確かに柔道は強いんだがな・・・スポーツとしては
打撃系なんかの他分野や古流からは嫌われてる面も多いよな

上に描かれてるような体系そのものが武術としてはどうかって意見あり
自分に有利なルール作って最強を唱えて政治的に伸し上がるのはどうか? との意見あり
受け身への疑念の様な、畳の上以外では使えないという意見あり
また柔道からも「コンクリの上なら柔道最強!」という声もあって自ら受け身の役立たなさを認めてるし
それを言うなら柔道以外の投げ技系の他分野でも同じ事だという意見もあり
大体、嘉納治五郎の警視庁への参画や柔道普及の際の遣り口が卑劣だったという意見もある

実際に古流をやれば、柔道が主張する様な
「達人が今まで秘伝としていた方法を解析し、誰にでも出来るように分かりやすく整理し直した」
というコンセプトが実に大仰というか、はっきりと書くと疑わしいと思ったりはする
正直、八方崩しとかそんな表層だけの理屈を古流から大発見と称して声高に導き出されても困るし
上でも指摘されてる通り、受け身が疑われてるが、原理説明を求められても
「やったことがない、イメージだけで書いてるのが丸わかり」と根拠なく上から目線で威張るだけで、
求められている説明が何一つ書けずに自分の殻に閉じこもる有様だから
まあ、柔道の普及と発展に生贄にされてきた
古流の立場からすれば嘉納治五郎以来の卑劣な伝統芸を見せつけられてる気分にはなる

自他協栄って嘘だろ? みたいな気持ちにさせられて残念だわな
自分から敵を作って生贄の上に立って自らの優秀さを叫びたがるのが武道としての柔道の思想か?
スレのテーマに合わせれば、このまま生涯それを続けるのか?それでいいのか?という疑問は湧く

上でも出てたけど武道の尊さのひとつには戦わずして勝つ事にありという意見があるが
その勝ち負けは一体誰のものなのだろうな? 試合を採用した柔道はそこに辿り着けるのか?

当然、柔道の中にも立派な人もいるんだろうけど、それは他分野でも同じであって
そうでない汚点の方も目立ってる気はする 
格を求められてるのにただの幻でしかありませんみたいな共有幻想を見せつけさせられてるというべきか・・・