空手の型はやるだけ無駄と言う現実103
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空手家は型の意味を知っているのだろか?
知っていると豪語してもそれはただのこじつけではないのか?
現実離れした動作を繰り返す事で弊害が生じてはいないか?
型の分解や約束稽古をやる前にあえて型を練習する意味を型信者は答えられるのか?
その証拠に空手の型の動作で戦ったり相手を倒した例は一つもない
これらの疑問が解消されなければ空手の型はやるだけ無駄ということになる。
そして、これらの疑問がいまだに解消されていないのが現実である。
もちろん、空手の型は型競技、昇段審査、健康体操としてそれなりの意味がある。
しかし、それ以外の【型で武器を持った多人数と戦う】【人間技レベルでない武技を創出】等のスペシャル(笑)な効果を求めて稽古するのはやるだけ無駄という現実。
前スレ
空手の型はやるだけ無駄と言う現実102
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1530544638/ >744
太極拳にこだわってるのではなく、徒手の拳法に日本でいう四文字熟語
みたいな名前がつけられてるあるいは珍しくなかった時代ていつごろから?
って聞きたかったのよ >>744
>>剣槍弓がメインで徒手格闘は補助スキル 徒手格闘ですら細かく分類して名称があるとすれば
>メイン側に無い方が不自然だと推測 そう考えると最初から動作個別に名称はあったのではないか
正論だし俺もそう思う。いきなり素手の拳法だけに名前がつけられた
とかいう「偏り」が唐突に出現するのは不自然に思えるんだよな。
琉球武術には武器術も存在する。これな↓
http://www.odks.jp/kobudou/model/
もし武術が伝わるのなら、当然素手だけじゃなく器術も伝わってなきゃおかしい
というか、むしろ素手よりも武器術の方が伝わりやすいとすら思うんだよな確率的に。
そして言語の問題だけど、教える中国人と琉球人の間に言葉の壁があるなら、同じ漢字園の強みを生かして
筆談でやりとりすれば大まかな意味は伝わると思うんだ。少なくとも身振り手振りよりかはよっぽど意思の
疎通がしやすい。もちろん身振り手振りと筆談を合わせれば尚良い。
で、中国の色んな武器術の流派の套路が琉球に伝わったと過程して、筆談でやりとりしてるの
武器術の套路の動作毎についてる四文字熟語みたいな名称が、50を越える琉球武器術の型の中で
まったく見当たらないんだわ。もちろん素手の型にも見当たらない。なぜだと思う?
一つの流派だけなら、たまたまそういう動作毎の名称が無かった門派の可能性があるけど
いろいろな門派が時代を問わず伝えたとするなら、尚の事50を越す型にそれらが一切伝わって
いないというのは不自然なんだわ。仮に動作毎の名称をいちいち憶えるのが面倒だとしても
動作じゃなくて技術の名前や理念など、そういったものすら名称がまったく伝わっていない。
動作毎に名称がついている、という慣習(?)があるのは知ってるけど中国語で憶えるのが面倒なら
それこそ琉球の言葉で中国拳法に倣って動作毎に名称をつけていけばいい。しかしそれすら行われてる
様子がない。これはただたんに、沖縄人が想像で套路っぽいものを作ったからであって、動作毎に名称がある
なんていう慣習は知らなかったから、素手の型も武器の型もこれだけ数があるのに名前が無いんじゃないかと。
どうだろう? 実際に中国拳法を習うことは出来なくても、琉球の船乗りが貿易で中国に行ったときに
練習の様子くらいは見学できたんじゃないかと思う。あるいは中国の船乗りが琉球に来たとき
同じく「こんな感じだよ」と套路の表演くらいは出来たんじゃないかと思う。
もしくは中国拳法をまったくやったこと無い中国人でも、中国の武術は舞踊のように
武器や素手で1人で戦闘を模した動作を繋げた練習をするよ、程度の知識はあってそれを
琉球の人間に世間話で伝えることくらいは出来たんじゃないかと思う。これは日本人が剣術を
やったことがなくても、剣術はこんな感じで構えて、こうやって振り下ろして切ったりするよとか
相撲は柱に掌打を連打したり、円の中で押し合いするよ、とか習って無くても説明できるのと一緒。
そういう断片的な情報を元に、琉球の唐手家が中国拳法の套路を意識して作ったのが「型」の正体だと思ってる
これが型の名前一覧なんだけど、見れば分かるけど近年作られた型は別にして
昔の型はすべて中国語っぽい名前の型になってる
↓
http://www.odks.jp/karate/model/
これは武器術の型↓
http://www.odks.jp/kobudou/model/
型の数と同じくらい数があるし、また同じ歴史を歩んできたのに中国語っぽい名前の型は一切ない。
こういう不自然な「偏り」ってどうして生まれると思う?
武器術を伝えたどの時代のどの門派の中国人みんなが、たまたま武器術の型の名前は教えなかったのかな。
あるいは、武器術の型は沖縄人の創作で、中国の武器術は一切学ぼうとしなかったのかな? 型で使ってる武器は中国のものもあるけど。
ここら辺も感想を聞きたい。ちなみに俺は本来武器術が琉球にあって、それに対抗して素手の型を作る潮流が生まれたけど
すでにある武器術の権威や歴史に対抗するため、中国伝来って吹かしてナイハンチとかパッサイとか作って、あとはそのまま
みんな右に習えでウンスーだのクーシャンクーだの中国語っぽい名前で作るのが慣習になったと思ってる。 あ、あと書き忘れたけど、型の漢字も流派や会派によってバラバラなんだよね
その漢字ですら、つけられ始めたのは比較的近年であって、分かりやすい例でいえば
1922年に船越義珍が書いた船越が紹介する型一覧にはほとんどの名前がカタカナで
表記されてる。これは時代が古くなればなるほどカタカナ表記が多くて、逆に現代に
近づけば近づくほど漢字の表記になるけど、会派によって違ったりする。
例えばチンテーとかは、珍手という会派もあれば鎮手と書くのもある
ようするに元々発音のみで型の漢字表記はこれだというものが伝わっていない
セーサンが、セーシャンになるとか、ナイハンチがナイファンチになるとかなら発音の問題だから
まあ分からなくもないけど。なぜ型の名前には漢字が元々ついてないのだろう? 唐手は琉球の武士
階級の役人もやってたから、当然語学の素養はあったハズで、詳しく習おうとするなら筆談は避けて通れ
ないハズなんだけど、この型の名前はこの漢字を使うという共通したものが無い。あったとしてもそれは
たまたま近年その漢字を使ったところ定着した可能性が高い(雲手とか)。雲手にしろ、当時の新聞ですら
漢字でなくカタカナでウンスーって書いてたのに、いまじゃ雲手だからなぁ。
中国人に套路を習ったのなら、なぜその時にどういう漢字を書くか筆談で聞かなかったのだろう?
たまたまその套路に漢字がついてなかったとしても、色んな時代に複数の門派が套路を伝えてるんだから
たまたまどの時代の套路も漢字はつけられてなかった、とかはやはり不自然。
これも、琉球の人間が想像の中国語でそれっぽい名前をつけただけだから、そもそも漢字の当てようが無かった
からだと思ってる。というか、下手に漢字を当てた場合、琉球に来た中国人の船乗りに「その発音にそんな漢字は
つかないよ」とか「そういう漢字の組合せはありえないよ」と指摘されヤブヘビになってしまう可能性も大いにある。
>>748
ありがとう >>747
なかなか面白い考察だな。
琉球の武器術は士族向けだったみたいだしあり得ない話ではないな。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/琉球古武術
沖縄の空手家の中には御殿手は嘘だとかホラ話だとかいう風潮があったりするけど、その辺も空手と武器の確執みたいなのが裏にあるかもな。 >>750
琉球武器術にはトンファーとか剣とか中国の武器を使ったものもあるし、
棒術なんかは特に棍を連想させる。でも、仮に中国製の武器を使ってるからといって
中国の武器術が伝わってることにはならない。だって、中国の現地で武器を買って
持って帰ってそれっぽく作ればいいわけだし。わざわざ苦労して習う必要はない。
これは素手の型も一緒で、三戦っていう直線上を行って戻ってだけの簡単な型を現地で見たら
あとはそれをマネして琉球に帰って作ればいい。習ってなくて見た目しか似せてないから、
呼吸とか気とか勁とかの概念は当然存在しない。だから三戦は重要重要いうけど、体の締め方ひとつ
とっても会派によってバラバラだ。それもそもハズで、元々が空っぽなんだから技術をこじつける人ごとに
理論がバラバラになるのは当たり前だし、技術の蓄積の歴史がないのだから、組手に直結しないのも当たり前。
こういう事を言ったら剛柔流の人に怒られるだろうし嫌な顔をされるだろうけどね。
東恩納がおそらく伝聞で作った。だからその時点で三戦に中身はない。
中身がないから宮城や許田も動作は習得できるけど、中身を弟子に教えることはできない。
仕方なく、宮城や許田の弟子たちが三戦ってのはきっとこういう意味があるんだとか、こういう
身体操作があるんだとか、色々とこじつけて、会派ごとに何が何だか分からないぐっちゃぐちゃな
状況になってる。
こじつけをしなかったある高弟は「長い年月によって失伝した(だから俺の責任じゃない)」といい、
こじつけをしたある高弟は「目をかけた弟子には本当の事を教えたんだよ(俺の創作じゃない)」と言う。
そうそう唐手の技術は失伝なんかしねーよ。本当に昔からそんな技術があったのならな。
無いから失伝したと言ってるだけ。仕方なくこじつけたから、選ばれた俺は秘密裏に教えてもらった、とか言ってるだけ。 >>750
>なかなか面白い考察だな。
>琉球の武器術は士族向けだったみたいだしあり得ない話ではないな。
その武器術にしても、多分戦闘という目的では無かったと思うんだ。
だって、武器術なら尚のこと対人稽古なり防具なり色々と発達すると思うんだけど
それらの形跡が見られない。多分だけど、薙刀や棒を使った舞とかが琉球の各村に
伝っているので、それらの延長線上で武器術も舞踊一環あるいはその要素を強く帯びた
ものとして発展し、そして上流階級は和歌や舞踊と同じく嗜みとして(一応武芸の範囲で)
習得してったんじゃないかな。
だから、べつにわざわざ中国伝来を謳う必要はないし、そもそも武器術の方が
中国語を模した素手の型よりもよっぽど歴史が長いんじゃないかと思う。 >>751
>仕方なくこじつけたから、選ばれた俺は秘密裏に教えてもらった、とか言ってるだけ。
大東流の「合気」なるものもそんな感じのもんだすやろなあ。 型稽古メインでやってた船越義珍は、50すぎた歳で日本に興行にきてたボクサーと対戦して
一発で相手を沈めて、当時無名だった唐手(唐手)を一躍有名にしたけど
実際にはどんな風に攻めたんだろうね >>754
本部流で伝えられている話では一本拳で相手のこめかみに一撃入れて倒したとか。
相手は始終油断していたらしく1Rは、本部の耳を引っ張ったり鼻をつまんだりしてあしらって、それに腹を立てた本部が2Rに攻勢にでて、相手が反撃した所にこめかみに一本拳を入れて倒した。
と言うのが本部本人の談。
昔の人間のこう言う武勇伝はある程度盛るのが常識なので、話からして実際の所は、相手ボクサーは本部ご50の老人なので殺さないように適当に相手をしてあしらおうと考えていた所、本部はその相手の油断からの隙を見逃さず一本拳で仕留めた。
と言う所だろう。 型ヲタの考察は中身が無いな
やっぱり型はやるだけ無駄ということ >>758
何のこと言ってるんだ?
自分の無駄に長い中拳ネタのことか?
カルシウムとったのか? 確かに世の中、空手の型なんかやるだけ無駄って人のほうが圧倒的に多いだすよ。
ワテにも無駄だす。
でも空手をやってる一部の人には無駄ではないんだすよね。
ほとんどの人にとって無駄なことを無駄にせずに活かせるって素晴らしいことだすよねえ。 あのね
長々と自説を展開しても読まないから書いても意味ないよー 自然淘汰されずこの世に残ってるんだから、やはり何かしらの存在価値はあるってことだから
無駄ではないと思うよ 東京オリンピックでは空手の形部門で確実にメダリストが生まれるわけだす。
メダルなんて無駄という人もいてると思いますが、より多くの人がメダリストを賞賛することだすやろ。
ワテはそれだけでも型の存在意義はあると思いますな。
ワテにとっては、オリンピックが無駄だすけど。 >>756
まぁ武術家としては正解だよな
相手を油断させられたってだけで凄いもんだよ このスレには無意味な人生を送ってる人しかいないから大丈夫 >>766
> このスレには無意味な人生を送ってる人しかいないから大丈夫
いやこのスレにも結婚して子供作って育ててる人もいたはるのやないだすかね。
そんな人は立派な意味ある人生を送ってはるとワテは思いますわ。 東京オリンピック会場の建設で、何人の作業員が死んでることやら。
俺も作業員だったからよく分かる。
熱中症でぶっ倒れそうな作業員がいたら外に放り出す。
足場から落ちて死んでも、ガスの炎が空調服に入り込んで黒焦げになっても
救急車に乗せてハイさよなら!報道すらされない。
建物ってのは人を喰って大きくなる魔物なんだ。
奴らはいつも腹を空かせているぞ。 作業員だった若い頃、東京にそびえ立つオフィスビルを眺めては黄昏ていたものだ。
教養、品格、財産、恋愛、保証。色んなものが揃っている環境の職場なのだなと
勝手ながら想いを馳せていた。いつかは俺もあそこに行きたいなって。
今ではビルの中から現場を眺める立場。
俺はどうしても建造物が人柱にしか見えない。今になっても。 さて、夜も更けたことだ。いつまでも会社に残っているわけにはいかない。
重い腰を上げようとしたが、一向に動かない。
足で稼いでいた新人の頃と比べたら確かに腰は重くなったが・・・
これは、物理的に動かない。ピクリとも。一体何が起きている?
周りを見渡して、俺は驚愕した。声にならない叫び声を上げる。
そう、俺は壁の中にいたのだ。
オフィスビルで働く俺、それは単なる夢にすぎなかった。
奴隷のようにこき使われ、ビルのコンクリートに埋められた俺の亡骸が見た儚いひとときの夢。
渡る世間を行く人々よ。東京オリンピックはぜひ楽しむといい。
しかし、会場を始めとした関連施設。宿泊施設は、俺たち作業員の魂が吹き込まれていることを決して忘れないでくれ。
もし作業員の方々が、何か声を上げることがあったら、どうかそのときは
小馬鹿にしたり、からかわずに、耳を傾けてやって欲しい。
某所、コンクリートの壁の中より。 コンクリートに埋め込まれた死体が幽霊になって長文を書き込みしたオチ?
よくわかんない 空手のかたに特別な建造物は必要ない
おれとおまえのふたりがいれば組手もできる
それが空手 長いダラダラ連投は読まん
技もレスも短くシンプルに 貿易で寄港した中国人の拳法使いに教わるパターンより
中国へ行った琉球人、或いは留学に行った王侯貴族富裕層の子弟が有力だと考える
連中の中には拳法に興味わ持って習う輩もいるだろう
アミバみたいに才能ある奴はすぐに覚えるはす
しかし、外国人なので師範資格はもらえない
師範資格が無いので流派名は名乗れないし技法の名称も同じものは語れない
今でもそうだけど中国拳法は子弟徒弟関係が五月蝿い
この事は拳児なんかでも触れられてる
この辺りも名称不一致の要因の一つとして提起してみる >>785
強いの弱いの殺すの護身やの言うてる人らは、一体どんな生き方したはるんだすやろなあ。
外国で暮らしたはるんだすかなあ。 他人の気持ちを理解する能力が著しく欠如しているの?
それ発達障害ですよ... >>787
顔も見たこと無いどこのだれともわからん名無しの気持ちはワテには解りまへんわ。
あんさん、解るんだすかあ。
もしかしたらそれ、自分の気持ちとちゃいます? >>786
当方のように海外のスラム街のような環境を生きていて
どうしても戦う技術を必要とする人もいます。
当方今はそのような生き方はしてない故に即席の武術だけで事足りたのですが
惰性で武術やっとります。強さとかもう半分どうでもいいですが
今までの人生の延長ですなぁ。 海外の治安の悪いスラムで武術が活きるのは短期しかいない人間達で長期で住む人間達に必要なのは武術ではなく危険察知能力なんだけどね。
791はスラムで武術が必要だったという事は諜報機関とかの人間ですか? 危険察知能力も武術の一環でしょうに。
目ではなく空気の流れで物を見る。 気というものは、人間の行い全てに宿る。
時としては文章からでも、ある程度は相手のことが分かったりするものだ。
結局は人の手で書かれたものだから。
相手の感情を読むということも決して不可能ではない。 ワテも少年期は神戸のスラム的なところに住んでましたが、身を護るために一番必要なのはコネやと思いましたな。
今邪魔なのは「合気道の先生」という世間の目だす。
いくらワテの武道は踊りのようなもん宗教みたいなもんと言うても、格闘技などと混同して「喧嘩っぱやい人」「怖い人」と思う人が絶えまへん。
ビジネス街やからええもんの、西成とかに住んでたらややこしいことにたくさん巻き込まれそうだす。 危険察知は、寧ろ武術とかやっていない人間の方が身につくけどね。
海外のスラムで早死にする人間は大概が腕っ節の強さを自慢するやつ。 > 危険察知は、寧ろ武術とかやっていない人間の方が身につくけどね。
それは間違いですねぇ。
素人さんには「空気」の変化が分かりません。
当方は、治安のよろしくない街に一歩でも踏み込んだら分かりますよ。 対峙する相手の見極めも素人さんにはほぼ不可能です。
敵意があるのか、目的は何か、一瞬で相手のことを判別しないと。
歩き方、距離の置き方、対面する身体の向き、これらも相手によって変えなくてはなりません。 見極めとかやってる時点で危険な可能性のある相手と向き合ってると言う事だけどね。
スラムで生活して長生きしている人間達は何の武道も武術も嗜んでいない一般の人達だよ。 >>801
そりゃ武術なんてやってる人間は全体の一握りですし
主婦や僧侶のように戦いの場に一切立たない人ならええんでしょうけどなぁ
変な運命に導かれてしまう人にとって戦う技術は必要なのですよ >>803
口の利き方には気を付けなされ。
他人を貧乏、負け組、底辺とネットで罵る人は世間知らずの青二才ですよ。
そこそこ大きな仕事を任されたり、自分で仕事をやった経験のある人は
そんなこと口が裂けても言わないんですよ。小煩いかもしれませんが大事なことです。 スラム出身、危険地域に行かされるって貧乏人の証拠じゃん
違うのかな? >>804 真面目な話、スラムで戦う事を前提に生きている人間は大概早死にするよ。
彼等は極力戦わない。
戦う場合は勝っても自分の身が危ないから。
相手のその親族や仲間達から報復される危険性がある。
だから、スラムでイキってる連中は大概どこかのチームに所属しているマフィア。
そんな連中の8割は結局早死にすると言われてるけど。 ま、そういう話じゃないんですけどねぇ。
100歩譲って当方が貧乏人だとしたら、それが何か問題でしょうか。
匿名掲示板だからと言って、人としてのタガが外れた言動を繰り返すと
そのうち自分の性格も本当に歪んでくるので気を付けた方がいいですよ?
便所の落書きと言われようとも、書き込み相手は人間だということを忘れないで頂きたい。 >>808
これ見よがしに腕をブンブン振り回して戦ってる何かを想像していやしませんか?
武術って立ち回りとかも含めての物ですよ。 スラム街は、いわゆるマフィア同士の抗争や喧嘩を抜きにすれば意外なほどに秩序はいい。
余所者には、厳しいけど。
泥棒とか普通に地域住民達にリンチにされるから。
警察とかアテにしてないし。 アフリカの某国のスラムに仕事で行った時に吊るされた人間を見て、同行した現地の人間が普通に「ああ、あれは泥棒だね」と普通に話をしているのを見た時にここでは武道経験は役に立たんな。
と思ったな。 まあ武術がモノになる人ってほんの一握りですし。
スポーツ格闘技の人に多いですが、やってる“だけ”の人は確かに早死にすることになります。 >>809
あいや、単純に貧乏な生活強いられて可哀想だなと思っただけだよ
クーラーの効いた部屋で涼みながら安全圏から底辺の生活の話聞くと自分が幸福だと実感出来るね >>809
あいや、単純に貧乏な生活強いられて可哀想だなと思っただけだよ
クーラーの効いた部屋で涼みながら安全圏から底辺の生活の話聞くと自分が幸福だと実感出来るね そりゃ何より。
そういう斜めに構えた書き込みからでも、大した責任を抱えていない立場なのは
知覚レベルの上の相手には分かってしまいますよ? 奴隷の鎖自慢という言葉も最近はよくネットで見かけるようになりましたが
責任とはちょっと違いますねぇ。考えたら分かるでしょ だから責任って何?
責任負わないと収入が無い可哀想な人にしか聞こえないんだよね >>824
簡単に説明すると
仕事を依頼される→業務をこなす→お金をもらう
この流れの中で、お金をもらう(orもらった)立場の者は、依頼された仕事を最後まで片付ける義務が生じます。
これが責任だと当方は思いますね。人によって大きさは変わってくると思いますが 5ch全体でも言えることですが
労働者を魯鈍な奴隷とヤジったり、職業に貴賎なしを志さない書き込みは
働いたことがないか学生気分が抜けてない方の仕業が多いように思います。 >>826
資産家、もしくは親が富豪のお人ですか? >>786
私も本当にそう思う
しかも原始的な強さでしょ?
一対一のガチンコ、ステゴロでしょ? 住む環境にかかわらず大概の場合、身を護るために役に立つのは、武術よりも武道であるとワテは思いますな。 親も金持ちだけど俺ももっと金持ちだね
貧民なのは現実でしょ でたよ、労働自慢w
働かないと収入が無いって可哀想だねえ
人生の貴重な時間を労働に費やしてご苦労様です おや?事実を言ったら気にさわったのかい?
ごめんなあ >>830
オス!沖縄拳法やってます!
と言うより
はい、私は剣道を嗜んでます
という方が他人ウケは良さそう >>836
saruはんはワテの下関のセミナーに参加してる人だすよ。
彼が、>>807のようなことを言うとは考えにくいだすな。 所で今野敏は読んでないのか?
書いてる設定が小説とまるで同じだが 確かにそうですね。当方の見当違いだったようです。
益多氏が働いてることを知ってる上で>>832のような発言をするなんて
そんな道理から外れたこと出来るはずありませんし。 >>837
知名度に差がありすぎるw
「沖縄拳法やってます!」とか言っても普通の人たちは「中国拳法みたいなのかな?」位にしか思わんよ。
後、沖縄拳法は武術で売ってるみたいだけど内情は普通の現代武道と大差ないよ。
マニアックな練習を一般的な武道系よりも多めにしているだけで。 なんだやっぱり創作か
妄想ならもっと良く練り込んで貰いたいもんだ 何を動揺しているのですか?
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