>>566 続き
>琢磨会は久が最晩年の弟子で相撲取りだったので力技主体になっただけ。
琢磨会が力技???
むしろ、佐門会の方が力技。
佐門会では最初の合気揚げの段階から、力で良いからとにかく揚げろと指導されるし、
重い素振り棒などで筋力養成をみんながしている。

>合気道(植芝流)が突出してアレンジしすぎで文字どうり大東流ではないし合気もない。
>「関節ぶん回し系」とでも言うべきか
>彼らはそれが合気だと思っている
>合気が無いのに合気道という歪んだ現実になってしまった。
これは勝手な妄想。佐門会では佐川自身が惣角の合気を大きくアレンジしたと言っている。
佐川の弟子の著作では、佐川の合気と惣角の合気は全然違うと言っているものもある。
公開されている範囲だけの大東流伝書を見てすら、
佐川派や堀川派が元々の大東流と大きく変更されているのが分かる。
植芝派だけアレンジされているというのが勝手な妄想。
また、各会派とも、自分のとこのものが合気と言っているだけ。
そもそも植芝派は合気なんて言ってない。合気概念を昇華して呼吸力という言葉を使っている。
植芝派があのように変わっていったのは、
惣角と違って、超一流の剣道家や相撲取りと実際に戦った植芝が大東流の合気だけでは戦えないことを悟ったから。
そのことは藤平光一の「気の威力」にも、大東流の合気だけでは戦えなかったが、
大本教に入信して、体の使い方ができるようになった頃から植芝が達人になったと書いてある。