合気(合気道、大東流、八光流etc.)総合
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
幅広く合気を語りましょう。
少林寺、空手、中国武術、古流等々歓迎。
他流批判、宣伝、無関係な話題は節度をもって(他所で)お願いします。 >>795
当時の木村さんの段位は少なくとも準四段か四段だろう、遥かに段位が上の木村さんを
初段を取ったばかりのお前がどうして投げられるの?
これは「実力本位で段位を発行」という記述と明らかに矛盾することになるよな
保江氏についてお前は、例外、例外と都合の良い言い訳を繰り返してるが
本人が100回以上通って黒帯を取得しているとしているので事実誤認、事実関係を確認した上で
テレビ番組での様子と「白帯でも他流を圧倒」という記述が矛盾
仮に、お前の言う通り白帯以下で段位を出していた事実がある場合は「実力本位で…」と
重ねて矛盾が生ずる
結論:佐川道場は病的なウソつきの集まりか、或いは白帯でも他流派の高段者、指導者クラスを圧倒※
有段者ともなればMMAの一流選手相手に完全勝利できるレベル※ということになるね。(笑)
※「現代武道のトップにいる大柄な人が白帯3人にいくら抵抗してもやられてしまい」
※「直伝とも言えば大したものである」
(著作より) >>796
佐川氏から戦後初めてインタビューをとったのも合気道の方でした。 深淵の色は 第七回 26ページ
合気道四段の木村健二郎医師は、大東流合気武術 佐川道場に入門したが、
白帯の門人や女性の門人に全く技が通じず、逆にコロコロ倒されて、一体自分は今まで何をやって来たんだと思ったそうだ。
https://j-nbooks.jp/sp/novel/original.php?oKey=101 5ちゃんで信者がコピペ貼りまくるしか能の無い
佐川派は実際は大したことがない。
佐川派の合気にかかることに慣れるまでは初心者には手を取らせず、
高弟だけが佐川の合気にかかりまくる大東流合気道の柳龍拳と基本同類か。
佐川派の誰が相手したって、国体出場レベル程度のボクサーや空手家が本気で攻撃してきたら
ボコボコにされるだけ。
戦わないから負けないというマジックと、それにハエのように寄ってくるオカルト武術信者。
オウム真理教とオウム信者の関係に似すぎて恐いな。 合気だ達人だと宣伝しても、
実際には「合気の正体は稽古のシキタリ」らしい。
ブログ「押して忍ぶ武の道.club」 より
”何かをみて入門してきた新人で先輩の技をまともに受けず掛からないように抵抗していると、
先生が門人に変わり投げ飛ばしながら「弱いくせに抵抗して!」と凄い剣幕で怒っていたこともありました。
たぶんその新人は本当の「合気」を体験したかったのだが、
稽古のシキタリを知らずに先輩の技に掛 かってあげなかっただけのことだと思います。”
>>794
ウソつきバカの空想癖も、ここまで来ると救いようがない。
佐川派めっちゃくちゃ。
佐川は自分で本なんか書いてない(笑)
佐川が書いた本なんて、この世に存在しない(大笑)
佐川派関係の書籍はウソが書いてあるので裁判で負けてるよ。
東京高等裁判所平成24年10月28日(平成○○年(ネ)第○○○号)
第1審原告 吉丸慶雪こと吉丸貞雄
第1審被告 株式会社福昌堂 代表者代表取締役○○○○
第1審被告 高橋賢
和解条項 (東京高等裁判所平成24年10月28日(平成○○年(ネ)第○○○号)和解調書より抜粋)
1 第1審被告らは、第1審原告に対し、第1審被告福昌堂の発行する、第1審高橋賢の著作に係る著作物である「佐川幸義先生伝 大東流合気の真実」
(以下「本件著作物」という。)第3章「佐川道場体験記」中の記述を、本件和解成立日以降発行するものにつき、以下のとおり変更する(頁数及び行数は、
第1審被告福昌堂発行の本件著作物初版第1刷による。)
(1)159頁1行目の「身長180センチを超す巨漢を赤子の手をひねるように投げる」を「○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○」と変更する。
(2)同頁2行目の「身長1メートル80センチを超える巨漢・吉丸貞雄さん」を「体格の立派な先輩」と変更する。
(3)〜(22)省略
(23)○頁2行目から3行目の「いかに突き蹴りが速く威力があろうと、」を削除する。
(24)〜(26)省略
(27)同163頁6行目冒頭から同頁15行目までの記述を削除する。
2 省略
3 第1審被告高橋賢は、第1審原告に対し、解決金として金○○万円の支払義務があることを認める。
4 第1審被告高橋賢は、第1審原告に対し、前項の金員を、平成24年11月12日限り、第1審原告の指定する次の口座に振り込んで支払う。
ただし、振込手数料は第1審被告高橋賢の負担とする。
○○○銀行○○○支店
普通預金口座(口座番号○○○○○○○○)
口座名義 ○○○○○○
5(1)第1審原告及び利害関係人と第1審被告高橋賢とは、今後、相互に、相手方及びその指導する流派に対して、誹謗中傷に当たる言動やその活動に干渉し又はこれを妨害する行為をしないこと及び第三者をしてこれらの行為を行わせないことを約束する。
(2)(3)省略
6〜9 省略
10 訴訟費用及び和解費用は、第1、2審を通じて、各自の負担とする。 佐川派が起こした裁判は完全敗訴しているし。
横浜地方裁判所相模原支部 平成24年3月28日判決言渡し(平成22年(ワ)第○○○号 損害賠償等請求事件)
原告 大東流合気佐門会 同代表理事内野孝治
原告 高橋賢
被告 吉丸慶雪こと吉丸貞雄
被告 有満庄司
原告らの請求
1 被告吉丸貞雄は、原告大東流合気佐門会に対し、別紙書籍1乃至4記載の書籍を印刷、出版、製造、販売又は頒布してはならない。
2 被告らは、原告大東流合気佐門会に対し、別紙DVD目録1乃至3記載の各DVD商品を製造し、販売してはならない。
3 被告らは、原告大東流合気佐門会に対し、別紙WEBサイト目録2及び3記載の「木村達雄先生の質問状」及び「吉丸慶雪談」を削除せよ。
4 被告らは、原告大東流佐門会に対し、連帯して金600万円及びこれに対する平成22年5月9日から支払い済みまで年5分の割合による金員を支払え。
5 被告らは、原告高橋賢に対し、別紙WEBサイト目録1記載の「高橋賢先生新著作」を削除せよ。
6 被告らは、原告高橋賢に対し、連帯して金200万円及びこれに対する平成22年5月9日から支払い済みまで年5分の割合による金員を支払え。
7 訴訟費用は被告らの負担とする。
8 4項及び6項につき仮執行宣言。
判 決
1 原告らの請求を全て棄却する。
2 訴訟費用は、原告らの負担とする。
皆 手と手を取るふりして
引きずり落とす時を探り合う日々
なあ 愚か者たちよ 嫉妬なんか醜いよ
もう一度だけ考えてみたって
なあ 愚か者たちよ
ここがおそらく最後の分かれ道だ
乗るか降りるか お前なら さあどうする 深淵の色は 第七回 26ページ
合気道四段の木村健二郎医師は、大東流合気武術 佐川道場に入門したが、
白帯の門人や女性の門人に全く技が通じず、逆にコロコロ倒されて、一体自分は今まで何をやって来たんだと思ったそうだ。
https://j-nbooks.jp/sp/novel/original.php?oKey=101 >>806
『透明な力』は佐川の存命中に、佐川の厳しい検査を通過して出版に至ったんだぞ
ちゃんとそれは本に書いてある。そんな基本的認識も欠けてるのに横から話に参加してくんなよ
頭大丈夫かお前? >>794
木村達雄さんを俺が投げた時と、佐川幸義先生が木村達雄さんや高弟を投げていたのでは、凄まじさが違うと言えば分かるかな?
まあ、その場に居なかった人には分からない事だけどね。 佐川にいつまでもブランド力があると思ってるのはお前らだけ
今や世間的には試合をやなかったので失態を演じなかった柳龍拳という評価しか無い そりゃ、先生の権威に恐れ入って自らぶっ飛んで行ったら凄まじさも違うわな(笑) 西野流や柳の道場でも、先生にはとても敵わない!と本気で信じてぶっ飛んでたやつが大勢いた訳だからね
相手に触れない気功的なパフォーマンスでないというだけで生じてる現象自体は同様だ >>814
それが佐川の書いた本になるというところが佐川信者のアタマがイカれてるところ。
佐川の巻頭言や序文すらないのに
佐川が書いたって、バカじゃなかろか。武術家以前に社会人としての常識がない。 佐門会がウソを本に書いて、
吉丸慶雪との裁判で負け続けたので、本を出せなくなったため、
佐川派信者が5ちゃんで富木システムの師範が佐門会の白帯に負けたなどという
ウソまみれの都市伝説を振りまいている。 そもそも佐門会は、
佐門会トップの木村達雄が長野俊也との合気上げ勝負に負けて、
長野の著書やブログでさらされてるのに何の抗議もせず黙認した状態にあるのだから、
オカルト武術信者が何を言おうが、実は、もう終わっている。 >>815
木村達雄や高弟が投げられ上手なだけ。
やっぱ型武道やってる奴は見る目がないわ。 >>718
そんな県あったんですか?
社会科で習った事ないですね・・・・
縮地ですか。
合気道では高速の入身だと想像しますが、考えてみれば大東流には無いですね。
>>726
度井仲村w
>>786
ズバ抜けていたああ?
チンオ、佐川師の事「弱かったんだろ」「オレは超えてしまったんだよ」と言ってたじゃんw >>821
お前は、『透明な力』を読んだことがあるのか?
佐門会が本に書いたとかトンチンカンなことぬかしてるが、本は木村が佐川と相談のうえで書いたものだよ
そもそも佐門会が何なのかも理解できてないようだな
そんな中途半端な思いつきで佐川派批判に加わろうなんて10年早い、消えてなくなれ >>537
佐川師範はどこまでの技が出来たんですか?
前々々々・・・回の合気スレッドでご紹介した体験談の通り、私はオフ会で胸捕り体合気が出来ると云い張る人に会って結局同合気が体験できませんでした(自信の根拠が今でも謎です)。
佐川師範はこういう点どうでした? >>825 >本は木村が佐川と相談のうえで書いた
そんなこと佐川幸義はひと言も言ってない。
佐川本人が老衰化で動けなくなり、
正座や階段の上り下りすらできなくなって、
判断能力があるかどうかすら微妙な状態になりつつあったときに、
佐川幸義の弟の佐川廣を味方に付けて木村達雄が出した本の中で
佐川の許可を得たと木村達雄が自分で書いてるだけ。
本当に佐川の同意があったなら、
植芝盛平について、あんな書き方をするはずがないんだよ。
佐川幸義は、口や本で暴露するなんて、みっともないことはしない。
佐川の弟子達が、組織が巨大になった合気会なら、この程度までなら抗議もしてこないし、訴訟にもならないだろうと計算して書いてるウソ。
今まで佐川自身がずっと禁じてきたことをいきなり公開して良くなったなんて都合が良すぎ。
そういうのを世間では胡散臭いと言う。 透明なは出版後
師弟絶縁して了った問題作だし真に受ける物ではないよね。一アングルから管見して愉しむ冒険活劇としては中出来カナ。
ここ大手振って勘違いするメンツが多いけどあのテの迷著は武術家本人の信憑性(のみ)に還元される問題と限らないんよね。聞き書手や読手が自分の都合で情報を切貼りするから伝言ゲームが混線する訳。
木村タツオが嘘書いた可能性もあるから武術家自体が信頼できんって論理のセンもあろうけど木村タツオは嘘吐きというか頭が悪いってパターンだしそも武術家でないしさ。
>824物事の来歴って
これまあ武格業界でもそうだけど
多様な変遷を経(そして飽迄現時点で)目下のフェーズに到っている
というジェットコースタな見方が世間的に余りされん傾向があるよね。最初から今の関係性ありきとか思込んで了っとる。
タイムスケール大きな話しだけど911軍事衝突の起きた時米国土先住民族はテロと騒ぐ政府や国民に呆れていたんだよね。あんたらのテロでなかったのかと。
物が見えている彼らにとっては最初に米国ありきなどでなかった。イラクも夙うに別国家。世界は常に変動している。こういう認識って大事でないかな。
合気道史(前史)一つにしても神田区という今はなき地政的括りでみてゆくと色々新たな光りが当たってきたりするしね。入間県でいえば後に群馬県(や栃木領の一部)と統廃合されて熊谷県となった。
ここに新たな交流や複雑な伝承が生まれたんだ。
>縮地
山田八郎(山田治朗吉の師)の伝承という(オー)パーツなら散見するけどね。まだ史料上ハッキリ体系を括出すまでには至らない感じだね。
>佐川師の事「弱かったんだろ」「オレは超えてしまったんだよ」と
彼結局なにも実体験してんからね。最も大東流を信じてん人種だ。それが自分でもわかり切っているから決してオープンな場に出てこようとしないんだよね。
>826着衣で投げるとか佐川師せなんだね。あれ戦前派の合気道系と交流した大東流が飽迄演武で始めたものだし佐川師は否定的だったよ。
後年演武に採用したらしいけど。着衣で投げるのはここでもご芳名の出とるレベルの異なる方が本当にされていて壁に叩きつける烈しい技だったんだ。演武だと受がそこまでしたがらんしね。
これは軸ができんと不可能な業だね。軸ができとる基準は裸絞めで全力で絞められてそのまま振向いてしまえるという物になる。 >>828
チンオが最も大東流を信じていないとの文言、その通りだと思います。
挙げ手や四方投、その他様々技法論に、一度も載ってきた事が無いですからね。
僕は技術論が大好きで、14年にチンオが武板にブルンブルンと振り降りた初期は、楽しく技術の話を持ち掛けていました。
(ちなみにその様子を見て、ツクオは僕とチンオを同一人物と言っていた)
でもずっとイライラと人種差別とか書き連ねるだけで、なんだこのハゲ? と呆れてしまいました。
技術の話が出来ない者は、大東流の徒ではないと、僕は思います。
絞められて振り向くのは、ちょっと不可能ですね・・・・
こういうのじゃないんですよね、多分・・・・
https://www.youtube.com/watch?v=cJz7MFmKaCI >>829
>僕は技術論が大好き
技術論が交わせない
ものごとの論理が突き詰められない輩はそれだけで
贋者決定だろうね。
論理というといかにも5chの歴史的に
独りでぶつぶつとわけのわからないうわ言(実際には浅い内容)をつぶやき続け
周囲がそれに浅い論難をつづける浅い両成敗的な風物詩から毛嫌いされる傾向があるけど
そういうのと突き詰める論理をごっちゃにしている時点でもうステレオタイプであれかしとする昭和脳なんだよね。
同じ風景が繰り返されていてほしいとのぞみ
自身も同じ条件反射をのみ繰り返してしまう。
>でもずっとイライラと人種差別とか書き連ねるだけで、なんだこのハゲ? と呆れてしまいました。
これは苦笑せざるをえないね。
人種差別といえば彼には
韓国と北朝鮮と朝鮮の区別もついていないのだろうね。
>絞められて振り向く
その動画は・・・
演武だ・・・。
受けが添え手で真剣にリアルにキープしようとしていない
絞め手がゆるい
ワンサイドフックが外されて以降シングルバックへと移行していない
とかつっこみどころが満載なんだけど5chのレベルではこういうベーシックな検証以前に演武論とかの雑談へ往ってしまうんだよね。 ねえ盛鋳造
自分自身と会話してて虚しくならないの? >>831
他人に投影するんじゃなく、まずはご自身に問うてみては?
>>830
競技格闘技の技指導も、実は必ず演武になっちゃうんですよね。
これは人類に染みついた、ある意味ミスプログラムなのでしょう。
佐川派のよく言う「本気で抵抗する」は、このミスプラグラムを書き換えるべく真理の一端に、
不完全ながら触れたと言えるのかも知れません。 >>828
またも貴重なお話ありがとうございます。
荒らしている誰かと違って情報(視点)が面白いです。
>佐川師は否定的だった
指捕り合気上げ(投げ)はされましたか?
実は私、仙人スレで本気で指一本で投げられた中国本国での体験を書かせてもらったのですが、ああいうことは日本で可能なのかなと思いまして。
また佐川師範は具体的に何がどう凄い方だったのでしょうか?
誰かに聞いてもただ(演武が)凄い(演武が)凄いだけでサッパリ内情が伝わって来なかったもので。。 また信○か。さすが捏造の◯◯会は文章も滅茶苦茶で、気印じみてて怖いわ。 武田惣角が合気柔術という名称を先に唱え、それを植芝盛平がパクったという論は
2つの点で絶対的におかしい。
一つは、
武田惣角は直心影流と小野派一刀流を学び剣術でも名人だったというのが大東流側の触れ込み。
ところが、
直心影流と小野派一刀流では、「合気をはずせ」と言うように「合気」という言葉を悪い意味で使っている。
現代剣道も小野派一刀流の影響を強く受けているので、「合気」とは悪い意味で使っている。
自分の流派について、「ヤマト流」とか「大東流」とかの大層な名前を唱えていた惣角が、
悪い意味で使われていた合気という言葉を自分の武道名として積極的に使うわけがない。
もちろん、武田惣角が直心影流や小野派一刀流を習った剣の名人というのが全くのウソ話なら話は変わってくるが。
(この辺、大東流は自流の歴史・経緯についてウソ話が多すぎるので)
明治時代に、剣術のことを知らない奇術師が、気合いで人を動けなくする大道芸のことを合気術と言ってやり始め、この言葉使いが結構一般に浸透した。
実際、昭和になっても、この影響が残り、
昭和40年代頃までは、合気道と聞くと、気合いで相手を飛ばしたり、気合いで金縛りに書けたりする術だと思う人の方が一般人では多かった。
合気術師が気合いで人を金縛りにかける大道芸などを見て、
奇術師と同じように、正式に剣術を習ったことのない植芝盛平が、自分の武道に「合気」という言葉を使うことを何のためらいもなくできた。
その後、植芝が合気という言葉を武道名に使って有名になっているのを見て、
惣角が
植芝に合気を教えたのは俺だと言うために、惣角の武道にも合気という言葉を付すようになったというのが正しい。
武田惣角が直心影流や小野派一刀流を修行したのが全く嘘っぱちですというなら話は変わってくるが。 武田惣角が合気柔術という名称を先に唱え、それを植芝盛平がパクったという論は
2つの点で絶対的におかしい。というもう一つは、
植芝盛平が内心では武田惣角を軽蔑し、武田惣角と同じように見られたくないと意識があったこと。
武田惣角が大阪に来たときに、盛平が大阪からいなくなったのを、
大東流側では、盛平が逃げた的な書き方をしているが、
要は、これは、嫌いな上司がやってきたので居留守を使ったというのと同じ。
大東流側も合気道側もはっきりと書かないが、みんな分かっていること。
盛平は、それほど惣角を人格的には嫌っていたので、
自分の武道を公にするときには、
相生流(あいおいりゅう)というヘンテコな名称を使ったり、皇武武道という言い方をしたりと、
自分の武道を公にするのに、惣角が使った「大東流」という言葉を避けていた。
もし、惣角が合気柔術という言葉を生み出して使っていたなら、
あれほど人格的に惣角を嫌いで、「あんな人と一緒にされたくない」と思っていた盛平が
惣角が武道名に使っている「合気」という言葉を自分の武道名に使うわけがない。
武道名に「合気」という言葉を使い始めたのは、盛平だから、盛平は自分の武道を合気道と呼ぶことができた。
もし、惣角が自分の武道を合気柔術とか合気武道と名乗っていたら、
惣角と同視されたくないと思っていた盛平は、自分の武道名に「合気」という言葉を絶対に使わなかった。 植芝は、いままでの在来の武道とは全く異なる新しい武道だという触れ込みで合気道を教えようとしたのだから、
いままでの在来の武道が「合気柔術」とか名乗っていたら「合気道」などという言い方をするはずがない。
「大東流」という名称を自分の武道から削った意味がなくなる。
植芝や死んでから、佐川派が
「佐川幸義の稽古日誌のこことここに『合気』と書いてある。だから合気柔術と言い始めたのは植芝より惣角の方が先」
と言い出した。
しかし、これは全くの印象操作。
稽古日誌の標題に「合気術稽古日誌」とか書いてあるわけではない。
何百日分もある日誌の中の、ほんの2日分とか3日分の日誌に「合気」という言葉が出てくるにすぎない。
しかも、「合気」という言葉はあっても「合気柔術」とか「合気武道」という言葉は一切書いてない。
「合気」という言葉があるのは当然で、直心影流や小野派一刀流では江戸時代から稽古で「合気」という言葉を使っていたし、
明治時代には、奇術師が気合いで人を動けなくする大道芸を合気術とか言って、それが世間に広まっていたために、
「気合い」のことを「合気」と言う風潮もあった。
実際、大正11年発行の「日本武術大全」という書には「合気術」という項目があり、その中で気合いのかけ方を解説している。
なので、何百日分の日記の2日分や3日分の記載のごく一部に「合気」という言葉が書いてあっても、
それが惣角が自分の武道を合気柔術とか合気武道とか言っていたという証拠には全くならない。 論より証拠
嘘吐き植芝盛平が、大東流合気柔術の武田惣角先生の教授代理になった頃
大東流合気柔術と書かれた看板が見える。
植芝盛平の息子の植芝吉祥丸が編集委員となっている武道辞典の写真では、大東流の文字が黒塗りされている(爆笑)
https://goo.gl/images/ydZuju その写真ってのがまさに綾部で撮られたものなんだよな
目録の日付とも合わせて王仁三郎の関与を示す証拠にもなる 「大東流」を削除したかったんじゃないの?(笑)
それに、武田惣角先生が大嫌いで大東流合気柔術の影響を全く排除するのであれば、一ヵ条から五ヵ条→一教から五教という名称変更だけではなく、
技術大系も全く違うものにしなければならなかっただろうね。
合気道の連中の言う事は、全て詭弁に過ぎないよ(笑) >>840
黒塗りされてる写真なんて武道辞典に無いよ。
またチンオ嘘ついた。 >>842
惣角の教えていた大東流に体系性なんか全くない。
今ある各派の体系は、弟子のそれぞれがまとめたもの。
たとえば、佐川派の体系は佐川幸義が勝手にまとめたもの。
佐川幸義が勝手にまとめたものだから、他の会派の体系と違うのは当たり前だが、
佐川派は、他会派の体系はうちと違うので他会派はニセモノなどと言っている(こういうのを我田引水と言う)。
大東館の秘伝奥義118ヵ条も武田時宗がまとめたもので惣角の体系でも何でもない。
惣角の教え方は、気まぐれで、そのとき、そのときで、やりたい技を見せるだけ。
琢磨会の総伝技は何の体系性もなく、各技がランダムに並んでるだけだが、
基本惣角の教え方はああいう感じ。
伝書にも技名が適当に書いてあるだけ。 >>842
大東流を削除したかったのに
なんで合気の方は削除したくなかったのか説明がついてない。
大東流一派(特に佐川派?)の言うことはツジツマがあわないね。
大東流から合気道に大きく技術体系変わってんじゃん。しかも、根本的に。
大丈夫か?大東流。 >>839-840
論より証拠で早く俺と東京で会ってくれよ?
荒らしてる暇あんなら来れんだろ >>842
あなた同じことを怒鳴っているだけで話がつまらないです。 >>831-832ならないの?
>>833
>競技格闘技の技指導も
>実は必ず演武になっちゃうんですよね
だねえ。いわんや伝統武格をや。特に口数が多い指導者はアウトだね。それだけで社会的に抵抗しにくい空気を醸すから。
>>834指合気はされなんだね。王樹金氏から業界に輸入されたものでないかな。
>佐川師範は具体的に何がどう凄い
具体的には総じて柔術の人ではなかったね。田中こうしろう氏に敗れているしね。田中氏は古賀元中尉から柔術殺しを伝えられているからむろんといえばむろんだけどね。
ただまあ佐川師も高岡八段的な
合気道的な基本をイメージ通りそつなくこなすという意味では優秀だった。
合気道的なといったのは大東的というと今や幸道会的なイメージも混線してしまうからね。
剣術(の直進力)は凄かったよ。
佐川師が剣をとれば
塩田九段(十段)が神と評した王樹金氏(素手)をも斃せた可能性があるね。ちなみにちなみだけど以前は大東流でなく主に大東と略していたんだ。これひとつ語れない輩はディープにふれたことにないにわかだね。
>>842技術大系ってなんだよ。落ち着けよ。指かたまりすぎやろ。 いや、流石に鋳造氏の御話は興味津々ですな
話は斜め上に行ってしまいますが、鋳造さんは肥田春充スレにも来ておられましたが
あの手のものにも御興味御有りなんでしょうかね?
肥田と言う風変わりな人をどう評価されておられるんでしょうか? >>848
佐川師の(大東のと言うべきかな)剣は、一刀流と真影流、どちらの影響を色濃く感じました?
植芝氏のそれとはまたタイプがちがったのですか。 肥田春充の本を読んでもまったく実践できなかったけど熱く力強く暑苦しい語彙が増えたのは収穫だったな。 深淵の色は 第七回 26ページ
合気道四段の木村健二郎医師は、大東流合気武術 佐川道場に入門したが、
白帯の門人や女性の門人に全く技が通じず、逆にコロコロ倒されて、一体自分は今まで何をやって来たんだと思ったそうだ。
https://j-nbooks.jp/sp/novel/original.php?oKey=101 論より証拠
嘘吐き植芝盛平が、武田惣角先生の教授代理になった頃
大東流合気柔術の看板が見える。
植芝盛平の息子の植芝吉祥丸が編集委員となっている武道辞典の写真では、大東流の文字が黒塗りされている(爆笑)
吉祥丸も嘘を吐くのが余程疚しかったのだね(笑)
https://cenyohopu.files.wordpress.com/2014/11/morihei-ueshiba-ayabe-1922.jpg?w=700 大山倍達の本に依然来日した王と言う中国拳法家が、デモンストレーションで一般人に腹を
突かしてた事があって、(たしか)弟子の大沢に「お前やってみろ」と突かしたら、口から泡吹いてぶっ倒れた
っていうのを見て、ずっと王樹金の事だと思ってました。 極真のケンカ十段安田英治に自由に突いて良いと言って
突かれて急性腸捻転だかになって黄疸が出て入院したの澤井健一。
後に澤井は「あれは彼の勝ちだ」と言って笑っていた。
王樹金の腹を突いてウッと唸るような突きをしたのは
日本人では柳生新眼流の島津兼治くらい。 大東流や合気道は嘉納治五郎が柔術の技を崩し・作り・掛けに分類して分析したのを
合気や呼吸力という言葉によってごっちゃに戻した。
理由は、
1 武田惣角や植芝盛平に学が無かったこと
学の無い人間は分析的考察が苦手で、「合気」とか「呼吸力」とか「神様のお蔭」とかの
ひとことで済ませたがる。
2 合気の技には、弟子が師の技に無理に逆らわないレベルから、技がかかってもいないのに勝手に飛んでいくレベルまで、
程度は色々あるにしても、技を掛けられる方の協力という要素が現実にある。
分析的考察をすると、この「協力」という要素があからさまになってくるので、分析考察をしない。
3 崩し・作り・掛けなどと分析すると、スポーツチックだが、
合気とか呼吸力という言葉を使うと技に神秘性が付与される。
4 合気や呼吸力という言葉を使えば、弟子をケムに巻ける。
分析的解説をすれば、それに対して、質問や疑問などが出て、師範の権威にキズが付く。
大東流は俺たちは合気道とは違うんだとか
偉そうなことを言うなら生徒募集で合気道の言葉を使うな(セコすぎる)。
琢磨会のほとんどの支部は
「合気道教室」などの名称で生徒(特に子供)を募集している。
大東館系も昭和年代の頃から「合気道」という名称を使って生徒募集をしている。
大東館系だった某県の大東流道場も、
昔、各駅に「合気道教室」と書いた大きなポスターを貼っていた。ポスターは金がかかるので今はやってないようだが、合気道教室という名称で客を釣るのは今もやってる。
俺たちは合気道とは違うんだ〜 一緒にするな〜
と言いながら、
合気道教室という名称を使って生徒を釣るなんてセコすぎだろ。 あと、
ほとんどの大東流のHPが
「合気道」で検索されると検索上位に上がってくるように一生懸命努力している(笑)
↑それはね、植芝盛平が大東流合気柔術を習ったくせに、大して習っていないとか嘘を吐いて、
合気道という紛らわしい名前で創始者を詐称したからなのだよ。
合気道は古来からの合気柔術とは違う、とか、合気は愛なり、とか植芝盛平が言っていたそうだから、
合気道じゃなく「愛の道」「愛道」「愛液道」「精液道」に名前を変えれば良いだろ。
そして、武道、武術ではなく、徳田容疑者がやったことを、合気会本部で宗教行為としてやっていけば良いんだよ。
昔、「愛の家族」というセックス教団がワイドショーで騒がれていたが、その路線で行けば良いだろ。
呉々も路上で見ず知らずの女性にやるんじゃないよ(笑) 深淵の色は 第七回 26ページ
合気道四段の木村健二郎医師は、大東流合気武術 佐川道場に入門したが、
白帯の門人や女性の門人に全く技が通じず、逆にコロコロ倒されて、一体自分は今まで何をやって来たんだと思ったそうだ。
https://j-nbooks.jp/sp/novel/original.php?oKey=101 論より証拠
嘘吐き植芝盛平が、武田惣角先生の教授代理になった頃
大東流合気柔術の看板が見える。
植芝盛平の息子の植芝吉祥丸が編集委員となっている武道辞典の写真では、大東流の文字が黒塗りされている(爆笑)
吉祥丸も嘘を吐くのが余程疚しかったのだね(笑)
https://cenyohopu.files.wordpress.com/2014/11/morihei-ueshiba-ayabe-1922.jpg?w=700 >>865
>植芝盛平が大東流合気柔術を習ったくせに、大して習っていないとか嘘を吐いて
どこに書かれてある話ですか?
>合気道という紛らわしい名前で創始者を詐称した
?
合気道の創始者じゃありませんでしたか?
>合気道という紛らわしい名前で創始者を詐称した
合気の用語は合気道サイドのほうが先行しているので
合気道と名乗るのに何ら問題は無いでしょう。 例えば押されたら倒れないようにバランスを取る人間のメカニズムを
「協力してる」と言うならそれはそうだろうな
間違いではない
合気之術ってのは物理学的に言えば
1つの状態から1つの状態への変遷であり
歯車的な阿吽の呼吸が存在する
あと古流の場合
体幹が出来てない初心者だと型を決められずに
受け手の腕を折ってしまう等の事故に繋がるから
稽古が演舞になってしまうのは仕方がない 対象の単純な破壊を目的とする西洋の格闘技術に比べて
自分と対象の位置関係を操作する我が国の格闘技術は
実に面白いものであるな 演武では、被験者をある特定の状況に誘導する目的性のもとに協力した双方から生じた行為の結果として
其れに即した動作が被験者に要請されるに過ぎないのであって、そもそも演武という状況下でなければ
そうした要求自体が生じ得ないのだから事故に繋がるということもまた有り得ない
客観的に観れば、芝居や演技と同様の行為に過ぎないものが武オタに掛かれば
受けを取らねば怪我をする(=非常に危険な技である!)などというトンデモ解釈が生ずることになる さらに事態を単純化するなら
これから貴殿の首を締めるが自由に抵抗しても構わない、だが我輩が貴殿の首を締める行為自体を
成立させる前に逃れようとする真似だけはするな、我輩が首を締める行為を成立させた後であれば
抵抗しても良いよ、抵抗しなくても良いけど死ぬだけよ
大東流・合気道の技が危険だなんて話は大抵こんな程度のもんだ 大東流信者は、ウソのコピペやら、偽造・編集写真のアップやら、
完全に狂ってるな。
やることがカルト教団信者と全く同じ。
やはり、大東流信者=オカルト武術信者か。 スティーブン・セガールの演武見たけど凄かったよ
実際にMMAのアンデウソン・シウバとかにもテクニック教えてるし
実践合気道なんだろうか? FBIにも教えてるな
殴れば確実に皮膚が裂けるが
合気は力加減で単なるストレッチにも出来るからな
それが裁判大好き国家で合気道が重宝される理由だ 深淵の色は 第七回 26ページ
合気道四段の木村健二郎医師は、大東流合気武術 佐川道場に入門したが、
白帯の門人や女性の門人に全く技が通じず、逆にコロコロ倒されて、一体自分は今まで何をやって来たんだと思ったそうだ。
https://j-nbooks.jp/sp/novel/original.php?oKey=101 論より証拠
嘘吐き植芝盛平が、武田惣角先生の教授代理になった頃
大東流合気柔術の看板が見える。
植芝盛平の息子の植芝吉祥丸が編集委員となっている武道辞典の写真では、大東流の文字が黒塗りされている(爆笑)
吉祥丸も嘘を吐くのが余程疚しかったのだね(笑)
https://cenyohopu.files.wordpress.com/2014/11/morihei-ueshiba-ayabe-1922.jpg?w=700
大東流信者(=オカルト武術信者)が完全に狂ってるwwwww
>>849肥田氏のことにはしょうじき明るくはない
かな。
高岡八段の柔術の師が肥田氏と同じ本家筋で
肥田氏を必ずしも柔(じゅう)の人ではない
むしろ剣に比重を置いて学んだ人で剣は相当な一線級
と評していたとかその程度の伝聞が私の手持ちだと関の山かな。個人的には生で触れた先人以上のことがいえるはずもなくコメント据え置きとしたいところ。
野口晴哉氏が実践していたり
奪胎換骨をしたとされる美坂駿文氏の実力から判断するにとかく非常に内容のある存在(修練法)だったのだとは思う。
>>850一刀流だね。あまり半身で転換を重ねるスタイルではありなんだ。
時代も時代だしあくまで仮想敵は他流試合として
さして戦場チックな野戦は想定されていなかったのでないかな。
>>872合気は相手を動かすから体が残らずに連綿とついてくるのであって
動かせずにリアクションを期待する論法は少し違うのでは。 大東流厨は、武道の名称として合気柔術と言い始めたのは、植芝盛平が自己の武道を合気道と呼ぶようになるようりも先と言い、
その証拠として、明治40年代の大東流の稽古日誌に「合気」という言葉が出てくると自慢げにおっしゃる。
しかし、「合気」という言葉を使うだけなら、他流の柔術でも、もっと前から使ってますから。
明治26年第1版発行「天神真楊流 柔術極意図解」聚榮堂大川屋書店(吉田千春・五世磯又右衛門 合著)より
「(前略)或いは、我と敵と一体一気になるを合気と云って之も宜しからず。
敵の変動の気に付け入るを合気の先と云う。
我も敵も動かざる先に拳法を行うを不意の先と云う。(後略) 」
(カタカナをひらがなに改め、現代仮名遣いに修正) 深淵の色は 第七回 26ページ
合気道四段の木村健二郎医師は、大東流合気武術 佐川道場に入門したが、
白帯の門人や女性の門人に全く技が通じず、逆にコロコロ倒されて、一体自分は今まで何をやって来たんだと思ったそうだ。
https://j-nbooks.jp/sp/novel/original.php?oKey=101 論より証拠
嘘吐き植芝盛平が、武田惣角先生の教授代理になった頃
大東流合気柔術の看板が見える。
植芝盛平の息子の植芝吉祥丸が編集委員となっている武道辞典の写真では、大東流の文字が黒塗りされている(爆笑)
吉祥丸も嘘を吐くのが余程疚しかったのだね(笑)
https://cenyohopu.files.wordpress.com/2014/11/morihei-ueshiba-ayabe-1922.jpg?w=700 >>889
武術のなかでも特に剣術において、合気という言葉は立ち会いにおいて拮抗や膠着など
忌み嫌われる否定的な状況を現していたんだよな
剣術家であった惣角がそうした語を好んで自流に取り入れたとは思えない
しかしやがて誰が流行らせたか知らないが、明示の中頃には読心や気合の法など一種の霊術として
合気の言葉が広まることになって、大正十一年の段階では既に一部の武術において
心の法としての定着を見せていたが
合気の語が特に、霊術的な意味合いで広く浸透していたという点からも大本の王仁三郎から齎されるのは
むしろ自然というか必然的な流れと見るべきだろう
ここに、和合という宗教観が入ってくる段階で全周囲的な万有愛護の思想が
付加されることになる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています