上地流=工員空手

開祖は文字を読めなかったというから、小学校も通ってなかったのだろう。
沖縄でもかなりの下層の出身と思われる。
食い詰めて、本土にやってきて、和歌山の工場守衛になった。
この沖縄人は、おれは中国に10年もいた拳法の達人だとホラを吹き、
中卒の工員たちを集めて、工場内の社宅の一角で教え始めた。これを
道場と称したが、ほとんど子供のごっこレベルだった。(youtube参照)
(和歌山側の宗家というのも、実はこの工員の一人にすぎない)

無学な文盲の男を中心にした、この工員たちのグループは、
さすがに当時の畿内の大学生たちにはまったく相手にされず、
4大流派と同時期の活動ながら、大学空手部の流派として
採用されることは一校もなかった。

しかし、この本土では全く相手にされなかったインチキ流派も、
沖縄に帰れば、ドキュソはたくさんいるから、類は友を呼ぶである。
剛柔流で不遇をかこっていた不満分子、主流派から遠ざけられていた者たちを
かき集め、本土から逆輸入の最新流派として、今度もまたホラを吹いたわけだ。
いろいろな武勇伝を創作して、実戦流派を主張したが、冷静に考えると、
上地流がその実力とやらを証明した例は一度もないのである。
妄想とホラだけで出来た流派であり、その点は和歌山時代からまったく進歩して
いない。