「一人前の武道家は他流にも敬意を払う」←この風潮
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ネットでよく見るけどいつ頃から言われ出したものなんだ?
昭和の盛んだったころの空手、柔道、合気道なんか他流に勝負挑みまくりなんだが >>40
それは文脈によるんじゃ?
敬意を払う、払わないとは完全に別の話だよ テコンは敬意もひとつの要素たり得る可能性を指摘しただけじゃん。
日本語読解能力が皆無なのかね。 武道は他流派に敬意を払うのが普通なのか払わないのが普通なのか。
昭和の盛んだったころの空手、柔道、合気道なんか他流に勝負挑みまくりなのは礼を失していないのか。
この問いに対してテコンは、敬意を払うからこそ試合をして倒したい、そういう考えもあるのかもしれないと書いた。
しかし、それを「完全に別の話」としか読めない人もいる。
読解能力は人それぞれなのでこういう人も稀にいる。
知能の低さをあげつらって馬鹿にしたり差別するのは良くない。
温かい目で見守るべき。 江戸時代の他流試合禁止みたいなもんで、一種の治安維持策みたいなもんだろう。 オカダンさんは、敬意のあるひとは今まで人に感謝する経験をしたひとだから、
そういうひとは正しいし、そういうひとを正しいとするのが世間だと言っていました。
あくまでその話は「礼はダメだ」っていう内容のなかでのことでしたが。 空手道も合気道も嘉納治五郎のおぜん立てで広まったようなものだろ
もし、そんなに盛んにつぶし合ってたのなら製錬淘汰されて一つの格闘技になってるって 少○寺のように
身内の狭い世界で他流を分かったつもりになっちゃう人間が多いから
この風潮は必ずしも正しくないな 結論:敬意とは人間社会の全ての階層に発生し得る文化現象ではあるが、最終的には個人間の関係性に帰結する態度である 武徳会時代は国内の徒手格闘技は大体柔道に統合されてたな
柔術部門の名称が柔道部門に変わって諸流派の柔術家が柔道家になり
空手も柔道の中の一部門扱いだったし
合気柔術も取り込もうと望月や富木が派遣されていた
敗戦で武徳会が解散したことで柔道も制限加わり今のように各武道が独立し新興武道が起こったり ユニークで個性的なネットで稼げる情報とか
一応書いておきます
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