【太気拳】なんでも相談室 part3【意拳】
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語ろう!
情報交換しよう!
part1で出た結論。
組手をしない会派は駄目。
どんな理屈を捏ね繰り回しても、
所詮は張子の虎。
駄目! 絶対!
新たに太気 意拳でどんな効果が出て 他武道や組手にどう応用できたかの体験談
や考察も語りましょう >>378
頭のよい君なら373で何について語っているのかわかるよな >>383
そりゃそでしょ
まともに武術武道やってるなら物理法則に無い気功なんて眼中に無いでしょ 王郷斉は文化大革命の政治弾圧の影響で著書から気とゆう文字を削除して神経理論に宗旨変えしたが内功は触れると電撃ができた。
しかし凌空勁は弟子の尤彭煕しかできなかった。 >>384
まさか2重スリット実験の条件設定ミスを観測者によって変わるとかアホな事言ってるんじゃないでしょうね この世には電気ウナギとゆう生物もいるけど科学的に公認されている。
おまえは釣りがうまいな。 saru氏は馬鹿にされるのは嫌だが、他人を馬鹿にするのは平気らしいな。 時間と空間の歪みというフレーズでわからないかな
武術武道とはあんまり関係ないから別に知らなくてもいいと思うよ saruくんは太気を数年やって納得できなかったくせに
気功をバカにするとこだけは
しっかり太気に洗脳されてんだな!(爆笑)
気功を否定してる師範は内功も頭うちだぞ。(笑) >>392
相対性理論のなんか言いたかったんですか? >>394
僕はそのナイコ―ってのいらないですから もしかして
名無しはsaruの自作自演の話題そらしか?(爆笑) >>391
いや別に馬鹿にされるのも嫌では無いし、他人を馬鹿にはしてない
アホとは書いてるけど 嘘つけ!
内功を求めて
最近オフ会に出てたくせに。
あれも自作自演か!(爆笑) >>395
そうだよ
時間と空間を歪ませるものは重力
重力は質量を持つ物の周囲に発生する
人間は質量を持つ
もちろん人間の質量レベルでは時空の歪みはごくごくわずか
単純な話だったでしょ 出て無いですよ
ナイコウとか興味無いですから
立禅もやらないと組手やらせて貰えなかったからしょうがなくやってただけだし 「反日」という言葉はとても便利です。この言葉を濫用する人は、敵味方で世界を単純化しがちなこと、
立場の異なる相手について考える想像力に欠けること、批判精神がなく事大主義に陥りやすいこと、つまり知的な誠実さをおよそ欠いていることが一目でわかるからです。
「反日」を濫用する人はしばしば、日本について批判をする人にその言葉を投げかけ、「日本人なら日本を好きなのは当然」などと言います。それが愚かなのは、
日本を心配してより良くしたいという苦言が存在することを想像できないということももちろんありますが、さらに根本的問題があると考えます。
それは、日本を「好き」「嫌い」という、ごく単純化した感情でしか、対象を捉えられていないということです。
「日本」という、空間的にも時間的にも複雑で多様な存在は、「好き」「嫌い」などという感情で簡単に把握できるような安直な対象ではありません。
「好き」「嫌い」で「日本」を語れ、それで「親日」「反日」に世界を分けられるという、あまりにも単純化した認識は、「日本」という対象をきわめて安直に扱い、その深みを考えていないことを意味します。
つまり、これほど「日本」を軽く扱ってバカにしたことはないのです。
ことに日本に生まれ育つという運命を負わされた人間にとって、「日本」という存在は圧倒的なもので、それをどう捉え向き合うのかは極めて大きな問題です。
巨大な存在に打ちのめされないよう自己を保つのは大変です。「好き」「嫌い」なんて言って済ませられるようなことじゃないんです。
捉えきれないほど巨大な存在である「日本」(他の国でも同じですが)を、「好き」「嫌い」と言える立場と思っていること自体が、むしろ自分を何様だと思っているのか、神様のつもりなのかと、私は不思議でなりません。
そのような言葉遣い自体が、「日本」を実は軽んじている証なのです。
だから、「反日」を濫用する人が大事に思っているのは実は「日本」ではないのです。他人に「反日」と投げつけることで自分たちがエライと思おうとしている、好きなのは自分だけなのです。
自分が好きなこと自体はむしろ大事ですから、どうか他の手段でそれを実現してほしいと思うばかりです。 「反日」という言葉はとても便利です。この言葉を濫用する人は、敵味方で世界を単純化しがちなこと、
立場の異なる相手について考える想像力に欠けること、批判精神がなく事大主義に陥りやすいこと、つまり知的な誠実さをおよそ欠いていることが一目でわかるからです。
「反日」を濫用する人はしばしば、日本について批判をする人にその言葉を投げかけ、「日本人なら日本を好きなのは当然」などと言います。それが愚かなのは、
日本を心配してより良くしたいという苦言が存在することを想像できないということももちろんありますが、さらに根本的問題があると考えます。
それは、日本を「好き」「嫌い」という、ごく単純化した感情でしか、対象を捉えられていないということです。
「日本」という、空間的にも時間的にも複雑で多様な存在は、「好き」「嫌い」などという感情で簡単に把握できるような安直な対象ではありません。
「好き」「嫌い」で「日本」を語れ、それで「親日」「反日」に世界を分けられるという、あまりにも単純化した認識は、「日本」という対象をきわめて安直に扱い、その深みを考えていないことを意味します。
つまり、これほど「日本」を軽く扱ってバカにしたことはないのです。
ことに日本に生まれ育つという運命を負わされた人間にとって、「日本」という存在は圧倒的なもので、それをどう捉え向き合うのかは極めて大きな問題です。
巨大な存在に打ちのめされないよう自己を保つのは大変です。「好き」「嫌い」なんて言って済ませられるようなことじゃないんです。
捉えきれないほど巨大な存在である「日本」(他の国でも同じですが)を、「好き」「嫌い」と言える立場と思っていること自体が、むしろ自分を何様だと思っているのか、神様のつもりなのかと、私は不思議でなりません。
そのような言葉遣い自体が、「日本」を実は軽んじている証なのです。
だから、「反日」を濫用する人が大事に思っているのは実は「日本」ではないのです。他人に「反日」と投げつけることで自分たちがエライと思おうとしている、好きなのは自分だけなのです。
自分が好きなこと自体はむしろ大事ですから、どうか他の手段でそれを実現してほしいと思うばかりです。 「反日」という言葉はとても便利です。この言葉を濫用する人は、敵味方で世界を単純化しがちなこと、
立場の異なる相手について考える想像力に欠けること、批判精神がなく事大主義に陥りやすいこと、つまり知的な誠実さをおよそ欠いていることが一目でわかるからです。
「反日」を濫用する人はしばしば、日本について批判をする人にその言葉を投げかけ、「日本人なら日本を好きなのは当然」などと言います。それが愚かなのは、
日本を心配してより良くしたいという苦言が存在することを想像できないということももちろんありますが、さらに根本的問題があると考えます。
それは、日本を「好き」「嫌い」という、ごく単純化した感情でしか、対象を捉えられていないということです。
「日本」という、空間的にも時間的にも複雑で多様な存在は、「好き」「嫌い」などという感情で簡単に把握できるような安直な対象ではありません。
「好き」「嫌い」で「日本」を語れ、それで「親日」「反日」に世界を分けられるという、あまりにも単純化した認識は、「日本」という対象をきわめて安直に扱い、その深みを考えていないことを意味します。
つまり、これほど「日本」を軽く扱ってバカにしたことはないのです。
ことに日本に生まれ育つという運命を負わされた人間にとって、「日本」という存在は圧倒的なもので、それをどう捉え向き合うのかは極めて大きな問題です。
巨大な存在に打ちのめされないよう自己を保つのは大変です。「好き」「嫌い」なんて言って済ませられるようなことじゃないんです。
捉えきれないほど巨大な存在である「日本」(他の国でも同じですが)を、「好き」「嫌い」と言える立場と思っていること自体が、むしろ自分を何様だと思っているのか、神様のつもりなのかと、私は不思議でなりません。
そのような言葉遣い自体が、「日本」を実は軽んじている証なのです。
だから、「反日」を濫用する人が大事に思っているのは実は「日本」ではないのです。他人に「反日」と投げつけることで自分たちがエライと思おうとしている、好きなのは自分だけなのです。
自分が好きなこと自体はむしろ大事ですから、どうか他の手段でそれを実現してほしいと思うばかりです。 >>400
それがどうかしたんですか?
僕の武術武道は高校レベルの理数の知識で解決する事ばかりだし必要無いです
ま、厳密に言えばそれも宇宙の物理法則ですけど 「反日」という言葉はとても便利です。この言葉を濫用する人は、敵味方で世界を単純化しがちなこと、
立場の異なる相手について考える想像力に欠けること、批判精神がなく事大主義に陥りやすいこと、つまり知的な誠実さをおよそ欠いていることが一目でわかるからです。
「反日」を濫用する人はしばしば、日本について批判をする人にその言葉を投げかけ、「日本人なら日本を好きなのは当然」などと言います。それが愚かなのは、
日本を心配してより良くしたいという苦言が存在することを想像できないということももちろんありますが、さらに根本的問題があると考えます。
それは、日本を「好き」「嫌い」という、ごく単純化した感情でしか、対象を捉えられていないということです。
「日本」という、空間的にも時間的にも複雑で多様な存在は、「好き」「嫌い」などという感情で簡単に把握できるような安直な対象ではありません。
「好き」「嫌い」で「日本」を語れ、それで「親日」「反日」に世界を分けられるという、あまりにも単純化した認識は、「日本」という対象をきわめて安直に扱い、その深みを考えていないことを意味します。
つまり、これほど「日本」を軽く扱ってバカにしたことはないのです。
ことに日本に生まれ育つという運命を負わされた人間にとって、「日本」という存在は圧倒的なもので、それをどう捉え向き合うのかは極めて大きな問題です。
巨大な存在に打ちのめされないよう自己を保つのは大変です。「好き」「嫌い」なんて言って済ませられるようなことじゃないんです。
捉えきれないほど巨大な存在である「日本」(他の国でも同じですが)を、「好き」「嫌い」と言える立場と思っていること自体が、むしろ自分を何様だと思っているのか、神様のつもりなのかと、私は不思議でなりません。
そのような言葉遣い自体が、「日本」を実は軽んじている証なのです。
だから、「反日」を濫用する人が大事に思っているのは実は「日本」ではないのです。他人に「反日」と投げつけることで自分たちがエライと思おうとしている、好きなのは自分だけなのです。
自分が好きなこと自体はむしろ大事ですから、どうか他の手段でそれを実現してほしいと思うばかりです。 能書きはいいから
大口叩いた責任をとって
かかってきなさい。 おまえ、こっちは一発も手をださないのに
一体何を恐れてるんだ? >>407
物理とか宇宙の法則に詳しいなら、373に対して「武術武道にはニュートン力学で十分だろ!アインシュタインとか持ち出すなよ」と突っ込んでくれると思ったんだけどな
まあ戯れだよ戯れ もしかして
オレが福島で
資材搬入した時
被曝したとか思ってんのか?
ありゃデマだから。 >>415
だから高校レベルの理数で良いんですよ、僕の武術武道は >>414
だって何か変な汁出てそうじゃないですか 触るのが嫌だったら袋竹刀で突いてきてもいいぞ。saruくん。 >>418おまえ緑色の汁がどうのこうのデマを流した犯人だろ? >>416
三浦さん、こんばんは。
私はあなたの武道、格闘技、武術の軌跡を後から追ってきたような経歴の持ち主です。
三浦さんのことを先輩として尊敬しています。
以前、王子駅近辺でサンフットの練習会を開くと書かれていたのを見たのですが
集合時間などが、よくわからないのですが、当日にメールなどのやり取りで教えてもらえるのですか?
いきなり王子駅の某ジムに押しかけるのも、すれ違いがあると困ります故。 マスターを知る前は中学レベルの知識で良いと思ってました
マスターを知ってから高校レベルまでは必要だと思い直しました 4月の公開練習は14日(土)夜9時王子駅前と15日(日)昼3時平塚球場です。 >>426
ワテは高校3年は理系クラスやったけど、物理はさっぱりで生物の逃げたくちだすわ。(笑) 某先生は徹底して力を使わないのを実感させてくれたのでね
それまで会った達人と言われる先生や有名な先生はそこまで実感させてくれ無かった >>427
なるほど。ありがとうございます。
予定が合えば参加させていただきます。 >>429
それ進学校の理系クラスなんじゃないですか?(笑)
偏差値50位の高校の物理で良いかなと(笑) >>433
>それ進学校の理系クラス
そないな進学校でも」ないけど、バイトばっかやってたしね。
ま、中学までのはしっかり要るかも。 中国に似てくる日本 中国研究所理事長 杉山文彦
主権在民考えない発言
日本人は中国嫌いだと世上言われている。
事実、内閣府の世論調査では、中国に「親しみを感じない」という回答がここ数年7,8割を占める。
しかし私には最近、日本は日に日に中国に似てくるように思える。
自民党若手議員の勉強会で「沖縄の二つの新聞はつぶさにゃあかん」と気勢が上がる。
「法的安定性は関係ない」との発言が首相補佐官の口から飛び出す。
こういった発言は、共産党が全てを指導し、自由も平等も、また法的公正も、
みな共産党の指導(都合)に沿う範囲でのみ認められるという中国の体制の下でこそふさわしい。
実際、中国では政府に批判的な新聞の編集者が辞めさせられたり、社会活動家や弁護士が法的根拠も不明確なままに拘束されたりする。
日本はどうか。
憲法は主権在民、基本的人権、表現の自由をうたっているから、前述の発言は国民としての基礎的教養を欠き、ルールを無視しているということになる。
ところが、くだんの言は、選挙で選ばれた議員やその周囲に集う者の言葉である。
こうなると国民のかなりの部分が、主権在民や人権尊重を理解せずに物事を判断し、憲法に基づくルールとは違った心情で生活していることになる。
どうしてこんなことになってしまったのか。
長らく教職にあった私としてはやはり教育の問題を考えざるを得ない。
子供が自我を形成し大人になってゆくことは、それまでなんとなく従っていた周囲の状況を自分の目でとらえ直して自分なりの社会のイメージを形成し、
それに働きかけるようになることである。
いや、人権だの自我だのと面倒なことを言わずとも「美しい日本」の伝統によれば良いと考える人も多いだろう。
しかし、それではうまくいかぬことは、第2次大戦の悲劇が示している。
それでもという「美しい日本」派の人は、ぜひとも自民党の「憲法改正草案」と「中華人民共和国憲法」を熟読していただきたい。
両者はよく似ている。
どちらも権力の暴走から国民を守るためではなく、権力によって国民を動員するためのものである点で基本的性格を共にしているからだ。 中国に似てくる日本 中国研究所理事長 杉山文彦
主権在民考えない発言
日本人は中国嫌いだと世上言われている。
事実、内閣府の世論調査では、中国に「親しみを感じない」という回答がここ数年7,8割を占める。
しかし私には最近、日本は日に日に中国に似てくるように思える。
自民党若手議員の勉強会で「沖縄の二つの新聞はつぶさにゃあかん」と気勢が上がる。
「法的安定性は関係ない」との発言が首相補佐官の口から飛び出す。
こういった発言は、共産党が全てを指導し、自由も平等も、また法的公正も、
みな共産党の指導(都合)に沿う範囲でのみ認められるという中国の体制の下でこそふさわしい。
実際、中国では政府に批判的な新聞の編集者が辞めさせられたり、社会活動家や弁護士が法的根拠も不明確なままに拘束されたりする。
日本はどうか。
憲法は主権在民、基本的人権、表現の自由をうたっているから、前述の発言は国民としての基礎的教養を欠き、ルールを無視しているということになる。
ところが、くだんの言は、選挙で選ばれた議員やその周囲に集う者の言葉である。
こうなると国民のかなりの部分が、主権在民や人権尊重を理解せずに物事を判断し、憲法に基づくルールとは違った心情で生活していることになる。
どうしてこんなことになってしまったのか。
長らく教職にあった私としてはやはり教育の問題を考えざるを得ない。
子供が自我を形成し大人になってゆくことは、それまでなんとなく従っていた周囲の状況を自分の目でとらえ直して自分なりの社会のイメージを形成し、
それに働きかけるようになることである。
いや、人権だの自我だのと面倒なことを言わずとも「美しい日本」の伝統によれば良いと考える人も多いだろう。
しかし、それではうまくいかぬことは、第2次大戦の悲劇が示している。
それでもという「美しい日本」派の人は、ぜひとも自民党の「憲法改正草案」と「中華人民共和国憲法」を熟読していただきたい。
両者はよく似ている。
どちらも権力の暴走から国民を守るためではなく、権力によって国民を動員するためのものである点で基本的性格を共にしているからだ。 >>431
まあホントは、聞かなくてもわかるけど宇城憲治のことでしょ?
相撲って強いかな?
でもなんでみんな立禅の勉強をしようとするのかな?
実際太気拳の先生達は今の格闘技の圧倒的なレベルや90年代に入って極真空手の高くなったレベルより
遥かに弱かった極真空手の人達と組手ができていただけでしょ? 本人達は五分五分だったと言ってるがちょっと負けている
ように見えるようなね...。
当時のレベルのままで現代に至ってもアマチュアの人達とは組手はできるわけだしね。
それで太気拳の勉強をする気によくなれるよね。
太気拳は格闘家を圧倒するという宣伝文句でしょ?
実際たぶん太気拳最強の>>310>>312>>314の島田先生でもUFCの100キロを超す巨大な格闘家にはビビっているみたいだしね。
でもタントウは悪いとは思ってないよ。
武道でも格闘技でも足の力は共通してるから、仮に呼吸力を会得できなかったとしても有効だと思う。
>>373
自然の法則ってあるのかな?地球と太陽の位置を偶然と見るのも無理があると思うし、一日24時間、
一年365日も規則正しすぎる。 後地軸の23,4度もこれじゃなければ海がひやがってしまうわけだしね。
厳密に言ったら自然の法則も、絶対的な法則もないと思いますよ。
物理の法則も変わる時もあると思う。例えばポールシフトとかで。 >>438
>宇城憲治のことでしょ?相撲って強いかな?
ソースは明かせないけど 素人に腕相撲で負けてるよ
実際はそんなもん 結局は宣伝と合気的フェイクも多い
>それで太気拳の勉強をする気によくなれるよね。
まあ宣伝文句はともかく 俺ら凡人じゃあ
必死に総合やったってUFCのヘビー級には一生勝てない
当時の極真だって全盛期で最強のバケモノ揃い
ライトスパーでも一般の拳法修行者がそこそこやれただけでも凄いし
オレは今は太氣やって無いけど 自分の人生で出来る範囲で太気で覚醒した
感覚を元に立禅と中拳続けるよ
そこそこ強くなるなら一生懸命やればどの流儀でも強くなれるし
オレは自分の好きな方法論で自己満足出来りゃそれでいい スパーリングと基礎体力筋トレと立禅と型 それで俺的には充分
現実に使えない技だと満足できないし困るけど別に選手になろうとか総合で勝とうとか思わないし 中国に似てくる日本 中国研究所理事長 杉山文彦
主権在民考えない発言
日本人は中国嫌いだと世上言われている。
事実、内閣府の世論調査では、中国に「親しみを感じない」という回答がここ数年7,8割を占める。
しかし私には最近、日本は日に日に中国に似てくるように思える。
自民党若手議員の勉強会で「沖縄の二つの新聞はつぶさにゃあかん」と気勢が上がる。
「法的安定性は関係ない」との発言が首相補佐官の口から飛び出す。
こういった発言は、共産党が全てを指導し、自由も平等も、また法的公正も、
みな共産党の指導(都合)に沿う範囲でのみ認められるという中国の体制の下でこそふさわしい。
実際、中国では政府に批判的な新聞の編集者が辞めさせられたり、社会活動家や弁護士が法的根拠も不明確なままに拘束されたりする。
日本はどうか。
憲法は主権在民、基本的人権、表現の自由をうたっているから、前述の発言は国民としての基礎的教養を欠き、ルールを無視しているということになる。
ところが、くだんの言は、選挙で選ばれた議員やその周囲に集う者の言葉である。
こうなると国民のかなりの部分が、主権在民や人権尊重を理解せずに物事を判断し、憲法に基づくルールとは違った心情で生活していることになる。
どうしてこんなことになってしまったのか。
長らく教職にあった私としてはやはり教育の問題を考えざるを得ない。
子供が自我を形成し大人になってゆくことは、それまでなんとなく従っていた周囲の状況を自分の目でとらえ直して自分なりの社会のイメージを形成し、
それに働きかけるようになることである。
いや、人権だの自我だのと面倒なことを言わずとも「美しい日本」の伝統によれば良いと考える人も多いだろう。
しかし、それではうまくいかぬことは、第2次大戦の悲劇が示している。
それでもという「美しい日本」派の人は、ぜひとも自民党の「憲法改正草案」と「中華人民共和国憲法」を熟読していただきたい。
両者はよく似ている。
どちらも権力の暴走から国民を守るためではなく、権力によって国民を動員するためのものである点で基本的性格を共にしているからだ。 中国に似てくる日本 中国研究所理事長 杉山文彦
主権在民考えない発言
日本人は中国嫌いだと世上言われている。
事実、内閣府の世論調査では、中国に「親しみを感じない」という回答がここ数年7,8割を占める。
しかし私には最近、日本は日に日に中国に似てくるように思える。
自民党若手議員の勉強会で「沖縄の二つの新聞はつぶさにゃあかん」と気勢が上がる。
「法的安定性は関係ない」との発言が首相補佐官の口から飛び出す。
こういった発言は、共産党が全てを指導し、自由も平等も、また法的公正も、
みな共産党の指導(都合)に沿う範囲でのみ認められるという中国の体制の下でこそふさわしい。
実際、中国では政府に批判的な新聞の編集者が辞めさせられたり、社会活動家や弁護士が法的根拠も不明確なままに拘束されたりする。
日本はどうか。
憲法は主権在民、基本的人権、表現の自由をうたっているから、前述の発言は国民としての基礎的教養を欠き、ルールを無視しているということになる。
ところが、くだんの言は、選挙で選ばれた議員やその周囲に集う者の言葉である。
こうなると国民のかなりの部分が、主権在民や人権尊重を理解せずに物事を判断し、憲法に基づくルールとは違った心情で生活していることになる。
どうしてこんなことになってしまったのか。
長らく教職にあった私としてはやはり教育の問題を考えざるを得ない。
子供が自我を形成し大人になってゆくことは、それまでなんとなく従っていた周囲の状況を自分の目でとらえ直して自分なりの社会のイメージを形成し、
それに働きかけるようになることである。
いや、人権だの自我だのと面倒なことを言わずとも「美しい日本」の伝統によれば良いと考える人も多いだろう。
しかし、それではうまくいかぬことは、第2次大戦の悲劇が示している。
それでもという「美しい日本」派の人は、ぜひとも自民党の「憲法改正草案」と「中華人民共和国憲法」を熟読していただきたい。
両者はよく似ている。
どちらも権力の暴走から国民を守るためではなく、権力によって国民を動員するためのものである点で基本的性格を共にしているからだ。 中国に似てくる日本 中国研究所理事長 杉山文彦
主権在民考えない発言
日本人は中国嫌いだと世上言われている。
事実、内閣府の世論調査では、中国に「親しみを感じない」という回答がここ数年7,8割を占める。
しかし私には最近、日本は日に日に中国に似てくるように思える。
自民党若手議員の勉強会で「沖縄の二つの新聞はつぶさにゃあかん」と気勢が上がる。
「法的安定性は関係ない」との発言が首相補佐官の口から飛び出す。
こういった発言は、共産党が全てを指導し、自由も平等も、また法的公正も、
みな共産党の指導(都合)に沿う範囲でのみ認められるという中国の体制の下でこそふさわしい。
実際、中国では政府に批判的な新聞の編集者が辞めさせられたり、社会活動家や弁護士が法的根拠も不明確なままに拘束されたりする。
日本はどうか。
憲法は主権在民、基本的人権、表現の自由をうたっているから、前述の発言は国民としての基礎的教養を欠き、ルールを無視しているということになる。
ところが、くだんの言は、選挙で選ばれた議員やその周囲に集う者の言葉である。
こうなると国民のかなりの部分が、主権在民や人権尊重を理解せずに物事を判断し、憲法に基づくルールとは違った心情で生活していることになる。
どうしてこんなことになってしまったのか。
長らく教職にあった私としてはやはり教育の問題を考えざるを得ない。
子供が自我を形成し大人になってゆくことは、それまでなんとなく従っていた周囲の状況を自分の目でとらえ直して自分なりの社会のイメージを形成し、
それに働きかけるようになることである。
いや、人権だの自我だのと面倒なことを言わずとも「美しい日本」の伝統によれば良いと考える人も多いだろう。
しかし、それではうまくいかぬことは、第2次大戦の悲劇が示している。
それでもという「美しい日本」派の人は、ぜひとも自民党の「憲法改正草案」と「中華人民共和国憲法」を熟読していただきたい。
両者はよく似ている。
どちらも権力の暴走から国民を守るためではなく、権力によって国民を動員するためのものである点で基本的性格を共にしているからだ。 来月もマッチョマンが来たら、「空中腕相撲」でもやるか・・・ 「反日」という言葉はとても便利です。この言葉を濫用する人は、敵味方で世界を単純化しがちなこと、
立場の異なる相手について考える想像力に欠けること、批判精神がなく事大主義に陥りやすいこと、つまり知的な誠実さをおよそ欠いていることが一目でわかるからです。
「反日」を濫用する人はしばしば、日本について批判をする人にその言葉を投げかけ、「日本人なら日本を好きなのは当然」などと言います。それが愚かなのは、
日本を心配してより良くしたいという苦言が存在することを想像できないということももちろんありますが、さらに根本的問題があると考えます。
それは、日本を「好き」「嫌い」という、ごく単純化した感情でしか、対象を捉えられていないということです。
「日本」という、空間的にも時間的にも複雑で多様な存在は、「好き」「嫌い」などという感情で簡単に把握できるような安直な対象ではありません。
「好き」「嫌い」で「日本」を語れ、それで「親日」「反日」に世界を分けられるという、あまりにも単純化した認識は、「日本」という対象をきわめて安直に扱い、その深みを考えていないことを意味します。
つまり、これほど「日本」を軽く扱ってバカにしたことはないのです。
ことに日本に生まれ育つという運命を負わされた人間にとって、「日本」という存在は圧倒的なもので、それをどう捉え向き合うのかは極めて大きな問題です。
巨大な存在に打ちのめされないよう自己を保つのは大変です。「好き」「嫌い」なんて言って済ませられるようなことじゃないんです。
捉えきれないほど巨大な存在である「日本」(他の国でも同じですが)を、「好き」「嫌い」と言える立場と思っていること自体が、むしろ自分を何様だと思っているのか、神様のつもりなのかと、私は不思議でなりません。
そのような言葉遣い自体が、「日本」を実は軽んじている証なのです。
だから、「反日」を濫用する人が大事に思っているのは実は「日本」ではないのです。他人に「反日」と投げつけることで自分たちがエライと思おうとしている、好きなのは自分だけなのです。
自分が好きなこと自体はむしろ大事ですから、どうか他の手段でそれを実現してほしいと思うばかりです。 >>444
太気拳時代は、一般的な打撃格闘技式の技術で組手をこなされていたのですか? >>447
そうですよ
キックボクシング、空手的な組手でした サルの太気拳の師匠がそもそも空手上がりとかなんじゃ無い?
極真で立禅とか自己流でやってた人はほとんど身についてないし 彼は何も身につけられず恨み節たれてるだけだから、相手する必要もないでしょう。大体は本人の問題だけどね。どこにでもいるんだよね。
そもそも太気やってないか、やってないに等しいでしょう。太気経験者の語る単語や文章じゃないもん。武道、格闘技経験も怪しい。
お気の毒でしたなあ、新しい師匠見つけてよかったね。それだけですかね。 マスターは優しいから
しばらくはsaruは気持ちよく浸れるよ しかし僕の発言が恨み節に見えるんですかねえ
無い所を目指しても何も無い、だからそれは身に付かないと言ってるんですが 別に良いじゃないですか、人それぞれ考えがあって
ただ僕の考えとして超然的な力、摩訶不思議な力、神秘的な力、そう言う物は否定しますよと >>452
マスターの指導を受けてるんだったらそれで素晴らしいじゃないか?他人のこと気にしなくてもよろしい 超然的な力、摩訶不思議な力、神秘的な力、 そんなものは立禅にはないよ
全部物理的に説明つく実感ある効果しかないよ
元々何を求めてたのかなあ?
そして太氣に何もないと言い放ちながら何に未練がましく太氣のスレにしがみついてるのか >>457
>>元々何を求めてたのかなあ?
拳法の組手がしたかったんですけど立禅しないとやらせて貰えなかったので
そして言われた通りにやらないと道場に通う意味は何も無いですからね
>>太氣に何もないと言い放ちながら何に未練がましく太氣のスレにしがみついてるのか
やっていた拳法のスレなので書き込みやすいと思ったからです 実際に拳法の理屈で撃ち合えば何かわかるんじゃないのかと思っていました
だけど僕自身は武術・武道の基本原理は武器にあると思っていたのでそこから外れていくと自分の中で齟齬が生じてしまうわけです
そして先生、指導者の方にも質問してみましたが拳法と武器は別物とおっしゃってました
ならばもう通う必要はないですよね >>458
スパーなら島田先生のところにでも行けば
良かったかもね そしたらガンガンやらせて
貰えただろうに
それに君にとってここにいる事が意味がない事は
だいぶ前に結論出てるだろうし君も納得したでしょ
価値観が違う物が交わっても益が無いと
なのに何故しがみつく? まだ立禅に求めてるものでもあるの?
自分がうまくいかなかったから修行してる人を否定することで
自分のダメな過去を肯定したいとしか思えんよ >>460
個人的な意見として立禅に時間を費やすよりもっと他の練習に当てた方が良いと言いたいです >>461
勿論立禅だけでは強くなれない
人それぞれだと思うよ 意拳の先生など
站椿功毎日3時間やれって言ってるし
まず理解できなかった人が言うセリフでは無いし
効果があって言うならまだしも説得力なさ過ぎ
このスレにこうまでしがみつく理由にもなってない
>>459
そもそも意拳は武器術の時代が終わった
って前提で整理された 拳法及び身体能力開発
オンリー武術だし
そこを知らないで4年もやってたのは
正直思慮が足りないとしか・・・
それでやりたくもない立禅やってたらそりゃ
何も見えぬよ >>439
腕相撲で力じゃなくコツでしてる人案外いるよね。 素人は知らないけど外人のアメリカだったか?女の強い人も宇城憲治さんみたいなやり方と同じ感じに見えたしね。
自分だけと思って負けたのかな?
全く知りあいじゃないけど化け物って松井さんや八巻さんのことだと勝手に思っているけど、(それとも大山茂さん?達世代)極真は当時よりフィリオ達の90年代後半の方が遥かに強くないかな?
それに武道って先生達に対してはプロ格闘家より強い人を求めて習うものだと思うけど?
定義はないけど、そういうものだと思ってた。 >>站椿功毎日3時間
僕からすれば時間の無駄ですね
>>効果があって言うならまだしも説得力なさ過ぎ
今度効果があったと言う人と一緒に稽古して検証してみますよ saruはん、せいぜい頑張って、中拳界でのワテの評判をさらに落としておくんなはれ。
マジ合わんのだすわ。中拳の人らとは。 >>461
それは自分に言ってるわけだよね。
自分の教訓にしなよ。それでいいでしょ。
君は立禅にも太気にも無関係 >>462
>>身体能力開発オンリー武術
そこが身に付かなかった最大の理由と思いますよ
武術に身体能力なんて求めてませんから
そんなの求めるなら普通にスポーツしますよ 立派な指導者についたんだから、それでいいじゃない。楽しんでください saruはんが太気以外の楽しみみつけたとしても、このスレで楽しんでもええわけだすよね。 >>469
なんと表現すればよかったですかねw
いい先生ですよね >>471
> いい先生ですよね
あんさん、ワテの知り合いだすのんかあ?
5ちゃんでヘタレ名無しで書くような知り合いなんかおらへんと思うてたんだすけども。 ワテもしばらくこのスレで楽しませてもらいまひょかな。(笑) >>473
要りまへんな。
ファンやめてもらいまひょか。 中国に似てくる日本 中国研究所理事長 杉山文彦
主権在民考えない発言
日本人は中国嫌いだと世上言われている。
事実、内閣府の世論調査では、中国に「親しみを感じない」という回答がここ数年7,8割を占める。
しかし私には最近、日本は日に日に中国に似てくるように思える。
自民党若手議員の勉強会で「沖縄の二つの新聞はつぶさにゃあかん」と気勢が上がる。
「法的安定性は関係ない」との発言が首相補佐官の口から飛び出す。
こういった発言は、共産党が全てを指導し、自由も平等も、また法的公正も、
みな共産党の指導(都合)に沿う範囲でのみ認められるという中国の体制の下でこそふさわしい。
実際、中国では政府に批判的な新聞の編集者が辞めさせられたり、社会活動家や弁護士が法的根拠も不明確なままに拘束されたりする。
日本はどうか。
憲法は主権在民、基本的人権、表現の自由をうたっているから、前述の発言は国民としての基礎的教養を欠き、ルールを無視しているということになる。
ところが、くだんの言は、選挙で選ばれた議員やその周囲に集う者の言葉である。
こうなると国民のかなりの部分が、主権在民や人権尊重を理解せずに物事を判断し、憲法に基づくルールとは違った心情で生活していることになる。
どうしてこんなことになってしまったのか。
長らく教職にあった私としてはやはり教育の問題を考えざるを得ない。
子供が自我を形成し大人になってゆくことは、それまでなんとなく従っていた周囲の状況を自分の目でとらえ直して自分なりの社会のイメージを形成し、
それに働きかけるようになることである。
いや、人権だの自我だのと面倒なことを言わずとも「美しい日本」の伝統によれば良いと考える人も多いだろう。
しかし、それではうまくいかぬことは、第2次大戦の悲劇が示している。
それでもという「美しい日本」派の人は、ぜひとも自民党の「憲法改正草案」と「中華人民共和国憲法」を熟読していただきたい。
両者はよく似ている。
どちらも権力の暴走から国民を守るためではなく、権力によって国民を動員するためのものである点で基本的性格を共にしているからだ。 中国に似てくる日本 中国研究所理事長 杉山文彦
主権在民考えない発言
日本人は中国嫌いだと世上言われている。
事実、内閣府の世論調査では、中国に「親しみを感じない」という回答がここ数年7,8割を占める。
しかし私には最近、日本は日に日に中国に似てくるように思える。
自民党若手議員の勉強会で「沖縄の二つの新聞はつぶさにゃあかん」と気勢が上がる。
「法的安定性は関係ない」との発言が首相補佐官の口から飛び出す。
こういった発言は、共産党が全てを指導し、自由も平等も、また法的公正も、
みな共産党の指導(都合)に沿う範囲でのみ認められるという中国の体制の下でこそふさわしい。
実際、中国では政府に批判的な新聞の編集者が辞めさせられたり、社会活動家や弁護士が法的根拠も不明確なままに拘束されたりする。
日本はどうか。
憲法は主権在民、基本的人権、表現の自由をうたっているから、前述の発言は国民としての基礎的教養を欠き、ルールを無視しているということになる。
ところが、くだんの言は、選挙で選ばれた議員やその周囲に集う者の言葉である。
こうなると国民のかなりの部分が、主権在民や人権尊重を理解せずに物事を判断し、憲法に基づくルールとは違った心情で生活していることになる。
どうしてこんなことになってしまったのか。
長らく教職にあった私としてはやはり教育の問題を考えざるを得ない。
子供が自我を形成し大人になってゆくことは、それまでなんとなく従っていた周囲の状況を自分の目でとらえ直して自分なりの社会のイメージを形成し、
それに働きかけるようになることである。
いや、人権だの自我だのと面倒なことを言わずとも「美しい日本」の伝統によれば良いと考える人も多いだろう。
しかし、それではうまくいかぬことは、第2次大戦の悲劇が示している。
それでもという「美しい日本」派の人は、ぜひとも自民党の「憲法改正草案」と「中華人民共和国憲法」を熟読していただきたい。
両者はよく似ている。
どちらも権力の暴走から国民を守るためではなく、権力によって国民を動員するためのものである点で基本的性格を共にしているからだ。 中国に似てくる日本 中国研究所理事長 杉山文彦
主権在民考えない発言
日本人は中国嫌いだと世上言われている。
事実、内閣府の世論調査では、中国に「親しみを感じない」という回答がここ数年7,8割を占める。
しかし私には最近、日本は日に日に中国に似てくるように思える。
自民党若手議員の勉強会で「沖縄の二つの新聞はつぶさにゃあかん」と気勢が上がる。
「法的安定性は関係ない」との発言が首相補佐官の口から飛び出す。
こういった発言は、共産党が全てを指導し、自由も平等も、また法的公正も、
みな共産党の指導(都合)に沿う範囲でのみ認められるという中国の体制の下でこそふさわしい。
実際、中国では政府に批判的な新聞の編集者が辞めさせられたり、社会活動家や弁護士が法的根拠も不明確なままに拘束されたりする。
日本はどうか。
憲法は主権在民、基本的人権、表現の自由をうたっているから、前述の発言は国民としての基礎的教養を欠き、ルールを無視しているということになる。
ところが、くだんの言は、選挙で選ばれた議員やその周囲に集う者の言葉である。
こうなると国民のかなりの部分が、主権在民や人権尊重を理解せずに物事を判断し、憲法に基づくルールとは違った心情で生活していることになる。
どうしてこんなことになってしまったのか。
長らく教職にあった私としてはやはり教育の問題を考えざるを得ない。
子供が自我を形成し大人になってゆくことは、それまでなんとなく従っていた周囲の状況を自分の目でとらえ直して自分なりの社会のイメージを形成し、
それに働きかけるようになることである。
いや、人権だの自我だのと面倒なことを言わずとも「美しい日本」の伝統によれば良いと考える人も多いだろう。
しかし、それではうまくいかぬことは、第2次大戦の悲劇が示している。
それでもという「美しい日本」派の人は、ぜひとも自民党の「憲法改正草案」と「中華人民共和国憲法」を熟読していただきたい。
両者はよく似ている。
どちらも権力の暴走から国民を守るためではなく、権力によって国民を動員するためのものである点で基本的性格を共にしているからだ。 >>476
食うたことも無いお菓子を美味いというような阿呆に褒められるんは、「褒め殺し」だすからなあ。 >>立禅の効果
>>人間の持つ本能を呼び覚まし動物的な反応や動きが可能になる。
wikiからの引用ですけど動物的な動きはともかく、本能を呼び覚ましたりまたそのような反応したらマズイんじゃないですか?武術的に 動物の本能や習性を利用して仕掛けるのが「罠」だすからな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています