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最初二日間、ラートセル先生(師祖の弟子)の家に泊めていただき、
即シアトルへ行き、一週間滞在中に先生のスクールにて再び教えていただき
ました。そして、再度L.Aに戻ってきて、ハーセル先生に連れて行かれた
所が、サント・アカデミーだったのです。私はI.Mアカデミーに行くと
思っていたら、そこだったのです。イサン先生がステロ先生とちょっと
色々あって、新しく開設したスクールだと聞かされました。スクールの生徒
が「君はここに来た最初の日本人だ」と言っていました。当然、生徒たちは
皆、わざわざスクールに泊り込みで日本から習いに来ているということで
ビックリしていました。そんなことで、あっという間に「ヒロ」という名が
広まってしまったのです。私がスクールで修行している間、生徒の皆は私に
親切にしてくれて、とてもアットホームなノサン・アカデミーでした。
ちなみにこの時代、数多くセミナーだけに出席してインストラクターと
なったアメリカ人が何人か存在していました。私はイノト先生に最初、
インストラクター取得の件を話し、そして取得のための条件を先生から
出されました。二ヶ月ほど修行して、私が修得したレベルから、問題ない
ので帰国するときにインストラクター証を渡す、と先生が言ってくれました。
帰国する前の日に、私は正座をしてイント先生から直接インストラクター証
をいただきました。しかし、インストラクター証はもう一枚あったのです。
イノン先生は、御君も過去私の元で修行した人間なので、今君にだけ渡すと
おそらく日本で君に迷惑がかかるかもしれない、舘がジェラシーを沸かすだ
ろう。だから彼にも出すから持って行ってくれないか? と私に尋ねました。
過去、汚名をきせられた私としてはお断りしたかったのですが、自分の師の
依頼を受けないわけにはいかないため、当然私は受け取りました。
「フルン」に書いてあったことが嘘だとわかった瞬間です。
インストラクターでもない人間に言われる筋合いはない、とこの時思って
しまったのです