合気道を語る
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>>67
>大東流合気柔術を習いながら
>始めたのが合気道だ
大東流は戦前
合気道の創始は戦中です。
時系列がおかしいですよ。 >>73
>大東流は戦前
>合気道の創始は戦中です。
>時系列がおかしいですよ。
ちょっとややこしいですが、合気道開祖 植芝盛平の開眼は戦前で、「合気道」が正式名になったのは戦後です。 歴史にあらわれるのは武徳会(戦中)からみたいですね。
>>74
大正時代は戦前なので合気道より古い時代ですよ。 合気柔術という名称を考えたのは植芝の信仰面の師匠の出口王仁三郎なんやで。
そこから本家も合気柔術を名乗るようになったんや。 >>77
その話が本当なら、大本入信の大正八年から大東流合気柔術の教授代理となる大正十一年の間に、武田先生が合気という名称を受け入れたことになります。
武田先生が大東流を教授し始めたのが明治三十一年、そこから英名録が始まっているらしいのですが、大正八年以前に大東流が合気柔術を名乗っているのが英名録に残っていたら、その話は嘘ということになってしまいます。
資料を持っている方の公表が待たれますね。 >>78
出典としては問題があるかもしれませゆが、出口なお・王仁三郎伝記の「大地の母」からです。作者出口和明氏が大東流サイドにどれほど取材しているかはわかりません。 >>77
大正二年の記録には、既に武田惣角先生が「アイキをかける」と技を説明していたそうだ。
植芝盛平の入門は、それよりも後だよ。 >>79
その大本教の伝記の合気の名称に就いての部分をアップしてくれないかな?
大体、大本教の教義に、合気という言葉があったのなら、その話も信憑性があるけど、
大本教の教義に合気という言葉が出てくるという話は聞いたことが無いね(笑) >>81
> 大正二年の記録には、既に武田惣角先生が「アイキをかける」と技を説明していたそうだ。
字や意味はわかりますか? >>77
馬賊につかまって処刑されそうになった植芝は
王仁三郎のせいでこんな目にあった
騙されたお前のせいだと怒鳴り散らした >>83
武田惣角先生御自身は文字を書かなかったそうだが、武田先生の弟子の大東流合気柔術各師範が、
皆、合気とは相手の力を抜いてしまう技術だとしているのだから、合気の意味は力抜きの技術の事でしょう。 植芝盛平が武田惣角先生から大東流合気柔術を習っておきながら、合気の創始者を詐称した動かぬ証拠
https://goo.gl/images/idFhp9 >>85
佐川氏は「合気とは気を合わすこと」と言うてはったそうだすがねえ。 >>88
佐川先生の道場訓には、合気とは気を合わす事である、とあるが、具体的には相手の力を抜く技術だと仰っておられたよ。 佐川幸義先生 道場訓
合気とは気を合わす事である。
宇宙天地森羅万象の総ては融和調和に依りて円満に滞り無く動じているのである。その調和が合気なのである。
合気は自然の気なれば少しの蟠りも無く抗いも無く合一融和するものである。
人類社会形成に於ても、合気 即ち 融和調和が基調でなければならない。是れを合気の大円和という。
暴を奮う者に対しては、合気の理により融和致させ、敵の既発に対しては同じく合気の理により転化 又は 変更して融和致さすのである。
吾人は流祖 新羅三郎源義光公より伝承したる合気之術を基本とし、躰術(柔)、太刀之術、槍術、棒術等の武術を修業して、合気之武道 即ち 人間修養之道に迄 到達せねばならぬ。 >>89
相手の力とは具体的にどんな力なんだすやろか。 合氣道の精神
「合氣とは愛なり。天地の心を以って我が心とし、 万有愛護の大精神を以って自己の使命を完遂することこそ武の道であらねばならぬ。
合氣とは 自己に打ち克ち 敵をして戦う心無からしむ、 否、 敵そのものを無くする絶対的自己完成の道なり、而して 武技は天の理法を体に移し霊肉一体の至上境に至るの業であり道程である。」 パッと見>>90と>>92は似てますね。
技法的にはまるで違うらしいですが…佐川先生系統の技法は非公開なので、判断のしようもないですね。 >>81
直前のレスでご紹介した資料によると当時アイキは気合の意味だったみたいですよ。
(後ろから)キアイをかけるという用法は整体法の野口晴哉氏関連の資料に頻出します。
昭和初期までブームだった気合術の業界では多用されたみたいですね。
大東流の定義付けは戦後のことで
明治末期から昭和初期よりもかなり後のことです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています