武壇5ちゃんねる分壇4
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>>440
リアルタイムでブルース・リーの衝撃を受けた世代でしょうからねえ…。(笑)
ギャグとして楽しむのが正解なのでしょうが、コアなファンには笑いですまないようですね。 ムハンマドの霊言を出版する大川隆法に怖いものなど無い ある意味世界最強、絶対無敵かもな?李書文の霊言とかやってくれんかな?(笑 李書文という御人、伝説はいろいろあるものの、よく解らないです。
「武術」誌では日本の調査団が入るまでお墓が特定されてなかった(あれも推定でしたっけ?)し、人柄の話もマチマチだったような。 マイク・タイソンが頭殴ったらニの打ちは要らないだろうな ('ε')向こうの墓って土が盛ってるだけ、どうやってリショブンと判別がついたん?? ('ε')リショブンの村を訪れて墓拝んでいたら、長老らしきひとがでてきた。
「リショブンの墓はそっちだ」と指を指した。
これ絶対違う人の墓の骨やろwwwwww ウチの先生も「李書文は歴史上の人物」て言うてたからなあ。
織田信長や西郷隆盛が実際にはどんな人間やったかなんてわからんわけで(笑 >>449
とは言っても劉雲樵先生は直に接してる訳ですし
彭先生もそこらへんの話を聞いてるんじゃないでしょうか 松田先生も中国語の会話苦手だったそうで そんな人に伝えようとすると自然に
身振りてぶり大げさになって話が膨らんだ部分もあるかも
あと痩せて小柄だった李書文公も 武術界隈で生き残るためには怒りっぽくてめんどくさい
人間演じないとやって行けなかったでしょうし(山本小鉄さんら小柄なレスラーと一緒)
当然弟子で大柄な劉先生への接し方と 隠居して地元で親族の子供と接する時では
違うかと(割とよく笑って遊んでくれるおじいちゃんで毒殺も聞いてないと親族証言) 肥田式のスレもついに無くなってしまったかー('ε') ちなみに上の動画の山本小鉄さんは現場離れていたころで割と優しく
現役の鬼コーチ時代は新人の頃の前田日明さん等は朝合宿所に小鉄さんのキャデラック
が到着する音だけで震えそうになったと書いてました >>452
そういえば先生から「劉雲樵から『李書文や宮寶田はこんな感じだった』と聞いた」って話を聞いたことはあまりないなあ・・・ ただ先生に言われて八極拳や八卦掌をやるやろ?
すると先生がすぐにダメ出しして
「そんなんじゃない!こうやるんだ!李書文はこう・・・宮寶田はこう・・・」
なんてのはいまでもよくあるな。
「あんた実物を見たんかいっ?!」てツッコミたくなるけど、要するに先生が劉雲樵に教わったときにはそんなふうに説明されたんやないかな? >>454
まあ中国人の「白髪三千丈」てのはむかしから一般的に言われてることでいまさらな。
大陸人は論外として、日本の影響を強く受けた台湾ですら
「ここの烏龍茶は台湾でイチバン!」
「この店の料理は一見さんじゃ食えない!」
「このヤクザの親分は台湾でナンバーワン!」
なんてのをよく聞く。
「粗品」とか「つまらないものですが・・・」とかいった「謙譲の美徳」は日本人の文化であって、チャイニーズは正反対が多いように思う。
かといってあまりに大口叩くヤツは中国人のあいだでも「自大な香具師だ」なんて陰口叩かれるし、どこで線を引くかはけっこう難しいけどなあ。 日本人の場合「大本営発表」を丸々信じて疑わない・・・という文化的背景はあると思う。
「テレビで、新聞で、本でこう言ってたから・・・」
「一流大学の教授の話だから・・・」
ところが中国の場合大むかしから「口コミ文化」なんや。
いまのSNSと同じで
「ああいう話が流布してるけどあれには裏があって・・・」
なんていうのがスマホやネットなんかない時代からあったんやな?
こういうのはやはり現代のネット社会を見ればわかるように話に尾ひれがつきやすい。
東洋の不朽の古典『論語』もいまのツイッターみたいなもんやろ?
短い言葉でつぶやくだけやから後世の人はなかなかその真意をつかむことができず、
孔子がつぶやいた内容についてさまざまな議論がおきる。
儒教の歴史なんてそれの積み重ねやん? >>460
政権がころころ変わり 言ってることも真逆も多い支配層が信用できないから
幇というシステムが確立したであろう部分もあるのでしょうね。
関係ないですが最近温故知新の意味をはき違えてる人が居て
念のため調べなおしたらあれは古きを知り新しきを知れば
先生になれるって意味だったのですね。
最後の先生の件を知らないと誤解する事も生じるケースも >>449
数えて3代目が歴史的人物っていうのは問題ありかと
>>457 >>458
自分では気づかないだろうが、たぶん、あんたのそうした態度が
歴史的人物にしてしまっている
勿体ないな
分からん奴は分かろうとしないから永遠に分からないだろうけどな >>455
それで良かったんだよ>>462とは逆説的な意味でな
逆もまた真なり
分からん奴は置いて行かれてしかるべし
しかしおいて行かれた奴が好き勝手遣りだすと迷惑でしかないからな 東郷平八郎は李書文と同じ没年らしいが、彼は歴史上の人物ではないのだろうか 身内からすれば違うだろ
そう言う話が分からん連中って困るわw 自分の曾祖父は自分が生まれた時には既に死んでいたから、歴史上の人物と言われても何ら違和感がないな
李書文は赤国とその老師にとって身内ではないんじゃないか?
同門ではあっても 歴史上の人物ってのは余りにも逸話に虚実入り混じってて 真に受け過ぎると松田先生や
その他怪しい武術愛好家みたいに変にオカルトじみてきて修行に差しさわりが出るから
多少距離を置いて冷静にとらえる必要があるって事じゃないの?
リアリティのある武術として
李氏八極拳とその思想を真摯に修行してるからこそそうゆう姿勢が大事なのだと思う。 中国語もできないのに「ファミリーだ!」とかいってるバカ多いよね?中拳って(藁) 言葉が通じなくても家族は家族だからな
アメリカン人の嫁と結婚したらアメリカン人の父親が義理の父になるわな 「ペットも家族」とかいう言葉も聞きますね。愛があれば家族なのか?愛情が無ければ肉親であっても他人なのか?
時々、『家族ってなんだろう?』とか考えてしまいます。
桃園の誓い、て兄弟分の盃だと思うんですが、あれも家族の部類なんでしょうか? >>474
武術の世界の家族というのは義理の家族のことなのでまさに同じでは
ヤクザの世界とかもそうですよね 「武林是一家」とか「五湖四海皆兄弟」とかいうのはまあ武侠小説の影響なんやろうな。
日本人が忠臣蔵に忠義とか武士道を思うのと同じ。
中国社会というのは大むかしから「宗族」と「江湖」の二重構造になっていた。
宗族というのは農村社会における大家族制度のこと。
陳氏太極拳の陳家溝に代表されるように大きな宗族はそれ自体単独でひとつの村を形成していた。
彼らは農民やが巨大にして強固な家族という組織に生まれながらにして保護されているので
宗族さえ安泰なら一生食うには困らず、それで孝とか悌とかいった儒教道徳を重んじる余裕があったわけや。
一方江湖は農村社会を離脱し、おもに都市部や場合によっては黒社会で生活する階層のこと。宗族社会から見れば流れ者やな。
彼らはまとまった大家族制のもとで生活できないが、個々人の力では社会の荒波に対処しかねるため、
同じような職種、階層の人間同士が中世ヨーロッパのギルドのような連帯組織を形成し、それを宗族の代わりにして生活していた。
ほぼ完全な血縁である宗族に対し、江湖のギルド・・・これがいわゆる「幇」なのだが・・・はいわば「疑似家族」と言える。
日本のヤクザの「親分子分」「兄弟分」と同じや。こういうのはどこの国にもある。 武術の場合、宗族間で伝えられるものは結局血縁同士の伝授になるから、やれ拝師やの字輩やのいう必要性は乏しかったやろうと思う。
そもそも大宗族ではその人間の字輩なんて生まれたときから決まってたわけやからな。
お祖父さんが甲ならお父さんは乙・・・そして自分は丙でその子は丁なんて具合にな。
拝師というのはもともとは仏教からきたもんやろう。
坊さんの場合、宗族・江湖に関わらず俗世間からは一切縁を切るというのが建前やったわけで、
「出家」というのは「家族から脱出する」の意味と思えばええ。
ところが寺は寺でこれまたひとつの「家」なわけよ。
出家するということはお釈迦さまの弟子になるということやが、現実には寺の偉い坊さんに師事するわけで、
この疑似家族においても年代別の順序・・・つまり字輩が用いられた。 こういう仏教の風習というか慣習というかが民間社会に伝わり、武術界や幇でも拝師や字輩が広まったんやないか?と思う。
有名な青幇は拝師・字輩に基づく師弟関係を建前にしていたし、黒社会と縁が深い南方の武術界もこれを採用したものと思われる。
北方でも武術に限らず京劇や中国医学など伝統文化の世界では必ず拝師があった。
「一日師と為せば終生父と為す」なんていうのは疑似家族であっても血縁と変わらぬ関係になる・・・といった意味が込められていると思う。 師父という言い方がまさにそれですな
兄弟子、弟弟子とも言うように日本の武道でも何でも一緒かと 赤国さんの個人的な話を聞く限り
そこまで身内意識、家族意識を感じないというのが何とも言えない
李書文は歴史的人物とか・・・
その点で言えば松田さんはシッカリとしていたと思うよ 松田さんに有って
赤国さんに足りないものは
例えばそういう所でもある様な・・・ 松田さんは李書文で”商売”してた人 ゆえに大げさに神格化する
赤国さんは李氏武術を”修行”する人 尊敬しても冷静にとらえる
全然違くて当然だと思うよ。
(自分の教室もつのも商売ととらえる向きもあるだろうけどマスコミ商売とは
根本が違う)
最近20歳そこそこの極真の人に 友人の沖縄空手家がその空手について質問され
『脛ケリながら目を突いて 返す足で金的を・・』と説明したら『ルール違反でしょ』
と返され『大山倍達の空手だってそうでしょ』といったら
『大山マスタツって昔の偉い人ですよね』と言われて 大山先生ですらもうそんな扱い
だと隔世の感であったと言ってた 現場じゃそんなもんかも >>483
>松田さんは李書文で”商売”してた人 ゆえに大げさに神格化する
松田先生は、その時々に好きな武術調べに行って、学んで、好きなこと喋って、書いてた人だよ。
原稿書いてたんだから、それで対価は貰うだろうが、金を稼ぐために誇張表現するような類の人じゃなかったよ。
思い込みが強い人でもあるし、面白おかしく話をしようとするから、大げさに聞こえたりもするけど。
本人知ってる人なら同意してくれると思う。 >>484
松田さんがそうでも配信するマスコミはどうかな・・
拳児だってエンタメ少年漫画の枠組みに当てはめ
るために相当脚色や柔らかくしてる可能性高いし
李書文の遺族へのインタビュー記事読んでも
松田氏の主張や拳児とのあまりの乖離にレポーター
自身も困惑してたし
思い込み強すぎて大げさにしてる時点で客観的な
学術的研究姿勢に欠けてるとは思います そういや李景林って凄い人かと思ってたけど
ウィキみたら人生後半小物臭がするのな >>481
先生がわざわざ「歴史上の人物」なんて言うのは言外に
「いくら李書文が無敵だったと伝えられていてもいまの我々が同じ強さを有しているわけではない。
お祖父さんやお父さんは立派な社長だったがその会社を一代でパーにするドラ息子は山ほどいる。
李書文の逸話を持ち出してきて『我々の師祖はこうでああで・・・』なんてこと言うてるヒマがあったら、
一生懸命修業して李書文を凌ぐほどの功夫を練り上げろ!それでこそ尊師重道だ、
いまの時代は欺祖滅師なやつが多すぎる!」
てのがあるんやろうと思う。劉雲樵からそういうふうに訓示されたんやろうな。
師祖を重んじるのは当然。ただ師祖の偉業に胡坐をかいて口先だけのやつはしょせん「敗家子」ってわけや。 「神仏を尊んで神仏を頼らず」・・・
つまり「李書文を敬するがゆえに極端に大袈裟なことは言わない」なんやろうな。 >>485
マスコミのこととかは、あなたの言う通りでいいよ。
研究書的なものは資料重視で書いてると思うよ。
ただ中国武術は一次資料がそもそも大げさだからね。
松田先生の中国武術研究はきちんと評価も得てるし、否定のしようもないと思うが、それもあなたのいう通りでもいいよ。
俺が否定したかったのは、松田先生が商売のために、意図的に大げさににしてたという点。
良くも悪くも、真っ直ぐで、商売のためとかは二の次の人だった。
李書文で"商売"してた、みたいな捏造だけは、見過ごせないと思っただけ。
では。 そのあたりはす〜先生の話とか聞いたまま書いたらああなるんじゃないの?いつもそんな話ばっかりだから。 先師の話はとんでもない話をいろいろ聞いてるし事実だと思ってるけど
自分が出来るかどうかとは別ですからねえ >>490
了解です ぼくもちょっと書き過ぎたと
反省してます
勿論松田先生の功績は功罪部分をはるかに
凌駕してるし僕も松田先生監修の男組を
年上のお兄さんに貰ったのがきっかけで武術に
目覚め修行に汗流しました
松田先生には感謝の気持ちを今も持ってます 劉雲樵の語る李書文って強いけど短気で異常な行動が多くないですか
最後にはつまんない事で殺した相手側から毒殺されるという
強さを鼻にかけて好き勝手すると最後には・・・という例え話みたいですし
他の系統だと李は実は人格的にも立派だったみたいな事を言うけど劉にはそういう話はない
劉の李書文の人物評は
「一見冷淡に見えるが手を合わすと極めて凶猛」
という酷いもの
実は人格的には大嫌いだったのでは?
児童虐待みたいな練習だったらしいし 昔、「武術」誌で李書亭が幼少の頃「『凶拳』李おじさん(李書文)が来たよ。挨拶しなさい。」と言われて顔を見たら泣いてしまった、とか載ってなかったでしたっけ?
それと、劉雲樵の李書文評は「一見冷淡に見えるが、身内には温厚」だと思ったのですが。
まあ、武に我が命を預けてきた経験上、武を教えるのに甘い顔は出来ないでしょうけど。 >>498
身内に温厚とはどこに載っていたのですか?
失礼ですが,劉の発言ではなく
それは 霍殿閣系の意見では?
極めて凶猛は見つからなかったのですが確か武術の記事にあったはず
ちなみに神秘の拳法 八卦掌入門 松田隆智 高橋賢より
P254では性格が非常に冷淡で短気な人と言われています
翻訳の違いでほぼ同じ意味と思われます
https://i.imgur.com/04lXnJP.jpg >>483
>『大山マスタツって昔の偉い人ですよね』と言われて 大山先生ですらもうそんな扱い
>だと隔世の感であったと言ってた 現場じゃそんなもんかも
これはその子が馬鹿過ぎなだけかと >>485
>拳児だってエンタメ少年漫画の枠組みに当てはめ
>るために相当脚色や柔らかくしてる可能性高いし
>李書文の遺族へのインタビュー記事読んでも
>松田氏の主張や拳児とのあまりの乖離にレポーター
>自身も困惑してたし
あれ、滄州県誌だっけ? 書かれてた内容そのままだし
殆どの対戦相手を一撃で倒したから二の打ち要らずと謳われ、
晩年は凶拳李と恐れられたうんぬんは、滄州武術協会副主席 李書亭氏の談話。
ついでに見つけたので下に旅行記をコピペしとくわ 30: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/09(火) 18:33:50 ID:QO4TQ/G4O.net
十年前に南良村行ってきたよ。墓参りもしたし子孫の家にも招かれて、みんなで記念写真撮ったよ。
拳児の南良村の単行本置いてきたよ。墓は拳児で紹介されてた様に土の墓でした。
石家荘から長距離バスで槍州、一泊してタクシーチャーターし途中で鉄獅子見てから南良村まで行った。
あちらは日本人が来たのでビックリなされてたよ。
31: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/09(火) 23:40:10 ID:QO4TQ/G4O.net
槍州で李書文の事を聞くと(筆談で)知名度はありましたね。数人しか聞いてませんが。
タクシーチャーターですが、意外と安く200元(3000円?)くらいでした。あちらでは大金ですが。
早朝出発して夕方帰ってきましたが、朝食は奢ってもらい、昼飯はドライバーの家でゴチになりました。
上客だったのか、日中友好だったのか、はたまた心配してくれたのか。いずれにせよ親切でした。
鉄獅子は拳児では荒野にポツンとある感じでしたが、実際は塀に囲まれた場所にあります。
李書文もこれを見たのかと妄想していました。
畑に囲まれた凸凹な田舎道を走り、さらに細い悪路のわき道に入り、しばらく走ると南良村です。
李書文の養子の孫の人(息子かも?)が現在の主人みたいです。とても快く迎えてくれました。
八極拳はしていないとおっしゃってましたが、息子にはやらせたいと言ってました。
李書文の家には、本に載っていたのと同じ養子の方の顔写真が額縁に入れて飾ってありました。
墓地は村のすぐ横にあり拝ませて頂きました。墓の描写は拳児と全く同じでした。
元気に修行しているのでしょうか?村のみなさんは元気でしょうか?日本からの旅行者を覚えてくれてるでしょうか?
と李書文スレを見つけ昔を懐かしみ、チラ裏日記を書いてしまいましたが、お許しを。
なお、僕は拳法の心得はないです。上海〜北京のついでに槍州に寄っただけです。 32: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/09(火) 23:56:47 ID:QO4TQ/G4O.net
お子さん(李書文の曾孫?)にお菓子あげようかと思い、渡そうとしましたが、なぜか受け取りませんでした。
もしかして、先祖の毒殺疑惑の関係で、知らない人から食べ物を貰ってはいけない家訓なのかなと。
代わりに拳児の南良村編を置いてきましたが、お子さんだけでなく村人も大盛り上がりでした。
我が村が日本の漫画に登場して、村の英雄を題材にしているのだからでしょうか。
今やあの子供も日本で言う高校生くらいになってます。八極拳を修行しているのでしょうか?
35: 32 2007/02/19(月) 01:23:07 ID:YFc/ia5WO.net
つたない文章でスンマソ。そして読んでくれてトンクス。
石家荘は北京や上海からの通過点ですが、やや槍州は外れですからね。
普通まず近づかないし、槍州はもちろん、石家荘でも日本人をみたこともないです。
その槍州からさらに田舎の南良村。村の規模は100人未満の集落だったでしょうか。
もし行かれる方がおられれば(いないでしょうね)槍州からタクシーチャーターしか手段がないです。
時間があってその気になれば込みで10万円くらいで行けますよ。船と硬座を使えば。
ちなみに少林寺も行きました。こちらは鄭州からハトバスで行きましたが、スレ違いなので、、。
前回はアポ無し突撃でしたが、李家の方と記念撮影と墓所の撮影(承諾有り)させてもらいました。
もし当時の写真が出てきたらうpしますね。
日中関係、反日、環境破壊などは別にして槍州含む中国のノスタルジックな雰囲気は、とてもよかったです。
以上、私の李書文の故郷を訪ねて一人旅の思い出でしたー。
もうネタないです。 李書文の墓は立派なのがあるらしいけど最近建てられたのかな。 >>501
僕が読んだのは BUDO−RAの
達人 1巻 3巻というムック本ですね
今ざっと確認しても
李書文は軽身功の達人で老人になっても
だれも徒競走に勝てなかったとか寝る時も
座禅組んでたとか
両腕伸ばして大人二人を片手に一人ずつ
ぶら下げる腕力があった
子供には入門用に弾腿から教えたとか
楊式太極拳 通背拳という名の型が伝わって
いて李書文も練習してた
等と色々松田先生ルートでは知り
えなかったことが書いてあります >>500
というより空手バカ一代の影響ゼロで
競技スポーツとしての極真空手だけの世代にとって
柔道家にとっての加納治五郎みたいなものでしょう
柔道してる人に 初期講道館の理想とした総合格闘術
への回帰を説いても困惑されるだけでしょうし
大山倍達没後25年近く もうそうゆう時代ですよ >>505 そこだけ読むと
なんだか劉雲樵派が証言する李書文とは別人みたいだな
もしかして、劉雲樵が学んだ李書文は偽物・・・? 楊式太極拳と軽身功はソ・イクショウがよそから取り入れたもの。 座禅を組んだまま死んだように描いてるのは漫画の拳児だが李書文に座禅の習慣があったかは不明。 李書文の軽身功は飛ぶためのものではなくて
二階から飛び降りても平気で着地できたというもの。(張世忠談) >>505
それは誰からの情報を元にしてるの?
>>508
>>505の話を読むと李書文も軽身功をやったように書いてるが嘘ということか?
軽身功は八極にあるか分からないが八卦にもその他の門にもあると思うが 劉雲樵の李書文評といっても、これは短い言葉では劉雲樵の本心や内心まではわからんよ。
むかし散々叱られた学校の恩師に何十年も経ってからの同窓会で
「いままともにやってられるのは先生のおかげです!」と涙を流す元ヤンキーもおるし、
人間関係が濃厚になればなるほど親でも師でも良いところも悪いところも印象が強くなる。
セミナーに出て、ちょっと話をして「○○師範は怖い人ってイメージが強かったけどじつは非常に温厚な方で・・・」
なんてのとはちょっと違うわなあ。 ウチの先生はもちろん劉雲樵を尊敬してる。
いまの自分があるのは劉雲樵のおかげ・・・というのはやはり我々にも話す。
その一方で「でもあの人はこうこうこれこれなところもあって・・・」
なんてこともよく言うよ。
愛憎相半ばするっていうか、息子同然に厳しく指導されたからこそ、
「親父の言ってることはもっともだよ。でもいくらなんでももっと別の言い方ってのもあるんじゃないのか?」
みたいな複雑な感情てのはやっぱあったやろうな。
私も先生に対してそう思うもん。 >>514
そういう論評なら理解できます
自分のも文章を読んでの推論に過ぎないし
ただゴン氏の公刊されている文章を全く別の意味の言葉に置き換えて反論するのは問題ですね
フェイクニュースは悪質です 別に反論というほどのつもりはなかったのですが。
実際、古い記憶なのでうろ覚えですし。
気にさわるのであれば謝ります。
すみません。 >>507
インタビュアーもひょっとして 同姓同名の
別人の遺族に聞いてるのでは?と困惑したと書いてます
劉雲樵先生と離れて 故郷に帰った晩年の話ですから
武壇武術にも伝わってない技術を改めて取り込んだ可能性
もありますね
>>511
李書文公の弟の孫の李芝起先生(取材当時83歳)
12歳の頃李書文から直接学んだと書いてあります
李書文はよく笑う人で怖いと思ったことはないと
印象を語ってます
練習は厳しいが怒ったことは無くよく遊んでもらった
との事
他にも芝起先生の息子の樹件先生への取材
其の他李一族についての逸話など書いてあります
本文にも 人によってそれぞれ李書文について語る話が多少異なる
と取材者も語ってますね
概ね郷土の英雄であり我らが誇り高き祖先
的な口調です
劉雲樵先生の評とも当然ことなりますね あと最後毒殺という話は 誰も言ってないようです
『おそらく病気だろう』『ある日突然死んだ』との事
軽身功は 屋根の上や堀の上に軽々上った スピードスケートのように腰を落とし
前屈姿勢でつま先立ちになり誰よりも早く走った
往復4キロの徒競走でも誰もかなわなかったと書いてあります あと今確認したのですが 取材場所は天津で 李芝起先生は今も李書文が死んだ家を改築して
すんでるそうな
拳児の李書文外伝の最後のセリフ
『(医者は)要らん!! この土地は安心できん。駅へ行くんだ
天津の甥の所へ行く!!』
その天津の甥 その人ですね!!! >>519
失礼しました
天津の甥ではなく天津の甥の息子さん
って事でしょうね 有名な(?)李書文毒殺説やけど、じつは私の知るかぎり劉雲樵自身の文章
(ほとんどは弟子によるオーラルヒストリーやが)には
李書文が暗殺された・・・という記述は残ってなかったように思う。
徐紀とか松田さんとかごく一部の人がそう書いてるだけでな。 それどころか1983年の夏に出た『武術』第3号の劉雲樵への直接のインタビューでは
劉雲樵自身が当時の福昌堂の記者に対して
「山東で八卦掌を学んでいるとき張驤伍将軍から『李(書文)老師が死んだ!』という知らせがあった。
死因を訊ねるとコレラのような伝染病だったらしいと聞いた・・・」
てなふうに発言してる。
劉雲樵が活字媒体で自ら李書文の死因について語るのはやはり私が知るかぎりではこれだけや。
「毒殺説」がいったいどうやって広まったのかはじつはようわからん。 ただ前に書いたように中国の「口コミ文化」というのはいまの5ちゃんねるはじめネット文化と同じで、
虚実が混在してるうえフェイクニュースほど拡散・炎上しやすい性質があると思う。
有名なところでは「霍元甲」な。
霍元甲は「日本人に毒殺された」というのは何度も映画やテレビドラマになってるけど、
上海でもっとも霍元甲の傍にいたはずの陳公哲は『精武会五十年武術発展史』でハッキリと
「霍元甲の死因は肺の持病の悪化によるもの」と書いてるんよな。
仮に本当に霍元甲が日本人武道家と対戦し、これを打ち負かしたために日本人の恨みをかったとしても、
ただそれだけのことでそれなりの地位のある日本人が毒殺なんてするやろうか? 他にも 李書文に会った事がある老人が 李は村を離れて 小立占(しょうたん)の軍隊に武術を教えてて その教授中に死んだと聞いた
とか
李書文の養子の息子の李志成老師は
『脳溢血と思われます 聞いた話で自分が確かめたわけではありません』
もう聞く人聞く人バラバラな意見が出て来ます
死因一つとってもこれでは赤国さん等マジメに練習する人にとっては歴史上の人として
少し距離をおいて冷静に向かい合わざる得ないのも仕方ない気がしてきました どうも霍元甲は上海で体調を崩し、当時上海にいた日本人医師の診療を受けていたらしい。
現代ならプロ野球の一流投手が肘の故障をアメリカの高名な専門医に手術してもらう・・・てなイメージかもな?
ただいくら名医でもどんな病気も必ず治せるというわけがない。
薬石効なく亡くなってしまったのを「あの日本人の医者が殺したんじゃないか?」的なフェイクニュースが出回り、
それが100年以上経ったいまでも「真実である」と信じられてるんやないのかな?
理由はただひとつ・・・要するにそっちのほうが「面白い」からや。 武術史について興味深い考察を述べてる太極拳と武術史研究家の笹尾恭二氏も
『清朝末期は一応法治国家で李書文が試合とはいえ人を打ち殺しまくって なんの咎めも
無いなんて そこまで無法地帯ではないハズ』と誇張が多いのではないかと もっともな説を
述べてましたね。(郭雲深の3年の投獄についても興味深い考察をされてました)
現在でも未だに大げさに喧伝する自称武術家も後を絶たないし こうゆう問題はホントに注意せねば
ならないようですね >>525
100年近く前の中国の話やからね。本当の死因なんてなかなか特定できんかったやろうと思う。
亡くなった場所にもよるが天津や上海などの大都市ですらそうそう近代的な病院がどこにでもあったわけでもなし、
軍隊の兵舎があるような辺鄙な地域なら漢方医ですら満足におったかどうかわからん。
ただほとんどの人の証言が「急逝した」ということだけは一致してる。
何年もの長患いの末とうとう亡くなった・・・というのではなく、今朝までピンピンしてたのにいきなり亡くなった・・・みたいな感じやな。 >>526
霍元甲は元々は肝臓を痛めていたからの肝硬変とも
言われてますよね
時代背景的に反日プロパガンダにも利用されてそうですね >>527
これも医者の立場から見ると、清朝末期の医学ではいまなら適切に治療すればとくに問題ないような怪我でも
それが原因で結果的に死にいたる・・・ということは当然あったと思う。
漫画のように李書文に打たれたとたん血を吐いて即死・・・なんてのはやはり伝説やろう(笑
ただやはりプロの武術家やから、試合や練習でその気はなくても相手を負傷させてしまい、
その人はそのときの怪我が原因で亡くなった・・・なんてのが誇張されて伝わった可能性が高いのかもな?
我々がガキの頃までは学校のクラブ活動中の事故が原因で死んだり、一生障害が残ったりしてもいまほど表沙汰になることは少なかった。
プロボクシングでも四回戦ボーイの死亡事故てのはしょっちゅうスポーツ新聞のベタ記事で見かけたもんや。
日馬富士の事件でテレビや新聞では「いまだに暴力体質から抜けきれない角界」なんて騒いでたけど、
これは現代の常識なんであって昭和の時代までは「相撲取りやプロレスラーに暴力はつきもの」てのが一般常識やった。
李書文の時代でも意図的な殺人はやはり処罰されたやろうが、いまとは全然違うわけやから
「武術の試合や練習で命を落とすのは仕方ない。そいつの鍛えかたが足りなかったか運が悪かっただけだ」
という風潮やったとしても全然おかしくない。 >>514
>いまの自分があるのは劉雲樵のおかげ・・・というのはやはり我々にも話す。
>その一方で「でもあの人はこうこうこれこれなところもあって・・・」
>なんてこともよく言うよ
その、あの人のこうこうこれこれなところをぜひ聞かせてください! >>529
「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」に近い印象を受ける。
霍元甲自身はキチンと診療してくれた日本人医師に感謝してたかもしれんのにな。 >>531
いや、ただの愚痴(笑
たとえば若い頃つきあってたガールフレンド・・・つまりいまの師母とデートに出かけようとしたときに
いきなり「いまから國術会の会議に行くから車で送れ!」なんて電話がかかってきたとか(笑
会社の上司への不平不満と変わらんよ。
いくら人望のある上司でも飲み屋じゃみんな「でもあの人は・・・」になっちゃうやろ?
逆に言えば誰からも相手にされんような人間は不平不満を言われることもないってことや(笑 >>530
確かに昭和末期まで世の中良くも悪くもおおらかだったですね・・僕も覚えがあります
清朝末期も革命だスパイだ馬賊だ盗賊団まがいの軍隊だの乱世そのものだし
その後も南京国術館での武術教師同士の狙撃事件だとかあるし
李書文伝説もだいぶ誇張もあるとはいえ武術家なんて軍事教練の教師だったから教練中の死亡事故とか多そうですし
そもそも一般の人々の病死事故死率も高すぎた時代で 死そのものに対する感覚が今と全然ちがうでしょうね >>534
松田さんは昭和13年生まれやから生きてはったら今年80歳。
本でも書いてはるが戦時中や戦後まもない頃は「死」なんてものは周囲に溢れてて、ごく当然の日常やったやろうと思う。
ウチの親父(昭和8年生まれ)も同じようなこと言うてたからな。
要はそれだけ人の命の値段が安かったんや。
「李書文が10人以上殺した」なんていうても空襲じゃ一度に何百何千人と死んでたわけやからね。
ある意味死ぬとか殺すとかいった表現に無頓着やったところがあるんかもな?松田さんに限らずこの世代の人たちは・・・ >>535
>ウチの親父(昭和8年生まれ)も同じようなこと言うてたからな。
>要はそれだけ人の命の値段が安かったんや。
お父様もお医者さんですか?
だとしたら当時のお医者様は
どんな死生観や生命観や倫理観をお持ちだったんでしょうね?
現在と比べてどうでしょう?
そしてあと十年後二十年後にはどんな風に変わっていくのでしょうか?
>>533 もうちょっと劉雲樵先生の人となりが良くも悪くも解るエピソードとかはないですか? ガスコンロを使いこなせなかったというのは王樹金かな >>514
>いまの自分があるのは劉雲樵のおかげ・・・というのはやはり我々にも話す。
まあ、職業選択としては
武術家が一番ツブシが効きにくいとは言われるけど
どう思う? このスレにはあのサヨク臭いコピペが一度も貼られないという事実
あやしい >>539 成程、言われてみればそうだな。
で、それは分かったが、何がどう怪しい? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています