武道としての柔術
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武道としての本物の柔術を語ろう。
ポイント柔術やスポーツ柔術は、スレ違いなのでスルーしてください。 >>145
どうなんだろ
短刀対短刀だったのか対素手や大刀だったのか >>147
あーそういうこと?
てっきり最初っから木刀で打ち合うのかと >>146
>>短刀対短刀だったのか対素手や大刀だったのか
「短刀対短刀」って、柔術ではないでしょ。
????? 楊心流、関口流、竹内流とか古い流派は剣術と柔術の境界があいまいだけどね
貫汪館の人も柔術の試合は獲物を もってするほうが素手対素手がかつては一般的だったのではないだろうかとか書いてたな
>>144
北斎漫画だと防具をつけずにやってる槍術VS柔術の試合やってる画がありますよね >>149
そうか?
柔術の定義は?...って訊いてもそもそも共通した見解があまりないし答え辛いよな
>>151
マジか
槍の方にクッション巻けば不可能ではないのかなぁ? 嘉納治五郎師範の定義だと
「無手或は短き武器をもって、無手或は武器を持って居る敵を攻撃し、または防御するの術」 北斎漫画よりも成立の古い芸術武功論だと素手の方は防具付けてますね
あれは入身試合の様子を描いたものだと言われてます
入身試合とは攻撃側が槍か竹刀、防御側はそれより短い竹刀か素手で攻撃をかわし
相手側に入身出来たら勝ちとする剣術槍術流派でもよく行われた試合方法です
そもそも竹内流は江戸時代の記録では剣術や槍術の試合もやってきたことは明らかだし
徳島藩の関口流は四国随一の竹刀打ち強豪として知られていました
今は形だけになってるとこ多いけど昔は結構いろいろなルールで行われていたようです 勉強になるな。
個人的に柔術は講武所でも試合が行われてた記録はあるのに
剣術と比べたら試合に重きが置かれてなかったっぽいのが不思議だったんだけど
このスレ見てると統一したルールを持ち得なかったというのも理由の一つかと考えるようになった。 無手が武器術と比べて、有用性が二の次になるのは当然かと思うよ。
必然的に試合は武器術がメインになるだろうし。 柔術よりは柔道が、組んだら、あっという間に頭からでも落とせるから実践的そう。
柔術は、相手の髪の毛か、襟首取って、パンチひざげり、してから寝技に行けば強そう。 安全に乱取りするために当て身を省いたのが柔道なわけですよね。
試合も乱取りも、稽古の1形式で、武術的観点からは当て身を入れるのが嘉納先生の思惑だったのではないかと理解していますが。 省いたというか当時の主流の乱取りの方法を踏襲したというか
嘉納師範は当て身は軽視してはいないし
形としての練習は推奨、段階的にオープンフィンガーグローブや防具を整備しての乱取りを目指す 明治21年の弥生慰霊祭記念柔道剣道試合の柔術の部の試合は、
当身技は使えたのですか?
それとも講道館ルールですか? 正確にはその時点では講道館ルールは無い
柔道のルールを明文化した武徳会審判規定・講道館審判規定は1899年(明治32年)以降
それ以前は申し合わせで行われていたんだろう
関東大震災で警視庁武術大会の記録は失われたらしいから正確な情報は分からないんだよな
崩しの当て身は認められてたかも知れないし禁じ手だったかも知れないしなんとも >>49
「地稽古」は、剣道の乱取り的稽古と同じ名称だな 武術史の専門家みたいな人がまぎれこんでるのね
面白い ありがたいことだ
武術史って普通の史学とも絡んでるから調べるにも骨が折れる >>153
やっぱこれが一番しっくりくるよな
流石高学歴の大先生
>>154
その入身試合ってのは今でも再現しやすそう
効果としてはその名の通り体捌きの向上だろうか
ていうか武術の試合って両者が非対称な条件のモノが多い気がする 入身や間合いを外す稽古はやったね。
相手は袋竹刀や当て身で攻撃する。
失敗すると痛いんだよな。
相手の斬り込みを紙一重で躱したり、突きを受け流したり懐かしいなあ〜 スポーツ空手よりも柔術のほうが余程実戦的だね。
スポーツ空手は相手は、常に素手が前提だし。 空手の方が世間受けしやすいんだよな。あとは柔道、合気道とかもね。
柔術は日本古来の武術なのに、当の日本人は柔術について知らない奴が多い気がするね。
凄く残念に感じるよ。
まあ、生活には必要ないものだから仕方ないんだけど。 昔の柔術は、当て身があったが、それでは危険だから、五輪競技入りを目指す嘉納治五郎の判断で、投げと押さえ込みになったと骨法の堀辺氏の本に書いてあった。
嘉納自身が、東大出のインテリ有力者で、投げ技を得意とする、きとう流の出身も関係あったのだろうとも書いてあった。 柔道にも柔術と同じ意味合いでの当て身はあるけどね
それと嘉納師範は柔道の五輪競技入りは全く目指してはいなかった
柔道の中にはスポーツ要素もあるけどそれだけでは決してなく、
武術(勝負法)であり、教育(修心法)であり、競技だけに特化させることは考えていなかった
嘉納師範が進めていた日本人の五輪参加と平行させて別の世界的な組織を確立させて柔道を普及させるつもりだった
嘉納師範没後の大戦、敗戦、武道禁止令からの起死回生のために、
嘉納師範の意志とは離れて五輪競技入りされてしまったけど >>172
>>それと嘉納師範は柔道の五輪競技入りは全く目指してはいなかった
出典は何?
嘉納師範は、1936年7月 IOC総会(ベルリン)に出席し、
第12回オリンピック競技大会(1940年)を東京に誘致することに成功。
1938年3月 IOC総会(カイロ)に出席後、米大陸回りでバンクーバーより帰国の途中、
肺炎のため5月4日太平洋上・日本郵船氷川丸船中にて永眠、
6日横浜港に喪の帰朝となる。享年79。
https://www.joc.or.jp/olympism/kano/20071220_1940jigoro06.html
1940年東京オリンピック
支那事変の影響等から日本政府が開催権を返上、実現には至らなかった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/1940年東京オリンピック
貴殿(ID:fBOkIm6J0)の指摘は、広く伝えられている事実と異なるのですけど。 嘉納師範が消極的態度を取っていたのは【柔道の】五輪競技化入りのことね
嘉納師範はクーベルタン男爵に推薦されてアジア人初のIOC委員、
日本体育協会初代会長となって【日本人の】五輪参加活動、
日本への五輪誘致活動を行っている
その辺りは来年の大河ドラマでも描かれる
その上で、【柔道の】五輪競技化を勧められることもあったけど、そのことには五輪競技化ではなく別な構想を挙げている
>嘉納の柔道観が乱取り・試合の実践を目的にせず,その実践を通して
「己を完成」し「世を補益する」ことに目的をおいたからである.
体育としての柔道は己を完成することの主要な側面の一つであり,
したがって嘉納は,オリンピック世界に柔道を参入させることには消極的であった.
「自分は自ら求めてオリンピックの仲間に加わることを欲しない.
何となれば柔道は,単に競技として見るよりは,さらに深く広いもの」
[である].「故に自分は,オリンピック会の中に柔道をいれるというよりは,
柔道に基づいた世界的組織を見ることに心を向けている.」
(『嘉納治五郎』1964 年 p.546)
http://pdpe.jp/kaihou/annual2016-2.pdf
「体育としての武道・スポーツとしての武道」再考
>>174の記載の中のどこに【柔道の】五輪競技化入りの記載があるかな? ちょっと挑発的な書き方になってしまうかも知れないけど、
逆に、嘉納師範が【柔道の】オリンピック競技化入りを目指すような
言動の出展があったら教えて欲しいです 当身かあ・・・
柔術スレでよく話題に出るよね当身
嘉納治五郎はたしか「精力善用国民体育」っつー名前で
空手から持ってきてアレンジした打撃技術の型を整理してたなあ。
古流に多少あるんだっけ?
勝新流ってとこが空手で言うところの鉄槌打ちを
親指握り込んだ拳でやってた気がするけどほかは見てないから白根 突き、蹴り、打ちはどこの流派にも普通にあるよ。まあ、基本的に柔術は、どこの流派にも殺活があるから普通に当身学ぶ。
よく親指を握るとかいうけど、流派によって拳が違う。真楊流の影響が有るところは、親指を浅く握って中指と人差し指の第二関節で突くんだけど、何でかこれが広まってる。
勝心流も真楊流の当て身を取り入れているから為我流とは握りが違ったりする。
柔術の突きは、空手と違って基本的に捻らないのが多いね。 当て身の話で全然話題ならないけど、柔術には殺活っていうのがある。これは急所に当て身を入れて倒す技術と蘇生させる技術で、多くの流派では免許や皆伝で学ぶものだった。よく巻物に急所の図が書いてあるものがあるけど、それが殺活。剣術でも奥伝で教える流派がある。
少林寺拳法にも柔術の殺活が伝わっていて動画で見ることができる。柔道にも伝わってるのかな?だけど、嘉納はたぶんできなかったと思う。
https://m.youtube.com/watch?v=vSkD7BPpVK4
私が柔術で学んだのは、この動画よりもっと多彩だった。
至って単純で学ぶだけならすぐに終わるんだけど、習得が難しくて会得するには、日頃からの当て身の鍛練が必要。だけど、最近の古流柔術家は、あまり当て身を稽古してないように感じる。 古武道協会三十年の記念誌の関口新心流の頁に現在伝承している技法の名前が載ってる。
その中に死活法 (八箇之当、八所之当、極秘三箇之当、三日月之傳、大海之傳)とある。
殺は、8、8、3で19あったと思われる。
どこの流派もだいたい20前後、多いところだと100を超える流派もあった。
急所、殺活の歴史はあまり研究されていないので、いつ頃から発生したのかや、流派による急所名と、位置や数の差異とかには興味がある。
1500年後期の捕手術の伝書にもあったので、意外と歴史は古いのかもしれない。 国会図書館のアーカイブで柔術秘伝活法が読めるけど何流なのか… >>183
急所名から推測するに、天神真楊流若しくはその分派だと思う。
天神真楊流は、眉間の事を烏兎というんだけど、楊心流、真之神道流、その他楊心流系だと眉間は顔別で烏兎は両眼の事をいう。
この本だと烏兎は眉間になってるから天神真楊流系。 烏兎は、日月の事で両眼を例えているんだよ。
金烏、玉兎だね。
だから、烏兎が眉間なのは名前の意味が分かってないということ。
柔道の急所も眉間は烏兎になってる。空手の急所もそう。
全部天神真楊流から持ってきた証拠だね。
楊心流系の伝書だと指先二本で突く方法と
手の甲で烏兎と顔別を一緒に打つ方法などがある。 >>178
形としてはなくても当身の教伝は普通はどこもそれなりにあるよ
多い流派になると竹内流なんかは七十二穴の急所とそれぞれに数手ずつ攻め方を定めているので数百にもなる
大抵の流派は奥伝に位置付けているとこがほとんどなんだが最初に学ぶ流派もある
例えば秩父系の気楽流は伝書を見ると切紙の段階で「砕」と呼ばれる急所に対する当身法とその防ぎ方を学ぶようになっていたらしい
神道自然流の小西康裕によると元々空手には急所という概念がなかったのだが大塚と二人して約束組手と一緒に柔術から取り入れた
だから空手の急所名はすべて和名になってる >>178
柔道も元々の当身の技法と急所は古流柔術(天神真楊流)から
急所に当てる崩しととどめの当て身(投げ、固めの流れと組み合わせて)
精力善用国民体育は唐手を取り入れた打撃としての当身って感じかな 打撃としての当身ってのもよくわからんが
精力善用国民体育は体操であって対人を意識したものではない
柔道には体系だった当身の技法はないな
嘉納自身あまり興味がなかったのだろう >>189
まあ精力善用国民体育自体は体操目的にまとめたものではあるけど
技術として当て身を学ぶことも目的にしてる
元々の名称は攻防式国民体育
ヨーロッパでだと応用して対人用に練習していたりもする
むしろ興味があったからこそ精力善用国民体育をまとめた訳で
投げの形、柔の形、極の形(真剣勝負の形)の当て身は投げ固めと繋げて
直接対人攻防的に学ぶものではあるな 八光流って使い物になるのかな。よく目にするんだけど。通信教育とか速習性が高いとかほんとなら魅力的。 >>187
切紙ってことは初伝の段階でもう教えちゃうってことか。
>>188
やっぱし柔術の当身とは別系統の技法だったわけかあれ。
>>191
八光流は新興組織のベース技術になってることが多いね。
やんないよりかはマシだけどやる気あるならそれこそ
空手やBJJみたいなそこら中に道場あるメジャーな現代武道やるか
地元調べて土着の流派に手出したほうがいいと思うな。
案外表に出てない技法とか見るだけじゃこれっぽちも分からん術理もあるだろうし。 気楽流の伝書を見ると切り紙以降にも砕きがあるね。結構多い気がする。
http://bujutsu.jp/g05.html
今でもきちんと教えているのかな 残念ながら実技としては残ってない
請身も
この流派で言う請身って のは当身を体で受け止めることを言ってるんだけど
多分昔はどの流派にもあるものだと思う
嘉納治五郎の話では磯正智は木刀の柄頭で鳩尾を突かれてもビクともしない程度に鍛えてたとか 竹内三統流の開祖の著書「我意噺」には当身を体で受け止めることを専門にした流派がでてくる
具体的にどの流派のことを言ってるか分からんが著者は当身というのはフェイントを使って効かすものだから無駄だと言い切っている
今でもよく聞く論争だがこの時代からあったのだなぁとしみじみ BOOK・OFFに古伝らしき古書ありましたが意外に高かったです >>196
少なくとも今の格闘技論だと三統流の開祖が正しいよな 気楽流の砕は、群馬の先生がdvdで一部紹介してたね。
たしか、人差し指の第二関節で突いた。
打つ時の拳は、なんか特殊だったな。 某柔術では 二度当て って当て身を習った。
ただしその流派で一般的に教えられているようではなかったので、先生によって
教えているかどうか分れるみたい。 当時の柔術では顎先に上手く当たったら立てなくなることとか知られてたのかな 当然知ってたでしょう。
私が学んだ流派にも急所になってましたし。
日本武術は意外と当て身に関しては深いです。
昔の日本人は、実際に人体に当て身入れて確かめたんでしょうね 自分で顎パンチして、一瞬…じゃなくて1秒ちょっとぐらい目の前が真っ暗になったことならある 現代の日本では柔術の当て身は過小評価されており、たいした物ではなかったと思われているのが実際のところです。
武術について語る多くの方は、日本古来の武術がどういうものなのか調べもしませんし、柔術の当て身について詳しく知りもしないのに、ただ何となくのイメージや、演武を見て語ってる人が多いです。
十数年前の武板でも、当て身の議論で急所や殺活について話題にすら上がっていないところを見ると、知ってる人が少なかったのかもしれません。 >>204が何を言っているのか分からない! 同時通訳くらい用意しろ 殺すぞ!! 他流試合についてだが、
1500年後期から江戸初期辺りの捕手の話で、来客と座って捕手について相論してたら、相手がいきなり鎧通し抜いて刺してきたという話がある。
その来客は、竹内流系の武芸者で技の研究で試したのではなく、最初から隙あらばヤるつもりだったとか。
これも道場破りの一種らしいが、今とは感覚が違いすぎる気がする。 当て身、急所や殺活はウチでは奥の教えたから
あんまし観たことないな
ちょこっと先生がやってたのを1年に1回か2回ぐらい見かけた程度
当てて崩すよりは斬って崩す流派だからかもしれないが
今は辞めたから何年も会ってないけど
昔、別の古流も習ってた先輩の簡単に教えてもらった
高木楊心流だっけ? の技は身体のあちこちで急所を抑え込んだり踏み込んだり
する技が多かった。あれも当て身の一種だろうな。
当て身で崩しながら極めるというか、そのまま抑え込むというか。 殺法つまり当身で相手を気絶させる方法とその活法はどの流派でもツーセットだからな
ない流派を見つける方が難しいと思う
しかし実際的な技法として現存してる流派はほとんどない
どこも形ばかり
昔は当身でたちまち相手を落してそれに活を入れる練習をしていたよという話はよく聞くけど
それを実演できる人はそう多くない
天神真楊流では中山清という人がこの殺活法の名人だったのだが今では出来る人いないだろうな 殺というのは、やり方は至って単純で、急所に正確に速く強く当て身を入れるだけなんだ。
やり方さえ知っていれば、もはや柔術学んでなくてもできると言ってもいい。
(実際、柔術学ぶ前の学生時代に古書店で帝国尚武会の柔術のテキストを見つけ、殺の項を読んで、その通りに練習したら少しできるようになった。)
今でも、できる人は少数だがいるが、別にいなくてもやり方さえ正確に伝わっていれば、後は個人の技量によるから別にいいと思う。
落とせるかどうかは、個人の練習によるから、師ができなくても弟子ができる場合もあるし、師ができるが弟子はからっきしダメという場合もある。 殺法を信じ、ひたすら当て身を練習したその先にある。
反復練習や威力を高める訓練、正確にぶれずに突く技術を高めることが必要であると思う。
練習方法が伝わってない流派なら個人で色々工夫するのがいいと思う。
昔の人達は、固定してない板を手刀で割ったり、ぶら下げた木材を蹴りで折ったり、自然石を手刀で叩き割ったりしたという話もある。
他には、布団を折った中に素焼きを入れて立て置き、布団を倒さずに当て身で内部の素焼きを粉砕するという練習法もあったらしい。(やったけど、当て身が速く正確でないと倒れてしまうし、相当強く蹴らないと砕けないから、かなり難しい。)
殺法ができる人は、やはり当て身がもの凄く速いし強いのが実際のところであり、へなちょこな当て身で人に効かす事は不可能であると思う。 >>212
それってつまりウィキぺディアの受け売りに
推論を足しただけなのではないかな? ウィキ?
固定してない板を手刀で割った
これは楊心流系の古い師範がやってた。
実際に見た。
次にぶら下げた木材を蹴りで折ったり、
これも実際に行われていた鍛練法の一つだね。
自然石を手刀で叩き割るのは、柔術家のパフォーマンスであって、実際にやったという記録があるし、高木流の人もできたね。
素焼きは楊心流でやってたという話を聞いたことがあるが、その系列の帝国尚武会の本で詳しいやり方が紹介されている。
実際に素焼き買って布団に入れてやったことがある。
後は自分の経験上の話で、個人的な考えです。 それ以外に木刀にタオル巻いて手刀鍛えるのがあったな。
あとは、近畿の柔術やってる人から聞いたが、剣道の打ち込み台に胴を付けて、蹴ったりするのもあったらしいが、新しく作ったものだと思う。
剣道場で稽古したときに打ち込み台にがあったから試してみたが、かなりいい感じだったよ。 >>208
昔の武術って油断する方が悪いっていう考え方だよな。
これで相手が死んじゃったら、どうするのか気になる? 誰も認識してないところで戦って勝ってもいずれケチがついて名誉にならさそう 古武道の補助鍛錬って振り棒やら四股やらが思いつきますが、腹筋ってどう鍛えてたんですか?
袴履いてクランチとかしてるイメージはないですけど >>221
私の流派で、近い間合いの相手の水月や脇腹を拳で突く技がありますが、ボクシングのボディブローとほぼ同じですね。腕曲げて甲を下にして短く鋭く突くんです。
遠間からの突きは、急所に対して垂直に捻らず突き込むのでボクシングとはフォームが違ってました。
柔術の突きは拳を捻らない流派が多いです。空手の影響を受けてしまった流派は所謂正拳突きしてますが・・・
拳が横か縦は、流派によって違います。間合いによって変化するところもあり一概には言えません。
あとは、一般的にイメージされている正拳とは違う特殊な拳を使う流派が多いですね。 柔術は甲冑をつけた合戦の場を想定していたから
中指一本拳で急所を押すだけだよ。
叩くという動作はない。
拳で叩く動作が古来からあるのは沖縄空手ぐらいじゃないかな。
中国は手首折れないように掌底が基本。
上海が出来てボクシンググローブが入ってきてから拳が採用される。 >>224
>柔術は甲冑をつけた合戦の場を想定していたから
ん???
合戦?
具体的に何流のことですか?
平服の護身と捕手術の方がどう見ても一般的でしょ?
小具足ですら平時に襲われた際の対処の方がメインだし、甲冑って何流だろうか? 八光流柔術とかは、昭和になって作られた柔術とのことですが、
この様な柔術は、古流柔術に含まれないという理解で良いのでしょうか?
講道館柔道だって、明治時代。それよりもずっと新しい。 >>227
明治に創始された柔術は、古流柔術ではないですね。一般的には。
ギリギリ古流柔術に含まれるのは石黒流までですかね。
神道六合、兼相流、大神流、八光流、中澤流、振気流とかは、近代柔術です。 日本拳法が昭和初期だからたいして歴史変わらないんだな ツイッターで八光流の人が古武術とアカ名に入れてるが、昭和武術である八光流が古武術だったらそれより古い講道館柔道も古武術になるなwww >>224
普通にどの流派でもありますよ
あなたもしかして結構若い世代でしょう?
昔はわりとちょっとしたことでみんな殴ったり殴られたりしてけどその程度で折れるほど手首はやわに出来てないですよ
富野由紀夫も言ってたけど現代っ子は「殴り合い」の実体験がないからそれ自体がファンタジーになってしまってる
>>226
小具足は甲冑着用前提でしょう
甲冑きてたら当身が使えないから短刀を使うのだと三統流の開祖も書いている
後世の人間がどう理屈こねようと実際に当時の人間はそう思って稽古してたのだからそうだとしか言いようがない 小具足は陣中での軽装時(兜と胴を脱いだ状態)を指す場合もある。
そうなると平服時の柔術と技術的にほぼ差異が無くなるかも。 >>232
わかってますw では強靭な肉体はウエイト以外に、どうやって作ったのかと思いまして どこの流派を指して当て身の事を言っているのか分らないけど・・・・
甲冑ありなら当然に素手の当て身はあり得ない。
せいぜい蹴足で中段下段を蹴るくらい。
形を学ぶ際に先生から「これは実際には脇差などで突く動作だよ」と、素手でやっている
当て身の由来を教えてくれる。
甲冑無しの相手に素手で当て身をする場合は、ボクシングとは似ても似つかない。
顔を打つ際はバラ手や中高一本拳による仮当て、あるいは側頭部に鉄槌打ちなどの
本当て、等々が多い。
腹を打つ際は拳を握り込んで、遠間なら縦拳、近間なら上げ突き。
ただしダメージの与え方は相手の腹の中に拳を残すような、独特の感覚で打つ。
なお、こちらから仕掛ける場合には隠し打ちを使用する。
相手の視界や意識の外から、認識できないように不意に打つ技法。 「本当て」と「仮当て」って知ってる限りだと神道楊心流しか使ってない言葉なんだが
何かネットで聞きかじった知識で書いてない? >>215
実体験か、こいつはすまん。
当身の項に書いてある情報にあまりにも近いから勘違いした。 >>236
>甲冑ありなら当然に素手の当て身はあり得ない。
>せいぜい蹴足で中段下段を蹴るくらい。
おっと、柳生心眼流の悪口はそこまでだ >>237
師匠がどこで学んだかまでは聞いていない。
ただ、「〜〜の技」「〜〜の名前」ってやり取りにはあまり魅力を感じない。
出来るか出来ないか、目指すか諦めるか、稽古をする者にはこの点が重要では?
少なくとも、仮当て、本当ての使い分けは、語句がどうであれ古武術の流儀では
当たり前なのではないかな。 私の流派には本当てと仮当てという言葉はなかったな。
効いてさえいれば良いという教えだったよ。
だから、全力で相手に効くように当てる。
投げる前に当て身で落ちたら最後までやらずに、そのまま捕縛してもよかった。まあ、投げてもいいんだけど。 柔術は甲冑つけた合戦の場を想定ってどこの世界の人間だよ て言うか甲冑なら中下段蹴り以外の当身はありえないって >>239
あれは甲冑相手にもあのタコ殴りをするの??? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています