備中伝の創作と捏造は全てスルーして中立だの一般人視点だのは無理があるだろ。

現代人の自己の創作物に470年の伝統があるなんてどの立場の人間が聞いてもおかしいだろ。
創作と捏造を正当化するのが中立なのか?一般人なのか?だったらその中立と一般人の定義がどうかしてる。

挙句の果てには【相伝家が備中伝に竹内流の名乗りを許した】なんて大嘘を既成事実のように書くという
事実の捏造による【そもそも論】で備中伝に都合の良い答えを誘導しようとしだした。

【相伝家が備中伝に竹内流の名乗りを許した事実はない】

備中伝の宗作と捏造を無理やり擁護するためには事実を捏造するしかないんだろうな。
嘘を正当化するためにまた嘘をつく。雪だるま式に嘘が重なり収拾がつかなくなる。
それは海外にまで竹内流の名で広めてしまった創作真髄・四半棒と捏造神伝・青葉の口伝という
大風呂敷を畳めなくなったからこそ、岡山古武道連盟の総会に出席せず脱退という道を選んだ。

【そもそも論】と称して相伝家が名乗りを許したのに今さら名乗るなというのはおかしいと延々と繰り返していたが、
しかし実際は現在の備中伝の創作と捏造や免状問題が発覚して竹内流を名乗るなと言われた
この時系列すら無視して【そもそも論】とやらを2ちゃんで連呼しても説得力はない。
なぜなら本当の【そもそも論】は【そもそも備中伝は相伝家から名乗りを許されてない】

先代の時代から岡山古武道大会で一緒に出場していたから竹内流備中伝という名称が
【黙認されていた】から【事実上】認められていたと都合よく備中伝が解釈していたとしても
これはあくまでも備中伝側が何も言われないから名乗っていいんだと勝手に解釈したという事に過ぎないのだから。