>>893
余談だけど、1920年代初頭に書かれた船越や本部の著書には
首里手や那覇手の型の名前が出てくる。

1900年代初頭の琉球新報の唐手の記事でも、船越や本部のよりは少ないが
一応那覇手の型は出てくる。自分の記億では、それよりさらに以前の時代に
型の名前が記された公的な記録というのは存在しない。

独自に見つけた1880年代の資料で、唐手の型についてどんなものがあるのか列挙
されたものを長いことかかって見つけたんだが、残念ながら首里手の型のみで那覇手の
型の名前は一切無かった。その首里手の型にしても、ずっと少ないんだなこれが。

年代が遡るごとに那覇手の型は減っていってる。首里手もそうだけど、那覇手はそれが特に顕著。
この資料のみで言うのではなく、色んな資料を見てきた結果導き出した答えとしては、東恩納が台頭
するまでは那覇手の型なんてのはそもそも存在しなかったんじゃないかと思うよ。