【武道空手】玄和54【酸っぱい葡萄空手】 [無断転載禁止]©2ch.net
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2020年東京オリンピックで空手が正式種目となり、さらにスポーツ化が進む空手。
そのとき「武道空手」を標榜する空手はどうなるのか。
「酸っぱい葡萄空手」とも言われる玄和会はどうなるのか。
さあ語ろう。 どうせ口だけ、
言葉だけで、
否定するだけ、
…のお宅には、ないモノねだりの子守歌…ですね。
そうそう…
立証はできなくても、
強く握る事の繰り返しで、
物に当てた時、己の拳が以前程に崩れない
正確には、当たった瞬間に固い拳ほ意識できた実感はありました。 滅茶苦茶腹立ったので書かせて頂く。
人が、真面目に書いているのに…
「立証できない」から、
代りに体験を踏まえた経験論を書いたのに…
それを…ムカつく!ムカつく!ムカつく!
もう少し…まともなお宅だと思っていたのに…
結構な幻滅・失望ですね。
もう真面目なコメントは止めです。
冗談100%勇気!で生かせて頂く。
そんなに「立証」を求めるなら、
お宅のお気に入り玄和会空手を! まあ立証責任という言葉も理解できないでしょうから仕方ないでしょうね
まあ御大自身の論証?も含め
ちょっといい話 レベルの「論証」なんだよなあ
とても学問的・対世間的に通用するような論証ではない >>746
失礼しました。お宅の以下の。
「正拳突きはしっかり石のように握りこむことで初めて威力が出る 」
「理由なし」
は、全く正しく問題ありません。その通りです。
私の勘違い・読み違いです。
私は、南郷氏の言葉「初心者の段階では、
拳は指を確り巻き込み、最後に小指と親指で締め付けるように握る。
初心の段階では、拳タコより握りタコができる位…」
と自分勝手に勘違いしました。なので、
お宅はお宅の好きなように拳を握って妄想空手をして下さい! >>755
私は、「立証責任」を以下の「1」と理解しましたが…
まさか…お宅は、「2」しか知らならなった?
https://ja.wikipedia.org/wiki/証明責任
1. 論理学・哲学的な文脈で、どちらが対象となる事実について証拠を挙げる、または証明を行う責任を負うか、という意味で用いられることがある 。
2. 裁判上では、ある事実が真偽不明であるときに、その事実を要件(前提)に生じる自己に有利な法律上の効果が認められないことによる不利益をいう[5
お宅の勝手な言葉に「ちょっといい話 レベルの「論証」も、
全く不要です。
もっと…
玄和会・南郷氏の言葉・事実に即した書き込み記述にして下さい。
自由びとは、とても困っています。 そもそも…
ゆるく握った拳で、
全力でサンドバックを叩けば、いいのです。
その結果どうなるか?実感できるでしょう。
ボクサーは、素手でサンドバックを全力では叩きません。
グローブをして叩くのが普通です。
もっとも…モノ好きで叩くボクサーもいるらしい…ですが。
拳の握りの立証は、自分でやればいいのです。
十分に実感可能ですよ。
筆だけ、書くだけのお宅には、
無理無理でしようがね。
拳の握りより、前足底・コシの場合は、もっと顕著ですよ。
コシ・前足底への意識の入れ方が蹴りの威力を決定します。 >>757
書き忘れです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/証明責任
証明責任(しょうめいせきにん)とは、
真偽不明な対象に関して証明を負う責任。
挙証責任、立証責任とも言う。
立証責任=証明責任…だそうです。
お宅は知らなかったでしょう!
やぁ〜い!やぁ〜い!
ネットも満足に使えない癖に…
なにが、
「まあ立証責任という言葉も理解できないでしょうから仕方ないでしょうね 」
本当に理解していない・困った者はお宅でしたね!
知ったかぶりの無知者よ!
「恥を知れ!」「無知の知を知れ!」でしたね。 念の為に再度書かせて頂きます。
>>746 の
「二つの言説」は、
私のではありません。
私に立証責任はありません。
なのでお宅に「この二つの言説だけでいいから立証してみ 」
なんて書かれる筋合いはありません。
道理にあいません。不条理で理不尽です。
なので絶対的に拒否・拒絶します! 馬鹿か
お前なんか名前を変えたとき見えるだけの邪魔者
南郷の言動以外ゲンワスレで話す意味もなきわ
立証責任の意味も慌てて辞書ひきてるようなガキは引っ込んでろ >>761
>立証責任の意味も慌てて辞書ひきてるようなガキは引っ込んでろ
この言葉そのまま返させて頂く。
辞書で確認もせずに己の理解が絶対だと確信している
アホな糞ジジイは、黙って横で居眠りでもしていろ! バカは自分の辞書の理解も小学席並みだと理解もしていない
釈迦に説法なんだよアホ >>764
「言葉」そのモノの意味・意義を理解していない、
しようともしていない、お宅のような怠け者に、
そんなに偉そうな事を書かれたくないね。
アホでバカなのは、私かお宅か、
どちらの方でしょうかね? >>764
>釈迦に説法なんだよアホ
え!?
お宅は、「お釈迦様」なの?
お宅は、「仏様」なの?
お宅って、「死んだ者」なのね!
アーメン!ではなく、
南無阿弥陀仏!
何妙法蓮…?
でもなく、
「オダブツ様」でした。 こういう小学生並みの反論w
この文脈では釈迦というのは当該用語を自己の専門として日常に使う専門家であるという意味になるんだよw
担任の先生に言いつけて聞いてみw >>766
あの〜
>こういう小学生並みの反論w <…なのではなく
ただただ、お宅の事を弄って楽しんでいるだけなのですが…
そんな事も分からないとは…
お宅は私が思っていた以上の馬鹿者でしたね♪♪♪ いや〜!です…私とした事が、
「>>767 」と入力した筈が…
あまりの驚きに、笑い過ぎて
なんと…手元が狂ってしまった!
「766」も合わせて読むと、
二度楽しめますよ♪♪♪ >>771
小学生の頭の大人っているんだよ 本当にw >>772
「小学生の頭の大人」とは素晴らしい♪
身体能力は大人で頭脳の可能性は子供、
これ程、将来性ある者がいるだろうか?
子供をバカにする大人こそが馬鹿者だ! 何事も純粋は拙いようである。
そう「冗談100%」では、
思い通りに書けない事に気付いた。
そこで、少々真面目に書く事にする。
さて「この文脈では釈迦というのは当該用語を自己の専門として日常に使う専門家であるという意味になるんだよw
とするなら
このお宅は専門家で専門用語として「立証責任」を捉えている事になる…
しかし、自由びとの使った「立証責任」とは、
単に日常的な用語としての「立証」する「責任」という意味であり、
言い換えるなら、「(ここはネットなので)言葉で納得させなる立場ではない」といた意味であり、
それは専門用語としての「立証責任」という意味ではなかった。
日常的な「立証責任」を、専門お宅は、専門用語として理解したのであろう。
専門家が素人の言葉を専門用語して理解した、という間違いである。
それは、言うなれば、
「釈迦が戯言を説法だと誤解した」のであり
それは、「釈迦に説法」ではない事になる。 更に書けば…
辞書での「立証責任」とは、>>757の「2」の意味しかなった。
しかし、ネット>>757では、二通り書かれていた。
そして、自由びとは「1」の意味合いで使っていたのに、
専門お宅は辞書の意味「2」の理解しかなく
「1」 は知らなかったようである。
言葉は同じでも、その意味は時代とともに変化する。
ネットの方が、辞書より進んでいる、という事だろうか… 専門家が素人言葉を専門用語と自分勝手に解釈・理解して、
その素人をバカ扱いするとは…
専門家気どりの専門お宅は、専門用語は知っていても、
その使われている言葉の理解は、素人以下である。
事が、ここに立証された。
この立証とは、ここに書かれた通りの事実が根拠・証拠です。
。 日常用語と専門用語の区別と連関
勉強しなさいw
小学生なら30年くらいやらばわかるだろうw >>777
本当に馬鹿だね。
読めば少しは賢くなれる可能性が生まれるのに… >>778
専門用語しか知らない専門バカのお宅は、
もっともっと素人の言葉を専門用語と、
勝手に解釈としない事を学びなさいな!
それに自由びとブログで、嘘で自由びとを
騙そうとする悪い癖はお止めなさい!!! >>777
「必死」と言えば、自由びとブログで、
申し出を断られた葉月お宅コメント
長文コメントの方が、
私よりずっとずっと必死ですよ! >>782
いる!います!
科学的鍼灸論の伏龍氏、
またソクラテス葉月お宅が、
とても、好んで読んでいて、
よく長文コメントを
書き込んでいますよ。
バカが分からないお宅にも、
自由びとブログお勧めです。 >>782
そうそう〜それに、
今回の嘘つきブリ丸見えの
葉月お宅のコメントは、
是非一度は目を通しておくとよいです。
その続きの嘘の弁解・上塗りコメントも
近日中には、公開予定なのて…
世露死苦汚根餓猪根! >>782
予告通り
「その続きの嘘の弁解・上塗りコメントも」
今日、自由びとブログで公開しました。
どうぞ!ご覧あれ! 南郷継正って、まだ生きているの?
生きていたら80歳は過ぎてる? ゲンワから技をひとつ採用するなら
すこしとめる前蹴り
前蹴込みともいうべきあの蹴りだな >>790
決闘やケンカでは、プロレス蝶野のケンカキックのほうが、
はるかに有効だと思う
>まじで 有効に思えるパンチ・キックも、
使えるように訓練しなければ、
ただの、絵に描いた餅ですね。 無門会スレは1年前に落ちた後立つ気配もない
一方無門会の代表冨樫氏にくそみそに言われていた弟
富樫 宜弘氏は
柔らかい空手: 本当に通用する“柔らかさ”とは?
を上程し好評を博している >>792
使えるように、南郷理論で訓練しても、
使えるようにならないのが、玄和の前蹴りなんだよなぁ…(;´д`)=3 一般論としては、
使えるようになるまで、
訓練が続けられないから使えない。
また、
稽古・練習では使えても、
ストリートファイトでは、
使えない事も多々ある事実。 >>795
またアホの自由びとが、今度は名無しで登場か…
何度も言うが、玄和の上達論システムのなか自体に、
「技を使えるようになる練習体系」が、存在しないんじゃ
もし南郷さんの言う、「技には、創出と使用のレベルがある」という理論が正しくとも、
南郷さんは「技の使用を可能にする方法」を、ついに編み出せなかった
あるいは当人は、運足やら約束組手やらでそれが達成されると思っていたかもだが、
現実には、そうならなかった
それは玄和という、井の中でのみの実験と成功であり、
一歩外に出て、他流派やらと闘ってみると、まったく通じなかった
その証拠が、玄和の数少ない他流試合の結果として残っている
いい加減、現実を認めろ 外野で実践のない俺が言うのもなんだが、
南郷さんは、薩摩示現流の「一撃必倒」に傾倒しすぎたな…
剣術なら、たとえ「先の先」を外されても、
すぐに体勢を立て直されるし、剣の殺傷能力は、相当なもの
ところが玄和の前蹴りは、たとえ五寸板を割るくらいの威力があっても、
敵にかわされたら、もう隙だらけで、相手に打ってくださいと言わんばかり
そもそも、奇声とともに遠距離から突っ込んでも、
ビビってくれるのは、素人だけ
有段者には通じないし、さらに二撃目は、読まれてまず当たらない
これも南郷さんの、「間合い至上主義」による弊害だろうな…
そりゃ、一般論として遠い間合いから攻撃できる武器ほど強いだろうが、
それを強引に、徒手空拳で闘う空手に当てはめてしまった
それじゃ他流派に、「闘う前から、負けている」のも、
ムリないよ(;´д`) 「バカとハサミは使いよう」です。
どんな技も使い方次第なのです。
ケンカ相手を倒したい時に、
遠間から奇声を発して蹴り掛かる
玄和会員なんていませんよ! >>801
いい加減わかれ、バカ!!(`・ω・´)9m
それはあくまで「絵に描いた餅」で、
玄和には「技の使用を状況によって変える」という技術や方法論は、
ないんじゃ!
玄和の「技使用の理論」が通じるのは、
あくまで玄和選手同士の戦いにおいてのみ
一歩外に出ると、まったく通用しない「机上の空論」 各論
玄和の回し蹴りは土台足をしっかりかかとまで地面につけ地面をつかむようにして
蹴り足が駄店に達した後もそれをしっかり維持して軸足と蹴り足が相互に支えるように蹴る
のが基本だと思うが
日本の空手界で唯一実際にへ理屈はともかく全く別の土俵でも通用した蹴りを有した山崎照朝は
蹴り足が蹴る瞬間には土台軸足はかかとが体の方に完全に回って最後は親指一本で立ち
中に飛ぶ感覚で全体重を蹴り足に掛ける
というセオリーでノックアウトの山を築いていた。
この基本レベルの理論はどう説明できるのだろう ゲンワにかぎらず他流でも伝統派なら
基本の蹴り技は軸アシのカカトをうかさない
しかし実際に使うときはうかせてもいい
というよりヤマザキはからだがかたかったので
ハイを蹴るには軸のカカトをうかすしかない
それでKOできてるのは
ゲンワ的にいうと技ができてるから
基本から変化させても使えてるというだけのこと
空手道綱要を読むとワカる 南郷って、著書の中で新聞を読むことを勧めて、
特に東京新聞を押していたが、(社説がいいとかって書いていた気がする)
望月衣塑子を見て今でも同じく思っているんだろうか? >>804
浮かせてもいいレベルではなく基本がそうなっているのを問題としているのだが
まあ変化と言えば解決できていると思えるのならそれでもうお終いでしょうねw 基本を習得したら、
その変化・応用は、自分の個性に合わせて自得。
人から教えられるモノではないのでしょう。
もっとも…
他人の個性的な使用法を盗むのもあり!でしょうが… >>806
他人が決め創った基本型が問題なら、
自分で基本を決め創れば解決なのに…
それを、いちいち問題にする、
その認識が問題だと気付け! >>808
アホ?
世間に技の一般論を発表した以上その批判的検討をするのは責務なんだよ
まあそんな認識もないからヘタレのまま平気で生きてるんだろうけどな 日本空手協会も軸アシのカカトをうかさない
当時のヤマザキの所属のキョクシンもうかさない
ギャクシンもたぶんうかさない
基本ではね 玄和は浮かしたりするのはおかしいあり得ない
って言ってたの知ってる? >>809
そう〜そう〜
それ!それ!
そのような思い込み認識が
お宅問題の根源ですね。 >>806
は「基本とは何か」を分かっていない!
なのに、「基本がそうなっているのを問題」
と言い切っている事が問題である。 基本型をどんなに稽古・訓練しても…
自由組手にお いて100%再現は不可能…
なのに基本型を稽古・練習意味・意義とは何か? 基本型とは、応用範囲が広く、多くの人が学び易いモノがベスト。
基本型を一つに決めるのは、組織・指導論の問題であり、
個人的な練習なら、マイ基本型を決めても問題ない。
こんな事も簡単な事も分からない
>>806 だから私は問題視する。 現存する多くの空手の型は、
過去の名人・達人が、自己の得意技を
場面設定して連続使用の流れを型として、
組み立て・決めたモノ。
その流れを基本型とするか…
一つ一つの技を基本型とするか…
個人なら自由勝手、
組織なら決定済、
>>806 には、
組織と個人の空手・練習の違いに無知・無智・無恥。 はは
必死だな
自分が一番基本とは何かなんか考えていなかったことが見え見えw 人の事は、何とでも書けるモノだね。
「考えてなかった」ではなく、
正確には、自分の言葉にしていなかった、ですね。
お宅のように他人の著書・記述の丸暗記が不得意なモノで…
自分の言葉で表現にするのに必死なりますね♪♪♪
まあ〜お宅のように、
論点をはぐらかし逃げて、
誤魔化そうとするより
ずっとマシ!ですかね。 >>822
馬鹿?
お前は自分が「考えていなかった」のではなく「自分の言葉にしていなかった」と
認めていることになるんだよ?
小学生以下だなw >>823
「考える」と「言葉にする」の違いが理解不能ですね。
それなのに、人を「アホ」呼ばわりできるとは…
己を知らない無知者です。
これは失礼!
正しくは、お宅と私の「考える」中身が異なっているのでしょう。
たぶん、お宅は、必死に言葉を繋げて基本を考えるのでしょう。
しかし、私は過去の学習体験から、色々な基本という言われたモノを想い出し、
それらの共通性を言葉で表現しようとした、という事です。
私の場合、基本を考える事は、思った事を色々な角度で検討する事です。
それは、言葉での検討ではなく、像としての検討なの…
そこを言葉で書いた事はありません。
だから今回は大変なのです。 >>823
ついでに「学びの基本」は、
信じられない言葉・事は、正しいと仮定して「確認を」…
正しいと確信できる言葉・事は、疑って「再確認を」…
玄和会の全てはダメ!だと決めつけているお宅は、
学び習得の基本ができていないのでしょうね(残念・無念)。
だから、ソクラテスはいつまでもソクラテスのままで…
→プラトン→アリストテレス→ヘーゲル哲学へ進めないのですね。 >>824-825
相変わらずお前はバカだな( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
お前の主張は一貫して「玄和・南郷理論に間違いはない」で、
それをどれだけ客観的に論破されても、
「いろんな角度から」玄和擁護しているだけじゃねーか
「玄和は間違っているまのしれない」という前提でなされた、
お前の「論考w」は、一つも見たことはないのだが…
俺は武道論、空手論にかんしては、
「南郷さんは、本人が認めたように総体としては失敗した」という立場を取るけど、
それでも「技は大きく創る」、「技の創出と使用の違い」等の理論には、
基本的に賛同しているけどね >>826
真の馬鹿はどっちかな…
>…客観的に論破されても、
ではなく、「事実的に否定された」でしょう。
それらは、「論破」とは言わない。
「論理・理論の正しさ」と「その結果の正しさ」とは別物。
そこには、論理・理論に合致した現実化・事実化の過程がある。
お宅のように、信じられない者には、
正しい結果・事実・現実は皆無でしょうね。
よ そもそも〜>>826
>「「南郷さんは、本人が認めたように総体としては失敗した」
この言葉が本当の事実なのか?
たぶん…嘘だと思うけど…
仮に本当だとして、
お宅は、この言葉の中身を理解していますか?
「総体としての失敗」とは?
理論そのもの失敗なのか?
理論構築過程での失敗なのか?
理論は正いが…
その適用の失敗なのか?
南郷氏の言葉の中身も分からずに、
お宅は、自分に都合よく理解しているでしょう! 馬鹿について、
馬と鹿を知らないなら「馬鹿」ではなく無知。
馬と鹿を知っているなら、それは間違い。
馬も鹿も知っているつもりが、実は覚え間違え、
他人からそれを指摘されても、訂正しないのが「馬鹿」。
まあ〜
信じられない者からの指摘なら…
それが正しくても訂正しないのも理解可能…
結局、論理・理論の正しい・間違いは、
自分と多くの他人の結果からの総合判断かな… >>826
>れでも「技は大きく創る」、「技の創出と使用の違い」等の理論には、
基本的に賛同しているけどね
↑
え!嘘?
これって理論なの?
理論の一部で、断片的な言葉・論理だよ。
南郷理論・全体を間違い・否定して、
断片的言葉である部分的な論理に賛同・肯定とは…
それは、
お宅の南郷理論の誤読・誤解か、
これらの言葉の自分的な解釈ですね。
やっぱり、馬鹿はお宅ですよ! >>830
>やっぱり、馬鹿はお宅ですよ!
ふ〜ん、前にも言ったけど、じゃあ「馬鹿じゃない」キミは、
このスレに10年も居ついていて、なんで一人のファンも賛同者も現れないの?(´・ω・`)
キミの言うことがまともなら、同調者は必ず出てくると思うけどね
>俺の経験上 馬鹿が
指摘しているのは一人だと思っているようだ
お前以外全員お前を馬鹿にしているんだよ
長く書いて何か反論した気になるというのも小学生並みの頭だなw お宅も、また同じ事を…
お宅には分かっていない!
>全員お前を馬鹿にしている<ではなく、
「全員お宅と私を馬鹿にしている」のでする。
お宅は、自分では、自分と自由びとは違う!
と信じているようですが…
現実は、お宅も私と同じ馬鹿なのです。
そんな同類の馬鹿から馬鹿と言われるから…
「馬鹿はどっち?」
「馬鹿はどっちも!」となるのです。
あ宅が、同じように、「アホ」、「馬鹿」と書くから、
私も、「馬鹿はどっち?」と書くのです。 >>831 の内容は、
『俺も賛同者が欲しい!』と聞こえるのですが…
「>俺の経験上」何十年間もずっと賛同者がいない、のですね。 私が、同じような内容・記述の繰り返しになる理由は、
いつも、結局、お宅も同じような記述を繰り返すから、です。
普通の人なら、同じになるなら、敢えて繰り返し書きません。
お宅も、私も、粘着質で、同じ事を書き続けてしまいます。 何だかレス通知は来るが透明だな
必死にアホ論書いてんだろうなw >>834
バーカ、その逆だよw
ふつうのスレで議論が活発になり、筋の通ったレスが投下されれば、
ほんの20分ほどで、そのレス主の賛同者は必ず現れる
俺もこのスレでも、別のスレでも、しょっちゅうそういう経験はした
だけどお前の場合、10年ここにいて、長期的なファンはもちろん、
短期的な論戦でも、味方がついたことが一度もないじゃん
お前の論旨がお前の言うように、論理的に正しいものならば、
そんなことはありえないのだがな、フツー(*^^*) >>837
お宅が、私を馬鹿というのなら、
私は、お宅をアホと言おう!
アーホ!
全く分かっていないね!
何が「筋の通ったレス」?
アンチ玄和が玄和的な筋を正しいと思うかい?
筋にも色々!正しい筋にも色々!
「論理的に正しいものなら…」
論理にも論理レベルがあって、
レベルが違えば、正しいも間違いになり得る!
そんな簡単に事も知らずに
よくもまあ偉そうに書けるね。
恥知らず!
お宅って、分かった風に書いているけど…
全くもって「論理」が分かっていないね。
分からないのに、分かっていると思い込んで、
他人の言葉に耳を貸さない事が馬鹿の始まりだよ。
過去の歴史的事実を見てごらん!
正しい事が、正しいと認められず迫害なんて
事実がゴロゴロでしょ!
お宅は知識は豊富なようだが…
その知識に頼って、
物事の本質が見えていないね! そもそも。アンチ。玄和ゴロゴロのここで、
玄和会万歳!なんて叫んでいて、
誰が、それにストレートに賛同するかい?
それこそ「空気を読め」と叱られるでしょ。 武蔵無敗の技法(赤羽根龍夫)
極めた真の空手へ(西田幸夫)
武術の実践哲学宇城空手(宇城憲治)
余りにつまらないのでこんな本を神保町で買って来たわ それでも売ってたら全部「保護」しなきゃ
神保町なら もう売ってないでしょ
南郷本は 探しもしなかったけど目には入らなかった
書泉グランデ 過去は、「空手道綱要」
現代は、「武道空手學概論」[新世紀編]
時代が変化、実体は不変・現象形態が変化。 >>847
まさかあれを教科書に採用している流派は、
あるまいのにね(´・ω・`)
「この書を出すことは、敵に塩を送ることになるかもしれない」
自意識過剰だね
「だがわれわれの現在は、そんなことでビクともしないほど進展している。
もはやわが流派は、他流派に教えを授けることはあっても、
他流派から教えを乞うことはないと、断言できる」
まさに南郷さんのよく使う言葉、「夜郎自大」そのもの
南郷さんも最晩年になって、特大ブーメランが返ってくるとは、思わなかったか
ただしあの人の場合、「台風の目」のようなもので、
被害を被るのは周囲の人たちばかりで、
本人だけは義務も責任も投げうって、いつのまにか安全自体にいるんだよね… >>847
へー
そんな本があるのか 珍しくこのスレで新知識が得られたわw
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......... 哲学・論理学原論 【新世紀編】: ヘーゲル哲学 学形成の認識論的論理学
(日本語) 単行本 ? 2017/10/20
南ク 継正 (著)
■現代社(在庫あり) 定価 本体:4,800円■
学的体系としての哲学、学的体系としての論理学の本当の姿とは一体いかなるものか。
本書は世界史上最高の哲学者である大ヘーゲルの言にある「哲学は愛知ではなく、学と
しての体系であるべきだ」との大志を継いで成立した、学、すなわち「哲学の大系」かつ
「論理学の体系」である。加えて、認識論・弁証法の体系も学的に説くものである。大志
を抱く読者の熱き心に期待する。
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カスタマーレビュー
tada
5つ星のうち1.0 南郷学の墓標 壮大な失敗の体系
2018年4月23日に日本でレビュー済み
哲学・論理学原論新世紀編は 416ページ 4800円の大著であり 1932年生まれの86歳 南郷継正による哲学・論理学・弁証法・認識論の集大成である。
そうであれば どのような批判をしても もはや言い逃れはできない。これはまたとない機会なので 長年にわたる 見当外れな滝村隆一批判に対してのお礼も含め 書評する。
略
滝村先生は浪曲 森の石松がお気に入りで 繰り返し聞いていたという わかるなぁ その気持ち 「バカは死ななきゃ治らない。」(笑)
まだAmazonで売っているだけ大したもんだ
引用文もこのレビューも
何だか論理が独りよがりで中身が全然ないのが残念 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています