【武道空手】玄和54【酸っぱい葡萄空手】 [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
2020年東京オリンピックで空手が正式種目となり、さらにスポーツ化が進む空手。
そのとき「武道空手」を標榜する空手はどうなるのか。
「酸っぱい葡萄空手」とも言われる玄和会はどうなるのか。
さあ語ろう。 流派の戦闘教義への問題から視線を話題を逸らしてる辺りに全てのまずさを感じるな 正面から回答しているつもり…なのに、
玄和会の指導は、上達論的観点からであり、
ここでのコメントの多くは、勝負論的観点からである。
だから、互いに見解の一致がありえない…
そんな不一致を、
「逃げている」とか「頓珍漢」とか…
書かれて、ついつい私も話題から、
逸れてしまっている…のも事実ですね! 「流派の戦闘教義への問題」…
玄和会は、徹底的な上達論的指導なので…
その「戦闘的教義」も上達論に立ってのモノ。
なので、他の流派のモノとは、異なっている、
と私は考えています。 上達論的観点から、設定された「戦闘」とは、
武道としての理想的な戦闘であり、
それが、現実として存在するか否かは問題ではない。
言うなれば、夢のような闘いに勝つための上達論ですね。
因みに、こんな事は、私の妄想ですが…
玄和会を止めている私にとっての玄和会は、
私の理想としての玄和会なので…
悪しからず… 己の理想を語る自由びと、
己の現実を語るお宅とでは、
何もかもが不一致でしょうね。 自由びとの「論理」に従えば、武道から実体を切り離す事が可能となる。
Eスポーツがその現実態と言えよう。
ならば玄和会の精神など現実の世界では無意味且つ低劣と断定できる。 >>409だけど、よく考えたら、
根拠なく「強くなれた気分」になるのは、
ちと危険だな…
自分が強いつもりで、包丁ふりまわした通り魔を止めに入ったら、
玄和の技じゃ、得物相手の戦いはできんだろ
玄和の技はすべて、相手が徒手だろうが得物ありだろうが、
懐に入られたらおしまい
なにも知らない大学の新入生に、
「玄和の技は、世界最高」とか言って洗脳するより、
「3年間くらいじゃ、空手の基本しか学べない。
本格的に強くなりたいヤツは、卒業後も続けろ。
それと、自分が強くなったつもりになって、みすみす危ないところに行くな。
『君子危うきに近寄らず』だぞ」
くらいに言ってやったほうが、良心的な希ガス… >>439
その「根拠」とは厳しい練習に耐えた事、でしょう。
それは、確かに、精神的強さではありますが、
肉体技的な強さにとは限りません。
たぶん…そのような事は、言葉できなく、
実際の稽古で伝えられている、事でしょう。
そもそも…元々肉体的に貧弱な者なら、
「強くなった気分」は、
組手練習・己の肉体の弱さ…で消されてしまいます。
弱い者が、少しでの「強い気分」を感じられたなら、
それは、その後の空手継続の糧になり得ます。 玄和会の追及する技は、論理的技であり、理想的技です。
だから、その技の実現は至難です。
その至難な技の体得・体現を目指し続けるから、
その過程での技の質の向上・上達がある、のです。
人は、夢・理想を求めて、努力・頑張り続けるから、
進歩・発展・上達があるのです。
例え、結果的に、その夢・理想に到達しなかったとしても、
夢・理想を諦めずに、追い続けるなら、
その人の実力は、向上・上達し続けるモノです。 玄和会的技の追及を止めて、他流派にいった人でも、
その流派でそれなりの実力を発揮できている、でしょう。
玄和会の技・技の使い方を、上達論の観点で捉えればいいのに…
それを、技が当たる・当たらない…とか、
技が使える・使えない…とか、
勝負論の観点で捉えるから、
玄和会の良さが分からないだけです。 ここに玄和空手を修業・修行している人がいたなら、
師範の上達論を正しく、学び取る事です。
師範の言葉は、論理です。
玄和会の技も論理・理想です。
その論理的言葉を自己の上達に即して、
自己の事実で確認する事です。 >>443
>師範の言葉は、論理です。
>玄和会の技も論理・理想です。
だから、あなたは無意味に抽象的な理念ばかり並べるけど、
その南郷師範本人が、「空手は失敗した」と、白状しちゃったんだよ
ずいぶん前の過去ログだけど、講習会でついつい言っちゃったみたい
いくら冗談で生きてるあの人でも、それだけは絶対に言わないだろ?
「空手に命を賭けろ!」と、常々言ってる人なんだから
そんな失敗作の空手に、どれだけ懸命に取り組んでも、
結果は絶対出ないよ
前提自体が間違っているんだから
ボタンの掛け違いってヤツだね YouTube なんかでも、玄和会vs他流派が、
結構上がっている
それを見ても、玄和の人たちが圧倒的に強いようには、
まったく見えない
「それでも、鍛錬することに意義がある」というなら、
別に玄和にかぎらなくてもいい
「玄和でしか、本物の空手は学べない」というなら、
これはもはや、観念論。玄和真理教信者
「現実的な強さばかりが、空手の強さじゃない」と言っても、
南郷さん自身が、「平成の宮本武蔵を、いずれお見せする」
と言っておきながら、平成も田嶋さんも、もう終わっちゃったんだよ! 空手の実践・研究は失敗だった
というなら
どこがどう失敗でそれはなぜ失敗したか 失敗したことでどのような結果が生じそれについてどう責任を
取るのか
他の失敗でない分野があるというのならそれと空手での失敗とはどういう関係にあるのか
キチンと公的に謝罪するのが先決
その上で失敗による被害者に出来る限りの謝罪して償うのが責任だ
責任を取れないものに発言権はない >>446
それをしないのが、南郷さん
俺の師匠は、「俺の人生、なんだったんだろう…」と言っていた
また賢い人は、南郷さんや玄和会の本質を見抜き、
早々に別の道へ行ってしまった
南郷さんにとっては、弟子とは大学病院の治験みたいなものだったのだろう
「お前らには、世界最高、最先端の空手を教えてやる。
その代わり、責任は取らんぞ」みたいな
まぁそれでも、別に契約を交わしたわけではないのだから、
信じたヤツの負け
デビュー作『武道の理論』の冒頭から、「責任」を強調していた南郷さんが、
この体たらくとはね…(´・ω・`) >>444=死死死へ
>「空手は失敗した」
この失敗とは、師範の理想とする空手にはなり得なかった。という事。
それは、師範の時代の空手の教えられ方が原因。
だから、師範は、自分の失敗という事実から、上達の論理を導きだし、
理想の空手を指導しようとしている。 玄和会を中途で大会した者は、
結局は、師範の上達論を理解できず、
上達論的空手修業から勝負論的空手練習に乗り換えただけ…
玄和会の蹴りが使えない・当たらないのは、上達論的使用だから。
それを証拠に、防具を付けず、ただただ当てる事を意識したなら、
その蹴りも十分使えるモノになる。
そもそも…玄和空手がダメなら、その人物が他流派に行っても、
使い物にならない筈、なのでは? 指導者の被指導者への「責任」とは、
被指導者が言われた通りに、最後まで従い・実践した結果へのモノ。
言われた通りにやらず・できない者への責任とは何なの?
師範の言葉は、「論理」である。
だから、それを自己の事実として実践する事が求められる。
例えば「死ね!」と言われて、自殺したとしたら、
それは、論理としての「死ね」を事実として実践した事であり、
この場合は、それは、師範の指導に従った事ではない。そこに責任はない。
師範の「死ね!」とは、その弱き心・感情を殺してやれ!であろう。 私も、師範の「私の空手は失敗…」という言葉を聞いた事がある。
それは、師範の空手を始めた当時の指導法が原因であり、
怪我は当たり前、怪我を恐れていては上達不能…
指導は技の論理ではなく事実であり、指導者の技を真似させるモノ…
だから師範は、凡人でも達人に至る空手・上達の道を創造しようと… >>死死死へ
「俺の人生とは?」
若い俺の求めた人生と、年老いた俺の求めている人生は、
必ずしも同じモノではない。
若かりし時に、俺の人生が玄和会・師範と一致した…
しかし、今は、
年老いた俺の求める人生と、
若いままの玄和会・師範の求める人生は、
結局は、ずれてしまった、のだろう…
そうは思えないのが年老いた私であり、
そう思えるのが、若いままの私である。 >>444へ
上記のような事を思い書き続ける事の弊害とは?
それは、玄和会・師範の言動を己の事実から捉え続けてしまい…
結果それが癖になり、物事を論理として、論理的に捉えられなくなる。
仮に>>444が書いている事が事実だとしても、
その事実の裏にある「論理・感情・思い」を捉え違っていたなら、
それは、全く444自身の成長・上達にとっては無意味だろう…
百害あって一利なし…となり得る。
そのような捉え方・理解だから、
人格破壊へ至る事くらい、
普通なら出来るだろうに…
もしかして、死屍累々の知人もお宅と同じような者達だったのかな? >>449
退会していないのが全然なにも出来ていないという話だろ┐(´д`)┌ヤレヤレ 空理空論ばかり足れず。
常識的に考えてみればいい
玄和会空手の経験者は、大学支部、町道場のもふくめると、
1万人以上はいるだろう
そのなかには当然、素材のいい者もいたはず
だがなぜ、目に見えて強いヤツが一人も出ない?
俺の師匠は、田島さんクラスなら、
どこの流派にも数人はいるレベルだと言ってた
また飛翔隊の人たちはそれこそ、
南郷さんの指導に徹底して忠実に従っただろう
それで達人どころか、日本チャンピオンレベルも出てこないということは、
玄和会の上達システム自体に欠陥があるということ
もちろん、玄和会の技は試合用でなく、
真剣勝負向きに創られているから、なんて言い訳はできんよ
南郷さんは、「どんなルールでも勝てるのが、達人」って言ってるんだから
そもそもが、南郷さんは防具や竹刀、畳に技を創られる柔剣道を批判しといて、
玄和の技は「カラテクター」に創られてるんだから、世話はないw
こんなとこで屁理屈こねてないで、自由人が極真の世界大会に出て、
優勝してみれば、すべての批判はなくなる
それだけの話 観点が全く違っています。
現代社会では、理想的な武道の試合は不可能です。
理想の試合とは、命を懸けた武道・勝負です。
それでも、玄和会は、その理想に合わせた技の設定をして、
上達論的稽古・練習をしているのです。
理想的な武道の試合からすれば…
技が当たった…だから何?のレベルです。
師範は著書は発行しても、その私生活は非公開。
玄和会も殆ど非公開です。
武道の修業・修行を公開したら、
それは真の武道なのでしょうか?
事実的上達=技が当たる、ではなく、
論理的上達=武道・空手技として相手を一撃で倒せているか?
の問題です。 私の想像ですが…
玄和会では、一般会員への指導と、
達人を目指している会員への指導は、論理的に同一でも、
その要求・指導の事実レベルは大きく異なっている、ようです。
論理は開示・公開していても、
その論理の玄和会的事実は未公開でしょうね。 上達論と勝負論などという概念の遊び
何の上達(論)かと言えばそれは勝負論に使える技術の上達の理論
勝負論と切り離された上達論など 正に畳上の水練の笑い話にしかならない
と揶揄されているんだよ
他流をあそこまで罵り・嘲笑し 勝負論も上達論も空手・武道にはなかった
俺が作る・作った
と公言した以上その責任は当然ある 私生活非公開とか全くどうでもいいが
公開・公言した言動に対する責任は逃げることは出来ない 私の想像ですが…
若かりし頃のT氏と、
現在のT氏は、同じT氏であっても、
その認識中身は違っている、ようです。
若かりし頃は、上達論的に励んでいたT氏も、
今は、勝負論的なT氏へと変化している、ようです。
だから、そんな過去の人物から、
今の玄和会を考えるのは、時代遅れですね。 >>456
>事実的上達=技が当たる、ではなく、
>論理的上達=武道・空手技として相手を一撃で倒せているか?
>の問題です。
屁理屈、ここに極まれりだな
「技が当たらないで、相手を一撃で倒せてる」って、何?w
ドラゴンボールの「かめはめ波」とか?
自由人の発言は、すべて言葉遊び以上のものではない
玄和会のあり方や、南郷師範の過去の発言と現状に、
疑問を抱いている他流派の連中は多い
だったら、5ch内の他流派のスレ行ってきて、
連中を納得させてみなよ
その屁理屈で
そしたら、俺も認める それと南郷さんは、『空手道綱要』で、
「いまやわが流派は、他流派に教えを授けることはあっても、
他流派から学ぶものは、なにもない!」
って、例のごとく大言壮語してたよね
それでも、玄和会に教えを乞う流派がまったく現れず、
逆に玄和は、「護身クラス」なんかで、合気道とかの技を拝借しているのは、
どう説明するの? 空手道綱要は
1977年から現在までの
最高の技術と理論の書 どこが?
当時の玄和の内部の人さえ何だかできて見ると当たり前の誰で誰もわかってることしか書いてないなあって言ってたぞw >>461
>「技が当たらないで、相手を一撃で倒せてる」って、何?w
ドラゴンボールの「かめはめ波」とか?
これって誤読・誤解です。
寸止め空手の技の見方ですよ。
寸止めであたりませんが…
その技の形で判定します。
防具を付けて、技が当たったとしても、
その技の出来具合・威力、
当たり方・場所から、判断します。
ただただ当てようとするのではなく、
間合いの入り方、当てる場所、威力、タイミング…
全ての条件から、最高の技が出せる・当てられる為の、
上達論的練習・試合ですね。
ただ当てるだけなら、
子供のパンチの方が、よく当たりますよ!
まあ〜こう書いても、お宅には「空理空論」なのでしょうね。 再度、書きますが…
玄和会武道空手の勝負は、
過去の命がけの武道勝負を想定しています。
それは、相手に当てる以上は、一撃必殺技です。
なので、一撃必殺技ではないモノは当てても意味ありません。
また、勝負では常に、当てられれば「死」の意識が必要です。
だから、「武道心」であり「勝負心」なのです。
もっとも…現代では、「死の勝負」を前面に出せませんし…
また、そのような勝負の強要は不可能です。
だから、各自が自覚して日々こっそり取り組むのでしょうね。 >>464
「空手道綱要」が凄い・優れているのは、
その論理です。
ただ問題は、その論理を読み取って
如何に、自己の上達の為に事実化・感情化する事です。
それは、スポーツ空手なら簡単です。
しかし、武道空手レベルでの事実化・感情化が至難なのです。
その事が、分からないから、単に「当たり前」で終わりなのです。 >>465-466
だからその理論wを、あなた自身が実証するか、
他流派の人を納得させなければ、なんの意味はないでしょ
それを俺は、空理空論と言ってるわけ
そもそもが、その空手の創始者本人が「失敗だった」と認めている理論と実践を、
どうしたら正当化できるわけ?
南郷さんは「玄和の技を創出する前に、私は国会図書館に通って、
全空手の歴史と技を検証した」と言ってたけど、
その後、俺も空手の歴史は少し、調べた
すると南郷さんの知識には、まず沖縄時代の古流空手の歴史が、
スッポリ抜け落ちているのが、わかった
つまり南郷さんは、端的には近代空手しか知らないわけだ
これがどういうことか、わかるか?
史学でいえば、「全世界史を説く」と言っときながら、
フランス革命から記述を始めるようなものだぞ?
とかくあなたは、ただの一人でもいいから、
あなたの理解者を見つけて紹介するか、
あなた自身が他流派の試合で優勝するかしてから、
話をしてくれ
あんたは十年以上、このスレにいるが、
同調者が一人でもいたためしがなかったじゃないか >>458
>…勝負論と切り離された上達論など…
誰が「…切り話された…」なんて書いて・言っているの?
玄和会の想定する「勝負」が、「武道の命を懸けた勝負」だから、
その勝負に勝てる精神・肉体・技術…体得・修得の為の上達論でしょうが…
命がけの勝負が目標だから、普通の試合で技を当てた
なんての殆ど意味がないモノ。 >>467
判っているはずの玄和の内部の人が大した論理もないと言っているだよw >>469
頓珍漢過ぎ
論理能力がない人が議論しても意味ないことが分かるねw >>468だけど、間違えた
南郷さんが国会図書館に通っていたのは、
『武道の理論』を上梓する前だった
いずれにせよ、半世紀にわたる理論と実験は間違いだった
これを当の本人が認めているんだから、
これ以上、なにも言うことはなにもないよねw >>468
お宅は、理論について…何も分かっていない。
学者なら、兎も角…
私個人にとって、
私の書いてる上達論は、
私が納得して、
その理論に基づいて頑張れればOK。
でも、今の私、この歳の私が、
どんな頑張っても、達人にはなれませんね。
達人になるには、それなりの長期間の間、
理論にそった鍛錬・訓練・練習が必要です。
お宅こそ、玄和会をどうのこうの書いて、時間使うより、
もっとも、お宅の好きで楽しい事でもおやりなさい。
空理空論だと、思い込んでいるなら、
ここで、とやかく書いても無意味ですよ。 >>473
>いずれにせよ、半世紀にわたる理論と実験は間違いだった
>これを当の本人が認めているんだから、
↑〜
おい!おい!しっかりしろ!
師範が「空手…失敗…」とは、師範が習得した空手であり、
それは、玄和会の空手ではありませんよ。
そんな己の失敗から学んで、
真の武道空手玄和会を創り続けているのでしょう。
お宅も、玄和会の失敗と確信するなら、
何も書かず、何も言わず、
腹の底で玄和会をあざ笑っていなよ!
もっとも…普通の人なら
『あの人…可哀そうに…』と同情するでしょうが… >>475
>そんな己の失敗から学んで、
>真の武道空手玄和会を創り続けているのでしょう。
いつ、だれがそんなこと言った?
それはあんたの、希望的観測による妄想
そもそもが、南郷さんは世に出て半世紀になるが、
この時点で「達人」はおろか、日本チャンピオンクラスの空手家さえ育てていないのが、
南郷さんの理論、実践が失敗だったという、なによりの証拠
あんたこそ、論破されたくないなら、こんなとこに書き込むな
一人で妄想してろ また自己責任とはいえ、南郷さんを信じてついていって、
人生を棒に振った、または人生の一部を失った人は、
何百人といる
そして南郷さんは、そんな人たちに一言の詫びもしていない
それだけで充分、批判されるには充分な理由になる 命懸けの勝負を想定してるからよそのとことは〜とか上達論的修行だから〜なんて実戦用の殺人技を学んでいるから他流試合なんて行えん! って形稽古に終始するインチキ古武術剣術みたいで女々しいからお願いだからやめてくれ ついでにもう一つ
南郷さんは他流派を罵倒するのに、
よく「ゴリラ空手、ケンカ空手、体力空手」という言葉を使った
ところが、南郷さんの著作を知らない若い他流派の人が、
重い防具を着込んで、体当たりのような技をぶつけ合う玄和空手に対し、
まったくおなじ言葉を使って、バカにしているという現実がある
つまり南郷さんがよく使う、「地獄への道は善意で舗装されている」
というマルクスの言葉は、
そっくり南郷さんに特大ブーメランとして返ってきたんだよ 最後にこれも最大の皮肉だが、
学問は知らないが、こと空手に関していえば、
南郷さんと玄和会が、最大の「枯れ枝諸侯」だったね…
唯物論者の立場でありながら、いつまでも観念のみで空手を説き、
一度も他流派との試合(実験)をしないというのだから、
当然の帰結では、あるが 命がけの勝負といったところでその勝負に相手が丸腰で来てくれる保証なんかないのに護身だなんて
そうなると結局制約が少ないフルコンや硬式、キックやMMAに挑まないことには実戦性は測れないのにどうしてこうなった 威勢の良かった時代に
今日苦心を始めとする他流の者相手に剣道の防具を付けさせて防具の上から相手のルールで
粉砕していく何とか隊(飛翔隊?)とかいうのを企画しているとか言っていた(その候補者の一人に聞いた)
が
結局実現しないままだった
やってみたら一撃でのされたんだろうな多分 そう言えば、飛翔体って、こそりと他流派にいって、
他流試合をしている、そうですよ。
そこで、大切なのは、勝って笑顔で、
その道場を出ていける事、だそうです。
宣言して武道の他流試合をしたら
本当に命がけになります。
今の時代に誰が、武道の試合に命をかけるでしょうね…
命がけの認識をもって、普通に生活しているのが、
現代の武道家なのでしょうね。
その真実は、町で突然に暴漢に襲われた時に発揮されます。 「武道の理論」が書かれた時代の玄和会員ならともかく、
現在の玄和会員は、それほど玄和理論に興味がない、ようですよ。
なので、会員でも、上達論・勝負論を
理解してない者もいるようですね。 何度も書きますが、
玄和会の技・理論が、どうしようもないモノなら、
その事を書き続けてなんの意味があるのでしょうか?
私なら、そんなモノと関わらずに
もっと有益な事を書き続けますよ。 現代社会で、武道の達人になったとしても、
これを公言して何になるの?
金儲けをしたいなら兎も角…
普通に生活できているなら黙っているでしょう。
玄和会は、その殆どが非公開でしょうね。
書物に書かれているモノは、殆どが論理的事実であり、
事実が直接書かれてはいません。
だから玄和会の実状は論理的に推測するしかないでょうね、
それは、会員でも同様なのでしょう。 必殺技も、その技が使える者にとっての必殺技。
使えない者にとっては、ただの使えない動き。
理論も然り、それを使えない者にとっては空理空論。
使える者にとっては、有効な理論、ですね。
以上は論理です。
これも人によっては空理空論でしょうが… >>481
>命がけの勝負といったところでその勝負に相手が丸腰で来てくれる保証なんかないのに護身だなんて
「命がけ」だから、命を失う覚悟が感覚。体得可能です。
その覚悟は、凶器を持った相手にも使えます。
肝が据わっているから、恐怖心が少なく、
平常心で闘える、のです。
分かってないね!お宅は〜 で何もできなかったけど誰も気付いていないし誰も気にもしていないから黙ってよう
ってことにしたんですね
分かります >「ゴリラ空手、ケンカ空手、体力空手」という言葉…
ゴリラ空手とは、頭を使わない本能的超人的の筋力空手、
ケンカ空手とは、何でもありの必勝の空手、
体力空手とは、技ではなく体力に依存した空手、
これらは、その特徴を端的に表現したモノ、と考えるか、
それとも、単なる悪口と受け取るか、
論理ととるか事実ととるか?ですね。
事実として、そんな空手はありません。
論理としてなら、ありえます。
師範は無能な人間の相手はしません。
有能だから欠点を指摘して頑張ってもらいたいから…
論理的指摘をするのです。
>>477
>または人生の一部を失った人は、 何百人といる …
だから何なの?
私は他人を騙しませんが、
他人を騙す人間は法律的には悪ですし、
騙された人にも、同情はしますが…
騙された責任は、騙された当人にあります。
責任とは、自分自身が感じて取るモノ。
他人への責任の強要は、法律がするモノでしょう。
良心・道徳観・罪悪感…十人十色でしょう。
人生の選択の全ては自己責任なのでしょう。
突然に暴漢に襲われて殺された訳でもないのに…
自分が信じて従ったなら、
その全ては自己責任でしょう。
自分が信じて頑張った結果の全ては自己責任でしょう。
少なくとも私はそう考えますが… >>480
>南郷さんと玄和会が、最大の「枯れ枝諸侯」だったね…
>唯物論者の立場でありながら、いつまでも観念のみで空手を説き、
一度も他流派との試合(実験)をしないというのだから、
当然の帰結では、あるが
何を書いているの?
玄和会・南郷氏の事実を知りもしないのに…
他流試合は、非公式に実施されている、ようです。
だから、
「試合に勝って笑顔で、その道場から出られる事が大事…」
という言葉があったのです。
「観念のみの空手」とは…
これは、理想的論理的空手、でしょうね。
まさか…現代社会で、空手の殺し合い・決闘は、南郷さんと玄和会が、最大の「枯れ枝諸侯」だったね…
唯物論者の立場でありながら、いつまでも観念のみで空手を説き、
一度も他流派との試合(実験)をしないというのだから、
当然の帰結では、あるが 見せられないじょ!
だから論理的理想的空手を説くのです。 >>480
唯物論者でも、観念で空手を説きますよ。
その観念に至る事実・論理的事実の積み重ねがあるなら、
例え、それは観念的であっても、唯物論です。 結局、現在の玄和会の事実がハッキリと分からない者達が
いくら、玄和会の事を書いても、正確ではないでしょうね。
でも私は、玄和会の上達論・勝負論は、日常生活過程で、
十分に使える論理だと、確信していますが…
玄和空手の技が使えない人達には、
上達論が使えない論理なのでしょうね。
または、技が使えるまで練習を続ける、
辛抱が足りないのでしょうね。
技が使えない責任は、自分の稽古不足ではなく、
その技、使えない技の責任なのですよね。 論理は兎も角…
事実として、玄和会は、今も健在。
南郷師範は、今も学問・著書を出し続けている。
そして、師範の立派な孫弟子・曽孫弟子も育っている、ようです。
ここで、いくら言葉で叩いた所で、何の意味もありません。
玄和会の事が不満なら、直接玄和会に出向いて、
叩きつけてやって下さい!
ここで、何を書いても、殆ど無意味ですよ!
玄和会から来ないのだから、御自身から出向いて、
他流 試合・決闘を申し込んで、叩き破って下さいな!
そんな観念的な空手なんか、お宅なら、一発で必勝でしょうから… 因みに、
自由びとの専門は空手ではありません。
今の専門は、特別支援教育です。
だから、闘いはできません。
興味・関心は、師範の上達論・弁証法・認識論・哲学・学問…です。
だから、自由びとは闘いません!
悪しからず!
ここでは書くだけの自由びと、なのです。 自分の専門で南郷理論が役立っているという実感があればその具体的事実を示せるでしょう
ないものは示せませんね >>491
だから、>>447を見てみろ
>>477で述べたごとく、俺も騙された人も、
半分は自己責任だということは、認めている
ところが南郷さんは、デビュー作の『武道の理論』から一貫して、
「指導者の責任の重み」を説いているんだよ
家に本があるなら、読み返してみろ
ほとんどの本で南郷さんは、「責任」を強調してるから
そんな人物が、多くの弟子の人生を狂わしておいて、
詫びを入れるどころか、頬かむりとは、
たとえ法に触れずとも、人間失格のレベルではないか、
と俺は言ってるわけ
もし南郷さんが、「自分についてきたいヤツは、自己責任でお願い。
こちらは保証はできないが、世界最高の空手を創る手伝いをしてほしい」
のような発言をしていれば、だれも南郷さんに文句は言わんよ >>485
>何度も書きますが、
>玄和会の技・理論が、どうしようもないモノなら、
>その事を書き続けてなんの意味があるのでしょうか?
>私なら、そんなモノと関わらずに
>もっと有益な事を書き続けますよ。
ふ〜ん
で、南郷理論が失敗だったことは、
自他ともに認めるところとなった
そんな空理空論を、屁理屈をこねまわして擁護するあなたは、
一体、何なの?
詐欺師みたいなもの? >>497
>自分の専門で南郷理論が役立っているという実感があればその具体的事実を示せるでしょう
何で示す必要があるの?
実生活の実感をここで書く込むのは難しいし…
実感を言葉にする事自体も難しい…
更に、私には示す必要も義務もありません。 >>499
>南郷理論が失敗だったことは、
自他ともに認めるところとなった
そうなの?
なら、玄和会に乗り込んで、責任をとってもらえば!
ダメなら、弁護士を立てて玄和会・責任者に賠償責任をとってもらいな!
こんな所で「責任とれ!」「謝れ!」なんて書き撒くっても、
誰も責任を取りませんよ。
法治国家の日本だから、法律に基づいて責任をとってもらったら… そもそも…失敗てなに?
著名なスポーツ選手が書いていました。
途中でやめたら失敗。
失敗とは成功への道。
だから、失敗した者達は、
成功まで頑張り続けられなかった。という事。
だから、玄和会に・師範に責任を取らせたかったら、
ここでの書く込みではなく、次の道、次へのレベルアップですね。
それは、玄和会へ行って直談判!
ダメなら、裁判へ持ち込むのがベストです。
ここで、自由びとの勉強の手伝いなんてやめて、
次へ進みなさい!
それがお宅の成功への道です。
ここに居続ければ、お宅の失敗。
次へ進めば、成功への架け橋!
さあ〜お行きなさい! そうそう〜
誤解・誤読があるようなので…
一言〜
師範の失敗とは、枯れ枝諸侯達を引き留められなかった事。
確か、このような事を書いていましたね。
もう一度、読み直しなさい! >>499
>そんな空理空論を、屁理屈をこねまわして擁護するあなたは、
一体、何なの?
使えないお宅には、空理空論。
使える自由びとには、有益な論理。
分からないお宅には、屁理屈。
分かる自由びとには、立派な理屈。
「援護」というより、
お宅の事実と私の事実の相違を
書いているのですが…
>詐欺師みたいなもの?
詐欺師は、金にならない詐欺はしません。 玄和会・師範への責任追及の問題は、
ここでの解決は不可能ですね。
証人=死屍累々の知人達や人生の一部を失った人々を集めて、
いざ!裁判所へ!ですね。
それしかないしょ!
道徳・道義的な責任追及は、人それそれの違いがあるので無理があります。、
なので、裁判・法律での解決がベストですね。
その前に、
死屍累々の知人達の証言。
人生の一部を失った人々の証言を
ここに書き込んで、
より多くの人々に分かってもらう、
のもありかも… >>505
あんた本当に、幸せな人だよ
どんな問題も、恣意的解釈をして、
独りよがりの答えを出すだけ
それで「ハイ論破」って、顔をしている
まず俺をふくめ「南郷さんに責任はあるよね」と言ってる者は多いけど、
「責任を取れ」と言ってる人は、一人もいない
「南郷さんに責任はあるか、どうか」が論点なのに、
これをはぐらかし、>>498のような本質的な疑問には答えない
あんたみたいな詭弁士が、教育に携わっているのか、
これが本当の世も末だな
それと、あんたは10年以上もこのスレにいながら、
ただの一人の同調者もファンも現れなかった
南郷信者、まじめな玄和会員が多くいたときさえ、
そうだった
この事実が、あんたの理論wの実態を、
雄弁に語っているなw もし南郷さんに、自分の理論の正当性について確信があるなら、
ちゃんと実績を示し、それを強調するだろう
学問の分野では、幾人か本を出していたりもするが、
これとて数が少なすぎて、成功かどうかも判断できない
それで、「信じた者は、成功した」というが、
空手の分野でそう信じている人は、いるの?
TDKさんはさんざん大言壮語しといて、武道家に「お礼にいく」と言われただけで、
警察に泣きつくレベル
愚按亭主氏は、「相対性理論は間違っている」と言っておきながら、
反論に来た科学者たちに総スカン
まともに返答できなかった
あんたは「最後まで信じた者が」というが、俺の師匠は玄和会に25年もいて、
まじめに師範のいうとおりの鍛錬をして、それで他流派に修行に行って、
はじめて自分の技が他流の名人に通じないことに気づいたんだぜ
それで、元来が対他流派の実戦部隊である飛翔隊が、
まったく表に出ないで、このまま老年にさしかかっている理由は?
あの人たちこそ、南郷理論を骨から信じ、何十年も実践してきた人たちだろ?
もし他流派を手玉に取れる実力があるなら、出てこないほうがおかしい
それとも、飛翔隊の人たちさえ、信心が足りなかったとでも言うの?w >>500
示す必要も糞もない
示せないのではないと思ってもらわなければ放っておけばいいのにこんなところに
糞みたいな反論書くからじゃあ示せばと言われているだけ
出ないからないんだと認定されるだけ >>507
これは悲しいな
いくらあの防具、組手とそのための練習でも長くやれば伝統派の上位と張り合えるんじゃないかという幻想があったけど
ちなみに>>507さんの師匠は玄和からどこに移られたんだい >>509
これ言うと特定されちゃうから、
悪いけど、ハッキリとは言えない
ただ、フルコン系とかじゃない、
おとなしい流派ということで、勘弁してください >>506
>まず俺をふくめ「南郷さんに責任はあるよね」と言ってる者は多いけど、
「責任を取れ」と言ってる人は、一人もいない
これは、面白い♪♪♪
言葉にしていない・書いてない、から、言ってない。
という事ですね。
モノは言いよう・書きようですね。
でも…「…謝りもしない…」と書いているね。
それは、「謝れ!」という思い・認識の表現だろうから、
言葉にしていなくとも、謝る事=責任を取れ!でしょうが…
言葉は認識の表現ですよ!
分かるかな?分からないだろうね! そうそう…
傷害罪の民事の時効とは、いわゆる損害賠償請求権の消滅時効の事で、
それは、三年間で権利を失うそうです。
だから、裁判はできないようですね。
それに…お宅は分かっていないようですが…
「…師範の失敗…」と書いている事実と、
お宅が責任…どうのこうの書いている事実とでは、
そこに食い違いがある、ようです。
一度、玄和会に直接乗り込んで、直に確認した方がよいですよ。
さもなければ、一生・死ぬまで誤解のまま逝ってしまいますよ! 本当に幸せ者達ですね。
師範の「失敗だった…」という言葉の事実確認もせず。
それは、
誰に対して、
どのような事で、
どのような失敗だったか?
そして、その後、
その失敗に対してどのように対処したか?
そんな事実確認もせず、「自他ともに責任を認めた」…なんて、
よくも、まあ、言い切れる書ききれるモノですね。
本当に、それって、自由びとを超越した思い込みですよ! >>512-513
例によってまた、本題とはまったくまったく関係のない話題を、
一方的に挙げてはぐらかすし…
あんた、ここではもちろん、
ブログにも全然ファンがつかなかったよね
TDKさんでさえ、熱烈なファンがいたのに
それはあんたが、知的誠意ゼロだからって、
還暦前に少しは気づいたら?w
TDKさんでさえ、歪んでいて幼稚で浅薄だとしても、
それなりの誠意と一貫性はあったというのに
養老院でも、孤立しちゅうよ、おじいちゃんw >>515
本題って、「責任」どうのこうのでしょう。
ならば、問題ないしょ!
お宅のコメントの方が、本題から外れているよ! ふ〜ん、じゃあまずは、>>498に答えてもらおうか?
まず「空手は失敗」のログは、おそらくどこかに残ってるし、
目撃者も多い
誰に対して、→玄和会会員に対して
どのような事で、→一部の会員には、空手の達人になることを約束した。またすべての会員に対し、
玄和会は空手界の頂点に立つと断言した。これに関しては、「玄和の血潮」の歌詞を参照。
また「玄和の血潮」は、単なる努力目標ではなく、これまでの玄和の到達点と、
これからの玄和の未来について歌ったものだと、南郷師範自身が合宿等で発言している
どのような失敗だったか?→自分の挙げた約束、責任をまったく果たせず、玄和会会員から達人を一人も出せなかった。
(南郷さんによると、平成の宮本武蔵)。
また、近未来には玄和会が空手界の中心になるということも、なかった。
会員のなかには、未来を約束され、就職せずに非正規等の仕事をしながら、
論研や特選隊等に残った者もいた。
だがもちろん、その約束が果たされることはなかった。
そこで南郷さん曰く「論研の成果が世に認められるまで、あと200年はかかる)
そして、その後、
その失敗に対してどのように対処したか?→だんまりを決め込む。本人は師範の座を降り、
批判には一切、答えず。
過去の著作では、「空手は、護身術ではない。命をかけた真剣勝負だ」と、それまで言っておきながら、
全国の支部にに護身コースを乱立 等々 >>507
結局は、玄和会・空手組織という事実の中に、何を見て取るか…ですね。
極真会に入門して頑張ってダメで、玄和会に来た者もいれば、
玄和会でダメで、極真へ行った者もいる、
少林寺拳法から玄和会、
玄和会から少林寺拳法…
事実は、色々です。
仮に、非力の者が極真会へ行って、
初日に組手でやられて終わりでも、
その人が、玄和会空手である程度自信を付けて極真会なら、
結構いけたりして…です。
全ては条件次第ですね。
結局、人生とは、自己の信じたいモノを信じていくモノでしょう。
それを、ここでのように、
他人が信じているモノを一々否定するのは如何かな?
もっとも…>>507さんは、別ですが…
それも事実で否定はしません。
人によって、そのような事実もあり得るでしょうから…
だから、事実ではなく、論理であり、
その論理を自己の事実で確認して進める、のです。 誰も訴訟や賠償の話なんてしてないのにこのコテハンの方はちょっとひどくないか
>>507さんの師匠は強さを探究しようとして世界最高峰を堂々掲げる玄和で懸命に修行したのに蓋を開ければ対外試合を恐れて根拠のない他流派、他競技への批判とあまり実戦的ではない技術
四半世紀修行して他所へ出てみても今一つ通用しないってこれはもう個人の取り組み方の問題なんかではないしそういう人を多く出してしまったはずなのに相変わらず閉鎖的な所でぐちぐちやってる姿勢を改めないのを責めてるんだろ >>517
>玄和会会員から達人を一人も出せなかった。
なかなか鋭い指摘ですね。
そうですね。
それが事実だとして、
玄和会の現在の事実は闇ですから…
でも師範・玄和会はまだ健在です。
師範が亡くなる前までに、達人を出さなければ、
師範は、責任を果たした事には、なりませんね。
でも…お宅も玄和会で達人を目指したのですか?
「責任」と言うなら、
そのような達人を目指してなれなかった者達が、
問うべきモノなのでは?
達人を目指た当人でもない、玄和会会員でもない、
全くの部外者が、責任をどうのこうの言う権利がある、
とは思えませんが?
それこそ…余計なお世話でしょう。
そうそう…そう言えば、そのような人達は
「人格破壊」されているそうですね。
だったら…やっぱり損害賠償請求です。
しまった…それは時効したね。 >>518
>だから、事実ではなく、論理であり、
この時点で、認識は「科学」ではなく「形而上学」だし…w
また南郷さんは言ってた
「諸君らは、かつて嘉納治五郎に柔道を学んだ者たちがそれを誇りに思ったように、
私に空手を教わったことを、誇りに思うこととなる」
その結果、たしかにほんの数名の信者は残った
しかし玄和が、柔道のような大組織、一文化になることはなく、
南郷さん自身も、「空手界の嘉納治五郎」になることもなかった
大部分の会員にとっては、「そういえば、俺が若いときにあんなおっさん、いたな…」
のレベルだし
>全ては条件次第ですね。
ここにきて、すべて相対主義、一般論に逃げ込むのは、卑怯者の特徴
>>475では、
>そんな己の失敗から学んで、
>真の武道空手玄和会を創り続けているのでしょう。
なんて、自分だけの妄想を垂れてるくせに
失礼だけど、あなたもう一度生まれ変わって、
人間やり直したほうがいいレベルだねw >>519
>相変わらず閉鎖的な所でぐちぐちやってる姿勢を改めないのを責めてるんだろ
そんなの玄和会の勝手でしょうが…
その事が、お宅とどんな関係があるの?
お宅も玄和会・理論を妄信して、
自分の思い込み事実で頑張って、
失敗した口なの?
そのはそれはお気の毒様でした…アーメン! >>521
一般論ですか?
現在の玄和会の事実が明確でない以上は、
一般論も致し方ない事です。
本当に、玄和会に、現在達人が生まれていないのか?
そもそも…空手の達人って、どのような者ですか?
師範の達人像と、他の者達の達人像は一致するモノ?
空手の試合で勝つことが達人?
そんな事実的書き込みのないのに… >>523
>本当に、玄和会に、現在達人が生まれていないのか?
生まれているなら、逆に公開しないほうが、おかしい
>そもそも…空手の達人って、どのような者ですか?
「…いずれ彼は、空手・居合・合気の頂上を極め、
十年後には宮本武蔵『五輪の書』に匹敵ないしそれを凌駕しうる武道史上空前の
<武技術論・武道修行論>を引っ提げての登場となるであろう。」
『武道と認識の理論 T』 P257より引用
ふん、白々しい
自分も読んでるくせに、都合が悪くなると、
知らんぷりですか…
たしかにあなたは、南郷師範に深く学んで、多くを得てますね
その無責任極まりない態度と、すっとぼけの技術は う〜ん…
そんなに玄和会を信じて馬鹿をみた者なら、
直接に玄和会へ行きなさい!
ここで、言いたい放題なんて…
意味がないじゃないの?
玄和会に文句があるなら、
玄和会へ行って直接言いなさいな! そう言えば…思い出しました。
ソクラテスの部屋とか、
ケンシロウとか…いうブログ、だっけ…
それと「心ブログ」だっけ…
訳も分からない事を書くまくって、
そこを指摘されたら、即ブログ閉鎖した奴、
あれって、旧コテハン=ソクラテスだったかな…
そんな奴だから、自由びのブログを、
どうのこうのと書いているんだね。 >>524
それって、師が弟子を信じて言い切って…
結局は弟子に裏切られた事なのに…
可哀そうなのは、弟子を信じ言い切った師範でしょう。 大風呂敷を広げて何が悪いの?
気に入らないなら、聞かない・信じなければ、
いいだけなのに… >>527
>可哀そうなのは、弟子を信じ言い切った師範でしょう。
相変わらずだな…
では、弟子の母数が圧倒的に多いのに、
成功者が極端に少ない玄和の現状は、どう説明する?
たとえば野球の名打撃コーチ、高畠導宏は、
南海やロッテ等、弱小チームを渡り歩きながら、
30名ものタイトルホルダーを育てた
対して南郷さんは、小学生から社会人と、
それこそ何千人も教えたことだろう
それでいて、他流派を圧倒できるような猛者を、
ほとんどを生むことはなかった
これはあきらかに、本人の技量と理論に問題があるから
いつまでも、つまんねーこと言ってんじゃねー
タコ(*^^*)凸 ここでの玄和会・師範情報の殆どが、
過去のモノで、しかも書籍からのモノ。
今の玄和会情報がないのに…
過去のモノだけから、このように批判して意味あるの?
武道・空手の達人になったとして、
命がけの武道勝負のない現代で、
どうやって、その道の達人である事を証明するの?
どのように公開するの?
だって…玄和会は、
組織を大きくして金儲けを考えてないよ!
公開するメリットはない。
公開する手段もない。
そもそも〜
真の命がけの認識をどうやって証明するの?
このままでは、死ぬだろう状態で、
初めて「命掛け」の認識があるから…
現代人の何人が、「命がけ」認識の必要を感じているの?
必要を感じてない者が、いくら学ぼうとしても、
命がけ認識は学び取れないモノです。
だから…師範の言葉の通りの成果は出せないのでしょうね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています