>>455
横山作次郎が中村半助と引き分けたとして
講道館が常に勝ってたわけではないとホラをふく戦わない古武道家がいるが、
講道館は圧倒的実力差で古流柔術を下した例がほとんど。
中国四国地方で敵無しだった永岡秀一は講道館三段の馬場七五郎に全く歯が立たず講道館に入門し直した。
関西で最強と言われた不遷流の田辺又右衛門も講道館ナンバー10くらいの磯貝一に、
田辺が得意とする寝技にあえて持ち込まれて負けた。
形式上は関西柔術家最強の田辺にキズが着かない終わり方をしてやったが田辺の完敗は誰の目にも明らかだったため、
武徳会の柔術形は古流を全く採用せず講道館の形をそのまま採用するはめになった。