合気(合気道、大東流、八光流etc.)総合
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
幅広く合気を語りましょう。
少林寺、空手、中国武術、古流等々歓迎。
他流批判、宣伝、無関係な話題は節度をもって(他所で)お願いします。 佐川派って勘違い中年オヤジの惰弱チームのことだろ? 学者とか多いけど、少し旦那芸ができただけで天下取った気分の池沼&発達障がいがたむろする基地外道場六三郎だよね? >>483
昔の他流試合は、実力上位の者が相手の顔を立てる為にわざと1本取らせてやるということは
暗黙の作法だったというからな
>>485
塩田は生前、佐川を気に入らないから話もしたくないようなことを漏らしている 合気とは、相手の力を抜いてしまう大東流独特の技術であり、合気之術に掛かっては、如何なる武道と謂えども太刀打ち出来なくなります。
因みに、大東流合気柔術から派生した植芝盛平の合気道は、大東流合気柔術の偽物に過ぎず、
合気という名前を大東流から盗用しただけで合気の技術は全く無く、使い物にならないカタチだけの踊りに堕しています。
その為、素人を騙して金を取って指導する疚しさから公益財団法人合気会(合気道)本部指導員の気が狂い、
通りすがりの一般女性の顔に精液を擦り付けるわいせつ事件を複数回起こしています。
https://ameblo.jp/ssrmondo/entry-12230795181.html
https://m.youtube.com/watch?feature=youtu.be&v=k4uyAfmVQpo
https://m.youtube.com/watch?feature=youtu.be&v=-faXmVN40y4
https://m.youtube.com/watch?v=ifvmlYOJDek&feature=youtu.be
インチキ変態武道の合気道に騙されないよう気を付けましょう。 深淵の色は 第七回 26ページ
合気道四段の木村健二郎医師は、大東流合気武術 佐川道場に入門したが、
白帯の門人や女性の門人に全く技が通じず、逆にコロコロ倒されて、一体自分は今まで何をやって来たんだと思ったそうだ。
https://j-nbooks.jp/sp/novel/original.php?oKey=101 >>484
下江は性格はあまりよろしくなかったからそれはないと思うな
むしろ一本とったら一本とらせてやるみたいなのはやってたのは惣角の方なのよ
出稽古に行った時に恨みを買わないように身につけた惣角の知恵 惣角は勝つまでやらないと気がすまない性質で相手が呆れてその場を去ろうとしても
家まで追いかけていってブチ殺すという性格の人物、ともかく並大抵の執着心ではない >>492
相手は選ぶ人だよ
北海道に来る前に東北地方で元武士の人らには教えてた時は下手にでてたのか悪い噂は聞かないし 精神異常者じゃないんだからお金を払って習いに来る人に牙を剥いたりはしないが
敵意を持ったり無礼な人間には容赦なかったね、日常の全てが臨戦態勢という人だから 合気とは、相手の力を抜いてしまう大東流独特の技術であり、合気之術に掛かっては、如何なる武道と謂えども太刀打ち出来なくなります。
因みに、大東流合気柔術から派生した植芝盛平の合気道は、大東流合気柔術の偽物に過ぎず、
合気という名前を大東流から盗用しただけで合気の技術は全く無く、使い物にならないカタチだけの踊りに堕しています。
その為、素人を騙して金を取って指導する疚しさから公益財団法人合気会(合気道)本部指導員の気が狂い、
通りすがりの一般女性の顔に精液を擦り付けるわいせつ事件を複数回起こしています。
https://ameblo.jp/ssrmondo/entry-12230795181.html
https://m.youtube.com/watch?feature=youtu.be&v=k4uyAfmVQpo
https://m.youtube.com/watch?feature=youtu.be&v=-faXmVN40y4
https://m.youtube.com/watch?v=ifvmlYOJDek&feature=youtu.be
インチキ変態武道の合気道に騙されないよう気を付けましょう。 深淵の色は 第七回 26ページ
合気道四段の木村健二郎医師は、大東流合気武術 佐川道場に入門したが、
白帯の門人や女性の門人に全く技が通じず、逆にコロコロ倒されて、一体自分は今まで何をやって来たんだと思ったそうだ。
https://j-nbooks.jp/sp/novel/original.php?oKey=101 >>491
下江秀太郎に一本取らせてやるとか考えること自体が
大東流が戦わない武道(笑)であることの証明。
大東流は武道に関してのド素人集団。 なにをどうやったらこんなあぼーん祭りになるんだ…? 合気とは、相手の力を抜いてしまう大東流独特の技術であり、合気之術に掛かっては、如何なる武道と謂えども太刀打ち出来なくなります。
因みに、大東流合気柔術から派生した植芝盛平の合気道は、大東流合気柔術の偽物に過ぎず、
合気という名前を大東流から盗用しただけで合気の技術は全く無く、使い物にならないカタチだけの踊りに堕しています。
その為、素人を騙して金を取って指導する疚しさから公益財団法人合気会(合気道)本部指導員の気が狂い、
通りすがりの一般女性の顔に精液を擦り付けるわいせつ事件を複数回起こしています。
https://ameblo.jp/ssrmondo/entry-12230795181.html
https://m.youtube.com/watch?feature=youtu.be&v=k4uyAfmVQpo
https://m.youtube.com/watch?feature=youtu.be&v=-faXmVN40y4
https://m.youtube.com/watch?v=ifvmlYOJDek&feature=youtu.be
インチキ変態武道の合気道に騙されないよう気を付けましょう。 合気さえ会得できれば老人になって筋力が弱っても相手を制することが可能である
そう思いたいのが人間である 合気とは、相手の力を抜いてしまう大東流独特の技術であり、合気之術に掛かっては、如何なる武道と謂えども太刀打ち出来なくなります。
因みに、大東流合気柔術から派生した植芝盛平の合気道は、大東流合気柔術の偽物に過ぎず、
合気という名前を大東流から盗用しただけで合気の技術は全く無く、使い物にならないカタチだけの踊りに堕しています。
その為、素人を騙して金を取って指導する疚しさから公益財団法人合気会(合気道)本部指導員の気が狂い、
通りすがりの一般女性の顔に精液を擦り付けるわいせつ事件を複数回起こしています。
http://cc3001.dmm.co.jp/litevideo/freepv/1/1sv/1svdvd094/1svdvd094_sm_s.mp4
https://ameblo.jp/ssrmondo/entry-12230795181.html
https://m.youtube.com/watch?feature=youtu.be&v=k4uyAfmVQpo
https://m.youtube.com/watch?feature=youtu.be&v=-faXmVN40y4
https://m.youtube.com/watch?v=ifvmlYOJDek&feature=youtu.be
インチキ変態武道の合気道に騙されないよう気を付けましょう。 >>501
そんな事無理なのにねえ。
そんな連中に限って筋力を衰えさせないための努力ってしないんだろうな。 光輪堂合気道をされてるかたはいますか?
昔、静岡市に住んでいたときに市民体育館で合気道の稽古を見学させていただいた事があるのですが、合気会とは別流派で光輪堂系であると伺いました。
体捌きの基本稽古に非常に引かれるものがあったのですが、当時フルコン空手をやっていたので、それじまいでした。
空手から遠ざかって久しく、また何か武道を始めたいなと思っているので、あの光輪堂合気道に興味があるのですが、あまり情報がなさそうなので、実際にやられてるかたいませんか。 受け身とか転がらないのよね。
見せてもらうと面白いけど何もかも違うのでいまから併修できるような気がしない。 光輪洞合気道は、競技人口の少なさからか技量がさほど高くないのと
歴史が浅いうえに盛んでないのであまり技が洗練されてない 俺も光輪洞の体捌きは練習してみたいなと思う。
平井稔師は実際どんな人だったんだろうか。 自分は凄い先生に習ってるんだと言う悦に浸るために
疑問が湧いてもあえて深くは考えない、次第に疑問を抱くこと自体なくなる
こういう気持ちは良くわかる
自分も、古流をやってたときは年寄りの先生を達人だと思い込んでいた
いや、思い込みたかった。夢を見ていたかったんだ それに気付いたら
自分で戦える技にカスタマイズするべき
騙されたと歩思わずにそこから進化すると言う風に
気持を前向きに持って頑張って欲しいと思う 俺は古流研究の為にと思って道場に通いつつ競技格闘技にもいきはじめたんだけどね
それでも、それはそれで別のことだと考えてたから洗脳は取れなかった
目が覚めたのは、恥ずかしながら柳がぶん殴られたりしてからだな、ネットを通じて分かってきた 合気道と比べても遜色なさそうだし、もっと盛んにやれば良いのにね >>514
競技格闘技という言い方をする時点でまだ完全には目が覚めてないな >>517
いや、いいんじゃないですか?
適切な表現だと思いますよ。 組手と同義語でいいんじゃね?競技格闘技
自由に動いてかかってくる相手に対して技をきめる練習は必要な過程だと思うがなあ 大東流も合気道もフォークダンスと大して変わらん。
単なるパフォーマンス。
一流の武道家で大東流や合気道に負けた人は1人もいない。
大東流や合気道の本には、
「ある有名な空手五段」とか「木村政彦と並び称された柔道六段」とか
そういう表現ばかりで具体的に誰かが全く不明。
で、名前を出したと思ったら、死んだ人ばっか。 >>518
いいわけないだろ
>>519
格闘技知らないいい証拠 >>506逆でしょ。歴史も一般的合気道より深い。
>>509
>合気道は
合気道≠合気道諸派
だね。
≒
ではないよ。
≠
だよ。
>>510-512
合気会的な神楽式の体捌きは
平井派からの逆輸入らしいよ。実技面は平井先生と合気会十段の方が双璧だったね。 >>521
なぜ良くないのか説明ヨロ。
僕からも予め説いとくと、格闘技を散々謳いつつ、競技化されていないものも過去にありました。
それはプロレスという名で、今も残党がいると噂されます。
だからきちんと「競技」格闘技と呼び分けするのは、意味があると思います。 名前の通りだよ
何わけのわからん理屈こねてるんだよ
競技は勝ち負けを争う事
小学生でも調べればすぐにわかることをグダグダ何言ってんだ >>524
で、なぜ勝ち負けを競っちゃいけないんですか?
その説明でわかると思うのがスゴイな >>523
>>524
この理屈が格闘技を知らない外野からの視点で言ってるからおかしいんだよ
どうせ武道をかじって格闘技まで知ってるつもりのオタだろうが 深淵の色は 第七回 26ページ
合気道四段の木村健二郎医師は、大東流合気武術 佐川道場に入門したが、
白帯の門人や女性の門人に全く技が通じず、逆にコロコロ倒されて、一体自分は今まで何をやって来たんだと思ったそうだ。
https://j-nbooks.jp/sp/novel/original.php?oKey=101 >>522
>
> >>510-512
> 合気会的な神楽式の体捌きは
> 平井派からの逆輸入らしいよ。実技面は平井先生と合気会十段の方が双璧だったね。
「合気会」の十段ですか?
以前挙げられた久先生とは別の方ということでしょうか? >>518
> 自分は凄い先生に習ってるんだと言う悦に浸るために
> 疑問が湧いてもあえて深くは考えない、次第に疑問を抱くこと自体なくなる
> こういう気持ちは良くわかる
> 自分も、古流をやってたときは年寄りの先生を達人だと思い込んでいた
> いや、思い込みたかった。夢を見ていたかったんだ
古武道と称して、郷土芸能として形を固定化して保存伝承するようになった所は何処もそうだよ。
武道、武術というより神楽に近くなっているね。諸賞流とか起倒流とか天神真揚流とかもね。植芝盛平以来の合気道各派も。
だけど、大東流合気柔術会派の中で、現代でも通用する護身術として合気之術を追究している所は、合気の技が生きているよ。 >>526
んんん〜??
ものすごく説明がわかりにくい。
とりあえず>>526が>>524と同一人物なのか答えて。
ついでにまとめてわかりやすい解説を終わらせてくれれば。 >>523
>僕からも予め説いとくと、格闘技を散々謳いつつ、競技化されていないものも過去にありました。
>それはプロレスという名で、今も残党がいると噂されます。
このスレにも残党がいるね。
>>145
>まんまプロレスじゃねえか!
頭が昭和のプロレスのまんまなのだろうね。
>>526
>格闘技を知らない!
プロレスを?そりゃ競技を前提としたリアルモーションでないといくら格闘技を謳ったところでプロレスになってしまうでしょ。
だから
競技格闘技と
格闘技(プロレス含む)
呼び分けるのが適正だろうね。
>>530厳密には
合気会確立前に十段
合気会確立後に繰り越し十段
南東南亜支部の独立後返納
と推移した方だね。久十段とは別の方。平井先生の後任としていわば民間出向された方らしい。
>>532
>植芝盛平以来の合気道各派
合気道は植芝盛平以来ですらないね。 >>534
そうなんですよね。
チンオのように、芝居格闘技を競技格闘技と混同する昭和脳がいるから、ハッキリと「競技」を語の頭につけたほうがいいと思うのですが・・・・
リアルモーションという表現はいいですね。
競技を学ばないと、たとえ優れた人物がいくら真剣に取り組んだところで、結局は言わばフェイクモーションまみれになるのでしょう。
>>526氏を>>524氏と同一と仮定して、彼は残念ながら、競技を学んだ>>514さんが妬ましかっただけでしょう。
だから説明出来ずに、モゴモゴと口ごもり、単に>>514さんが競技をしていないという話にしたいだけ。
競技なんて、べつに誰だってやってるんですよ。
そう怖がらず、>>526氏もやってみればいいのに。 >>532
>神樂!
私が書いたのは
神樂ではなく
神樂式だね。>>522
>現代でも通用する護身術
私と同じ佐川派の
その小平支部の修行者に地稽古を求められたおり
闘い方がわからないというから居捕りでこちらが両手首を持って開始してあげたら
次の瞬間あちらが両腕を捕縛されていて(マジックでしょ?)
続けるや否や意向を問うたらもう充分とされたものだね。彼らは力こぶ合戦だけやっていて闘い方を知らないのでないかな。
あと
>>444これにも突っ込み絞めというか突っ込んでおくと柔道はそもそも柔術だよ。嘉納治五郎という一点で創始されたのではない。
合気道も植芝盛平ではない。彼らを含む線でそれぞれ創造されている。柔道なんぞ近世から存在するしね。固定化はダメだよ。>>414で教えたろ。
>>535間合いの調節や変圧
誘撃や陽動
追撃のオンパレードなのが実格闘だからね。停止したパペットを想定していると間違うよね。
特に昭和は追撃に無頓着だね。だから腕十字で決着しない椿事が起きる。あれも追撃を度外視した世界観だね。
>>536九段(範士十段=名人位)だね。塩田範士も実はパトロンを介して通力に接触していた。まあそれは別の話し。 >>537
実格闘が本当にはお分かりじゃないにしても、黙々と修行を続けた人は、尊敬出来ますね。
佐川師などはそういう例だったと言えるかも知れません。
鋳造さまは『深淵の色は』というウェブ連載をご存知ですか?
僕も最近、稽古仲間に教わり知ったんですけど、一言で佐川幸義伝です。
その一番新しい回に、佐川師が94の時、ふと師である武田惣角の手が大きかったのを思い出し、集中して考えたら、
その鋳造法が分かったという話がありました。
そして齢95の新年会、集合写真、そこに映る佐川師の手は、在りし日の惣角の手になっていたと・・・・
佐川師に久々感動を覚えました。
ちょうど今週末、僕の手に少しく変化が出たところでした。
暫く前からお米を左手で研ぐようにし、ようやく昨日、左で右と同じように研げるようになりました。
それと同期し、手が何だか厚くなり、手首も太くなったようです。
思えば武田惣角は両利きで、佐川師の気がついたのも、ひょっとしたらこのへんじゃないでしょうか・・・・ >>538要約を今このレスで読んだ。
なるほどー。
両刀が使いこなせないと大東流(合気)が使えるとはいえないし
まさしくそこのピンポイントこそを佐川師は窮めた(かった)のかもしれないね。
久十段も両刀が使えたね。 深淵の色は 第七回 26ページ
合気道四段の木村健二郎医師は、大東流合気武術 佐川道場に入門したが、
白帯の門人や女性の門人に全く技が通じず、逆にコロコロ倒されて、一体自分は今まで何をやって来たんだと思ったそうだ。
https://j-nbooks.jp/sp/novel/original.php?oKey=101 >>541
>植芝盛平の合気道
合気道は植芝盛平のではないね。
合気道は合気道だね。
合気会にしろ商標化の結果だよ。
線で認識しようね。
二刀の実技指導を佐川師から享けたこともないきみは
一度どこかの大東流に正式に入門して
大東流の基礎から手ほどきされたほうがいいよ。でないと公的な場の話しにはこうしてついてこられないからね。
>>538読み始めてみたよ。
佐川師と野口晴哉の接触が示唆されていて面白かったね。 >>544
チンオはおそらく、四方投の基本すら知らないでしょうね。
野口晴哉は駅のベンチに陣取って、行き交う人々を何と一日中観察する事もあったそうです。
佐川、野口、両者に共通するのは、その異常なまでの観察熱意です。
そういうのはホント見習わされますね・・・・ 深淵の色は 第七回 26ページ
合気道四段の木村健二郎医師は、大東流合気武術 佐川道場に入門したが、
白帯の門人や女性の門人に全く技が通じず、逆にコロコロ倒されて、一体自分は今まで何をやって来たんだと思ったそうだ。
https://j-nbooks.jp/sp/novel/original.php?oKey=101 しかし、まあ、野口晴哉なんて何の医療免許も持たない整体屋を神格化して、津本さんも何がしたいんだろうね(笑)
食料事情が悪い頃でもないのに60半ばで死んでんだろ。吉原という人も、ガンの先生なんて言われて調子こいて50代で死んでるなんてね(笑)
佐川先生も最晩年は、怪しげな無免許マッサージ屋に茶坊主の如くすり寄られて、どうかしてしまったのかな。
息子さんも障害を持っておられて頼れなかったから、仕方なかったのかもしれないけどね。 >>545観察の鬼
ってのは大事な要素だろうね。
掲示板全般に当てはまることとして
文章を観察するってのもその第一歩だよね。
>>550きみ
とりあえずどこかにきちんと入会し
大東流の基礎を学んだほうがいいよ。そうすりゃ生の佐川師の内面もわかるよ。
>>551すごいねえ。こういうのは学んだことのない余人には原理がわからないのだろうね。 野口晴哉の息子の野口裕介も62で死んでるんだね。
やっぱり野口整体に問題があるんでしょ。カミさんが近衛文麿の娘ってだけで、無免許マッサージだもの(笑)
http://shizenfukuchi.jugem.jp/?eid=323 富木謙治談
武田惣角先生が北海道に渡ったのは明治43年なんですよ。
秋田県の当時の警察部長で、財部實秀という人が連れて行ったんですよ。
やはり性格の関係があったんでしょ。ああいう偏屈な人だし。
あの時代に荒っぽい武芸をやっていたから北海道に行けばなんとかということで連れて行ったんです。
植芝先生が北海道に渡ったのがやはり43年頃なんですよ。すぐ会ったわけじゃないんです。
2,3年のクッションがあった。
あるとき遠軽というところでね。北見のほう、滝川というところで、宿屋で会うんです。
それを紹介した人が、何とかコウタロウさんだったかな。新聞記者でね。
植芝先生は、お父さんの病気で内地に帰るんですが、その間、4,5年なんですよ。4,5年みっちりやったと。
(続く) 富木謙治談(続き)
大本に来てから、武田先生を半年ばかり呼んでいます。
だけど、大本の信仰の生活の中では、武田先生は信仰心のある人じゃないですよ。
植芝先生とそこは違う。
だからいたたまれなくなって帰っちゃうんですよ。そんなに長くいないです。
そうすると、植芝先生はそんなに長く側にいたわけじゃないんですね。
ですから、植芝先生が32歳まで何をやったかというと、やはり天神真楊流、起倒流、嘉納先生と同じことをやっている。
そうしますと、植芝先生の技から武田先生の技を引けば起倒流が残る。
起倒流というのは、いまの講道館の古式の形ね。
そこから、私は、古式の形が植芝先生の、つまり合気道の基だという説を立てている。
それを、具体的にどの技がどうということを私ははっきり打ち出しました。2,3年前から。
それが日本武道学会での報告なんだね。
(続く) 富木謙治談(続き)
武田先生と植芝先生を比較しますと、植芝先生の技は非常に柔道臭い。投げが上手い。
関節技を使った投げ技が巧妙だった。
円転滑脱としてね、流れるがごとく技を出す。そういうところに特徴がある。
いま講道館でやってる技は組んでからおやりになっているでしょ。
古式の形ですと、組んでからもあるし、組もうとする手をとらえて、組ませないでかける技もある。
腕を取って投げる技が非常にあるわけです。
そこに関節を極めるというと、非常にわずかな力で巧妙に相手を倒すことができるわけですね。
そこにね、武田先生も植芝先生もそうだけど、植芝先生は、より上手く流れるごとく使ったんですよ。
ところが、組むときと、組んでからの技だけをやっていますと、
空手やボクシングのように殴ってくる、突いてくるものをどうして、かわしたり、払ったりして技をかけるかという部分が抜けているわけなんですよ。
(続く) 富木謙治談(続き)
そういうところから、昔の合気ばかりじゃない、他の流派のわずかに残っている技を見ますと、
柔道のように下を向いていきなり組むという形はないんです。
組もうとするときにアッパーカットを食らったり、蹴飛ばされたりするわけでしょ。
そうすると、昔の柔術というものは、まず、防御の立場をとる。
真剣白刃取りや無刀取りというのは、刀で斬ってきた者さえも、こっちが抑えてしまうというのは、
どこにあるかというと、まず防御なんです。
どうやってそれを防ぐかということがまずある。それで私は体捌きというのを一番最初にやりだした。
どのスポーツだって初めは常識では理解のできないことをやっているんです。
野球だって弾丸のように早い球を片手でパッと取るでしょ。練習しなきゃできるものではないです。
キャッチボールは子供の常識になっていますけど、パッと取れるまでに何万回練習するか。そういうところからやらないとね。
それで、
警察大学に行って、剣道を相当やる連中に対してゴム刀を持たせて突かせてみた。
突けないんですよ。剣道を相当やっていても突けない。
長いもので打つのは別ですが、少なくとも短刀だったらかわせるんです。
つまりね、江戸時代の柔の先生たちはね、みんなそれをやったわけなんです。
うまく体をかわしたり、剣道と同じく、パット来たらパッと払うとか。刀で斬らせないように。
それが、私が嘉納先生から聞いた、柔道の技術の中に剣道があるということです。
そういうことが初めて分かった。
(続く) 富木謙治談(続き)
これは剣道的に言えば、一足一刀です。
そこ攻防の駆け引きが出てくるわけです。そういうことは競技化しなければ探求しないし、上手にならない。
競技化すれば技術は進歩する。しなければチャンバラごっこになってしまうというのが私の基本的な意見です。
私が意外に思ったのは、早稲田で合気乱取り法をやって、それをちゃんとモノに書いて理論的に植芝さんに見せたら、真っ向から反対してきたんです。
私は意外でした。合気道もそういう場所を作らなければ分裂する。これは歴史的にそうなんです。
江戸時代以前の剣道は、そんなに流派は分かれてないですよ。江戸になって平和になって、実力を客観化できなくなってから、勝手に組み立てるようになったんです。
あっちの技、こっちの技、師匠がこうなら俺はこう。流派、流祖がどんどん出てきた。
自分勝手に形を作っては流祖になる人が出てくるわけですね。
だけど非常に難しいです。競技化した場合に色々な弊害がある。それは私も認めます。それを是正するのが形の練習であると。この二本立てが私の基本的な考え方です。
ただ、
格闘の競技というものは、なんと言っても若い者の世界で、年寄りはついていけないんですよ。
剣道ですら、いま選手権を取るのは25,26歳くらいですからね。
だから競技というものは激しいものなんです。厳しいです。
体力的には老人はついていけないです。要するに、老人が威張るためには競技化しないことなんです(笑)
婦人に向くものと向かないものがあるんですがね。そういう点で、私は柔道が今の取っ組み合いの柔道で、女子柔道があれで勝利しなきゃいかんというのは考えものだと思います。
だけど、もう始まっちゃたからしょうがないですね。 富木謙治のやったことは、武田惣角先生と大東流合気柔術を貶す事なんだよね。
大東流合気柔術→合気道
一ヵ条〜五ヵ条→一教〜五教
合気揚げ→呼吸法
合気投げ→呼吸投げ
四方投げ→四方投げ
小手返し、コバ返し→小手返し
首巻き投げ→入り身投げ
腕絡み→腕絡み
こういう誤魔化しの積み重ねの結果が、富木謙治の弟子の志志田文明 早稲田大教授の大東流合気武術 佐川道場 訪問時の稽古で
白帯の佐川道場生にコテンパンにされた件に繋がる訳だよ(笑) でたー佐川道場のコテンパン
道場では白帯が鬼のように強いのに
テレビの前では直伝まで終えた人が芸人相手に大汗かいて力づくでねじ伏せていた(笑) 何の武道でも、名誉段というか例外の実力が伴っていない黒帯もいるってことだよ。
保江さんは大して稽古の数をこなしていないし、元が合気道で、佐川道場離門後、合気道に戻っているしね。 『透明な力』には、自宅に道場を構えてからは実力本位で段をだしてるとハッキリ書かれている
この本が佐川の生前中に佐川の厳しい監視の元で書かれたことは当然知っているよな
仮に、大してやらなかったにせよ黒帯で直伝まで許されてるのに白帯より遥かに弱いなんてことは有り得ない
もしそんな事実があったらそれこそ佐川道場の名誉問題だろう 元が、合気道っていうけどさ
良い年したオッサンが、何の武道経験もなしにこんなマニアックなところに
いきなり入門してくるほうが余程不自然じゃないか?
本に書かれている限りでも佐川道場には剣道、合気道、空手、出身の人がかなり多いからね 佐門会の正体を明かしているブログがあったと思うんだけど
誰か知らない?
内容は、確か、以下のとおり。
1 佐川氏亡き後に入門し、1年かそこらやったが、師範達から合気を感じたことは一度もなかった。
2 曜日ごとに教える師範が決まっていて、どの曜日に稽古に来ても良いという建て前だったが、みんな自分の決めた師範の稽古曜日だけやってきた。
3 どの曜日に来ても良いという建て前のとおり、いろんな曜日に稽古に出てたら、ある師範に月謝を持って行ったときに、
礼儀を知らないといきなり怒鳴られた。
4 どなられた理由が最初まったく分からなかったが、後々、各師範どうし、皆、仲が悪いと気がついた。
いろんな師範の曜日に稽古に来ていたため、それを快く思っていなかったらしい。
5 佐門会とか木村達雄とか固有名詞が出てこないが、読んでれば、誰でも佐門会だと分かる記述の仕方。 佐門会最高師範の木村達雄の技が、あの長野俊也に全く通用しなかったと
実名を出されたのに、何の否定もできない佐門会って
悲しいな。 >>562
>透明な力』には、自宅に道場を構えてからは実力本位で段をだしてると
>ハッキリ書かれている
これはウソ。
佐川氏に気に入られた順に高段者になっている。
木村にしても高橋にしても、佐川生前中、佐川の息子(身体障害者)の世話をしたり、
佐川家の家事をしたり、みんな必死だった。
だいたい、大東流の本質が合気なら、八元の技を知ってるとか、九元の技を知ってると、十元の技を知ってるとかは、
しょせん変化技の知識が増えているだけで武道的に意味がないはずなのに、
結局、十元まで行ったとかのクダラナイことが佐門会での実力評価基準。
>>570
> 元が、合気道っていうけどさ
>
> 良い年したオッサンが、何の武道経験もなしにこんなマニアックなところに
> いきなり入門してくるほうが余程不自然じゃないか?
> 本に書かれている限りでも佐川道場には剣道、合気道、空手、出身の人がかなり多いからね
保江さんは、名古屋大の研究生時代だったかに木村達雄さんと知り合って一緒に合気道やってたんじゃないかな?
保江さん自身、東北大の合気道部だったそうだしね。
んで、保江さんがヨーロッパに留学中に、木村達雄さんから大東流合気武術の佐川幸義先生の話を聞いて、
入門したくなって日本に帰って来て東芝かどっかに就職したとかじゃなかったかな。
だから、木村達雄さんは本を書いたりして佐川先生を紹介した反面、合気道の軟弱な人達を佐川道場に入門させちゃった人でもあるんだよ(笑)
木村達雄さんが本を書かなくても、松田隆智さんが本で紹介したり、空手雑誌で紹介したりしていたから、それまでは自分で探して入門してたんだよね。
その方が、人数は少なくても真摯に大東流合気柔術を修行したい人ばかりだっただろうからね。 >>567
あんたの主張するように『透明な力』にウソが書かれているのだとしたら
道場を訪ねた人が子供扱いにされた、等とする多数の逸話もアテにはならないな
あと、直伝についてはある程度、段位と習熟度に対応しているから評価基準にはなり得る
まず黒帯を締めなければ直伝には行けないし、二段で3元まで三段で5元までなどになってくるので
単に色んな技を受講する為のイベントだと言う認識は間違ってるよ >>568
合気道は、武術としては成り立たないかもしれないが運動としては間違ってないだろう
本見ただけの、ろくな運動経験もないやつのほうがよほど軟弱やんけ
保江さんは佐川に入門して直伝までいったが、芸人相手に汗だくになって力づくでやった
そこに脱力の法則も武術性も見られなかった、それが全てだ。 とにかく佐川道場からでた連中は、あんな程度の実力で一流を立てたり道場を開いたり良く出来るなと
図々しいにも程がある >>577
> >>568
> 合気道は、武術としては成り立たないかもしれないが運動としては間違ってないだろう
> 本見ただけの、ろくな運動経験もないやつのほうがよほど軟弱やんけ
> 保江さんは佐川に入門して直伝までいったが、芸人相手に汗だくになって力づくでやった
> そこに脱力の法則も武術性も見られなかった、それが全てだ。
合気道の弊害は、合気道をやった人の方が、お互いが効きもしないカタチだけの技に合わせて転がって受け身を取る事が
武道、武術であると錯覚してしまう事なんだよ。
本を見ただけの奴というが、松田隆智さんの本を読んだり、空手雑誌の中の佐川幸義先生の記事を見つけて来る人は、
それまでに空手、柔道、相撲なんかの武道を経験して、自分の限界を感じたり、
空手、柔道の武術性、武道性に疑問を感じたりした人達だったんだよ。 もはや直伝すら許されなかった人間には何も語る資格はないね
保江さん辺りまでは既にザコが確定してるんだから、まだ言う資格があるのは保江さんよりも格上の人だけだ 合気揚げで武術ライターを揚げられなかった教授はなんで報復にいかないんだろうか
高齢と持病で弱ってた吉丸さんに対してはあんなに威勢が良かったのに、手紙だけど(笑) 合気は直伝受けたからって出来るようになるものじゃないよ。
植芝盛平なんか武田惣角先生の直伝受けてるのに合気之術が出来るようにならなかったんだから。
やはり、誤魔化しをやらずに徹底して鍛錬研究を積まないとね。 佐門会の連中は、
植芝盛平の弟子の中で最強の狂犬である阿部忠が1984年に死んでから
植芝は佐川につかまれて合気上げできなかったとか、
植芝は本当の合気を知らなかったとか言い出した。
阿部正が元気な頃に、こんなことを言ったり書いたりしてたら、阿部に半殺しにされたからな。
阿部正と同等の実力者だが、植芝家とはうまく行っておらず、かつ、既に一家を為して成功していた塩田剛三や藤平光一なら、何もしてこないだろうと踏んだ上での行動。
まあ、佐川派は学者ぞろいだけあってお利口さんだね。 津本さんの連載中の佐川幸義先生の伝記も、大東流合気柔術と関係無い野口整体の事なんか書いていないで、
佐川道場が貶されるネタに使われている保江さんの冠光寺流柔術や、佐川道場五元の噂で格闘技の巌流島に出場して秒殺された
渡邉剛さんの大円和流柔術も取材して、なんで自流を立てて醜態を晒すような結果になったのか書いたら面白くなるのにね。
大東流合気武術 宗範 佐川幸義伝記
深淵の色は
https://j-nbooks.jp/sp/novel/original.php?oKey=101 >>569
佐川派の書いてることはウソだらけだからね。
高橋賢の「佐川幸義先生伝 大東流合気の真実」も吉丸慶雪に訴えられて、
再販の際は指定した箇所(何十箇所もある)を訂正することと慰謝料を吉丸に払うという内容の敗訴的和解をするはめになり、
(敗訴的和解をしたのは、判決になれば、高橋にとってもっと不利な判決になると予想したから)
和解調書をネットでさらされてた。 >>584
> 佐門会の連中は、
> 植芝盛平の弟子の中で最強の狂犬である阿部忠が1984年に死んでから
> 植芝は佐川につかまれて合気上げできなかったとか、
> 植芝は本当の合気を知らなかったとか言い出した。
> 阿部正が元気な頃に、こんなことを言ったり書いたりしてたら、阿部に半殺しにされたからな。
> 阿部正と同等の実力者だが、植芝家とはうまく行っておらず、かつ、既に一家を為して成功していた塩田剛三や藤平光一なら、何もしてこないだろうと踏んだ上での行動。
> まあ、佐川派は学者ぞろいだけあってお利口さんだね。
大東流合気柔術と佐川幸義先生を詳しく紹介した、松田隆智さんの秘伝日本柔術は、昭和53年(1978年)に発行されているね。 佐門会は、
合気の有無とか佐川が達人だったとかを売りにしているのだから、
合気の実力や現実に弟子も達人になれたかどうかが重要なはずなのに、
>直伝すら許されなかった人間には何も語る資格はないね
と論点をズラす。
これ、実力が無い連中の最高の逃げパターン。
佐門会では、あの人は合気がないと言えば合気を使えない人となり、
我々には合気があると言えば、自分らに合気があることになる。
まさにインチキ大東流の西郷派が名付けた「言葉の合気」そのもの。 >大東流合気柔術と佐川幸義先生を詳しく紹介した、松田隆智さんの秘伝日本柔術は、昭和53年(1978年)に発行されているね。
初版では植芝も大東流の一員で教授代理を得た達人として紹介されてるじゃん。
このブログ、今年になってから見た覚えがあるけど、検索しても見つからない。
誰か教えて。
564名無しさん@一本勝ち2018/04/30(月) 16:57:58.82ID:HCrFMlQe0
佐門会の正体を明かしているブログがあったと思うんだけど
誰か知らない?
内容は、確か、以下のとおり。
1 佐川氏亡き後に入門し、1年かそこらやったが、師範達から合気を感じたことは一度もなかった。
2 曜日ごとに教える師範が決まっていて、どの曜日に稽古に来ても良いという建て前だったが、みんな自分の決めた師範の稽古曜日だけやってきた。
3 どの曜日に来ても良いという建て前のとおり、いろんな曜日に稽古に出てたら、ある師範に月謝を持って行ったときに、
礼儀を知らないといきなり怒鳴られた。
4 どなられた理由が最初まったく分からなかったが、後々、各師範どうし、皆、仲が悪いと気がついた。
いろんな師範の曜日に稽古に来ていたため、それを快く思っていなかったらしい。
5 佐門会とか木村達雄とか固有名詞が出てこないが、読んでれば、誰でも佐門会だと分かる記述の仕方。 見つけた!
ブログ「押して忍ぶ武の道.club」
本当に「合気」はあったのか︖私が大東流合気柔術を 辞めた理由︕
もう10年以上前になると思います。
合気道や大東流合気柔術をやっている人ならほとんどの人は知っているという本を読み非常に興味を持 ちました。
それまで「大東流合気柔術」というものを知りませんでした。
大東流合気柔術とはザックリ説明すると、「植芝盛平」が大東流合気柔術の技術を万人にも分かりやす く整理して「道」と付け「合気道」の元になった武道です。
植芝盛平に関してはここでは説明は割愛しますね、要するに合気道を作った人です。
そのお弟子さんで最も有名なのが、「塩田剛三」養神館を作った人です。
合気道を知らない人には「はっ︖」って感じだと思います。
話は元に戻って、私は一冊の書籍から大東流合気柔術を知り、合気の歴史を少し知りました。
大東流合気柔術を世の中に広めたのは「武田惣角」です。
こちらの説明もネットでたくさん載ってますので割愛します。
その本を読んだことで、どうしても「合気」を体験し会得したいと思った私はネットでもほとんど情報 が載ってなかった道場を探しすという休日を過ごしていました。
小回りがきくスクーターで目星を付けた地域を周ること1週間、ついに見つけました。 ブログ「押して忍ぶ武の道.club」 の続き
そこは都内ですが、林の中にあるような小さな道場でした。
門を叩く
少し離れたところでバイクを止め、道場に近づいて耳を澄まします。
すると中から話し声が聞こえて来ました。
私は「合気」を体験したい、会得したい、その為にはこの道場に入門したいと考えていたので思い切っ て文字通り門を叩きました︕
すると目の前に横長の40〜50帖ほどのさほど大きくない道場で門人が稽古終わりだったのか談笑中 でした。
私は「入門したいのですが︖」というと門人は「見学は行っていません。〜曜日にこちらに電話して出 直してください」と電話番号を渡されました。
後で本人から聞いたのですが、その先輩にあたる門人は元は剣道をやっていて自分の剣道に合気を取り 入れることが出来ないか︖と門を叩いたところミイラ取りがミイラになったようでした。
その時は私は中にも入れてもらえず「無愛想だな」という印象でしたが、伝統のある古い武道では得て して門外不出の武術を他人に見せるはずもありません。
私は頂いた電話番号を大事に持って自宅までバイクで一時間半かけて帰りました。
勇気を出して電話する
そして翌日が指定された曜日の午後だったので、緊張しながら電話を掛けました。
これは後から重要なポイントになってきます。
電話すると師範をやっていてる一番古いお弟子さんの先生が、入門料・月謝・道着を持って来週の〜曜 日に来て下さいと丁寧に説明して下さいました。
その道場とは武田惣角から免許皆伝を頂いた先生の道場で、その先生は数年前にお亡くなりになってお りました。
晩年は指導する曜日のお弟子さんを決めて、お弟子さんが指導をするのを椅子に座ってアドバイスをし たり時にはふっ飛ばしたりしたそうです。
その指導をしているお弟子さんの中でも一番古株の先生が窓口になっているようでした。
稽古日は週に4〜5日だったと思います。
それぞれの曜日で指導する先生が違う訳です。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています