>>769 >>770
>>唐朝の創業期には、洛陽を本拠とした王世充の鄭国政権を見限り、
>>唐の李世民(後の太宗)軍に対して自坊の僧兵たちを援軍として出すことで助力し、
>>鄭の征討に貢献した。寺内には、「皇唐嵩岳少林寺碑」、「唐太宗御書碑」が残る。

Wikiの↑な、あまり軍事介入とかという風に考えない方がいいと思うぞ

基本、ここは嵩山少林寺の曇宗と13人の棒僧達が、棒術のみで
捉えられた李世民を洛陽城から救出し
鄭軍の騎馬兵に囲まれたところを500人の少林寺層が押し寄せ蹴散らし
「王世充」の甥である「王仁則」を生け捕りにし、
「王世充」に降伏するように迫った逸話であって、これが唐の中国統一に繋がっていくというお話。
基本死者を出さずにすませた戦いという事になっている

>自衛どころか軍事介入までやってたんだな
>意思統一された大集団ってのは兵隊として使うのに非常に都合が良いんだろう
>彼らが本願寺並にダーティだったかまでは知らんがね

だから、そういう風に考えない方がいい。
宗教家の理想としてガンジー云々という解釈もしてるようだが全く関係がない的外れだ。
本願寺だってそうだが信長に言われるほどダーティではなかったという説も有力だろ?
歴史解釈何てホント当時の権力者や後世の人間の妄想の合成みたいなもんだから
書き残された文章の解読の仕方や読み手の印象や内容なんて180度変わる

さらっと表面だけ歴史家が書いた文章読んであーだこーだと妄想しても何も始まらんよ