武田惣角が下江秀太郎から一本取ったと言って喜んでるのも
島田虎之助の逸話とほとんど同じ。なので、剣道界では話題にもならない。
下江秀太郎が自分よりずっと格下の武田惣角に一本取らせてやったら、その後、惣角が逃げ回って剣道にならなかっただけ。

島田虎之助の男谷信友への弟子入り
虎之助が天保9年(1838年)に江戸に現れたとき、当時「日本随一」ともいわれた男谷信友に試合を申し込んだ。
男谷は例によってあっさりとこれを受け、三本勝負の一本を虎之助に取らせた。
これに勢いづいた虎之助は、つづいて井上伝兵衛の道場に挑んだ。
井上は男谷と同じ直心影流藤川派剣術の「三羽烏」といわれたこともある強豪であり、
手加減なしで虎之助をさんざんに打ち込んだ。
虎之助が井上に入門を申し込んだところ、井上は男谷への入門を勧めたという。
虎之助は「亀沢町(男谷道場)ではもう手合わせ願いましたが、評判ほどのことはありませんでした」と答えた。
井上はにやりとして虎之助の観察が甘いといい、「あの方の技量はどこまで強いか底が知れない。君は軽くあしらわれて花を持たせてもらっただけのことだ」と紹介状を書いてくれた。
虎之助はいわれたとおり紹介状を持って男谷道場を再訪し、再度立ち合ったところ、男谷の眼光に圧倒され、道場の隅に追い込まれて平伏するほかなかった。