(結び)
N氏が屈辱や尊敬を共に味合わされていることと我々の人生には、本質的には関連はありません。
N氏がやったことやっていることはN氏の物であり我々の財産にはなりません。
N氏を嘲笑することもN氏から学ぶことも、結局は我々個人が決めることであり自己責任ですからN氏は単に人畜無害な、サンプル商品に過ぎない。
それは世に言う天才や達人であれ同じです。
過度に賞賛したり批判する必要も意味もないのです。
N氏の例から学ぶことが特にあるわけではなく、この世の全てが同じく教師であり反面教師なのです。

N氏スパオフ事件からN氏自身が何を学んだか・・・興味は尽きないですが、結局は基本どうでも良いことなんですよね。