備中伝への反証@ 竹内流の完全相伝について

備中伝が『倉敷の歴史』第23号に寄稿した『 倉敷市域における武術流派竹内流の系譜 』
の中で、備中伝は竹内流の完全相伝だという主張をしていますが、これは現行の
竹内流宗家が正統な家督を継いでないという失礼極まりない誹謗中傷を発表した事になります。

まず、完全相伝とは一般的に弟子が師匠と同じ権利を持ち独立して
自由に活動できる制度を意味しますが、竹内流の場合は

『竹内流は天文元年(1532)、美作国一之瀬城の城主竹内中務大輔久盛が創始し、
二代目常陸介久勝、三代目久吉と親・子・孫三代にわたって大成された捕手・柔術です。
竹内家(藤一郎家・藤十郎家)だけがその流儀と血脈を継承している文化財です。
門弟は掟によって「他人に師を名乗ること」が厳禁されています。
( 出典:平成28年9月18日「第40回岡山県古武道祭」岡山県武道舘/ 配布冊子・竹内藤一郎著の部分より抜粋)』

と、竹内流では武術の家元(流儀)だけでなく、竹内家の家督(血脈)も一子相伝で継ぐ【流儀と血脈が不可分の継承形式】
であり、一方で門弟は掟によって「他人に師を名乗ること」が厳禁されている、つまり一代限りの不完全相伝であったので、
門弟は竹内流を名乗れず新流儀を起こし、日本中に竹内流を祖とする流儀が広まっていったのです。

竹内流の歴史を見ても二代目は次男が継ぎ、血脈のある長男ですら竹内流を名乗れなかった事実からも、
血脈のない備中伝が竹内流の完全相伝に入り込む余地などそもそもあり得ないどころか、備中伝が完全相伝を
主張するという事は、備中伝こそが竹内家の流儀と血脈を継いだ竹内流の本家を主張している事になってしまいます。

備中伝は、自称四代目菊池正次が竹内家から竹内姓を頂き、竹内流を完全相伝して、竹内流を名乗って代々活動してきたと
主張していますが、備中伝の系譜の五代目以降は竹内姓ではないことから【流儀と血脈が不可分の竹内流の完全相伝】になっていないどころか、
むしろ門弟には一代限りの不完全相伝という掟が備中伝が公開している系譜からも証明されてしまい、備中伝の主張と伝系が完全に矛盾しているのです。