【太気拳】なんでも相談室 part3【意拳】
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part1で出た結論。
組手をしない会派は駄目。
どんな理屈を捏ね繰り回しても、
所詮は張子の虎。
駄目! 絶対!
新たに太気 意拳でどんな効果が出て 他武道や組手にどう応用できたかの体験談
や考察も語りましょう >>剣、特に両手剣をやると立禅の特別性みたいなのがなくなってしまうから
つまり太気拳側の商売の為のポジショントークですかね >>169
ポジショントークもあるし、剣をやらせないほうが立禅の真意に気づくのが遅れるからかも。 >>剣をやらせないほうが立禅の真意に気づくのが遅れる
成程、それなら太気拳が僕に合わないし身につかなかったわけだ 僕の武術の思想は太気拳をやるずっと前から剣の理、槍の理、武器の理ですからそこから外れた事を教えられても身に付くわけが無いんですよ
寧ろ身に付いたら弊害になります 普通に剣や肉体労働の感覚があれば腹に落とすなんて表現するわけがないんですよ
一般的な日本語感覚があれば腹で支える、腹で受け止める辺りの表現になるんじゃないでしょうか >>
普通に剣や肉体労働の感覚があれば腹に落とすなんて表現するわけがないんで
一般的な日本語感覚があれば腹で支える、腹で受け止める辺りの表現になるんじゃないでしょうか
いや、腹に落とすのは呼吸で(感覚の話)ようは腹膜が張った状態にしてその状態で受け止めるつてことだよ。 >>167
澤井先生がやってたのは剣道であって、剣術とか居合いではないから
剣道なんかいい歳した大人に教えるもんではないし、特にこれと言って伝承もしなかった。
人を斬り慣れてるってだけで、居合いはそんなに上手ではないよ。
そもそも太気拳に剣なんて存在しなかったというのが答えかな。
太気拳って本来は棍をやるもんなんだけど、そっちを捨てたことのほうが問題かな。 >>腹に落とすのは呼吸で(感覚の話)
これはあなた独自の表現で意味がわかりませんが
>>腹膜が張った状態にしてその状態で受け止める
それなら一般的な日本の言語で表現するなら腹で受け止めるって言いますよね 太気拳って結構剣道が入ってない?
自分はやってみてそう感じたけど >>176
武器の理ってのが俺は何なのか知らないけど
鍛錬ってか身体の使い方として木刀や棒を使うくらいだな。
そもそも太気拳は元から武器要素ほぼ無いしな。
君は意拳や形意拳やったとしてもたぶん同じだったと思うよ。合気道も恐らくは・・・
つーか、武術なんて身体の使い方どれも殆ど一緒だし何でもいいと思うけど。 >>179
ちなみに太気拳以前に形意拳をやっていましたがその思想は大いに役に立ちました
合気道にも通じる物がありました そもそも合気道は思想、当たり前の事をやる道なので僕にも出来るのですよ
>>立禅の特別性みたいなの
太気拳は特別性、スーパーパワーみたいな物を目指してるみたいなので出来なくても良いし身に付かなくても良いんですよ 植芝盛平はこう言っています
合気道は気育、智育、徳育、常識の涵養
なので特別な事では無く当たり前の常識を当たり前に行う道なので僕でも出来ると確信してます
特殊な事、特別な事はする必要ないですから >>177
特別な筋力?
肉体労働をやっていたなら
重いものを持ち上げる時に身体を真っ直ぐにして腰をおとして腹に力をいれるとかやっていたと思うけど。
剣を振る時に腹に落とすというのはそのブログでも何回も書かれてるよ。
という文の話か。
俺は剣をふるときに(呼吸を)腹に落とすという意味で使ったんだけど、確かに主語が抜けていた。
確かに俺はしゃべりが上手でないんでね。
そこはご容赦 >>183
>>腹に落とす
ですからこの文があるページを持ってきてください
で、あなた柔術の知念ってコテハンじゃないですか?似てる気がするんですけど >>178
まあ、入ってはいるね。
>>180
立禅すら分からんのに、もっと高度なタントウコウが出来るわけないだろ。 >>185
三体式から槍の使い方を教えて貰いましたけど
それは納得出来る物でしたし >>184
やはり日本語の言い方にこだわりがあるようだな。
他人はあなたと話すといちゃもんをつけられてると感じるかもしれないな。
だから人とあまりうまく人間関係がつくれないんでないかな? >>186
三体式なんて、太気拳の半禅みたいなもんだろ。
まあ理論を聞けば理解くらいは出来るのかもしれないけど
まず土台の部分が全然出来てないのに、槍なんて持って何がしたいんだろうと俺は思うね。 >>188
>>まず土台の部分が全然出来てないのに、槍なんて持って何がしたい
初心者、下手糞程武器から入った方が良いと思いますけどね
ま、価値観思想の違いって事で 合気道にはタントウコウとかサンチン、型はないけど
どんな武術でも最終的にやることはそれほど変わらんからな。
登山ルートは違っても、頂上はひとつしかないのと同じだ。 >>190
>>で、あなた柔術の知念ってコテハンじゃないですか?
これ否定しないんですか? >>192
それなら以前僕にメールした来た人ですか? 中国に似てくる日本 中国研究所理事長 杉山文彦
主権在民考えない発言
日本人は中国嫌いだと世上言われている。
事実、内閣府の世論調査では、中国に「親しみを感じない」という回答がここ数年7,8割を占める。
しかし私には最近、日本は日に日に中国に似てくるように思える。
自民党若手議員の勉強会で「沖縄の二つの新聞はつぶさにゃあかん」と気勢が上がる。
「法的安定性は関係ない」との発言が首相補佐官の口から飛び出す。
こういった発言は、共産党が全てを指導し、自由も平等も、また法的公正も、
みな共産党の指導(都合)に沿う範囲でのみ認められるという中国の体制の下でこそふさわしい。
実際、中国では政府に批判的な新聞の編集者が辞めさせられたり、社会活動家や弁護士が法的根拠も不明確なままに拘束されたりする。
日本はどうか。
憲法は主権在民、基本的人権、表現の自由をうたっているから、前述の発言は国民としての基礎的教養を欠き、ルールを無視しているということになる。
ところが、くだんの言は、選挙で選ばれた議員やその周囲に集う者の言葉である。
こうなると国民のかなりの部分が、主権在民や人権尊重を理解せずに物事を判断し、憲法に基づくルールとは違った心情で生活していることになる。
どうしてこんなことになってしまったのか。
長らく教職にあった私としてはやはり教育の問題を考えざるを得ない。
子供が自我を形成し大人になってゆくことは、それまでなんとなく従っていた周囲の状況を自分の目でとらえ直して自分なりの社会のイメージを形成し、
それに働きかけるようになることである。
いや、人権だの自我だのと面倒なことを言わずとも「美しい日本」の伝統によれば良いと考える人も多いだろう。
しかし、それではうまくいかぬことは、第2次大戦の悲劇が示している。
それでもという「美しい日本」派の人は、ぜひとも自民党の「憲法改正草案」と「中華人民共和国憲法」を熟読していただきたい。
両者はよく似ている。
どちらも権力の暴走から国民を守るためではなく、権力によって国民を動員するためのものである点で基本的性格を共にしているからだ。 柔術の知念さんは何故嘘ついてまで俺に関ろうとするんですか?
価値観の違う人間が関わり合ってもロクな事にならないってマスターは言ってましたけど と言うわけで価値観の合う人たちと稽古に行ってまいります
それでは >>196
人とうまく人間関係が作れないというのは否定せんのかな。 >>198
この自分と価値観が合わない人、合わせない人とは人間関係が作れなくてもしょうがないです
それも物理法則みたいなもんですからね >価値観の合う人たち
そんなのが実在するのか
相当痛い連中だな そもそも太気が理解出来ないのに価値観のちがう太気修業者のたまり場にわざわざくる不思議 >>201
剣道部とかでいじめられた人が剣道嫌いになって剣道やってる人に喧嘩売るようになるもんでない? 「反日」という言葉はとても便利です。この言葉を濫用する人は、敵味方で世界を単純化しがちなこと、
立場の異なる相手について考える想像力に欠けること、批判精神がなく事大主義に陥りやすいこと、つまり知的な誠実さをおよそ欠いていることが一目でわかるからです。
「反日」を濫用する人はしばしば、日本について批判をする人にその言葉を投げかけ、「日本人なら日本を好きなのは当然」などと言います。それが愚かなのは、
日本を心配してより良くしたいという苦言が存在することを想像できないということももちろんありますが、さらに根本的問題があると考えます。
それは、日本を「好き」「嫌い」という、ごく単純化した感情でしか、対象を捉えられていないということです。
「日本」という、空間的にも時間的にも複雑で多様な存在は、「好き」「嫌い」などという感情で簡単に把握できるような安直な対象ではありません。
「好き」「嫌い」で「日本」を語れ、それで「親日」「反日」に世界を分けられるという、あまりにも単純化した認識は、「日本」という対象をきわめて安直に扱い、その深みを考えていないことを意味します。
つまり、これほど「日本」を軽く扱ってバカにしたことはないのです。
ことに日本に生まれ育つという運命を負わされた人間にとって、「日本」という存在は圧倒的なもので、それをどう捉え向き合うのかは極めて大きな問題です。
巨大な存在に打ちのめされないよう自己を保つのは大変です。「好き」「嫌い」なんて言って済ませられるようなことじゃないんです。
捉えきれないほど巨大な存在である「日本」(他の国でも同じですが)を、「好き」「嫌い」と言える立場と思っていること自体が、むしろ自分を何様だと思っているのか、神様のつもりなのかと、私は不思議でなりません。
そのような言葉遣い自体が、「日本」を実は軽んじている証なのです。
だから、「反日」を濫用する人が大事に思っているのは実は「日本」ではないのです。他人に「反日」と投げつけることで自分たちがエライと思おうとしている、好きなのは自分だけなのです。
自分が好きなこと自体はむしろ大事ですから、どうか他の手段でそれを実現してほしいと思うばかりです。 >>196
違うって言ってるやつに証拠もなく決め付けw 詐欺師は周りの人が全員自分と同じ様に他人を騙すと思い込むそうだが 猿もそれかな あなた達にはあなた達の考えや思想があり僕には僕の考えや思想がある
それで良いんじゃないですかね わたしと小鳥とすずと
わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。
わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんのうたは知らないよ。
すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。 価値観の違う人と交わった方が面白いよ もちろん同じ価値観の人とも。 >>200
太気拳だって世間一般からすれば価値観の合う人間が少なくてマイナーでしょうに(笑) 「反日」という言葉はとても便利です。この言葉を濫用する人は、敵味方で世界を単純化しがちなこと、
立場の異なる相手について考える想像力に欠けること、批判精神がなく事大主義に陥りやすいこと、つまり知的な誠実さをおよそ欠いていることが一目でわかるからです。
「反日」を濫用する人はしばしば、日本について批判をする人にその言葉を投げかけ、「日本人なら日本を好きなのは当然」などと言います。それが愚かなのは、
日本を心配してより良くしたいという苦言が存在することを想像できないということももちろんありますが、さらに根本的問題があると考えます。
それは、日本を「好き」「嫌い」という、ごく単純化した感情でしか、対象を捉えられていないということです。
「日本」という、空間的にも時間的にも複雑で多様な存在は、「好き」「嫌い」などという感情で簡単に把握できるような安直な対象ではありません。
「好き」「嫌い」で「日本」を語れ、それで「親日」「反日」に世界を分けられるという、あまりにも単純化した認識は、「日本」という対象をきわめて安直に扱い、その深みを考えていないことを意味します。
つまり、これほど「日本」を軽く扱ってバカにしたことはないのです。
ことに日本に生まれ育つという運命を負わされた人間にとって、「日本」という存在は圧倒的なもので、それをどう捉え向き合うのかは極めて大きな問題です。
巨大な存在に打ちのめされないよう自己を保つのは大変です。「好き」「嫌い」なんて言って済ませられるようなことじゃないんです。
捉えきれないほど巨大な存在である「日本」(他の国でも同じですが)を、「好き」「嫌い」と言える立場と思っていること自体が、むしろ自分を何様だと思っているのか、神様のつもりなのかと、私は不思議でなりません。
そのような言葉遣い自体が、「日本」を実は軽んじている証なのです。
だから、「反日」を濫用する人が大事に思っているのは実は「日本」ではないのです。他人に「反日」と投げつけることで自分たちがエライと思おうとしている、好きなのは自分だけなのです。
自分が好きなこと自体はむしろ大事ですから、どうか他の手段でそれを実現してほしいと思うばかりです。 武術ってのは名無しはクズとか言っておいて自分は名無しで書くわけですね
おまけに違うとか嘘までつくと
ま、そのダブルスタンダードは武術的でよろしいんじゃないでしょうか もう関わり合うのは止しましょうよ
関わりたいのなら価値観が同じとなった時また関れば良いかと オマエが太氣修行者のたまり場に来て難癖つけてるんだろうが
太氣わからなかったら来なきゃいいだけだろ 【研究】IQが低い子どもは、大人になるとネトウヨになって人種差別やヘイトスピーチへ向かう
daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1442724728/
■IQの低い子どもは、偏見を持つ大人になる可能性が高い
いうまでもなく人種差別だけではなく宗教、性的指向、性別、
思想、障害、職業などにあらゆる差別的な発言や行動はどの国でもあることで、
それぞれの国の事情は大きく違うため、"国際標準"を語ることは不可能に近い。
しかし、こうした行動に対する「不快感」はこれまたどの国にも存在する。
そうした感情と深く関わる研究もある。
オンタリオのブロック大学の心理学者であるGordon Hodsonを研究リーダーとするチームの研究によると、
知能(IQ)の低い子供は、偏見を持つ大人になる可能性が高いことがわかった。
また、知能の低い大人は、社会的に保守的な価値観に引き寄せられる傾向があり、
そのような価値観は、今度はヒエラルキーストレスや変化への抵抗心を生み、偏見を持つ一因となるという。
Hodsonは 2012年1月26日『Live Science』に寄稿し、
「偏見とは極めて複雑で、多面的なものです。だから先入観をもたらすのが何なのかを明らかにし、
理解することが非常に重要なのです」
偏見が他の政治的信念ではなく、右翼的な考えを持つ人に多く見られるということは、
世論調査と社会学、政治学の研究で示されることがしばしばあるが、知能との関連性に及ぶ研究は珍しい。 >>208
違う意見の衝突が5chの醍醐味だよね。 >>104
本当?
wakuwakusurune1202@yahoo.co.jp
教えてください。 >>220
おう太気拳を学んだ各種武道の強さ見せたれや 【研究】IQが低い子どもは、大人になるとネトウヨになって人種差別やヘイトスピーチへ向かう
daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1442724728/
■IQの低い子どもは、偏見を持つ大人になる可能性が高い
いうまでもなく人種差別だけではなく宗教、性的指向、性別、
思想、障害、職業などにあらゆる差別的な発言や行動はどの国でもあることで、
それぞれの国の事情は大きく違うため、"国際標準"を語ることは不可能に近い。
しかし、こうした行動に対する「不快感」はこれまたどの国にも存在する。
そうした感情と深く関わる研究もある。
オンタリオのブロック大学の心理学者であるGordon Hodsonを研究リーダーとするチームの研究によると、
知能(IQ)の低い子供は、偏見を持つ大人になる可能性が高いことがわかった。
また、知能の低い大人は、社会的に保守的な価値観に引き寄せられる傾向があり、
そのような価値観は、今度はヒエラルキーストレスや変化への抵抗心を生み、偏見を持つ一因となるという。
Hodsonは 2012年1月26日『Live Science』に寄稿し、
「偏見とは極めて複雑で、多面的なものです。だから先入観をもたらすのが何なのかを明らかにし、
理解することが非常に重要なのです」
偏見が他の政治的信念ではなく、右翼的な考えを持つ人に多く見られるということは、
世論調査と社会学、政治学の研究で示されることがしばしばあるが、知能との関連性に及ぶ研究は珍しい。 >>225
この人は一体何を血迷ったのか?
太極拳を名乗る王樹金も実際は八卦掌だし、田金龍も実際は別の武術
トレーニングが、太極拳なだけ。 「反日」という言葉はとても便利です。この言葉を濫用する人は、敵味方で世界を単純化しがちなこと、
立場の異なる相手について考える想像力に欠けること、批判精神がなく事大主義に陥りやすいこと、つまり知的な誠実さをおよそ欠いていることが一目でわかるからです。
「反日」を濫用する人はしばしば、日本について批判をする人にその言葉を投げかけ、「日本人なら日本を好きなのは当然」などと言います。それが愚かなのは、
日本を心配してより良くしたいという苦言が存在することを想像できないということももちろんありますが、さらに根本的問題があると考えます。
それは、日本を「好き」「嫌い」という、ごく単純化した感情でしか、対象を捉えられていないということです。
「日本」という、空間的にも時間的にも複雑で多様な存在は、「好き」「嫌い」などという感情で簡単に把握できるような安直な対象ではありません。
「好き」「嫌い」で「日本」を語れ、それで「親日」「反日」に世界を分けられるという、あまりにも単純化した認識は、「日本」という対象をきわめて安直に扱い、その深みを考えていないことを意味します。
つまり、これほど「日本」を軽く扱ってバカにしたことはないのです。
ことに日本に生まれ育つという運命を負わされた人間にとって、「日本」という存在は圧倒的なもので、それをどう捉え向き合うのかは極めて大きな問題です。
巨大な存在に打ちのめされないよう自己を保つのは大変です。「好き」「嫌い」なんて言って済ませられるようなことじゃないんです。
捉えきれないほど巨大な存在である「日本」(他の国でも同じですが)を、「好き」「嫌い」と言える立場と思っていること自体が、むしろ自分を何様だと思っているのか、神様のつもりなのかと、私は不思議でなりません。
そのような言葉遣い自体が、「日本」を実は軽んじている証なのです。
だから、「反日」を濫用する人が大事に思っているのは実は「日本」ではないのです。他人に「反日」と投げつけることで自分たちがエライと思おうとしている、好きなのは自分だけなのです。
自分が好きなこと自体はむしろ大事ですから、どうか他の手段でそれを実現してほしいと思うばかりです。 田金龍は楊式太極拳を教授してるけど蹴りを投げてあしらう散手は意拳まるだし。 田金龍氏の動きを今ちょっと見たけど 組んで引きずり込むか飛ばすかのワンパターン
だね でも確実にそれが出来るのがスゴイ
あと ちょっとだけ現代打撃格闘技やってるように見える蹴りだった(上手くは無い)
少なくとも散打対応かスパー慣れしてる 中国に似てくる日本 中国研究所理事長 杉山文彦
主権在民考えない発言
日本人は中国嫌いだと世上言われている。
事実、内閣府の世論調査では、中国に「親しみを感じない」という回答がここ数年7,8割を占める。
しかし私には最近、日本は日に日に中国に似てくるように思える。
自民党若手議員の勉強会で「沖縄の二つの新聞はつぶさにゃあかん」と気勢が上がる。
「法的安定性は関係ない」との発言が首相補佐官の口から飛び出す。
こういった発言は、共産党が全てを指導し、自由も平等も、また法的公正も、
みな共産党の指導(都合)に沿う範囲でのみ認められるという中国の体制の下でこそふさわしい。
実際、中国では政府に批判的な新聞の編集者が辞めさせられたり、社会活動家や弁護士が法的根拠も不明確なままに拘束されたりする。
日本はどうか。
憲法は主権在民、基本的人権、表現の自由をうたっているから、前述の発言は国民としての基礎的教養を欠き、ルールを無視しているということになる。
ところが、くだんの言は、選挙で選ばれた議員やその周囲に集う者の言葉である。
こうなると国民のかなりの部分が、主権在民や人権尊重を理解せずに物事を判断し、憲法に基づくルールとは違った心情で生活していることになる。
どうしてこんなことになってしまったのか。
長らく教職にあった私としてはやはり教育の問題を考えざるを得ない。
子供が自我を形成し大人になってゆくことは、それまでなんとなく従っていた周囲の状況を自分の目でとらえ直して自分なりの社会のイメージを形成し、
それに働きかけるようになることである。
いや、人権だの自我だのと面倒なことを言わずとも「美しい日本」の伝統によれば良いと考える人も多いだろう。
しかし、それではうまくいかぬことは、第2次大戦の悲劇が示している。
それでもという「美しい日本」派の人は、ぜひとも自民党の「憲法改正草案」と「中華人民共和国憲法」を熟読していただきたい。
両者はよく似ている。
どちらも権力の暴走から国民を守るためではなく、権力によって国民を動員するためのものである点で基本的性格を共にしているからだ。 日本の右派論壇ってのは、「昔は良かった」論を疑う、という視点が皆無なのだよね。すべての前提が「かつて美しかったニッポン」から構築されている。
もうこの時点で話になりません。これはバカの論理です、と自白しているようなものだ。
そもそも記憶が美化されるのは本能的なものだから、人間は常にそれを自覚して自戒し、自省する必要があるのだが、その視点が皆無なものだからあとはもうお察し。
そして少しでも自省すると「自虐ダー!」となるものだから進歩などあるはずもなし。むしろ前進を拒否しているのがあの連中なのだ。
そしてこのような復古主義、歴史の美化は、連中が敬愛しているはずの「先人」をも愚弄していることが分からないのだろうか。本当に「昔は良かった」「昔こそ良かった」のならば、
それこそ「先人」は何をしてきたのか、ひたすら世の中を悪くする努力をしていたのか、という話になってしまうのだ。 これ誰でしょうか?
https://m.facebook.com/photo.php?fbid=1502627789863384&id=100003485317060&set=a.520354398090733.1073741825.100003485317060&source=48 「反日」という言葉はとても便利です。この言葉を濫用する人は、敵味方で世界を単純化しがちなこと、
立場の異なる相手について考える想像力に欠けること、批判精神がなく事大主義に陥りやすいこと、つまり知的な誠実さをおよそ欠いていることが一目でわかるからです。
「反日」を濫用する人はしばしば、日本について批判をする人にその言葉を投げかけ、「日本人なら日本を好きなのは当然」などと言います。それが愚かなのは、
日本を心配してより良くしたいという苦言が存在することを想像できないということももちろんありますが、さらに根本的問題があると考えます。
それは、日本を「好き」「嫌い」という、ごく単純化した感情でしか、対象を捉えられていないということです。
「日本」という、空間的にも時間的にも複雑で多様な存在は、「好き」「嫌い」などという感情で簡単に把握できるような安直な対象ではありません。
「好き」「嫌い」で「日本」を語れ、それで「親日」「反日」に世界を分けられるという、あまりにも単純化した認識は、「日本」という対象をきわめて安直に扱い、その深みを考えていないことを意味します。
つまり、これほど「日本」を軽く扱ってバカにしたことはないのです。
ことに日本に生まれ育つという運命を負わされた人間にとって、「日本」という存在は圧倒的なもので、それをどう捉え向き合うのかは極めて大きな問題です。
巨大な存在に打ちのめされないよう自己を保つのは大変です。「好き」「嫌い」なんて言って済ませられるようなことじゃないんです。
捉えきれないほど巨大な存在である「日本」(他の国でも同じですが)を、「好き」「嫌い」と言える立場と思っていること自体が、むしろ自分を何様だと思っているのか、神様のつもりなのかと、私は不思議でなりません。
そのような言葉遣い自体が、「日本」を実は軽んじている証なのです。
だから、「反日」を濫用する人が大事に思っているのは実は「日本」ではないのです。他人に「反日」と投げつけることで自分たちがエライと思おうとしている、好きなのは自分だけなのです。
自分が好きなこと自体はむしろ大事ですから、どうか他の手段でそれを実現してほしいと思うばかりです。 >>232
木村圭三て書いてる。
意拳、中国拳法マニアって感じ。 系統で言うと太気拳って、打撃ではないよな。
かと言って組み技でもない。組み付きに行くためのツールってところか。 打撃なんて殆ど練習しない。かと言って投げ技も寝技も無い。
形意拳が時代を経て、簡略化されたものだと言えば聞こえはいいが
幾つか大事な物がすっぽ抜けてる感が否めない。
他流の打撃、もしくは組み技は各自やっておいたほうが良さそうだな。 >>235
ちゃいます、この対打してる白黒の写真です >>81
連絡ないね。やっぱり嘘話だよね!!。
座波先生も「どういう攻撃でもして来い」と宇城憲治さんと自由組み手した時は、大分後で、動きを暗記してからだったしね。
カクウンシンも初見の相手には崩拳の先制攻撃だったしね。
そんな初見でも後の先を取れるのは八卦掌グループ達、王樹金達しかいないね。
座波先生も「僕はケンカしません」って言って不意打ち仕掛けて倒していったと言ってるしね。
沖縄県那覇の人間及び心道会は嘘つきだらけだよね。
本土のにわか中国拳法ってバカにしてるけど中国拳法は沖縄空手の座波空手みたいに不意打ちはせず堂々としたものだよ。 中国に似てくる日本 中国研究所理事長 杉山文彦
主権在民考えない発言
日本人は中国嫌いだと世上言われている。
事実、内閣府の世論調査では、中国に「親しみを感じない」という回答がここ数年7,8割を占める。
しかし私には最近、日本は日に日に中国に似てくるように思える。
自民党若手議員の勉強会で「沖縄の二つの新聞はつぶさにゃあかん」と気勢が上がる。
「法的安定性は関係ない」との発言が首相補佐官の口から飛び出す。
こういった発言は、共産党が全てを指導し、自由も平等も、また法的公正も、
みな共産党の指導(都合)に沿う範囲でのみ認められるという中国の体制の下でこそふさわしい。
実際、中国では政府に批判的な新聞の編集者が辞めさせられたり、社会活動家や弁護士が法的根拠も不明確なままに拘束されたりする。
日本はどうか。
憲法は主権在民、基本的人権、表現の自由をうたっているから、前述の発言は国民としての基礎的教養を欠き、ルールを無視しているということになる。
ところが、くだんの言は、選挙で選ばれた議員やその周囲に集う者の言葉である。
こうなると国民のかなりの部分が、主権在民や人権尊重を理解せずに物事を判断し、憲法に基づくルールとは違った心情で生活していることになる。
どうしてこんなことになってしまったのか。
長らく教職にあった私としてはやはり教育の問題を考えざるを得ない。
子供が自我を形成し大人になってゆくことは、それまでなんとなく従っていた周囲の状況を自分の目でとらえ直して自分なりの社会のイメージを形成し、
それに働きかけるようになることである。
いや、人権だの自我だのと面倒なことを言わずとも「美しい日本」の伝統によれば良いと考える人も多いだろう。
しかし、それではうまくいかぬことは、第2次大戦の悲劇が示している。
それでもという「美しい日本」派の人は、ぜひとも自民党の「憲法改正草案」と「中華人民共和国憲法」を熟読していただきたい。
両者はよく似ている。
どちらも権力の暴走から国民を守るためではなく、権力によって国民を動員するためのものである点で基本的性格を共にしているからだ。 昔ボクシングを齧ってたんだが、太気拳に移行してからしばらく経つ。
ミット、組み手、サンドバッグを全くやらない生活が続いていたから
ふと自分のやってることに疑問を感じて、ワンツーを何度か打ってみたんだが
身体が纏まってるから以前より上手くなってるなw
今になって思うが、グローブを付けて色々やり出した意拳は
方向性としては正しかったんじゃないかと思う。
太気拳やってる人で、ボクシングと掛け持ちしてる人いる? 安倍政権での不祥事・失態
防衛省 南スーダン日報隠蔽
文科省 教育現場介入
外務省 核廃絶反対
国交省 森友文書改竄共謀
財務省 森友文書改竄
厚生省 年金データー流失
裁量労働制
農水省 種子法廃止
他にもあるんでしょうけど、これだけでも酷すぎます。
謝罪では済まないです。 ボクシングやっててよかったと思うのは、ディフェンス技術が他の人と全然違うことだな。
頭ずらして小さくパリィ、頭を振る、基本的なことと距離感を養えたのが良かった。
太気拳しかやったことない人は自分の間合い突破されたら顔面モロ受けで突っ込んでくるよな。 「反日」という言葉はとても便利です。この言葉を濫用する人は、敵味方で世界を単純化しがちなこと、
立場の異なる相手について考える想像力に欠けること、批判精神がなく事大主義に陥りやすいこと、つまり知的な誠実さをおよそ欠いていることが一目でわかるからです。
「反日」を濫用する人はしばしば、日本について批判をする人にその言葉を投げかけ、「日本人なら日本を好きなのは当然」などと言います。それが愚かなのは、
日本を心配してより良くしたいという苦言が存在することを想像できないということももちろんありますが、さらに根本的問題があると考えます。
それは、日本を「好き」「嫌い」という、ごく単純化した感情でしか、対象を捉えられていないということです。
「日本」という、空間的にも時間的にも複雑で多様な存在は、「好き」「嫌い」などという感情で簡単に把握できるような安直な対象ではありません。
「好き」「嫌い」で「日本」を語れ、それで「親日」「反日」に世界を分けられるという、あまりにも単純化した認識は、「日本」という対象をきわめて安直に扱い、その深みを考えていないことを意味します。
つまり、これほど「日本」を軽く扱ってバカにしたことはないのです。
ことに日本に生まれ育つという運命を負わされた人間にとって、「日本」という存在は圧倒的なもので、それをどう捉え向き合うのかは極めて大きな問題です。
巨大な存在に打ちのめされないよう自己を保つのは大変です。「好き」「嫌い」なんて言って済ませられるようなことじゃないんです。
捉えきれないほど巨大な存在である「日本」(他の国でも同じですが)を、「好き」「嫌い」と言える立場と思っていること自体が、むしろ自分を何様だと思っているのか、神様のつもりなのかと、私は不思議でなりません。
そのような言葉遣い自体が、「日本」を実は軽んじている証なのです。
だから、「反日」を濫用する人が大事に思っているのは実は「日本」ではないのです。他人に「反日」と投げつけることで自分たちがエライと思おうとしている、好きなのは自分だけなのです。
自分が好きなこと自体はむしろ大事ですから、どうか他の手段でそれを実現してほしいと思うばかりです。 >>240
その武道家、格闘家をあしらう方は那覇の自営業の空手家です。
厳密に言えば稽古をしているのは空手だけではないですね。
凄い腕前の方ですよ。 >>243
太気やると体の動きが洗練されて 昔の技術が
verアップされてくる感じはありますよね
自分は型中心であまりスパーの経験が足りず
距離感やグローブが全然だめで難儀してます >>245
立禅やってボクシングが良くなるのは自分も実感するところだが、
防御の武術といわれてる太気拳の防御技術がそんなでは、やっぱり普通にボクシングとかキックとかやった方が良さそう。 中国に似てくる日本 中国研究所理事長 杉山文彦
主権在民考えない発言
日本人は中国嫌いだと世上言われている。
事実、内閣府の世論調査では、中国に「親しみを感じない」という回答がここ数年7,8割を占める。
しかし私には最近、日本は日に日に中国に似てくるように思える。
自民党若手議員の勉強会で「沖縄の二つの新聞はつぶさにゃあかん」と気勢が上がる。
「法的安定性は関係ない」との発言が首相補佐官の口から飛び出す。
こういった発言は、共産党が全てを指導し、自由も平等も、また法的公正も、
みな共産党の指導(都合)に沿う範囲でのみ認められるという中国の体制の下でこそふさわしい。
実際、中国では政府に批判的な新聞の編集者が辞めさせられたり、社会活動家や弁護士が法的根拠も不明確なままに拘束されたりする。
日本はどうか。
憲法は主権在民、基本的人権、表現の自由をうたっているから、前述の発言は国民としての基礎的教養を欠き、ルールを無視しているということになる。
ところが、くだんの言は、選挙で選ばれた議員やその周囲に集う者の言葉である。
こうなると国民のかなりの部分が、主権在民や人権尊重を理解せずに物事を判断し、憲法に基づくルールとは違った心情で生活していることになる。
どうしてこんなことになってしまったのか。
長らく教職にあった私としてはやはり教育の問題を考えざるを得ない。
子供が自我を形成し大人になってゆくことは、それまでなんとなく従っていた周囲の状況を自分の目でとらえ直して自分なりの社会のイメージを形成し、
それに働きかけるようになることである。
いや、人権だの自我だのと面倒なことを言わずとも「美しい日本」の伝統によれば良いと考える人も多いだろう。
しかし、それではうまくいかぬことは、第2次大戦の悲劇が示している。
それでもという「美しい日本」派の人は、ぜひとも自民党の「憲法改正草案」と「中華人民共和国憲法」を熟読していただきたい。
両者はよく似ている。
どちらも権力の暴走から国民を守るためではなく、権力によって国民を動員するためのものである点で基本的性格を共にしているからだ。 >>248
グローブに関しては、慣れるまで打ち込みとディフェンスメインで練習してれば
重さとかには勝手に慣れていきますよ。
最初はグローブの重みを使って殴るように意識してみるといいかもしれません。
>>249
防御技術そのものは結構豊富なんですけどね。ただ間合い割られたらあまり関係なくなります。
攻撃技が無さすぎるんでそういう現象が起きるという面もあるんですよ。
攻めるべきタイミングで技が出ないんで、余計にディフェンスに回ることになります。
攻撃技が無いということは、相手に攻めさせるきっかけになるんで、最初は調子良くても畳み掛けられて負けます。
ボクシングやキックでも、ディフェンダーがまずブチ当たる壁ですね。 中国に似てくる日本 中国研究所理事長 杉山文彦
主権在民考えない発言
日本人は中国嫌いだと世上言われている。
事実、内閣府の世論調査では、中国に「親しみを感じない」という回答がここ数年7,8割を占める。
しかし私には最近、日本は日に日に中国に似てくるように思える。
自民党若手議員の勉強会で「沖縄の二つの新聞はつぶさにゃあかん」と気勢が上がる。
「法的安定性は関係ない」との発言が首相補佐官の口から飛び出す。
こういった発言は、共産党が全てを指導し、自由も平等も、また法的公正も、
みな共産党の指導(都合)に沿う範囲でのみ認められるという中国の体制の下でこそふさわしい。
実際、中国では政府に批判的な新聞の編集者が辞めさせられたり、社会活動家や弁護士が法的根拠も不明確なままに拘束されたりする。
日本はどうか。
憲法は主権在民、基本的人権、表現の自由をうたっているから、前述の発言は国民としての基礎的教養を欠き、ルールを無視しているということになる。
ところが、くだんの言は、選挙で選ばれた議員やその周囲に集う者の言葉である。
こうなると国民のかなりの部分が、主権在民や人権尊重を理解せずに物事を判断し、憲法に基づくルールとは違った心情で生活していることになる。
どうしてこんなことになってしまったのか。
長らく教職にあった私としてはやはり教育の問題を考えざるを得ない。
子供が自我を形成し大人になってゆくことは、それまでなんとなく従っていた周囲の状況を自分の目でとらえ直して自分なりの社会のイメージを形成し、
それに働きかけるようになることである。
いや、人権だの自我だのと面倒なことを言わずとも「美しい日本」の伝統によれば良いと考える人も多いだろう。
しかし、それではうまくいかぬことは、第2次大戦の悲劇が示している。
それでもという「美しい日本」派の人は、ぜひとも自民党の「憲法改正草案」と「中華人民共和国憲法」を熟読していただきたい。
両者はよく似ている。
どちらも権力の暴走から国民を守るためではなく、権力によって国民を動員するためのものである点で基本的性格を共にしているからだ。 中国に似てくる日本 中国研究所理事長 杉山文彦
主権在民考えない発言
日本人は中国嫌いだと世上言われている。
事実、内閣府の世論調査では、中国に「親しみを感じない」という回答がここ数年7,8割を占める。
しかし私には最近、日本は日に日に中国に似てくるように思える。
自民党若手議員の勉強会で「沖縄の二つの新聞はつぶさにゃあかん」と気勢が上がる。
「法的安定性は関係ない」との発言が首相補佐官の口から飛び出す。
こういった発言は、共産党が全てを指導し、自由も平等も、また法的公正も、
みな共産党の指導(都合)に沿う範囲でのみ認められるという中国の体制の下でこそふさわしい。
実際、中国では政府に批判的な新聞の編集者が辞めさせられたり、社会活動家や弁護士が法的根拠も不明確なままに拘束されたりする。
日本はどうか。
憲法は主権在民、基本的人権、表現の自由をうたっているから、前述の発言は国民としての基礎的教養を欠き、ルールを無視しているということになる。
ところが、くだんの言は、選挙で選ばれた議員やその周囲に集う者の言葉である。
こうなると国民のかなりの部分が、主権在民や人権尊重を理解せずに物事を判断し、憲法に基づくルールとは違った心情で生活していることになる。
どうしてこんなことになってしまったのか。
長らく教職にあった私としてはやはり教育の問題を考えざるを得ない。
子供が自我を形成し大人になってゆくことは、それまでなんとなく従っていた周囲の状況を自分の目でとらえ直して自分なりの社会のイメージを形成し、
それに働きかけるようになることである。
いや、人権だの自我だのと面倒なことを言わずとも「美しい日本」の伝統によれば良いと考える人も多いだろう。
しかし、それではうまくいかぬことは、第2次大戦の悲劇が示している。
それでもという「美しい日本」派の人は、ぜひとも自民党の「憲法改正草案」と「中華人民共和国憲法」を熟読していただきたい。
両者はよく似ている。
どちらも権力の暴走から国民を守るためではなく、権力によって国民を動員するためのものである点で基本的性格を共にしているからだ。 >>247
きっとその人は俺に会いたいと潜在意識が望んでいるよ。
なんとなくだけど、なぜか組手したい。
相手が嫌がればしないけど、その人はきっと俺と組手したいと思ってるよ。
申し訳ないけど一回だけ聞いてみてくれないかな?
okrarararara@softbank,ne.jp 組手とかはいい難いね。
それじゃあ、五輪の書に書かれている姿勢で未来予知ができるんですかね?
て聞いてくれないかな? 【研究】IQが低い子どもは、大人になるとネトウヨになって人種差別やヘイトスピーチへ向かう
daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1442724728/
■IQの低い子どもは、偏見を持つ大人になる可能性が高い
いうまでもなく人種差別だけではなく宗教、性的指向、性別、
思想、障害、職業などにあらゆる差別的な発言や行動はどの国でもあることで、
それぞれの国の事情は大きく違うため、"国際標準"を語ることは不可能に近い。
しかし、こうした行動に対する「不快感」はこれまたどの国にも存在する。
そうした感情と深く関わる研究もある。
オンタリオのブロック大学の心理学者であるGordon Hodsonを研究リーダーとするチームの研究によると、
知能(IQ)の低い子供は、偏見を持つ大人になる可能性が高いことがわかった。
また、知能の低い大人は、社会的に保守的な価値観に引き寄せられる傾向があり、
そのような価値観は、今度はヒエラルキーストレスや変化への抵抗心を生み、偏見を持つ一因となるという。
Hodsonは 2012年1月26日『Live Science』に寄稿し、
「偏見とは極めて複雑で、多面的なものです。だから先入観をもたらすのが何なのかを明らかにし、
理解することが非常に重要なのです」
偏見が他の政治的信念ではなく、右翼的な考えを持つ人に多く見られるということは、
世論調査と社会学、政治学の研究で示されることがしばしばあるが、知能との関連性に及ぶ研究は珍しい。 >>256
つまり、256が言いたいのはを五輪の書の質問してから、組み手もしませんか?だよね(oゝД・)b >>252
>最初はグローブの重みを使って殴るように意識
ありがとうございます 今度やってみます
正直素手の方が精妙かつ強引なディフェンスが出来て
個人的にはそっちの方が好きなんですよね
でもグローブで何もできないのも悔しいのでww 立禅っていつからあったんですかね?
形意拳の時は? >>81
太気拳を本土のにわか中国拳法とは、その現、心道会最高師範が言ったのでしょうか? >>260
立禅ことタントウコウはあらゆる中国拳法にありますよ。 立禅は効く人には凄くいい練習だが 中拳の師範クラスの人でも効能を理解できない人や否定派も居たりする
そうゆう人に会うとちょっと不思議な気分になる 立禅の最大の長所はテキトーにやっても
それなりに効果が得られてしまう事だからな
効果が無いって人は立禅で身に付くものが
既に身に付いてしまってる人だと思うわ
或いは凄く鈍感な人かどっちか 陸自イラク派遣の日報が「見つかった」という件、なぜ存在するものが10年以上にわたって開示されてこなかったのか、防衛省はきちんとファクトを示して誰もが納得できる形で説明する責任があると思います。
ちなみに、陸自が有るものを無いと言った文書は日報だけではありません。 立禅で体質変化を図るか、型で体質変化を図るか結局共通してるもんね。
とにかく姿勢造りだよね。
>>261
でも、本当に余裕で全部の攻撃をかわせる人っているのかな?
自分は野球場とか電車に乗っている時に前の人がいきなり倒れてくるとか、未来が見えたことがあるけど、偶然だからね。
自分も相手がどんな攻撃を仕掛けてくるかの映像なんか都合よく見えないから、やっぱり座波先生みたいな不意打ちやカクウンシンの先制
攻撃的動作グループ群に属してしまうと思う。
座波先生はさすがにモラル的にちょっと抵抗があるけどね。
王樹金ができたのははっきり言って体格的な要素、つまり子供が殴り掛かかってくるような受け止め方だったから後の先が余裕だったと思っているけど
>>81の話が真実でその人の体格が座波先生みたいな体格であればもの凄い人だと思う。 中国に似てくる日本 中国研究所理事長 杉山文彦
主権在民考えない発言
日本人は中国嫌いだと世上言われている。
事実、内閣府の世論調査では、中国に「親しみを感じない」という回答がここ数年7,8割を占める。
しかし私には最近、日本は日に日に中国に似てくるように思える。
自民党若手議員の勉強会で「沖縄の二つの新聞はつぶさにゃあかん」と気勢が上がる。
「法的安定性は関係ない」との発言が首相補佐官の口から飛び出す。
こういった発言は、共産党が全てを指導し、自由も平等も、また法的公正も、
みな共産党の指導(都合)に沿う範囲でのみ認められるという中国の体制の下でこそふさわしい。
実際、中国では政府に批判的な新聞の編集者が辞めさせられたり、社会活動家や弁護士が法的根拠も不明確なままに拘束されたりする。
日本はどうか。
憲法は主権在民、基本的人権、表現の自由をうたっているから、前述の発言は国民としての基礎的教養を欠き、ルールを無視しているということになる。
ところが、くだんの言は、選挙で選ばれた議員やその周囲に集う者の言葉である。
こうなると国民のかなりの部分が、主権在民や人権尊重を理解せずに物事を判断し、憲法に基づくルールとは違った心情で生活していることになる。
どうしてこんなことになってしまったのか。
長らく教職にあった私としてはやはり教育の問題を考えざるを得ない。
子供が自我を形成し大人になってゆくことは、それまでなんとなく従っていた周囲の状況を自分の目でとらえ直して自分なりの社会のイメージを形成し、
それに働きかけるようになることである。
いや、人権だの自我だのと面倒なことを言わずとも「美しい日本」の伝統によれば良いと考える人も多いだろう。
しかし、それではうまくいかぬことは、第2次大戦の悲劇が示している。
それでもという「美しい日本」派の人は、ぜひとも自民党の「憲法改正草案」と「中華人民共和国憲法」を熟読していただきたい。
両者はよく似ている。
どちらも権力の暴走から国民を守るためではなく、権力によって国民を動員するためのものである点で基本的性格を共にしているからだ。 中国に似てくる日本 中国研究所理事長 杉山文彦
主権在民考えない発言
日本人は中国嫌いだと世上言われている。
事実、内閣府の世論調査では、中国に「親しみを感じない」という回答がここ数年7,8割を占める。
しかし私には最近、日本は日に日に中国に似てくるように思える。
自民党若手議員の勉強会で「沖縄の二つの新聞はつぶさにゃあかん」と気勢が上がる。
「法的安定性は関係ない」との発言が首相補佐官の口から飛び出す。
こういった発言は、共産党が全てを指導し、自由も平等も、また法的公正も、
みな共産党の指導(都合)に沿う範囲でのみ認められるという中国の体制の下でこそふさわしい。
実際、中国では政府に批判的な新聞の編集者が辞めさせられたり、社会活動家や弁護士が法的根拠も不明確なままに拘束されたりする。
日本はどうか。
憲法は主権在民、基本的人権、表現の自由をうたっているから、前述の発言は国民としての基礎的教養を欠き、ルールを無視しているということになる。
ところが、くだんの言は、選挙で選ばれた議員やその周囲に集う者の言葉である。
こうなると国民のかなりの部分が、主権在民や人権尊重を理解せずに物事を判断し、憲法に基づくルールとは違った心情で生活していることになる。
どうしてこんなことになってしまったのか。
長らく教職にあった私としてはやはり教育の問題を考えざるを得ない。
子供が自我を形成し大人になってゆくことは、それまでなんとなく従っていた周囲の状況を自分の目でとらえ直して自分なりの社会のイメージを形成し、
それに働きかけるようになることである。
いや、人権だの自我だのと面倒なことを言わずとも「美しい日本」の伝統によれば良いと考える人も多いだろう。
しかし、それではうまくいかぬことは、第2次大戦の悲劇が示している。
それでもという「美しい日本」派の人は、ぜひとも自民党の「憲法改正草案」と「中華人民共和国憲法」を熟読していただきたい。
両者はよく似ている。
どちらも権力の暴走から国民を守るためではなく、権力によって国民を動員するためのものである点で基本的性格を共にしているからだ。 >>264
確かに、立禅の上半身を真似るだけでも効果はある。
養生としても戦う姿勢の練習としても。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています