史上最強の武道家・格闘家は誰だ? [無断転載禁止]©2ch.net
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>>269 アキレスでそんなに怪我するとも思えないし、足首を極める技だったんだろうね。 >>251 講道館と古流が古流ルールで試合した例、ずっと待ってるんだけど… 古流ルールで試合した例で有名なものといえば、山下が敗北した讃岐での試合でしょ。 あれは、嘉納の痛恨のミスだった。。 講道館ルール以外の試合を受けなければよかったのにね。 関西方面は、関節極めるか絞め落としたら勝ちというルールでよくやっていたようだ。 >>276 ありがとう。 無双流の松井三蔵という人? 不勉強でこの人のことを知らないんだけど、何かに書いてあるのかな? 香川の柔道史とか。 欲しい情報は自分で探すものだよ。 (無相流 松井三蔵 山下義韶 香川讃岐) 讃岐の資料を探せば必ず出てくる。頑張って。 >>279 考えられるのは讃岐柔道史かな。図書館で見てみるよ。 ところで無相流じゃなくて無双流じゃない? >>281 中条家の無相流? 讃岐柔道史だと無双流表記になってるけど、違うのかな。 しかし、地元の本にしか書いてない出来事は有名と言って良いのだろうか… 無相流は昭和まで残っていたが残念なことに消滅してしまった。 無相流は当身で有名だった。 乱捕ばかりやっていると廃れてしまうのだよ。残念だ >>276 おいおい、図書館で調べたら全然違う話じゃん。 山下と松井が戦ったのは讃岐じゃなくて講道館だし、試合じゃなくて稽古だから勝負は着いてないし。 松井が山下に何度向かっていっても投げ飛ばされたし、山下は松井に何度も落とされかけた。 それ以降、二人の交友が生まれたってだけの話だったよ。 なぜ調べたらすぐに判る嘘をつくのさ。 柔術最強は竹内久盛でしょ。柔術限定 追記、編集よろしく。 SSS 竹内久盛、念阿弥慈恩 堤宝山 飯篠家直 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― SS 山本民左衛門、磯又右衛門、西村外記之助、竹内久吉 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― S 藤田銀八郎、高木馬之輔、 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― A 武田物外 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― B 磯正智、戸塚彦介、 市川大八 今泉八郎 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― C 戸塚英美、 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― D 野口潜龍軒、田辺又右衛門 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― E 横山作次郎、 福島兼吉、前田光世 東勝熊 金谷仙次郎 岡崎星史朗 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― F ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― G 嘉納治五郎 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― H 塩田剛三 武田惣角、植芝盛平 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― I 黒田鉄山、奥山龍峰 大塚博紀 嘉納治五郎の強さが分からん。 奴には、何か武勇伝とかないの? 嘉納が他流と対決した話は一度も見たことがない。 あと明治の古流vs講道館は四天王と高弟に戦わせて 嘉納は戦ってないとか本当? >>289 嘉納本人の武勇伝としては 柔道創始前の天神真楊流時代(大学生)に戸塚派の上位者と互角だった。 稽古で西郷四郎を投げまくっていた。 船上で体の大きなロシア軍人を投げて怪我ひとつさせなかった。 辺りが有名かね。 他にも前田光世も嘉納の浮腰に感動したとか、他流の挑戦を受けて散々に投げ、その人は講道館の弟子になったとかの話も有る。 戸塚派揚心流の上位者というよりは 真ん中より少し上というニュアンスだった気がする。 「嘉納は戸塚門下生(名前不明)と乱取をおこなったが、 嘉納が盛んに技をかけようとしたが全く効かず、 試合場を散々に引きずり回された。」 何かの雑誌で連載していた「幻の日本柔術」で見た。 結構古いね。 >>294 ありがとう。 ソースが云々って感じでは無いね。 まぁ折角の演武によほど弱いのは連れていかないだろう、くらいの推測しか出来ないかな。 嘉納治五郎的には崩し開眼前の話だから、強さの評価としてはあまり使えないかも? 柔術習い始めてから一年経つか経たないかくらいの時期だし。 真楊流柔術習い始めてから3年から4年で磯正智が亡くなる前後の話だね。 起倒流に入る少し前の話だよ。 明治13〜14年の話。 明治10年は福田道場に入門した年だよ。 >>298 開成学校に戸塚派が来たのが明治10年頃、ってのを見たんだけどね。 小説の「嘉納治五郎」だと明治13年の秋としてるね。 それにしたって二年半か。 21歳の頃、楊心流の戸塚一門が東京大学講堂で柔術を披露したとき、 在学中の治五郎は飛び入りで参加。柔術の様々な流派にそれぞれの良さがあることに、 初めて気付く。 そのことが治五郎にとって、「講道館柔道」の創始のきっかけとなった。 http://www.judo-ch.jp/kanou_life/profile/index02.shtml ここには21歳の時と書いているね。 福田道場の責任者で玉武館に通っていた時だな。 ただ、練習稽古と書いてあったから 飛び入り参加した時のものかは分からん。時期は一致するね。 >>301 ありがとう。やっぱり明治13年の話かな。 いずれにしても、柔道前夜の修行時代の話だね。 嘉納治五郎と嘉納行光って顔がそっくりだ。 嘉納履正とは全然似てないのに 隔世遺伝ってやつだね >>288 久盛より久勝のが実績からも上じゃないかな。 >>286 大山は大山でも 柔術の大山師範 それと同流の祖であり 起倒流からみてもブランドであった渋川伴五郎 むろん起倒流の加藤 鈴木 ここあたりが歴代柔術 一応のトップどころではないかな。 >>276 挙げてくれた例は古流ルールでの試合じゃ無かったから、他の例を期待してるよ。 嘉納がリオの高藤直寿とやっても当然ながら 何にもできないで一方的にやられるだろう 柔術の名人だって強いといってもそれは昔の基準であって そこに神秘などない 柔道家で強い人なら嘉納治五郎より三船久蔵や木村政彦でしょ 近代なら山下泰裕 うろ覚えだけど木村政彦が挙げた立ちも寝も両方できた強豪の中に入ってた気がする ただ武専の強豪と試合したら終始攻められて判定負けしたらしいから同時代でも圧倒的に最強って程では無かったかも まあダメな試合探せば誰でもあらは出てくるかもしれんが 山下自身はこの間の五輪の後に自分の時代より今の方がずっとレベルが高いって言ってたな 石井慧なんかは山下先生や斎藤先生に比べたらリネールは組手下手って言ってたけど >>311 吉田沙保里が一回負けたからってマルーリスよりも格下になるか?って話だよ。 >>306 史的伴五郎は 講談伴五郎以上だね。 鈴木清兵衛に 重も身軽る身ノ傳というのがあったけど 伴五郎も軽重自在の体現者で 重くなっては人に持ち上げられず 軽くなっては大小を差しながら屋根に飛び乗ったらしい。 >>308 加藤初代忠藏も他流を投げ殺してはいるね。 >>309 中野十段や山本八段でしょ。 >>314 関口流の二代目だかの逸話で、柔術の達者は壁を歩けるんでしょ?って言われて、んな訳ねーだろって答えた逸話があったね。 実際江戸時代の屋根に飛び乗ろうと思ったらどのくらい跳べば良いんだろうか。 カズミは顔面が怖いし、組まれたらまず負けると素直に語ってるよ >>318 ないね。 気が弱いというか、 人として確かでない。 精神的に成人してない。 二本貫手で眼を突いたとか言ってるけど、 本人のあのかんじじゃけっこう盛ってるだろ。 >>288 H、Iの人は何でそんなに低いんだ? 嘉納治五郎より下とは思えないんだが どうせ迷い込んだおびえた小熊なのに、 ちょっと退散したら、やれ勝っただのおまえ中2かと。 空手やっててよかったじゃねーよむだばかりの人生のくせに。 修正してみた。 SSS 竹内久盛、念阿弥慈恩 堤宝山 飯篠家直 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― SS 山本民左衛門、磯又右衛門、西村外記之助、 竹内久吉 竹内久勝 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― S 藤田銀八郎、高木馬之輔、 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― A 武田物外 渋川伴五郎 関口氏業 戸塚彦介 滝野遊軒 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― B 磯正智、 市川大八 今泉八郎 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― C 戸塚英美、 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― D 野口潜龍軒、田辺又右衛門 東勝熊 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― E 福島兼吉、前田光世 金谷仙次郎 岡崎星史朗 松井百太郎 中村半助 講道館四天王(横山作次郎、西郷四郎、山下義韶、富田常次郎) ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― F ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― G 嘉納治五郎 武田惣角 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― H 塩田剛三 植芝盛平 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― I 大塚博紀 、奥山龍峰 宗道臣 武田物外は 特に離れ業として知られるでもない柏崎又四郎に蹴り倒されているから 上位からは外れるだろうし 瀧野遊軒は 伴五郎をブランド視しているから 伴五郎と同列ということはないだろうね。 >>325 市川大八ってなんでそんなに高いんだろうな。 嘉納治五郎と福島兼吉が何故そんなに離れているのかとか。 >>324 ガッツリ襲われてたから死なずに撃退出来たのは空手やってて良かっただろ SSS 竹内久盛、念阿弥慈恩 堤宝山 飯篠家直 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― SS 山本民左衛門、磯又右衛門、西村外記之助、 竹内久吉 竹内久勝 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― S 藤田銀八郎、高木馬之輔、 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― A 渋川伴五郎 関口氏業 戸塚彦介 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― B 磯正智、 市川大八 今泉八郎 滝野遊軒 武田物外 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― C 戸塚英美、 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― D 野口潜龍軒、田辺又右衛門 東勝熊 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― E 福島兼吉、前田光世 金谷仙次郎 岡崎星史朗 松井百太郎 中村半助 講道館四天王(横山作次郎、西郷四郎、山下義韶、富田常次郎) ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― F 嘉納治五郎 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― G 武田惣角 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― H 塩田剛三 植芝盛平 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― I 大塚博紀 、奥山龍峰 宗道臣 講道館四天王は西郷=横山>山下>富田のイメージ。 古流の創始者達も、嘉納治五郎以下講道館の面々に組まれたら立ってられないのかな。 短刀とか武器を使わない限り。 そもそも組ませないだろ。 当身でタコ殴りにされた後、関節を折られるのがオチだね。 真剣勝負は、当身の応酬がメインだからね。 それに組んだとしても強いと思うよ。 当時は相撲もかなりやっていたしね。 西郷四郎は警視庁武術大会の緒戦で 実際には絞め落とされてしまっているのがウィークポイントかな。 前田光世も 1901年に極められているし 田辺又右衛門も最終的には講道館秘蔵の寝業師に撃退されている。 三船十段も金光九段には一方的に極められている。 柔術の世界は古来 どうも知名派と実力派に分かれる成分が含まれるきらいがあって 両方を兼ね備えた存在が一部の歴史的な柔術家なのだろうね。 あくまで一部のね。 宮田兄弟や 近年手記が話題の添田貞俊などは まさに歴史的な実力派だろうね。 >>313 三船の場合武専のトップとやった唯一の試合がそれだから世界中の強豪に勝ち続けた実績がある吉田とは違う話よ 横山については、金谷を肩車で投げ飛ばそうとしたが 持ち上がらずそのまま首を絞められ続けた試合なんて 結局審判が引き分けにしたが そのまま続けていたら横山が落ちたと思うよ。 北朝鮮スパイの中村日出夫コト 患チャンスはどうかな? ,.-'´ ``ヾヽ、 ,r'´ ミヽ l! ____ `i l 杉原正康氏、羽山威行氏、松田陽一氏 ll. ,-‐-_.! ,r ___` l,.!、 ヾ! rェェ.,! ヽ'`´`´ i l 少林寺の実戦でならした猛者たちも ヾ! ー' , 、 ヽ ! l /ー-‐‐'ヽ `J フルコンの素晴らしさを訴えている l!. ,!_,r--‐‐-ヽ ,! ヽ ' ´ ̄` ´ '___,r'-、 おい、わかたか? `、 _____,.. ,!、_)-‐!ii-、..___ _! 、ー-‐,..-ソ ,.l /ヘ_ノ,... `ヽ、 馬鹿 ,.....r‐'´ !. ,ィ´`r´_  ̄ ̄`.イ ) ヽ、 . / ̄ i l/ ヽ.ナ ヽ、 `i' /lii ヽ . ,r' l // ヽ、 ! ,! 、_ ! ノ / `ー-、...._ _ ' ヽ、_ ! i´ / _,ナ亟. ヽ ヽ -、_) ! 〉ヽ / /+- l l l _ / ヽ / _//ヲ、 .l l l / l ,...___! /fヾ ト、 l ! ,イ i r'´ 、_ノ 云 ヽヽ、 ,! , - ! r'´ー z- ,l! .l  ̄ `ー-‐‐、 ヽ `ー---'ソ ,ィ´ ! l _,.-‐‐'`ー' 、.....-‐'´ー‐イ) `ー、____,.ィ´-‐' / ! / ー‐ュ‐'´ /´ ! / ,ィ ´  ̄ 〈 >>333 その辺の話の出どころって何? 前も山下が讃岐で松井と試合して負けたとかいう嘘を書いてた人がいたから気になる。 E 福島兼吉、前田光世 金谷仙次郎 岡崎星史朗 松井百太郎 中村半助 講道館四天王(横山作次郎、西郷四郎、山下義韶、富田常次郎 この中で断トツに強いのは、 ヘビー級のプロボクサーの腕をへし折って勝利した岡崎星史朗だね。 >>342 超ヘビー級レスラーの腕をへし折って勝利した山下義韶は? 古流の強い話って出典不明なのが多いよね。 〜と言われている、とかそんなんばっか。 出典は全て知っているが一々書き込むのが面倒くさい。 少し調べれば分かることだし。 >>346 はっw 一言○○で書かれてたすら書けないヤツが言ってもなw >一言○○で書かれてたすら書けないヤツが言ってもなw 誰のこと言ってるの? なんか勘違いしているようだね。 古流は、左翼系 空手はチョウセンチン系 総合は暴力団系 古流には右翼も多いぞ つか、左翼系はみたことねーな 総合は暴力団系というか、少年ギャングやヤンキー、 オレオレ詐欺なんかの半グレ系がおおいいんじゃね? そこらの試合を立ち上げたプロレスラーの前だが何系課は知らんが 社会に通じない少年達を大量生産した罪を背負ってほしいな >>346 出典が昭和武闘伝とか剣の達人111人データファイルとかだったら笑うけどな。 とにかく嘘はつくのは楽で、確かめるのはしんどい。 出典の無い古流の逸話といえば、國井善弥のGHQ絡みの逸話とかはよくわからんよね。 この人はほかにも高野佐三郎の喉を潰したとか柔道で徳三宝に勝ったとか、出典の不明な逸話が多いけど。 國井善弥って謎だよね。 調べれば出てくるかもしれないが、 そもそも鹿島神流自体が怪しいからな・・・ >>341 例えば1901年の試合記録は http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008108621-00 ここに載っているね。 >>345 伴五郎の逸話なら 直弟子が武士訓の後編で書いているね。 1720年の出版。 後編の存在は意外と見落とされていたりする。 >>347 私としてはここで話題に出た フリッカーの淵源(が一般的なジャブよりも古いのか)を 年代つきで知りたいんだよね。 それも一言で済む話しなのにね。 >>356 さすが。 鋳造は詳しいね。戸澤徳三郎についても知っていたし・・・ >>356 ありがとう。 1901年の試合ということは、前田光世についてかな? 資料が東京でしか確認出来ないみたいだし、いずれ確認するのを楽しみにするよ。 ただ、渡米前の前田は寝技を軽視してたことは「世界横行柔道武者修行」でも明らかだし、>>333 の他の話の方が断然気になるな。 まだこんなファンタジースレッド続いてたんだ、懲りないね 寝技をかるくみていたとはいえ、 伝えたものが寝技に強くなったわけだから、 べつに寝技を省いたとか辞めたとかではないだろ。 358じゃないけど 渡米後に他流試合やってくなかで寝技の重要性に気づいて真面目に寝技研究したって話 >>358 三船十段のエピソードに関しては 戦後(間もなく)とよべる時代に 六華会という旧岡山六高のOB会が刊行した 私家版のような冊子に載っていたもので ちょっと手許に無いのと いかんせん昔に閲覧したのと タイトルが非常にノーマルで印象に残りにくいのとで どこそこの公文書という形で紹介することは出来ないのだけど 個人的には起倒流野田派の道場で管見?したので 起倒流系の道場には配布されている可能性があるかも知れないね。 旧制六高部史とか到ってシンプルなタイトルで ただ図書館や公文書館 博物館を検索しても当たらなんだ。 四郎と田辺に関しては同じく戦後の 同志社経専の冊子に載っていたもので 戦前戦中の方々が 実際に草創期の両試合に居合わせた先達からの聞き書き という形で記していたね。 旧神戸高商のツテで網にかかった史料だけど これも六華会のと似た事情で詳しく紹介(照会)できないんだ・・。 四郎の相手はウケチ圓太郎説を採っていたと思うし 田辺の相手は確か飯倉とかいう氏名だったと思うけど なにぶん後年に人へ伝えるなど思いもよらなかった古い記憶だけに 仕方がないね。 ああ前田光世の相手は大角桂巖(けいがん)という人だね。 >>358 だけど、ありがとうございます。 うーむ、地方住みが恨めしい。 レファレンスお願いして印刷してもらおうかな。 三船久蔵については六高系の資料って事は金光弥一兵衛絡みなのかな。 三角絞関係でも全然食い違う事言ってるよね、この二人。 個人的には三角絞は六高よりも四高が先だったんじゃ無いかと思っている。 自宅じゃ無くて、放浪軍の本拠地が在るよって話しかしてないんじゃないか? 親族だけじゃなくて絆を持った同志も集まるって言ってたし。 更に仕官後の事については何も言ってないような。 >>365 タイトルはズバリのように思えるけど 年代がかなり下っているのが気になるね。 ただこのタイトルだと 昔に読んだ古いほうの冊子が改めて全編収録されている可能性はあるだろうね。 >>364 こちらは年代も合っているし 公的な印象のある 無味乾燥で憶えにくいタイトルも記憶通りだから 当たっているかも。 どちらにしても「かも」に過ぎないから 万が一ご調査が空振りに終わって 無駄足になってしまっても悪しからず・・。 >>366 仰るように 金光九段の絡む話しだね。 ちなみに金光九段は旧官立高商の史料にも登場していて 近年の表記と異なり やいちひょうえ ではなく やいちべえ と訓むらしい。 旧官立高商の史料は東京高商が中心となり横のネットワークが強かったせいか 金光九段すらをも凌いだ戦中の若手世代が戦後なお勝てなかった 金光世代の官立強者のことが語られるなど情報が広くて興味深かったりする。 技術面の先行性などは当時の本当に個人的な手記を並べるとぼんやりと類推できる筋が浮かびもするのだけど 名称が未整備だから難しい作業でまあとかく興味が尽きない対象といえるね。 信憑性の問題はあるよね。 野史というか口承というか、そういった類いのものだし。 当事者達よりもかなり後の時代の人が語る話とかも、どの程度信じて良いものか。 >>370 まあ 恣意的に都合の良い逸話をクローズアップしている可能性は残るしね。 ただ嘉納治五郎自体が 師ですら講武所で寝技に苦戦を強いられた旨を書いているから 伝統的に寝技系の厄介さは事実だったと言えるのだろうね。 ちなみに嘉納治五郎にとって師は 植芝盛平と比べても別格の存在だったとか。 >>371 そういう系統なら 古代オリンピック ボクシングとMMAにわたって二連覇を遂げたテオジニスじゃないかな。 彼の試合記録を精査すると 実は油断なく非常にテクニカルな組み立てをしているんだよね。 空手ではここでも名前の出ている中村日出夫氏の空手の師が 桁違いだったらしく 角材が割り箸に等しかったとされていたりする。 嘉納の師で講武所師範といったら福田八之助や飯久保だね。 福田は、真楊流以外に気楽流も免許皆伝の猛者。 講武所では戸塚派一門に苦しめられたようだね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる