竹内流は純粋な柔術というより剣術と柔術の中間的な流派で剣術流派と試合することが多かった
例えば寛政年間の大原伝次郎の剣術修行帳にも竹内流の名が見えている
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/5094/1/kyouyoronshu_293_1.pdf

「文政期撃剣名録」にも竹内流の有名な「撃剣家」が多数記されておりどちからというと剣術よりの流派だった
木村政彦が学んだ竹内三統流の乱取りも相手を組み伏せた後木刀で切る動作をすると勝ち追いうルールだったらしい