北京意拳のほうで聞いた話では、空手に立禅を取り入れることはあまり意味がないらしい
これは技術形式が全く異なるからで、例えば根元椿ならそのまま打拳に繋がるよう六面力を意識するが
正拳突きをする空手で打拳の力のだしかたや意念を反復してもしょうがない
もし仮に、立禅を空手に導入するなら空手に即したものにしなきゃならなだろうな