上っ面では肯定 心の中では不満、ではありません。
それは安藤先生のひとつの所作の事なのですが、詳細は割愛します。
剛三先生だって尊敬してますし、偉大な指導者と思いますが、俺は
剛三先生の座礼だけは気に入りません。
そんな感じです。 >>584
>当たり前の話ですけど「全ての人にかかる技」なんてものはないわけで
翁先生は合気道を「天の理法を体に移し」と言われています。
天の理法とは万人に対して通用するもののはずです。
誰でも叩かれれば痛いのと同じです。(あ、無痛症の人とかいるかな。平方根の法則的な?)
まあだからと言うか故にと言うか「全ての人にかかる技」はないと思いますが。
ただ「合気道(武産合気)」として通用すればいいのです。
それに開祖に忖度の話もごく一部を切り取った話ですしね。 >>598
なるほど〜
ご丁寧な説明ありがとうございます。 >>586
>師匠の師匠は自分にとっても師だと思うけど。
それは特定の場合のみですね。
基本的には他人ですよ。
友達の友達が友達じゃないのと同じ。
それに俺そもそも養神館でもないし。 どんな武道においても 忖度 はあっては良いものではありません。
型の反復練習においては尚更です。忖度される様なら上位者から注意せんと。 >>576
について少し深めてみようと思う。
>受けの態勢を崩し続けていないと技が返される隙を生む。
本来、合気道は相手を崩すのではないというのが俺の考え。
相手を「崩す」のではなく、相手が「崩れる」のである。
そこを支えてやるのが合気道の本質だと考えている。まあ3〜4段くらいまでは「崩す」
でいいと思うけど。
>合気道のイメージである「力がいらない」に反しているよな。
これこそ合気道の誤解を生むフレーズ。特別に筋トレを必要としない、程度に留めればいいのにと思う。
本来は「力がいらない」んじゃなくて修練に応じて「力が要らなくなる」という事。
それを下手すりゃ白帯の頃から力を抜け力を抜けと、感覚を掴ませる程度じゃないほどに
言いまくる輩が多い。力も抜くのではなく、緩めると言った方がニュアンスが近い。
力は入れるでも抜くでもなく通すもの、というのが俺の考え。
>崩しの理合いを重視しているからゆっくりでも技が決まる。
ゆっくりでも決まるというのならそれは「勝速日」のステージにいるものだと俺は認識します。
申し訳ないけど、99%が勘違い。 >>603
>忖度される様なら上位者から注意せんと。
忖度されている事にすら気付かない上位者が腐る程いるのですよ。
そして技を掛けきった後(と本人は思っている)、「ほらね」とか「効くでしょ?」
とか自慢げなひと言がおまけでついてきます。
ちょっと本気で取ってやると「アレ?」とか言い出します。 >>604
の説明 なるほどと思います。
「吾勝」「正勝」はどういったステージになるんでしょうか? >>604
なるほど、そういう視点もあるんだな。
こちらか質問。
>相手を「崩す」のではなく、相手が「崩れる」のである。
>そこを支えてやるのが合気道の本質
「崩す」と「崩れる」の違いはどこから生まれるのか?
「支える」ということと技をかけるの間の関係性はあるのか?
>力も抜くのではなく、緩めると言った方がニュアンスが近い。
>力は入れるでも抜くでもなく通すもの
私の認識からすると、丹田を中心に体を支え、全身の力は抜く。
そして相手との結びを通じて、相手に自分の力を通すという関係。
あなたの認識との違いを教えてほしい。
>「勝速日」のステージにいるものだと俺は認識します。
一足飛びにその認識になるのは理解不能。
「技が決まる」という言葉を合気道の技の極地に至ったことと極論してませんか?
もしそうなら、技を返される余地なく最後までかけ続けることをなんと言うかか教えてほしい。 >>606
「正勝」「吾勝」は陰に属するもの、即ち自己の内面、心の在り方の話です。 >>607
>「崩す」と「崩れる」の違いはどこから生まれるのか?
「崩す」→術者の利己的なエゴ
「崩れる」→同化的な業
>「支える」ということと技をかけるの間の関係性はあるのか?
技はかけるものではなく、産まれるもの(武産)。
支える(釣り合いをとる)事によりそこから有限なれども無限に近い技が産まれる。
>あなたの認識との違いを教えてほしい。
さほど違いはないかと思います。
>「技が決まる」という言葉を合気道の技の極地に至ったことと極論してませんか?
いいえ。
俺が「勝速日」の境地と言ったのは
「ゆっくりでも技が決まる。」の、ゆっくりでも、の部分を指すものです。 上位者と思う人が同じ動作を言葉の言い回しを変えている。
内面の境地とかは他の人にはわからないから、そうなんですか、としか言えない。
しかし技は技で相対的動作でしかなく、それが武道の目的にそぐうことが必須なので
そちらの方が優先しないとおかしなことになります。 例えば 技はかけるものではなく、産まれるもの(武産)と言い内面の境地
とか言われだすと、それが忖度につながり触れもしないで相手がたおれ、関係
ない人の目にはとても変なのに当人達は内面の境地に満足し当然と考える。 目には鱗で詳しい方々が多いなぁ。
いやぁ勉強になります。
内面のあり方が技に出るってのは本当にそう思う。 徳田雅也の様な変態本部指導員を生み出しながら、謝罪の一言も出さない合気会。
合気とは、相手の力を抜いてしまう大東流独特の技術であり、合気之術に掛かっては、如何なる武道と謂えども太刀打ち出来なくなります。
因みに、大東流合気柔術から派生した植芝盛平の合気道は、大東流合気柔術の偽物に過ぎず、
合気という名前を大東流から盗用しただけで合気の技術は全く無く、使い物にならないカタチだけの踊りに堕しています。
その為、素人を騙して金を取って指導する疚しさから公益財団法人合気会(合気道)本部指導員の気が狂い、
通りすがりの一般女性の顔に精液を擦り付けるわいせつ事件を複数回起こしています。
https://ameblo.jp/ssrmondo/entry-12230795181.html
https://youtu.be/eAbuEpTdEOQ
https://m.youtube.com/watch?feature=youtu.be&v=-faXmVN40y4
https://m.youtube.com/watch?v=ifvmlYOJDek&feature=youtu.be
インチキ変態武道の合気道に騙されないよう気を付けましょう。 >>594
条件が揃えばかかるのが技
ならば開祖や安藤氏のやってみせているものも技ですわな。
条件が揃えば人間であれば絶対にかかるかるのでね。
条件が揃えば
ね。
あんた何が言いたいのん?? >>594
あと、開祖でも塩田氏でも、その説明、全部わかります??
あなた??
分かるってことは、できるってこと、再現できるってこと
ですけど、できるんですか??
ぼくは開祖の仰ってる説明はほとんど無理です。
分かりません。 >>611
あなたはまず平成の時代が終わる前に「平成」という意味を考えるべきだと思います。
平成とは「内平らかにして、外成る=内外平成」です。
少し深めてみては如何か?
木を見て、綺麗な花や葉にしか目がいかず、根の事に思い至らない。
まして森は見えない。そんな風に感じます。
>技は技で相対的動作でしかなく
合気道では相対を超えて「絶対」を求めます。勿論、相対をないがしろにするものでは
ありませんが。
合気道に於ける「絶対」とは「対するを絶す」、と理解します。
二元対立を、一元絶対へと導くものであり、そこには「正勝吾勝」の内面が不可欠だと思います。
>そちらの方が優先しないとおかしなことになります。
そんな事はありません。同時存在すべきです。
>当人達は内面の境地に満足し当然と考える。
確かにそんな方が居られるのも事実だと思いますが、それしか居ないとお思いなら
それは貴方の経験と稽古が足りないのです。 >>615
>分かるってことは、できるってこと、再現できるってことですけど
それは横暴です。分かる事(分かっている事)は出来る事とイコールではありません。
分かっていても出来ない事などザラにあります。
分かれば出来るなら合気道の稽古など一週間で終わるでしょう。 確かにろくに稽古もしないで頭でっかちになって分かった気になってる人は多い。
技を体現するには体が出来ていないと体現出来ないのに。。。
分かったというのはどの程度のことなのか分かりませんが。 >>614
>条件が揃えばかかるのが技
>ならば開祖や安藤氏のやってみせているものも技ですわな。
>条件が揃えば人間であれば絶対にかかるかるのでね。
技とは有効性を発揮する状況を言うもんと思ってたんだけど違うんですかね ?
だから俺の目には爺さんや安藤氏のやってみせているものは触れてもないから技ではないように見える。
俺もあんた何が言いたいのかがよくわからん??
>>614
俺も分かりません。わからんから聞いてみたんだけど。
わかっていてできるなら尋ねません。無理な人には 説明する意味もない。 座学もしっかり勉強されてますね〜。
「崩れる相手を支える」
「掛けるものではなく産まれるもの」
勉強になります。 日頃の稽古で掴んだ感覚 養った感覚あると思います。
合気道の土俵上で発揮するもの勿論素晴らしいのですが
柔道や総合などの土俵(合気道の暗黙のルールで守られてない世界)で試そう 発揮しようとする乗って少数派なんでしょうか? インプット アウトプットの両方行わないと結局 限定された状況でしか成立しないものになる危険もあるのでは? インプット(型稽古)
アウトプット(乱取り稽古 スパーリング)
と捉えて頂いて構いません。 まぁ乱取りもスパーも(安全に出来る)稽古でしかないんですけどね^^; >>617
それを分かってるとは言わない。
数学で、解き方は分かってるけど解けません。
なんて通用しますかね??
できないなら分かっていない。
当たり前のことです。
安藤氏の説明がわけわかめなのは、
あなたが分かる段階にいないだけです。 >>626
>それを分かってるとは言わない。
では貴方は自分の髪の毛が何本あるか分かっていますか?
内臓の働きや血液の循環、筋肉の消耗、視力、聴力、全て分かっていますか?
分かりませんよね。
それはつまり自分の躰が分からない=体の使いようがない、
という事ですよ?
>数学で、解き方は分かってるけど解けません。
数学でもいいですよ。解き方が分かっているなら解けるでしょう。
ただし他のあらゆる因子が組み合って解けない事もあるのが応用です。
それに公式は知っていても、その公式がどうやって導かれたのかまで知っている人は少ないでしょう。
でも公式を知っているなら解き方は分かる。
しかし問題なのは、公式を知っている事なのか、公式の成り立ちを知る事なのか、という事です。
故に、出来るなら分かっている、出来ないなら分かっていない、というのは横暴だと言うのです。 >>619
>触れてもいないから技ではない
それは、「あなたが勝手に作り上げた」技に対しての
定義ですわな。
ぼくは、触れていなくても相手になんらかの作用を
起こすものの存在は知っていますので、
触れていなくても相手になんらかの作用を及ぼして
相手の自由を奪うものならば、「武」の技と思っています。
それが合気道の技かは、開祖が合気道の技術の一端として
示演している以上は、合気道の技の一つと思っています。
定義が違うので、話になりませんね。 >>626
あ、ちなみに俺は
>安藤氏の説明がわけわかめ
ではないので。
そこんとこよろしく。 >>621
>柔道や総合などの土俵で試そう発揮しようとする乗って少数派なんでしょうか?
少数どころかほぼいないのでは?
>>623
おっしゃる通りだと思います。
ただ柔道にしろ総合にしろルールがありますからね。
それも詭弁ですかね。
実際に戦って強い合気道家などごくごく少数だと思いますよ。 >>630
乱取りスパーにはルールがあるから詭弁
なるほどその通り。
では合気道の型稽古も決まり規則制限があるので詭弁ということでしょうか? 室町以降の剣術稽古でも型稽古 自由組み打ち(今で言う乱取りスパー)を積み重ねていたらしいですが、
実戦に備えてインプットとアウトプットを行う稽古法 これも詭弁なのでしょうか? >>630
片方(インプット)の稽古しか行わないというのは詭弁以下になるのでしょうか?
もしくは貴方は型稽古以外の特殊な稽古もされているのでしょうか? (あくまで柔道や空手の試合などは実戦に近い感覚を養うための「稽古」の延長という前提なのですが)
合気道のことは棚上げして「他武道 他格闘技にはルールがあるから詭弁」という論法こそ詭弁な気もします…^^;
ルールとは安全性を担保するためのもの。
だっていざという時の前に命を失ってたり一生ものの怪我を負ってたら意味ないですもん。
私には合気道の稽古の方こそ暗黙のルールだらけとも感じますが。
(いやまぁそのルールが嫌いじゃないし意味があるの解るから続けてるのですが) >>628
>>615
分かるってことは、できるってこと、再現できるってこと
ですけど、できるんですか??
ぼくは開祖の仰ってる説明はほとんど無理です。
分かりません。
>>626
安藤氏の説明がわけわかめなのは、
あなたが分かる段階にいないだけです。
>>628
触れていなくても相手になんらかの作用を及ぼして
相手の自由を奪うものならば、「武」の技と思っています
それが合気道の技かは、開祖が合気道の技術の一端として
示演している以上は、合気道の技の一つと思っています。
私は 離れた 相手が協力しない限り、力学的に相手に何らかの負荷をかけなければ
飛ぶようなことはないと思います。 接近 して相手が自分からバランスを崩すことはある。
貴方は俺が安藤先生の説明について尋ねたらじいさんを出して来ました。じいさんのは何も
自分で言ってはないので何のために何をしてるのかは俺にはわからんことでどうでも良いです。
上の貴方の言葉から貴方は安藤先生の説明がわかる。わかるから貴方はできるし、離れた相手を
あのビデオの様に飛ばせると言われるんでしょうか ?
又それは合気道の技の一つと言われてるけど何と言う名前の技なんですか ? ブーイモ MMe7-Naq+さんは安藤先生の言われてることが理解出来てるの?(=再現できるの?)
ブーイモ MMe7-Naq+さんの主張だと、
再現出来ないのであれば理解出来てないということですが
もしかして理解出来てないのにワッチョイ 5ab8-EHQKさんにあんな上から目線で言ってたとしたら それって何様なんでしょうね。
触れずに相手に影響を及ぼすことにお熱の方がいるみたいですが、
その手のパフォーマンスって合気道の本質なんでしょうかね。 >>631
誤解があるようです。俺が言いたいのは
「ルールがあるから合気道の全力は出せない」という合気道側の詭弁です。
だからといってルール無用であったとしても、どうだかね〜、ってな感じですが。
でも多田師範がおっしゃっていますが、日本の武道は「道」とついた時点で
実戦から離れるのが原則だ、と。ただそれは弱くても構わないという事ではないし、
多田師範も難しいところだ、的な発言をされていましたね。
俺は普通の稽古をしてるつもりですが、どうも少し異色らしいですね。
まあ稽古時間は相手に合わせてやりますが、時間外なら
例えば隅落としならもう隅落としがくると分かっていて相手に全力で堪えてもらう、とかですかね。
あ、合気道で本当に強い(かった)のは、剛三先生と西尾昭二師範くらいじゃないかと俺は思ってます。 >>640
たしかに違いますが、切っても切り離せない関係ではありますね。 >>636
>私は 離れた 相手が協力しない限り、力学的に相手に何らかの負荷をかけなければ
>飛ぶようなことはないと思います。
この手の技術の話が盛り上がっているので、少し考察してみましょう。
俺の感覚では、>相手が協力しない限り
という所に少し違和感を感じます。
具体的には、「無意識化で強制的に協力させられる」という感覚に近いと思います。
決して忖度をして、術者にこちらから協力しているわけではないのです。
一番単純な例を出してみましょう。
例えば「バカ」と言われて酷く傷付く人が居るとしましょう(程度の差はあれ皆、嫌な思いをする)。
それは物理的に押された殴られたというわけではないのに、
言刃という物理的ではない力で精神ダメージでもって肉体に負の影響を与えるものです。
これを武道(合気道)に置き換えると、具体的には「間合い」という事になります。
間合いを制す事によりて、「負けた」意識をこちらにイメージさせてしまう。
結果として受け身に追い込まれる。
正しく言語化できているか怪しいですが、分解してみればこんな感じなのではなかろうか。 故に「間合い」を意識していない人、及び出来ない人は
実際に打たれるまで気付かない。
それが上の方で出てきた、感受性(だったっけ?)の話につながると思います。
とはいえ紛い物も多いですよ。大半は怪しいものです。
思いっきり忖度100%って事もあるでしょうね(笑) >>640
「道」と「術」が違う?
「術」を土台として「道」があるでは?
「武術」だけでは平和に繋がらないからこそ「武士道」を先人達は重んじたのでは? 「術」は「魄」で
「道」は「魂」に当てはまるかと。 >>643
ものすごくしっくり来る言語化だと思います。
とはいえ その間合いを制する技術が下手だけど
顔に泥を塗る訳にもいかないので忖度せざるを得ない高段者が多いのも事実で…^^; この手の「間合い」を成立させやすい状況というのが
「師範とその門下生」
「ネームバリューのある人とそのセミナーに参加した一般人」
などでしょうか^^; >>643
>>644
そうでしょうね。同意です。俺も相手の言葉に対応して出した言葉です。
ですが最初の安藤先生のビデオを見て思ったことは全く643.644ではないですね。
原理、原則がわかれば触れなくて良いし無意識化で強制的に協力させるのがこれからの合気道だと言っている。
だからビデオでも間合いとか相手にこうして制するのでの一番大事と思われることを
はしょっていい様なことを初心者に告げて主客転倒の論理を展開してます。
習う人達にとっては643.644をやって見せて原理、原則を教えて見に付けさせることで
はないんですか ?
安藤先生も本当には無理な事を安易に言葉遊びしてて何得られるんでしょうか。
口で言っとく方が現実に自分で相手の動作、意識を操作するために触れることもないからずっと簡単。
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs >>641
武術、武道とに分けて考えてみましょう。
「武」という字の成り立ちは「戈」と「止」に分けられます。
武術とは基本的には弱者が強者に抗する為にあり、それはまさしく「矛を止める術」、
対して
武道は「矛を持ちて勇ましく前進する様」が転じて「人生のあらゆる困難に屈しない」
と理解すべきと思います。。
( 「止」は進むという意味を持ちます。歩く、走る、足、「止」が組み込まれています。)
申し訳ないが、多くの人が、武=矛を止める、で思考停止してますね。
以下は開祖直弟子であられた師範の言で武道愛好家は心に留めておくべきと思います。
「術なき道は空論にして、道なき術は危険である」 日本に漢字が輸入される前の中国の時から
スラングである「戈を止める」が
本来の「戈も持って前進する」よりメジャーになってたみたいですね。 とまぁそんなウンチク置いといて シンプルに
「魂魄 両方の完成を目指すのが理想の道」ということで。 ちょっといらんことかも知れんけど、嘉納治五郎が柔を柔道として命名普及から全ての
始まりじゃあないのでは。柔道の流行にあやかって何でもかんでもやってることに道を
プラスした。合気道なんてのもそうでしょ。武道にしてもそうじゃないですか ?
時系列も無視して昔の武士は武士道と言っていたかのような。それを後付の合気道の理
屈を持って昔あったかのような武道を語る。とても不思議な気がします。 昔の武士は「武士道」なんて単語使ってなかったでしょうね笑
室町以降江戸上期まで白打術を「柔術」と呼んでなかったように。
明治になって武士階級がなくなり武術も時代遅れの不要なものと認識されつつあった時勢に「このままではいかん、日本 大和民族(←この言い方嫌いだけど)の伝統 精神 知恵が失われてしまう」と危惧した先人達がイメージアップのために「道」として説いたのですかね?
この辺は不勉強なのでもっと詳しく研究されてる専門の方がいるかと思いますが。
海外でも「クールジャパン」とかいって武道が持てはやされてますが、この宣伝活動のおかけがと。
外国人からしたらこの精神がカッコいいんじゃないですかね。
我々現代の武道やってる人もこの理想論 大好物でしょ?
現実はパワハラが横行してたり 組織助成金の流用したり糞みたいなのが現実ですけど笑 厳密に言ったら新渡戸稲造さんこの人が「武士道」という本で日本を紹介した時から使われだしたのかな?
(「この人クリスチャンなのに何が武士道よ?」と思ってた時がありましたけど笑)
その時代まだ先進国でなかった日本は欧米から見下されていましたし
岡倉天心さんが「茶の本」
桜沢如一さんが「道の原理」など
日本舐めるなよ的な書籍を出してくださったから
未だにその影響で日本ファンの欧米人が多いかと。 あとどうでもいいことだけど
「柔道」という単語は嘉納治五郎先生が創り出したものではなく、治五郎先生が習っていた起倒流の師範の頃から使っていたらしいです。
嘉納治五郎先生が頂いた起倒流の印可状には「起倒流柔道」と書かれていたそうです。 なんだろ何か脱線しちゃったけど
欧米ではお金や権力持っても社会貢献活動しない人は認められないように
腕っぷしがあっても中身が伴わないと実社会でつまはじき者にされるから「そうなっちゃダメよ〜」っていう教訓として受け止めていたら良いのでは?
実際 武道格闘技が多少出来たところで会社で仕事出来なかったりコミュニケーショがちゃんと取れなければ社会人として意味ないだろうし。
合気会でも8段9段に列せられる人って寄付金はもちろんだけど立派に社会貢献活動をされてる方ばかりですし。 合気会の8段9段の人に会ったことも見たこともないから何とも言えんけど
貴方の方が多分立派だな。 俺の個人的な感想。 全然立派じゃないですよ〜^^;
単なる武道好きで ついでに先人達の教えも好物なだけです^^; ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています