【武道空手】玄和54【酸っぱい葡萄空手】 [無断転載禁止]©2ch.net
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2020年東京オリンピックで空手が正式種目となり、さらにスポーツ化が進む空手。
そのとき「武道空手」を標榜する空手はどうなるのか。
「酸っぱい葡萄空手」とも言われる玄和会はどうなるのか。
さあ語ろう。 過去は、「空手道綱要」
現代は、「武道空手學概論」[新世紀編]
時代が変化、実体は不変・現象形態が変化。 >>847
まさかあれを教科書に採用している流派は、
あるまいのにね(´・ω・`)
「この書を出すことは、敵に塩を送ることになるかもしれない」
自意識過剰だね
「だがわれわれの現在は、そんなことでビクともしないほど進展している。
もはやわが流派は、他流派に教えを授けることはあっても、
他流派から教えを乞うことはないと、断言できる」
まさに南郷さんのよく使う言葉、「夜郎自大」そのもの
南郷さんも最晩年になって、特大ブーメランが返ってくるとは、思わなかったか
ただしあの人の場合、「台風の目」のようなもので、
被害を被るのは周囲の人たちばかりで、
本人だけは義務も責任も投げうって、いつのまにか安全自体にいるんだよね… >>847
へー
そんな本があるのか 珍しくこのスレで新知識が得られたわw
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......... 哲学・論理学原論 【新世紀編】: ヘーゲル哲学 学形成の認識論的論理学
(日本語) 単行本 ? 2017/10/20
南ク 継正 (著)
■現代社(在庫あり) 定価 本体:4,800円■
学的体系としての哲学、学的体系としての論理学の本当の姿とは一体いかなるものか。
本書は世界史上最高の哲学者である大ヘーゲルの言にある「哲学は愛知ではなく、学と
しての体系であるべきだ」との大志を継いで成立した、学、すなわち「哲学の大系」かつ
「論理学の体系」である。加えて、認識論・弁証法の体系も学的に説くものである。大志
を抱く読者の熱き心に期待する。
その他 の形式およびエディションを表示する
単行本
¥11,527 より
¥11,527 より 5 中古品 ¥11,810 より 1 新品 こっちの人の方がまだましかな
カスタマーレビュー
tada
5つ星のうち1.0 南郷学の墓標 壮大な失敗の体系
2018年4月23日に日本でレビュー済み
哲学・論理学原論新世紀編は 416ページ 4800円の大著であり 1932年生まれの86歳 南郷継正による哲学・論理学・弁証法・認識論の集大成である。
そうであれば どのような批判をしても もはや言い逃れはできない。これはまたとない機会なので 長年にわたる 見当外れな滝村隆一批判に対してのお礼も含め 書評する。
略
滝村先生は浪曲 森の石松がお気に入りで 繰り返し聞いていたという わかるなぁ その気持ち 「バカは死ななきゃ治らない。」(笑)
まだAmazonで売っているだけ大したもんだ
引用文もこのレビューも
何だか論理が独りよがりで中身が全然ないのが残念 多彩な基本技の全てを
武器レベルで量質転化するの容易なの? 極真の基本技は手技が約20種
蹴技が11種
全部が同時に武技にならずとも
順番に武技化されていけば
最終的には全部が武技化できる 「最終的には全部が武技化できる」まで、
果たして何年?何十年?かかるのだろう。 >>858
30年くらいかけて、すべて武器化して、
苦労して身につけた技がまったく相手に当たらないというとこまで、
一連の流れ 技は正拳突きと前蹴りだけ
後は変化に過ぎない
というので玄和 量質転化の二重性
一、基本の型の量質転化
二、その基本型の使用形態の原型の量質転化
一は、独り練習の繰り返しで比較的容易。
二は、練習法・練習相手によって難易度が変化。 「最初に奥義あり」と言うが…
奥義の型としての習得は比較的容易。
必殺の得意技レベルでの修得は至難。
この論理は玄和会の技に当てはまる。 学問としての空手の奥義とは?
技芸としての空手の奥義とは?
武芸としての空手の奥義とは?
武道としての空手の奥義とは? 結果として武技になればいいわけで
その過程で使ったとしても別に問題はない >>859
ふたつに集約するのは悪くない
しかし俺は極真の約30種の多彩さにこだわる
全方向性というかなんというか 本来の空手は崩し技とか投げとか関節技とかふくまれるんじゃないの。型の意味とか南郷さんわかって無かったんじゃないかな。手刀打ちとかたぶん接近して使うから腰引いた形でないとつかえないんじやない?何でも前屈立ちとか無理があるんじゃない?目付も遠山の目付否定してら良い動きはできないと思う。結論言うと南郷理論は間違いだらけだと思う。南郷さんは10年くらいちゃんと先生について習った方が良かったんじゃないの?
気や勁だって解明してないんじゃない?
他流に頭下げて学んでる極真の西田さんとか協会の中先生みたいな謙虚さが必要だったんじゃない? もしそういうものを持てていたならあんな型ばかりにはならなかったろうね >>873-874
「もはやわれわれは、他流派に教えを授けることはあっても、
他流派から学ぶものはないと断言できる」(『空手道綱要』より)
しかし、一度の他流試合もせずに、
こんなこと断言できるってのは、何だろね…w
科学の世界では、たとえ実験室のなかで成功したからといって、
他の科学者の追試によって、再現性が認めらえなければ、
当然、その理論も受け入れられない
数年前の理研騒動みたいだ
玄和会のレベルは、オボちゃん並なのか…(´・ω・`) 玄和の支部や個人が、まれに他流派と交流戦をしたり、
他流派の大会に出場したりするが、
戦績は芳しくない
それが玄和会の現実
南郷師範には「責任取れ」とは言わないが、
せめて玄和の現状について、申し開きくらいはする義務がある
あれだけの大言壮語をしておいて、
多くの人間の人生を狂わして、
いつも「指導者が負う責任の重大性」を説いていたんだから
それとも「俺についてきたヤツらは、みな自己責任」
とでも、言うつもりかしらん オームもそうだろ
というか実践しようとして逆に殺されたが >>853
一撃必倒までの
つなぎ技もいるんじゃん
やはり30種類程度は必要 その辺を基本と変化と理論づけたはずだが
全くその弟子・信者にはその最低の理論的成果も残っていないということだなw 飛翔隊
特選科
黒龍なんちゃらとかどうなったんですか? 手刀顔面打ち
手刀鎖骨打ち
手刀鎖骨打ち込み
手刀ひぞう打ち
手刀内打ち 上段あげ受け
中段外受け
中段内受け
下段払い
内受け下段払い
廻し受け ヒジ打ちにあげ打ちとおとし打ちもプラス?
横当てと後ろ当てもプラス?
はねあげ打ちもプラス?
ふりエンピもプラス? 金的蹴りはスナップですぐもどす
前蹴りは玄和式の蹴込み方式でちょっととめる 横蹴りを協会式に
蹴あげと蹴込みのふたとおりにするか? 廻し蹴りを背足と中足の二種類にするか?
下段廻し蹴りもやるか? 後ろ蹴りも前を見たまま蹴る方式と
後方を見て
横蹴込みぎみに蹴る方式の二種類にするか? 極真本部一つしかない時代
今は基本も各派が適当に作ってるのかな? アホ?
分裂時代前という意味だからもっとずっと後だよ もっとずっとあとでヒジなし?
ドコ派よ? いやドコ支部?
70年代にはあったで → ヒジ打ち
64年なら知らん ちなみにヒジと下突きは騎馬立ちで
あとは三戦立ち
(手技) もともとあったのに
やらなくなったというローカル支部なら
ああそうですか
そういうところもあるんですねというだけのこと >>907
池袋の本部で大石さんや佐藤勝昭さんから教わりましたが
たまに山ア輝智さんも来てましたね ウーン
昭和50年前後かな
廣重さんがまだ白帯で一緒に審査受けました なるほどー
昭和53年には技術書にヒジ打ちがあったので
その50年前後から急きょ採用されたのですね 「基本技でなく 」だったら
初期からあったでしょう >>877
玄和会の現実がどうであれ…
師範に対する不平・不満は、
当事者が対面で直接に伝えるもので、
部外者が、こんなネットでなんやかんや
書くモノでは、どうなのでしょうね!? 追伸>>877
「自己責任」とは、
自らが己の責任を痛感して、
自らが己自身に向かって使う言葉なのでは? 弱いから強がって、
強がる事で自分に鞭打って、
少しずつ強くなっていく…のでは? 唯物論「生物の感官とは、五感だけである。
あらゆる観念的なものは、すべて頭蓋骨のなかで完結している」
玄和会、論研、ピーンチ!!
http://karapaia.com/archives/52298254.html 南郷さんは、合気道の「気」を、
「足腰の力だ」と言っていたけど、
だったら人類史上最強の合気家、
佐川幸義先生が晩年、車イス生活になっても、
弟子たちをホイホイ投げ飛ばしていた事実は、
どう説明するのだろう…(´・ω・`) とにかく
空手・ブドウ畑ではともかく
他の分野(医学・教育など)でも画期的な成果をあげる
としていたのはどうなったんでしょうか?
具体的な著作・影響が分かるものがあるのでしょうか? >>930
ここで南郷さんやお弟子さんたちが、
いろいろ書いてる
http://www.gendaisha.co.jp
玄和会の現会員は、ひょっとして本を強制購入させられて、
読まされてるかもだけど、
玄和のOBは、よほどのファンでないかぎり、読むことはない
むしろ三浦つとむさんや滝村隆一さんの愛読者だった人なんかが、
読んでる感じ
もちろん世間的には、まったく無名の出版社
南郷さん自身は、「相対性理論は間違っている」と言い、
「自分の学説が認められるまで、200年はかかる」とのたまっている
専門の空手については、講義でうっかり、
「失敗した」と漏らしてしまったため、
あわてて玄和会の幹部たちに止められたということがあった
ただし、下記の学校は南郷さんの奥さんがかつて初代学長を勤めており、
弟子さんたちは好きな研究をしているみたい
https://www.mpu.ac.jp >あわてて玄和会の幹部たちに止められたということがあった
この部分は事実誤認でしょう。 >>932
いや、事実でしょう
このスレで目撃者もいるし、
南郷さんももちろん、バカではない
玄和空手が他流派にまったく通用しない現実くらい、
ちゃんとわかっているはず
まただからこそ、20年ほど前から玄和には、
「護身コース」が設けられたのでしょう
なにしろ玄和の大きすぎる技では、
細かい護身術にもならないと、
いくら当人たちでも気づいたのでしょう
要は玄和には、「大きく創った技を、小さく使う」という
技術や方法論が確立されないまま、
「われわれの空手は、ついに完成した!」と、
満天下に大言壮語するという大恥を、
過去にさらしましたからね 大きく作った技を小さく使う(小さくも使える)
「基本は大きく」
などというのは小学校時代にならった松濤館空手の先生(慶応大学かどっかの空手部
OB)の人)も普通に言ってたぞ
言ってる内容も「教訓」レベルので特に科学的なものでもない >>934
その先生が、南郷さんの本を読んでいた可能性は、
あると思う
それほど南郷さんは、70〜80年代にかけて、
武道界ではアンタッチャブルのオーソリティーだったのは、事実 >>935
いやそのころまだ武道の理論もないし南郷のなの字も知られてなかったはずw >>936
あなた、若い人?
南郷さんのデビュー作『武道の理論』初版発行は、
1972年だぞ
高岡英夫さんがデビューしたのは、1986年で、
それまで「武道の理論家」といえば、南郷さんしかいなかった >>937
>南郷さんのデビュー作『武道の理論』初版発行は、
>1972年だぞ
「試行」の投稿を入れたら、もっと前になる >>937
俺が習ったのは1970年ころだよw
若いのは南郷も玄和会も誰も知らんだろw 当時大山倍達がまだ異端で革新的と言われていた時期だw そういえば南郷さんは、
講義や著作で、「責任の重大性」とともに、
「恥を知ること」も、よく強調していた
すると空手が欠陥品、未完成品であるにもかかわらず
「わが流派は、空手を完成させた!」などと公言した事実は、
これ以上ない、末代までの恥だと思うけどな
本当に「責任」、「恥」を知る人間なら、
腹を詰めて、自分の過去を総括するくらいだと思うが、
本人はのうのうとして、90歳近いいまでも生きている 『月刊空手道』の連載後の著書で、「空手を辞めた」という事っが書かれていたのを読んで、
「何かあったな?」って思っていたが、失敗して挫折したのか。
まぁ、自身でも書いているけど、「人間はまがい物に向かう時ほど真剣になる」って事だったんだ。 一流の者が語る「失敗」とは、
一般の人にとっては「成功」なのでは?
南郷氏の語る「失敗」の具体的な中身を知らず…
何を書いても意味のない言葉。 >>942
>…「空手を辞めた」…
ではなく「指導的立場から退いた」だと記憶しているが… >>943
自由びとは相変わらず、具体的な内容のない、
情緒的、抽象的な玄和擁護
お前、自分が書いたことの意味も、
説明できないだろw
ましてや他者を納得させることなど、夢物語
この点、ロマン主義的南郷空手と同一 レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。