合気(合気道、大東流、八光流etc.)総合
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幅広く合気を語りましょう。
少林寺、空手、中国武術、古流等々歓迎。
他流批判、宣伝、無関係な話題は節度をもって(他所で)お願いします。 あと、佐川幸義は礼儀にうるさいので有名だったが、
礼儀正しい人は合気にかかってくれるので、
礼儀正しいかどうかで手を取らせるかどうかを見極めようとしていたときもある。 まあ、技術である以上、上手い下手はあるし、上手く出来ないからと言って研究、鍛錬を止めてしまった人は上手くはならないよ。
上手く出来ないところを工夫して研究するから上達するのだし。
ただ、合気道の様に、最初からお互いが効きもしない技に合わせて倒れて転がっていたんでは、永遠に合気之術が出来るようにはならないんだよ。 佐川さんだろうが、岡本さんだろうが、
合気をかけられる方が、
合気にかからないと先生に恥をかかせることになるという意識を持ってると
合気にかかりやすくなる。
なので、礼儀正しい人は合気にかかりやすい。
一種のラポールなんだろうけど。 小学生でも分かることだが、
合気で5m吹っ飛んだという場合、
物理的には、
5m吹っ飛ぶだけの力を加えたか、
相手が自分の脚力で吹っ飛んだか、
その両方の組み合わせか、
この3つの場合しかない。 常識的に考えて我が子くらい歳の離れた弟子が本気で抵抗するなんて状況自体があり得ないんだよな
事実として、吉丸氏の日立中研から呼んだ人が合気揚げで佐川の手を本気で抑えにいった
すると佐川は激怒してその日のうちにそいつをクビにしてしまったという事件があった
それを周りで見ていた人間は今後、師匠に対して本気で抵抗してやろう等と考えただろうか?
なにせ空気を読まない無礼な人間はクビだからね 堀川氏の合気DVD見ましたが、相手が足を触ってるだけで合気をかけて倒す技がありましたが
大東流ならではの技ですよね 大東流というものを一度も見たこともない人が一切の事情を知らされず普段着で寝転がってる
堀川の足を掴んでみよと促された場合、同様の結果が得られるだろうか
そのようなものは、飽くまで大東流とはこういうパフォーマンスであってこうして受けを取るものだと言う
先入観があって初めて成り立つ それなら一層説得力がある
足首つかんで転がって馬鹿だね、お前強くなる為に入門したんじゃねーのかって
いい大人が何やってんだか >>627
もしよかったら
タイトルかurlを教えてほしいです こいつら劇団でも主催すりゃ良いのに
少しでも強くなりたい、身を護る術を身に着けたいという動機で武術を始めたんじゃなかったのか >>621きみは巧く筋が通らないところを
具体的には例えば
合気道のどの史料も武田惣角の悪口なぞ書き立てていないのに
合気道が諸史料上で武田惣角の悪口を書き立てているなぞと嘘をごり押しして済ませようとしているから
いつまで経っても筋が通る(技ができる)ようにならないんだよ。
>>625古流のかなり一般的な表演(表現)だね。ちょっとしたトリックで誰にでもできるし大東流の専売特許とするには不適当かつその一方で簡単というほどでもない。
しかるべき伝承を享ければできる。通常の片手どり合気あげのがあげだけにぐっと難度があがるだろうね。 植芝さんと言うのは大本教の出口王仁三郎に師事し、晩年は宗教色が濃かったり、
写真で見た印象では高潔な人物に思われましたが、実際どうなんでしょうかね? >>636淡々とした人だったね。
何かにかけ
強い自己主張をお持ちのタイプではありなんだ。
実は運動能力が飛びぬけていたから
一技一技に関して綱渡りのような鋭い感性で施技していた。
余人が同じ技を同じ形式でかけようと思っても難しかったのでないかな。
八百長だとか受けありきとか思われてしまうだろうし
合気道に於いて受けとはなどと無用な諸説が紛々としているのも外形からよほどわかりにくいからだろうと思う。
杖を
まるで同じ軌道
まるで同じフォーム
まるで同じヘッドスピードで振っても
インパクトの威力が天地の差
一言でそういう実技の人だった。大本のことは特に何も仰らなんだね。うかがったのは起倒流と禊流のお話しのみだね。
明らかにその両流が柱だったといえた。当て身が七分はそんなわけないだろとのことらしい。ぶっちゃけ○○が一番つかえると仰っていたね。 >>636
悪人ではないが言ってることはブッ飛び過ぎてて理解不能だったって直弟子の方から聞いたことあるよ どこの大東流の道場でもやっているが、
最初、合気上げで初心者や見学者に手を取らせる場合、
その前に、師範や弟子が合気上げをやるのを何度も見せつける。
そして、頃合いをはかって、「あなたもやってみますか」などと言って、手を取らせる。
そうすると、初心者や見学者に合気上げをやりやすくなる(言いようによっては合気がかかりやすくなる)から。 そのようにしなければならないという先入観が入るから、いきなり手を掴ませて合気揚げをやってみせても
受けのとり方が違うなどと言われて修正されてるうちに劇団員ができあがる 深淵の色は 第七回 26ページ
合気道四段の木村健二郎医師は、大東流合気武術 佐川道場に入門したが、
白帯の門人や女性の門人に全く技が通じず、逆にコロコロ倒されて、一体自分は今まで何をやって来たんだと思ったそうだ。
https://j-nbooks.jp/sp/novel/original.php?oKey=101 横浜地方裁判所相模原支部 平成24年3月28日判決言渡し(平成22年(ワ)第○○○号 損害賠償等請求事件)
原告 大東流合気佐門会 同代表理事内野孝治
原告 高橋賢
被告 吉丸慶雪こと吉丸貞雄
被告 有満庄司
原告らの請求
1 被告吉丸貞雄は、原告大東流合気佐門会に対し、別紙書籍1乃至4記載の書籍を印刷、出版、製造、販売又は頒布してはならない。
2 被告らは、原告大東流合気佐門会に対し、別紙DVD目録1乃至3記載の各DVD商品を製造し、販売してはならない。
3 被告らは、原告大東流合気佐門会に対し、別紙WEBサイト目録2及び3記載の「木村達雄先生の質問状」及び「吉丸慶雪談」を削除せよ。
4 被告らは、原告大東流佐門会に対し、連帯して金600万円及びこれに対する平成22年5月9日から支払い済みまで年5分の割合による金員を支払え。
5 被告らは、原告高橋賢に対し、別紙WEBサイト目録1記載の「高橋賢先生新著作」を削除せよ。
6 被告らは、原告高橋賢に対し、連帯して金200万円及びこれに対する平成22年5月9日から支払い済みまで年5分の割合による金員を支払え。
7 訴訟費用は被告らの負担とする。
8 4項及び6項につき仮執行宣言。
判 決
1 原告らの請求を全て棄却する。
2 訴訟費用は、原告らの負担とする。
別訴 東京高等裁判所平成24年10月28日(平成○○年(ネ)第○○○号)
原告 吉丸慶雪こと吉丸貞雄
被告 株式会社福昌堂 代表者代表取締役○○○○
被告 高橋賢
和解条項(被告の敗訴的和解)
1 第1審被告らは、第1審原告に対し、第1審被告福昌堂の発行する、第1審高橋賢の著作に係る著作物である「佐川幸義先生伝 大東流合気の真実」
(以下「本件著作物」という。)第3章「佐川道場体験記」中の記述を、本件和解成立日以降発行するものにつき、以下のとおり変更する(頁数及び行数は、
第1審被告福昌堂発行の本件著作物初版第1刷による。)
(1)159頁1行目の「身長1メートル80センチを超える巨漢・吉丸貞雄さん」と「体格の立派な先輩」と変更する。
(2)〜(22)省略
(23)○頁2行目から3行目の「いかに突き蹴りが速く威力があろうと、」を削除する。
(24)〜(26)省略
(27)同163頁6行目冒頭から同頁15行目までの記述を削除する。
2 省略
3 第1審被告高橋賢は、第1審原告に対し、解決金として金○○万円の支払義務があることを認める。
4 省略
5(1)第1審原告及び利害関係人と第1審被告高橋賢とは、今後、相互に、相手方及びその指導する流派に対して、誹謗中傷に当たる言動やその活動に干渉し又はこれを妨害する行為をしないこと及び第三者をしてこれらの行為を行わせないことを約束する。
(2)(3)省略
6〜9 省略
10 訴訟費用及び和解費用は、第1、2審を通じて、各自の負担とする。 ちょっと修正
別訴 東京高等裁判所平成24年10月28日(平成○○年(ネ)第○○○号)
第1審原告 吉丸慶雪こと吉丸貞雄
第1審被告 株式会社福昌堂 代表者代表取締役○○○○
第1審被告 高橋賢
和解条項(被告の敗訴的和解)
1 第1審被告らは、第1審原告に対し、第1審被告福昌堂の発行する、第1審高橋賢の著作に係る著作物である「佐川幸義先生伝 大東流合気の真実」
(以下「本件著作物」という。)第3章「佐川道場体験記」中の記述を、本件和解成立日以降発行するものにつき、以下のとおり変更する(頁数及び行数は、
第1審被告福昌堂発行の本件著作物初版第1刷による。)
(1)159頁1行目の「身長180センチを超す巨漢を赤子の手をひねるように投げる」を「○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○」と変更する。
(2)159頁1行目の「身長1メートル80センチを超える巨漢・吉丸貞雄さん」を「体格の立派な先輩」と変更する。
(3)〜(22)省略
(23)○頁2行目から3行目の「いかに突き蹴りが速く威力があろうと、」を削除する。
(24)〜(26)省略
(27)同163頁6行目冒頭から同頁15行目までの記述を削除する。
2 省略
3 第1審被告高橋賢は、第1審原告に対し、解決金として金○○万円の支払義務があることを認める。
4 第1審被告高橋賢は、第1審原告に対し、前項の金員を、平成24年11月12日限り、第1審原告の指定する次の口座に振り込んで支払う。
ただし、振込手数料は第1審被告高橋賢の負担とする。
○○○銀行○○○支店
普通預金口座(口座番号○○○○○○○○)
口座名義 ○○○○○○
5(1)第1審原告及び利害関係人と第1審被告高橋賢とは、今後、相互に、相手方及びその指導する流派に対して、誹謗中傷に当たる言動やその活動に干渉し又はこれを妨害する行為をしないこと及び第三者をしてこれらの行為を行わせないことを約束する。
(2)(3)省略
6〜9 省略
10 訴訟費用及び和解費用は、第1、2審を通じて、各自の負担とする。 更にちょっと修正
別訴 東京高等裁判所平成24年10月28日(平成○○年(ネ)第○○○号)
第1審原告 吉丸慶雪こと吉丸貞雄
第1審被告 株式会社福昌堂 代表者代表取締役○○○○
第1審被告 高橋賢
和解条項(被告らの敗訴的和解)
1 第1審被告らは、第1審原告に対し、第1審被告福昌堂の発行する、第1審高橋賢の著作に係る著作物である「佐川幸義先生伝 大東流合気の真実」
(以下「本件著作物」という。)第3章「佐川道場体験記」中の記述を、本件和解成立日以降発行するものにつき、以下のとおり変更する(頁数及び行数は、
第1審被告福昌堂発行の本件著作物初版第1刷による。)
(1)159頁1行目の「身長180センチを超す巨漢を赤子の手をひねるように投げる」を「○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○」と変更する。
(2)同頁2行目の「身長1メートル80センチを超える巨漢・吉丸貞雄さん」を「体格の立派な先輩」と変更する。
(3)〜(22)省略
(23)○頁2行目から3行目の「いかに突き蹴りが速く威力があろうと、」を削除する。
(24)〜(26)省略
(27)同163頁6行目冒頭から同頁15行目までの記述を削除する。
2 省略
3 第1審被告高橋賢は、第1審原告に対し、解決金として金○○万円の支払義務があることを認める。
4 第1審被告高橋賢は、第1審原告に対し、前項の金員を、平成24年11月12日限り、第1審原告の指定する次の口座に振り込んで支払う。
ただし、振込手数料は第1審被告高橋賢の負担とする。
○○○銀行○○○支店
普通預金口座(口座番号○○○○○○○○)
口座名義 ○○○○○○
5(1)第1審原告及び利害関係人と第1審被告高橋賢とは、今後、相互に、相手方及びその指導する流派に対して、誹謗中傷に当たる言動やその活動に干渉し又はこれを妨害する行為をしないこと及び第三者をしてこれらの行為を行わせないことを約束する。
(2)(3)省略
6〜9 省略
10 訴訟費用及び和解費用は、第1、2審を通じて、各自の負担とする。 どんなにウソを言ったり、書いたりしても、
正当な裁判では負け続けている佐門会 「合気上げ」「呼吸法」と呼称が異なるのはなにか事情があったのかな?
いつ頃からそのような名称がついたのか知ってる方はいますか?
昭和13年に書かれた「武道」では「気力の養成」って呼ばれてるんですよね。 >>650
大正時は意気上げだったとか。
恐らくそこから両名称に分派した。 >>654
レスありがとうございます。
「いきあげ」が「あいきあげ」と「息(こきゅう)あげ」になったという感じでしょうか。 >>576
チンオは誤魔化してばっかじゃん。
都合悪くなるとコピペを連続するからね。
多分このレスを見て、またコピペで誤魔化すんでしょ?
あと研究に関しても、これまでチンオから視点その他、鋭さが微塵も漂った事ないんだけど。
技術論皆無だし。
佐川師の言は、鋭さに満ちている。
技術論も豊富だし。
チンオは結局、鍛錬もしてないだろうけど、何より大事な研究という事に関し決定的にやる気も、そして素質もないでしょ。 >>580
佐川派が初めて合気道を批判的に扱った透明な力は
1995年の出版ですから
阿部正氏の亡くなった
1984年よりも後年です。
1978年に出版された秘伝日本柔術は
特に合気道を批判的に扱ってもいませんから
佐川派にとっての出版による(道場に踏み込まれてしまう)脅威
の話題とは何ら関係ありません。
>>603
>私が言いたいのは、どうして「大東流」という言葉を使うのか?です。
大東流(堀川派)なので大東流を標榜するのは自然な流れだと思います。
あとは活動認可を受けているかどうかですけど
堀川氏ご在世中に同一市内で支部活動をしているので
合法的であった可能性はあるでしょう。
>>652-653
少なくとも指導者没後はるか後年に
明らかに無認可で大東流を名乗るあなたとはえらい違いです。 物騒なエピソードが多数知れ渡っている塩田剛三と、合気道とは敵対的な関係となるが
随一の実力者とされ関連の深い井上鑑昭も同じ1994年に無くなっている
そして武田時宗が1993年
惣角に直接師事してハッタリが効かない人、怒らせると怖そうな人が皆いなくなったタイミングで
合気道や、他の大東流に対して過激な批判本を出版しているという点に違和感を覚えるのは
不自然なことではないだろう、実際に岡本正剛さんは堀川幸道さんのことを書かれて怒ってたからね
佐川派は威勢の良いことを言ってるだけで結局、何もやらないんだから 藤平さんが十段で塩田さんは九段でしたかねえ
何処でそんな差が出来たんでしょうか ああ、透明な力で、ああいう書きっぷりができたのは、
井上鑑昭さんが1994年に亡くなったのが大きいかもね。
合気ニュースの1980年代だかのインタビューでは、少なくとも晩年の武田惣角は井上さんの相手じゃなかったことを話して、
その後の武田時宗氏のインタビューで、別に井上鑑昭さんの言ったことを否定しなかった。
亡くなる直前は、元気はなかっただろうけど、武田惣角や植芝盛平や佐川幸義について本当のことを知っていた人だから、
ヘタなことを書くと、吉丸慶雪さん以上の強烈な批判が来るおそれがある。
そこで、井上さんが亡くなった翌年に透明な力を出版したということだと、出版時期について、かなり考えたんだろうね。 >>659
> 何処でそんな差が出来たんでしょうか
塩田先生が養神館で独立しはったからだすがな。 井上鑑昭(合気ニュースと昭和61年(1986年)12月より63年8月まで14回会見)
井上「昭和6年かな。(武田惣角が)東京にひょっこりやって来たのです。
そのときも叔父貴(植芝盛平)が少し体弱かったものだから、私が相手になった。
お客さんを呼べというので、偉い方々をお呼びして技を見せなきゃならない。
私が相手になったので、お前に教えてやったんだから英名録に書けと言う。
私は、嫌や、あんたに習ったんではなく、あんたの相手になってあげた。むしろ、あんたが私のとこに書けってね(笑)。
でも、植芝が、先生がああおっしゃってくれているからお書きなさいと言うので、たぶん、そのとき仕方なく書いたのです。」
(続く) 井上鑑昭の会見録(続き)
「当時の人は、武田先生の技じゃなく、私が武田先生にどういう受身をするかを見たかったと思います。
それはもうひどいですよ。
私の手を逆に取ってぶつける。私は投げられたら立ってニコッて笑っているものだから、よけい癪にさわるんだね(笑)。
また、つつっと来る。向こうが来る前に、こちらがつつっと入る。そうすると、こっちが入り身に入っている。
投げることができないのです。私のほうが投げることができる。
だけど、お年寄りだから、そういうわけにはいかんでしょ。
それで、武田先生は、入ったら逆を取りました。
ところが、私は、小さい時分から逆を知っている。逆の逆、裏というものをね。
逆の逆の逆の裏というのは順に返る。元に返るのですから何でもない。
こう突けば、向こう(武田惣角)が引っ繰り返るのは決まっているのです。
私は、そういうことを小さい時分、私の祖父に習ってますから。」
(続く) 井上鑑昭の会見録
ー 大東流から合気武道に名前が変わった経緯をお話しくださいますか。
井上「合気武道という名前は出口王仁三郎先生が付けてくれたのです。
大東流柔術では、おかしいんじゃないかと言ってね。
植芝を呼んで、大東流柔術というのはやめとけ、合気という名前にしたらいいと言ったわけです。
植芝は、初めは、合気ということは容易に言わなかったのですが、途中で入れたのです。
合気武道と私が言い出したのですからね。それまでは皇武武道と言ってました。
私は、植芝先生と親子みたいにしてましたから、なぜ合気武道にしなきゃいけないかをはっきり言ったのです。
皇武武道はやめなさいと。
皇武武道やったら、必ずいつかは潰れてまた合気というものに帰ってきますと言ったのです。
植芝が私の家へやって来ましたよ。
やっぱり、他を見れば皇武では困る。合気という名前を付けたから合気道というとね。
ああそうですか。武道というのは付けないのですかって言ったのですが。
その時分、私は、合気武道で教えてましたからね。」 その偉そうにホラを吹いていた井上鑑昭の動画(笑)
https://youtu.be/ko0zTHgaRik
植芝盛平の合気道と全く同じだよね(笑) 弟子に自分から転がる受け身取らせてるだけの演武だね。
こんなの合気之術でもなんでもないね。ただのヤラセ演武(笑)
親英体道って、今でも活動してんのかね?(笑)
塩田の養神館も、今やパチンコ屋の2階なんだろ(笑) 深淵の色は 第七回 26ページ
合気道四段の木村健二郎医師は、大東流合気武術 佐川道場に入門したが、
白帯の門人や女性の門人に全く技が通じず、逆にコロコロ倒されて、一体自分は今まで何をやって来たんだと思ったそうだ。
https://j-nbooks.jp/sp/novel/original.php?oKey=101 >>665-669
チンオの家が塀もなく、生活保護だからって、ひがまない事。
そして矢張りコピペで誤魔化しましたね。 >>657
木村政彦の足払いに関してマウンティングしたのも
木村政彦が没した
1993年よりも二年後の
1995年の透明な力で
だったね。
>>659とうじ植芝盛平は既に院政ですらなく
名目上の相談役のような立場で実質的に組織の内政には全く関わっていなんだ状態だった。
そこにきて小笠原諸島返還など日米の神経質な関係が頭を擡げた世相にあって
本部にシンパの根を張った藤平氏が巧みに
米国に対し失礼に当たらぬべく名誉段の必要性へと誘導し
段位を取得し抜けたと専らの噂。
既得段位が植芝盛平の耳目に入り再理されるところとなることをはばかり
植芝盛平の早逝を望み某名誉十段との物騒な噂が走った噂もあるも
きな臭い話しなので舌先で引き返し腹に収めておくとしよう。
塩田九段が戦前の言い渡し段位に留まったのも
厳密には植芝門でなかったのも一因かな。
>>665-669そんなはげ散らかしている暇があったら働けって。
人生を棒に振るのはきみの勝手として
せめて一度は鍼を振(る)ったら? >彼が原因とは言わないけど徳田事件から新規は来ないし来なくなるのも増えた
良い気味だね(笑) 植芝盛平のインチキ武道が、こういう形で終わりを迎えるとはね。 その偉そうにホラを吹いていた井上鑑昭の動画(笑)
https://youtu.be/ko0zTHgaRik
植芝盛平の合気道と全く同じだよね(笑) 弟子に自分から転がる受け身取らせてるだけの演武だね。
こんなの合気之術でもなんでもないね。ただのヤラセ演武(笑)
親英体道って、今でも活動してんのかね?(笑)
塩田の養神館も、今やパチンコ屋の2階なんだろ(笑) >>665
そういう晩年のものを出すなら、佐川幸義の演武も大したことない。
透明の力に載ってる写真だけでも、
弟子の正面打ちを手刀で返す写真で、
佐川が弟子を崩している方向と、弟子が崩れている方向が微妙にズレており、よく見れば分かる。
写真ですら見抜かれそうだから動画を出さないだけじゃん。
大東流では、惣角のあと佐川を介して時宗が宗家を次いだことになっており、時宗も佐川と同系統なはずだが、
時宗の演武動画は公開されており、それはもう酷いものだ。
何人かの弟子に胴上げされて、ワッショイワッショイされてるうちに、いきなり時宗がヤーッとかけ声をかけると
弟子がアアーッと言いながら全員動けなくなる。
会場から失笑がいっぱい漏れていて、よく聞こえるよ。
武田時宗の演武のYoutube → https://www.youtube.com/watch?v=4M579s8Gni0
時宗の先代宗家にあたる佐川の実力も所詮この程度だって。 >>665
前にもやったんだが、佐川幸義の実力を「透明の力」の写真から判別してみようか。
まず、
巻頭写真のうちの
「打ってくるのに対し、軽く触れただけで相手を飛ばしてしまう合気の技。佐川先生は七十歳近くになり、この原理を発見した。」と
書いてある4枚の連続写真。
2枚目のあの写真の両者の腕の形だと相手は佐川の若干右前に飛んでいくんだよ。ところが、相手は、佐川の真っ正面に飛んでいる。
佐川に正面からの攻撃を飛ばされるのだから、正面に飛ぶはずという意識が無意識のうちに働いている。
佐川の反撃のベクトルが若干自分の右前方向に働いているのに、技をかけられた弟子が、それを真正面に修正してる。
大東流や合気道をやりこんでいる人が見れば、判別できる。
これが動画が出せないわけ。 >>665
井上さんの演武を見て分からないとは目が腐ってるね
居合にしろ実際に人を斬らずとも、その佇まいで凄みが伝わってくるだろうがよ
活動にもケチつけてるが、お前らの所なんか道場自体がぶっ潰れて
跡形もねぇじゃねえか(笑) 透明な力の巻頭写真の
「高速度カメラで撮った一瞬の技。棒をつかんで下へたたきすけられるまで0.5秒もかかってない。
そのスピードののため、帯が上へ立っているのが見える」
とあるのも、
別にスピードでそうなっているのではなく、技の勢いでそうなっているだけ。
普通に合気道の演武会でもあること。ただ、仏の演武会じゃあ、高速度カメラとか使わないし。
それに技の勢いでああなっただけということじゃないと、
逆に、完全に力を抜いている相手(帯のように)には、佐川の合気が効かないということにもなってくる。
著者が合気ということをよく分かっていないので、スピードでこうなっていると書いてしまった、やっちゃった例。 佐川派が佐川の方が植芝より上だったと書いてるのは、
佐川派だけによる一方的な記述。
井上鑑昭が武田惣角を圧倒した事実は、
井上の一方的な記述ではなく、
合気ニュースやスタンレープラニンが検証した結果真実であるとして
合気ニュースが記載した事実。 また、
大東流の方が先に合気という言葉を使い出したというのも、
技の使い方や名称として使っていたかもしれないという程度で、
実際に確認された事実は、出口王仁三郎が植芝盛平に合気を付けろと言われたのが始まり。
それがほぼ事実であると確信したのでスタンレープラニンや合気ニュースはそのように記載した。 >合気ニュースやスタンレープラニンが検証した結果真実であるとして合気ニュースが記載した事実。
んな阿呆な。(笑) そもそも武田惣角が小野派一刀流を本当にやっていたなら
自分の武術に合気を付けるという発想にならない。
小野派一刀流が代表的だが、その他古流剣術でも、江戸時代からずっと「合気」は「合気をはずせ」という言い方で使っている。
「合気」を悪い意味で使っている。
本当に武田惣角が下江秀太郎といい勝負をするくらい小野派一刀流や剣術をやっていたのなら、
そのような使い方をしている言葉を自分の武道の名称にするはずがない。
もし、悪い意味で剣術で使われている言葉を積極的に自分の武道の名称にしたのなら、
武田惣角が剣術を相当にやっていたという話自体が嘘くさくなってくる。
実際は、植芝盛平が出口王仁三郎のご託宣を受けて、合気を武道の名称に使い始め、それが流行ってるのを見た惣角が、
それを真似しただけ。
で、佐川派が、「明治○年の日記のここに合気という言葉が載っている。だから、大東流の方が合気道より先に武道の名称に合気を付けたのだ」
と必死にウソをつくのは惨めったらしい。 >>681
ごまかすなよ(笑)
スタンレーは生存している惣角の弟子と盛平の弟子の全てに会い、
大東流と合気道関係者の中で最も多くの莫大な資料を見た人物。 >>676
『透明な力』には、佐川さんは絶対に映像は残さないと書かれてたが
津本陽さんによると実際にはビデオが存在しているらしいね
秘密だから公開は有り得ないという事だろうがなにせ伝説の武術家だから
販売したら反響が凄いだろうね、20万円くらい儲かるんじゃないかな >>683
最も多くの莫大な資料を見たかもだすが、武道家や武術家の話なんざ、嘘や大法螺も多い。
惣角はんや植芝翁や塩田センセの話でわかりまんがな。 時宗に合気は無い、などと言い出したのも本人が亡くなってからなんだよな
合気は後の先だなどとたわけたことを言っているとも
全くひどい話だ >>672
>徳田事件
徳田流格闘術(きみ)のこと?現実をみすえていいかげん働けよ。
>>685
>武道家や武術家の話なんざ
>嘘や大法螺も多い!
なんだこの昭和の固まったセリフは。 その偉そうにホラを吹いていた井上鑑昭の動画(笑)
https://youtu.be/ko0zTHgaRik
植芝盛平の合気道と全く同じだよね(笑) 弟子に自分から転がる受け身取らせてるだけの演武だね。
こんなの合気之術でもなんでもないね。ただのヤラセ演武(笑)
親英体道って、今でも活動してんのかね?(笑)
塩田の養神館も、今やパチンコ屋の2階なんだろ(笑) 深淵の色は 第七回 26ページ
合気道四段の木村健二郎医師は、大東流合気武術 佐川道場に入門したが、
白帯の門人や女性の門人に全く技が通じず、逆にコロコロ倒されて、一体自分は今まで何をやって来たんだと思ったそうだ。
https://j-nbooks.jp/sp/novel/original.php?oKey=101 > 彼が原因とは言わないけど徳田事件から新規は来ないし来なくなるのも増えた
大体にして、TOKIOの山口が援交JKにキスしただけで、示談金二千万円払って、謝罪会見開いて、TOKIOの他のメンバーまで謝罪会見したのに、
合気会の徳田ワイセツ事件時の対応はなんだよ?
公益財団法人のくせに、謝罪会見のひとつもやらなかっただろ。 >>693うん
だから徳田流(きみ)の惨敗事件のことだろ。いいかげん目を覚ませって。
プロレスとリアルアクションの違いが見えないからそういうハメに陥るんだよ。
>145名無しさん@一本勝ち2018/03/12(月) 18:59:10.96ID:v1rFQnA+0
>>>145
>まんまプロレスじゃねえか(笑)
・・・ったく
力道山からは卒業できたか? >>695 盛平師と身近に接してたり内部事情に詳しい事から憶測するなら
貴方は植芝さんの高弟じゃないんですか?
実名を晒せば「まさか、あの人か」と言う武道家じゃないでしょうな > 彼が原因とは言わないけど徳田事件から新規は来ないし来なくなるのも増えた
大体にして、TOKIOの山口が援交JKにキスしただけで、示談金二千万円払って、謝罪会見開いて、TOKIOの他のメンバーまで謝罪会見したのに、
合気会の徳田ワイセツ事件時の対応はなんだよ?
公益財団法人のくせに、謝罪会見のひとつもやらなかっただろ。 大東流、特に佐川派は、
武術名に合気を使い始めたのは合気道より大東流が先というウソを曝かれ、
佐川幸義が達人だったというウソも曝かれ、
触れた瞬間に相手を無力化することが出来るというウソも曝かれ、
もうコピペしかできなくなった。 武田時宗が「合気は後の先」と言ったのは、ある意味核心を突いているのだが、
佐川派は、「合気は後の先」と言っているのは、合気が分かっていないからだと、武田時宗が死んでから言い出した。
だが、そういう佐川派は、
「先」も「先の先」も「先々の先」も「後の先」も、よく分かっていない。
「先」も「先の先」も「先々の先」も「後の先」も勝負論では極めて重要な概念だが、
佐川派は、勝負しないオカルト武術だから。
しょせん、富木謙治から「実際を知らないんですよ」と失笑される連中。 昭和43年に仮に15才で植芝翁に
習ったり話を聞いたとして
盛鋳造は今年67才ですよ。
そんなじいさんが匿名掲示板に
いるとは考えにくいですね。 最晩年に植芝翁が見いだして弟子にした天才赤ちゃんがいたって噂を聞いたことあるなあ(棒)
それでも今生きてたらその人50代なんだけど >>696一受講者だったね。
和歌山では組織化以前の運営が
組織と並行的に存在していて
かなり高額な受講費による一見(いちげん)式の教授形式が
まだ残っていてね。本当なら廉価な入門をしたかったのが諸事情から認可がおりず散発的な受講に留まった。
そのぶん高額受講者だけに受講時は優遇されて
あれこれ内情に立ち入ることが自ずとできたわけだね。元来ここの和歌山カオスにH師範(名誉十段とは別人)とか中心に組織上の本部化計画が持ち上がっていたものを。
血相かけて取り止めを強行してきた一派がいて実現せなんだ。既得権益が惜しかったんだね。
誰あろう二代目だったといいたいところなんだけど
流石に胸の裡にしまっておきたい感じかな。あの横やりさえなければ持ちあがりで中枢に入れた?と思うもまあそれでよかったかとも。
ともあれあの混沌期をしっていると現今の合気会まずありきの史観などには強烈な違和感を覚えたりはする。
植芝盛平(金銭面でさしてリスペクトしていないから敬称をあえてつけない・・・身近感あふれるし)のとある身体能力を語れる証人は限られるから
そこに居合わせた傍証にはなると思う。ちなみに井上先生の身体能力は更にそれどころでなかった(背骨を各個ぼこぼこ動かせた)。
>>701佐川派も小平支部になってから経営化(言辞化)したね。あれで本部時代は会派をあげてもっと求道的なものだったしね。
ミドルを置くと非健全的になんのかね。 木村達雄さんの著書に
空手のチャンピンオンに腹をつかせて吹っ飛ばす写真が載ってたけど、
あれも、
突かれる前は、腹しか突いてこないと思っているためかスキだらけだし、
空手のチャンピオンとかを吹っ飛ばした後は残心が全くない。
残心が無い点では、相手を投げた後に残心が無くガッツポーズをする柔道と同じ。
その意味では、佐川派大東流はスポーツ化している。
残心がない武道は、武術や護身術としては極めて危険。
相手を投げたり、吹っ飛ばしたりした時点で「やった」と思って、態度や心の中でガッツポーズをしている間に、
相手の反撃に遭う可能性が高いし、
残心が無いクセがつくと、複数相手のときに自分より弱い相手でもやられてしまう。 残心がどうとか以前に、組み手をやらず、まともに殴り合ったりもみ合ったりしたこともないやつらなど
問題にならないよ
総合格闘家とやったら瞬殺される そもそも大東流は、植芝の合気武道が脚光を浴びたおかげで日の当たる存在になれた。
植芝盛平への恩を忘れるべきではない。
大東流各派は、植芝のおかげで、ある程度、日の当たる存在になれたが、
組織力では植芝系に全然かなわなかったため、
相手を崩す技法を合気と言っていたのを利用して、合気という技法にオカルト性を付与し、
植芝系の組織力に対抗して神秘武道として生き残ろうとした。ただ、それだけの話。
佐川派も、幸道会も、元々の武田惣角の技法そのままではなかったり、改変したり(特に佐川派)している。
植芝盛平も佐川幸義も堀川幸道も武田惣角の弟子であり、合気会も佐川派も幸道会も武田本流の亜流と意味で全く同価値。
植芝が大東流を盗んだとかみっともないことを言っているから、他のまともな武道家からバカにされる。 どだい植芝盛平は
30流派を学んだ上に
起倒流山田派(加藤派)
禊流(鞍馬流)
を中核といっているのに
大東流はないだろ
大東流は
って感じだね。 >>708
起倒流の形(かた)を見ると、わりと捨身技が多いです。
しかし植芝盛平は、印象として捨身を使った感じが、あまり無いです。
鋳造さまは盛平がなにか捨身に関し論及した、または実際に使って見せたのを、見聞されましたか?
そもそも山田派には捨身が無いのかな? 戦前には使っていた様子だし
逆三角絞めなどレアな技の写真も残っているけど
戦後のもうずっと後年は
一つの技術的集約体を築き上げた時代なためか夙うにノンタッチだったね。
山田派にはない。
望月氏の玉心流からの逆輸入だったのかな。 >>711
という事は、盛平の構成因子で山田派から採り入れたのは何だったのかな・・・・
乱取が意外にも出来た事かな?
起倒流は数少ない乱取をやる柔術流派だったからね。
それともほかの、もっと大事な因子か・・・・ > 彼が原因とは言わないけど徳田事件から新規は来ないし来なくなるのも増えた
大体にして、TOKIOの山口が援交JKにキスしただけで、示談金二千万円払って、謝罪会見開いて、TOKIOの他のメンバーまで謝罪会見したのに、
合気会の徳田ワイセツ事件時の対応はなんだよ?
公益財団法人のくせに、謝罪会見のひとつもやらなかっただろ。 深淵の色は 第七回 26ページ
合気道四段の木村健二郎医師は、大東流合気武術 佐川道場に入門したが、
白帯の門人や女性の門人に全く技が通じず、逆にコロコロ倒されて、一体自分は今まで何をやって来たんだと思ったそうだ。
https://j-nbooks.jp/sp/novel/original.php?oKey=101 >>704少し勝手に自己補足をすると
ここでのH師範は一応
久十段とはご別人だね。
たびたび話題にしている真の十段の方も
H十段だけど
その方はまた別。
つまり私の人脈中
四人のH師範が入り乱れ
時にややこしいけど
ちくいち軽めの註釈つきで出すし
そういうつもりで判断してほしい。
>>712地稽古はできた方だったね。無手ならたぶん塩田九段(十段)が越えたけど。
山田派=戸澤派
の伝書には縮地法が記載されてあって
山田派=旧県(埼玉県と同時に成立かつ今は廃県)派
の伝書のが先んじており
また
戸澤派の伝書が伝書自体が初出にも関わらず
後年から旧県派の該当ヶ所を後発伝書に組み入れていることから
そこがよほど重要と伝承と考えられ
すなわち合気道も縮地をこそやはり重大視したのでないかな。
大東流(新陰流)にもあったとは思うけど
山田派(加藤派)の修学よりも後年のことに過ぎないしね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています