よく共謀罪と重ね合わせて考えられる治安維持法も、成立してすぐに大弾圧の手段に利用されたわけではない。大正14年に成立してから後、厳罰化、対象の拡大などいくつもの改悪を加えられ、
より実行性や凶悪さを増し、昭和20年に廃止されるまで多数の弾圧被害者・犠牲者を出す大悪法となっていった。

今思い返しても共謀罪(テロ準備罪)には、内容だけでなく、その成立過程などにも、いくつものおかしな点があった。そのひとつが可決・成立から施行までの準備期間がわずか一ヶ月だったこと。通常、法律には、
それをより実行性のあるものとするため、十分な準備期間が与えられるものだが……。

可決・成立から施行までの準備期間がわずか一ヶ月。これでは、共謀罪どころか、ほとんどの法律に実行性を持たせるのは無理だろう。
それでも、そんな無理してまで共謀罪施行を急いだのには、いくつか理由が考えられる。そのひとつは、早く規制事実化することによって、反対派の諦めを促す為と思われる。

十分な準備期間もなく、実行性を持たられないのに、共謀罪の施行を急がせた理由がもうひとつ考えられる。昔からこの国には、一般人の中にも
「警察気取り」「国家の代理人気取り」で、喜々として権力の手先となって暴力を振るう人たちがたくさん居る。そんな人たちを勢いづさせる為ではないか、と思う。

共謀罪が成立・施行されたら、警察や国家の代理人を気取る「普通の人々」による監視や密告、暴力や嫌がらせなどが激増するのではないか、と思っていた。しかし幸いなことに、
この予想は外れた。これには、彼らの精神的支柱である安倍自民党政権の凋落という事情もあったのではないかと私は思っている。


逆に言えば、もし共謀罪施行後の現在も安倍自民党政権の凋落がなかったら、支持率が高いままだったら一体どうなって居たのだろうか。それで反安倍がびびって萎縮してしまったら、どうなっていただろうか。安
倍政権の代理人気取りの一般人による密告・監視や嫌がらせが激増してたかと思うとぞっとずる。