新羅三郎とか武田家に合気之術が伝わっていたとかは
全て大東流(武田惣角)の作り話ということが
歴史的研究で明らかになってる。
作り話なのに、話が一致するということは、
武田流や西郷派が大東流から話をパクったということ。
会津藩の御信用之手が大東流の基というのも大東流(武田惣角)の作り話で、
この話まで西郷派はパクった。
ちなみに、上原清吉の本部御殿手(もとぶ うどんて)の「御殿手」も
大東流の「御信用之手」をパクって「御殿手」とし、これに本部朝勇の本部を付けた名称。
上原師範も、大東流から派生した八光流柔術の師範だったので、大東流の歴史(作り話だけど)については、
奥山龍峰から聞いていて知っていた。