【太気拳】なんでも相談室 part3【意拳】
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part1で出た結論。
組手をしない会派は駄目。
どんな理屈を捏ね繰り回しても、
所詮は張子の虎。
駄目! 絶対!
新たに太気 意拳でどんな効果が出て 他武道や組手にどう応用できたかの体験談
や考察も語りましょう マジでカラクリ知らんのか…
こんなもんにガイセンもナイセンもいらんよ >>102
中国の億万長者がMMAのmu氏を倒したら2億円くれるって。
ガチで挑戦したい。99%勝てる。 saruってマスターに憧れてるけど実力とか無いんでしょ?
あんま生意気な口叩かない方がいいよ
ろくろおじさんみたいになるよ? お前ら高校生にも負ける雑魚達なんだから仲良くしろよ >>103
理系を標榜する人がこれだけが真理みたいな事言うのってどうなの >>112
レスを、見るにスポーツも、肉体労働もまともにやったことはないひとなので身体操作的なことは理解できない。
立禅もそうだが自分が理解できないことは否定する人なんだよ。 >>113
それ以前に奴は基本的な文章読解力も皆無で
会話が成立せんよ
青梅全気が居なくなったと思ったらまた
香ばしい新キャラがあらわれたもんだ マジカルパワーみたいな物を追い求めたい人はそれで良いんじゃないですかね?
http://xn--8pr25qvvnek9a.com/?p=287 >>115
相手の力を逃がすというやり方か、合気道ほ折れない腕はまともにみたことがないので自分なりの解釈を書いてみたが
こういう原理だったか。 折れない腕事態は合気道でも何でもないわけですよ
ましてや特別な筋力や不思議な力が働いてるわけでもない
高校程度の物理の知識で当たり前に解析出来る程度の事です >>113
変なコテもそうですが相手の情報もロクに知らずに決めつけるのなんなんですかね?
僕は10代から20代前半まで肉体労働に従事してますよ 断片的な情報だけで全てを決めつけるって結局枝葉しか見れない人
本当に武道武術とかやってるんですかねえ >>120
こいつはいつも自分で自分に盛大なブーメラン
投げつけるよな >>117
合気道は協力関係ですが武術も相対関係で相手との関係の上で成り立っている筈なのですよ
立禅がどうとか身体操作がどうこう言ってる人はブログに書いてる通りに自分の事にしか目が行っていません
僕は太気拳をやるまえ10代からその思想をマスター以前に叩き込まれてましたからね
だからそんな人たちと思想が合うわけが無いのです >>118
特別な筋力?
肉体労働をやっていたなら
重いものを持ち上げる時に身体を真っ直ぐにして腰をおとして腹に力をいれるとかやっていたと思うけど。 >>125
115のブログ読んでそんな感想ですかね? >>122
>思想が合うわけが無い
ココに来る意味なくない? 「反日」という言葉はとても便利です。この言葉を濫用する人は、敵味方で世界を単純化しがちなこと、
立場の異なる相手について考える想像力に欠けること、批判精神がなく事大主義に陥りやすいこと、つまり知的な誠実さをおよそ欠いていることが一目でわかるからです。
「反日」を濫用する人はしばしば、日本について批判をする人にその言葉を投げかけ、「日本人なら日本を好きなのは当然」などと言います。それが愚かなのは、
日本を心配してより良くしたいという苦言が存在することを想像できないということももちろんありますが、さらに根本的問題があると考えます。
それは、日本を「好き」「嫌い」という、ごく単純化した感情でしか、対象を捉えられていないということです。
「日本」という、空間的にも時間的にも複雑で多様な存在は、「好き」「嫌い」などという感情で簡単に把握できるような安直な対象ではありません。
「好き」「嫌い」で「日本」を語れ、それで「親日」「反日」に世界を分けられるという、あまりにも単純化した認識は、「日本」という対象をきわめて安直に扱い、その深みを考えていないことを意味します。
つまり、これほど「日本」を軽く扱ってバカにしたことはないのです。
ことに日本に生まれ育つという運命を負わされた人間にとって、「日本」という存在は圧倒的なもので、それをどう捉え向き合うのかは極めて大きな問題です。
巨大な存在に打ちのめされないよう自己を保つのは大変です。「好き」「嫌い」なんて言って済ませられるようなことじゃないんです。
捉えきれないほど巨大な存在である「日本」(他の国でも同じですが)を、「好き」「嫌い」と言える立場と思っていること自体が、むしろ自分を何様だと思っているのか、神様のつもりなのかと、私は不思議でなりません。
そのような言葉遣い自体が、「日本」を実は軽んじている証なのです。
だから、「反日」を濫用する人が大事に思っているのは実は「日本」ではないのです。他人に「反日」と投げつけることで自分たちがエライと思おうとしている、好きなのは自分だけなのです。
自分が好きなこと自体はむしろ大事ですから、どうか他の手段でそれを実現してほしいと思うばかりです。 >>122
まあ君の考えにケチ付けるつもりじゃないが
太気拳を10年近くやっても気が通ることはなく身体操作に関しても芽が出ず
養生にすらならなかったとは哀しみに満ちてるな 10年も太気拳やってませんよ
気が通るって何ですか?
後身体操作とか興味無いんで
そんなもんはスポーツに任せとけば良いんですよ 身体操作能力とかそういう開発は現代スポーツの方が余程優れてるのでそっちの方面がやりたかったら普通にスポーツやり込んだ方が良いです >>130
養生もですが天気のいい日は散歩するだけで十分ですね
立禅の必要性は感じません >>133
こういうふうに
腰痛の解消とかそういう発想が出てこないので肉体労働はやってないとおもったんだが、
これでやっていたという。
腰が痛くなったらマッサージとか整体に行ってたの? >>134
腰が痛くなったら安静にするだけです
マッサージも整体も金の無駄なのでいきませんよ
それに重度のヘルニアとか立禅で治せるんですか?無理でしょ >>126
剣を振る時に腹に落とすというのはそのブログでも何回も書かれてるよ。 >>136
剣を振る時に腹を落とすという文はどこにありますか?
全部読んでますけど記憶にないですね
剣を振る時には腹から出して腹に収めるなら聞いてますけど 腹に落とすですね、そんな文は記憶にないです
そして引用したブログの箇所は腹を使ってどうこうを検証する説明では無いでしょう >>135
俺は
ヘルニアになるのを防ぐために腰が痛くなってきたら仕事の合間に腰痛の解消をする運動をするんだけど。
確かに立禅だけで腰のヘルニアを治すのは無理だけど、
重度の腰のヘルニアの人が治療してる整体の先生に骨盤を矯正する運動をおしえてもらっていたよ。
立禅に近いやり方だったね。 >>138
http://合気道屋.com/?p=312
剣の振り上げ振り下ろしは呼吸そのものなのです。
呼吸は腹から出て天に向かい、一番高いところまで上がるとそこから落ちて来る。
落ちて来るのを腹でしっかり受け止める。受け止めるからこそまた次に天に上げることが出来ます。 >>140
腹で受け止める≒腹に落とす
勘違いの元になるのできちんと書きましょう >>139
ん?腰痛を治すのに立禅に近いやり方なのに立禅で治さないのはなんでですか? >>142
立禅みたいなものだけじゃなくて
床でやる体幹トレーニングみたいなものもやってたね。
それにこれらはあくまである程度回復した時に自分でできる治療法であって
あんまりひどい時は電気治療とかも必要なんだよ。 >>141
腹に落ちてくるのを腹で受けとめるんだから、
腹に落とすでもいいんでないの? >>143
>>電気治療
そこに立禅要素無いですよね
>>養生にすらならなかった
床でやる体幹トレーニングみたいなものもやってたね。
あなたも立禅が養生になって無いですよね
違う事やってるし >>144
それじゃ≒にしかなりませんよ
剣とか経験無い人ですか? >>145
いや、最初から立禅だけで治すなんて書いてないけど。
あなたが言ってるのは「健康のために肉を食べた方が良い」
と言ってる人に対して「肉以外のものも食べてるじゃないか。」とか言ってんのと同じだよ。
物事にそれだけで解決することなんてあんまりないと思うよ。 >>147
>>養生にすらならなかった
だから別に養生するのに立禅する必要なんて何も僕には無かったですね
日常生活送るだけなら日常の生活での運動と散歩で十分だと言う事です ようじょう
【養生】
《名・ス自》
1.
衛生をまもり健康の増進に心がけること。また、病気をなおすように努めること。 >>146
いや、剣の経験云々というか日本語解釈の問題だね。
つまりあなたは
落ちてくる=自動詞
のを
腹で受けとめる=他動詞
腹に落とす=他動詞
になっているのは間違いだとそういいたいわけだね。 >>150
だから間違いでは無く≒ですよ
そして煽りでは無くそんな日本語解釈するのなら剣の経験はあるのか疑問に持ったので経験を聞いているのです >>151
貴方は精神科医で専門家ですか?専門家の診断も無しに勝手にそんな判断をなさらないのはよろしいかと >>153
http://www.kaien-lab.com/aboutdd/asd/
自閉症スペクトラムの3つの特徴
社会性の質の違い: 周囲の人とかかわる時に適切にふるまうことができず、相手と関係を築いたり、築いた関係を維持していくことが難しい。
コミュニケーションの質の違い: 相手が言っていることや感じていることを理解したり気づくのが難しい。また自分が言いたいことや感じていることを相手にわかりやすく伝えたり表現するのが難しい。
想像力の質の違い:自分が見たり予想していた以外の出来事や成り行きを想像したり納得することが難しい。自分の興味のあることや心地よいパターンの行動に強いこだわりがあり、想定外の行動を取ることに抵抗を示す。 >>154
体系を理論化出来ずに今度は人格攻撃でしょうかね? まあ良いですよ
僕は僕の経験、理論、思想を語ってるに過ぎませんから
あなたもそうでしょ 太気拳ってインテリばっかりだと思ってたけど、肉体労働者も結構いるのか?
俺の行ってる道場はインテリばかりで、高卒の肉体労働者は隠れキリシタンのように肩身がせまい。
まあ結構長いこと太気拳やってたのに何一つ身に付かなかった人に難しいこと言っても無駄よ。
彼に通っているのは気ではなく哀しみ。 >>155
人格攻撃とかではなく、
マジでそう思っている。
だから太気拳の「気が通る」の意味も「気という不思議な力を身体に感じる」のように解釈し
「身体をまとめることを言っている」と解釈できなかった。
152の言い方のこだわりについても特徴とピタリと合う。 今度僕よりずっと長い事太気拳をやってる知人と稽古して何が身についているのか検証してみますよ
スレで剣がどうとか言ってるから剣でも徒手でも >>160
動画上げるのは某先生から禁じられてます(笑) 動画上げてるのはみんなヘタ。
島村なんかその最たるもの。 「反日」という言葉はとても便利です。この言葉を濫用する人は、敵味方で世界を単純化しがちなこと、
立場の異なる相手について考える想像力に欠けること、批判精神がなく事大主義に陥りやすいこと、つまり知的な誠実さをおよそ欠いていることが一目でわかるからです。
「反日」を濫用する人はしばしば、日本について批判をする人にその言葉を投げかけ、「日本人なら日本を好きなのは当然」などと言います。それが愚かなのは、
日本を心配してより良くしたいという苦言が存在することを想像できないということももちろんありますが、さらに根本的問題があると考えます。
それは、日本を「好き」「嫌い」という、ごく単純化した感情でしか、対象を捉えられていないということです。
「日本」という、空間的にも時間的にも複雑で多様な存在は、「好き」「嫌い」などという感情で簡単に把握できるような安直な対象ではありません。
「好き」「嫌い」で「日本」を語れ、それで「親日」「反日」に世界を分けられるという、あまりにも単純化した認識は、「日本」という対象をきわめて安直に扱い、その深みを考えていないことを意味します。
つまり、これほど「日本」を軽く扱ってバカにしたことはないのです。
ことに日本に生まれ育つという運命を負わされた人間にとって、「日本」という存在は圧倒的なもので、それをどう捉え向き合うのかは極めて大きな問題です。
巨大な存在に打ちのめされないよう自己を保つのは大変です。「好き」「嫌い」なんて言って済ませられるようなことじゃないんです。
捉えきれないほど巨大な存在である「日本」(他の国でも同じですが)を、「好き」「嫌い」と言える立場と思っていること自体が、むしろ自分を何様だと思っているのか、神様のつもりなのかと、私は不思議でなりません。
そのような言葉遣い自体が、「日本」を実は軽んじている証なのです。
だから、「反日」を濫用する人が大事に思っているのは実は「日本」ではないのです。他人に「反日」と投げつけることで自分たちがエライと思おうとしている、好きなのは自分だけなのです。
自分が好きなこと自体はむしろ大事ですから、どうか他の手段でそれを実現してほしいと思うばかりです。 >>165
了解しました
所で澤井先生は居合、剣道を指導されてたのに今の太気拳は剣をやらないのは何故なんですか? >>167
実は太気はかじっただけなのだが、
勝手に予想してみると
剣、特に両手剣をやると立禅の特別性みたいなのがなくなってしまうからではないか?
剣をやるなら日本武術とかわりがないから。 >>剣、特に両手剣をやると立禅の特別性みたいなのがなくなってしまうから
つまり太気拳側の商売の為のポジショントークですかね >>169
ポジショントークもあるし、剣をやらせないほうが立禅の真意に気づくのが遅れるからかも。 >>剣をやらせないほうが立禅の真意に気づくのが遅れる
成程、それなら太気拳が僕に合わないし身につかなかったわけだ 僕の武術の思想は太気拳をやるずっと前から剣の理、槍の理、武器の理ですからそこから外れた事を教えられても身に付くわけが無いんですよ
寧ろ身に付いたら弊害になります 普通に剣や肉体労働の感覚があれば腹に落とすなんて表現するわけがないんですよ
一般的な日本語感覚があれば腹で支える、腹で受け止める辺りの表現になるんじゃないでしょうか >>
普通に剣や肉体労働の感覚があれば腹に落とすなんて表現するわけがないんで
一般的な日本語感覚があれば腹で支える、腹で受け止める辺りの表現になるんじゃないでしょうか
いや、腹に落とすのは呼吸で(感覚の話)ようは腹膜が張った状態にしてその状態で受け止めるつてことだよ。 >>167
澤井先生がやってたのは剣道であって、剣術とか居合いではないから
剣道なんかいい歳した大人に教えるもんではないし、特にこれと言って伝承もしなかった。
人を斬り慣れてるってだけで、居合いはそんなに上手ではないよ。
そもそも太気拳に剣なんて存在しなかったというのが答えかな。
太気拳って本来は棍をやるもんなんだけど、そっちを捨てたことのほうが問題かな。 >>腹に落とすのは呼吸で(感覚の話)
これはあなた独自の表現で意味がわかりませんが
>>腹膜が張った状態にしてその状態で受け止める
それなら一般的な日本の言語で表現するなら腹で受け止めるって言いますよね 太気拳って結構剣道が入ってない?
自分はやってみてそう感じたけど >>176
武器の理ってのが俺は何なのか知らないけど
鍛錬ってか身体の使い方として木刀や棒を使うくらいだな。
そもそも太気拳は元から武器要素ほぼ無いしな。
君は意拳や形意拳やったとしてもたぶん同じだったと思うよ。合気道も恐らくは・・・
つーか、武術なんて身体の使い方どれも殆ど一緒だし何でもいいと思うけど。 >>179
ちなみに太気拳以前に形意拳をやっていましたがその思想は大いに役に立ちました
合気道にも通じる物がありました そもそも合気道は思想、当たり前の事をやる道なので僕にも出来るのですよ
>>立禅の特別性みたいなの
太気拳は特別性、スーパーパワーみたいな物を目指してるみたいなので出来なくても良いし身に付かなくても良いんですよ 植芝盛平はこう言っています
合気道は気育、智育、徳育、常識の涵養
なので特別な事では無く当たり前の常識を当たり前に行う道なので僕でも出来ると確信してます
特殊な事、特別な事はする必要ないですから >>177
特別な筋力?
肉体労働をやっていたなら
重いものを持ち上げる時に身体を真っ直ぐにして腰をおとして腹に力をいれるとかやっていたと思うけど。
剣を振る時に腹に落とすというのはそのブログでも何回も書かれてるよ。
という文の話か。
俺は剣をふるときに(呼吸を)腹に落とすという意味で使ったんだけど、確かに主語が抜けていた。
確かに俺はしゃべりが上手でないんでね。
そこはご容赦 >>183
>>腹に落とす
ですからこの文があるページを持ってきてください
で、あなた柔術の知念ってコテハンじゃないですか?似てる気がするんですけど >>178
まあ、入ってはいるね。
>>180
立禅すら分からんのに、もっと高度なタントウコウが出来るわけないだろ。 >>185
三体式から槍の使い方を教えて貰いましたけど
それは納得出来る物でしたし >>184
やはり日本語の言い方にこだわりがあるようだな。
他人はあなたと話すといちゃもんをつけられてると感じるかもしれないな。
だから人とあまりうまく人間関係がつくれないんでないかな? >>186
三体式なんて、太気拳の半禅みたいなもんだろ。
まあ理論を聞けば理解くらいは出来るのかもしれないけど
まず土台の部分が全然出来てないのに、槍なんて持って何がしたいんだろうと俺は思うね。 >>188
>>まず土台の部分が全然出来てないのに、槍なんて持って何がしたい
初心者、下手糞程武器から入った方が良いと思いますけどね
ま、価値観思想の違いって事で 合気道にはタントウコウとかサンチン、型はないけど
どんな武術でも最終的にやることはそれほど変わらんからな。
登山ルートは違っても、頂上はひとつしかないのと同じだ。 >>190
>>で、あなた柔術の知念ってコテハンじゃないですか?
これ否定しないんですか? >>192
それなら以前僕にメールした来た人ですか? 中国に似てくる日本 中国研究所理事長 杉山文彦
主権在民考えない発言
日本人は中国嫌いだと世上言われている。
事実、内閣府の世論調査では、中国に「親しみを感じない」という回答がここ数年7,8割を占める。
しかし私には最近、日本は日に日に中国に似てくるように思える。
自民党若手議員の勉強会で「沖縄の二つの新聞はつぶさにゃあかん」と気勢が上がる。
「法的安定性は関係ない」との発言が首相補佐官の口から飛び出す。
こういった発言は、共産党が全てを指導し、自由も平等も、また法的公正も、
みな共産党の指導(都合)に沿う範囲でのみ認められるという中国の体制の下でこそふさわしい。
実際、中国では政府に批判的な新聞の編集者が辞めさせられたり、社会活動家や弁護士が法的根拠も不明確なままに拘束されたりする。
日本はどうか。
憲法は主権在民、基本的人権、表現の自由をうたっているから、前述の発言は国民としての基礎的教養を欠き、ルールを無視しているということになる。
ところが、くだんの言は、選挙で選ばれた議員やその周囲に集う者の言葉である。
こうなると国民のかなりの部分が、主権在民や人権尊重を理解せずに物事を判断し、憲法に基づくルールとは違った心情で生活していることになる。
どうしてこんなことになってしまったのか。
長らく教職にあった私としてはやはり教育の問題を考えざるを得ない。
子供が自我を形成し大人になってゆくことは、それまでなんとなく従っていた周囲の状況を自分の目でとらえ直して自分なりの社会のイメージを形成し、
それに働きかけるようになることである。
いや、人権だの自我だのと面倒なことを言わずとも「美しい日本」の伝統によれば良いと考える人も多いだろう。
しかし、それではうまくいかぬことは、第2次大戦の悲劇が示している。
それでもという「美しい日本」派の人は、ぜひとも自民党の「憲法改正草案」と「中華人民共和国憲法」を熟読していただきたい。
両者はよく似ている。
どちらも権力の暴走から国民を守るためではなく、権力によって国民を動員するためのものである点で基本的性格を共にしているからだ。 柔術の知念さんは何故嘘ついてまで俺に関ろうとするんですか?
価値観の違う人間が関わり合ってもロクな事にならないってマスターは言ってましたけど と言うわけで価値観の合う人たちと稽古に行ってまいります
それでは >>196
人とうまく人間関係が作れないというのは否定せんのかな。 >>198
この自分と価値観が合わない人、合わせない人とは人間関係が作れなくてもしょうがないです
それも物理法則みたいなもんですからね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています