そうした中で、結局、突き詰められる物は、哲学であり、
その最後の問いは、例えば、人間とは何か? と言った内容である。
伝統的な武術には、その問いかけに答える程の内容がある。
だからこそ、昔は宗教と伝統的に結びついて来た。
それが、神はいるのか? 神仏とは何者なのか? それとも神はいないのか? 
と言った問いかけであっても構わない。

殺し合いを追及してきた伝統武術が最後に辿り着く問いかけは、そうした哲学である。ただの殺し合いで終わらない程の伝統を継承しているのであれば
その流派なり、門派なりの最終的な極意や奥義は、
その最後の問いかけに答える程の内容を持っているし、源流はそこにある。

しかし、そこを商売のタネにするインチキも多いし、
もっともらしく答えて誤魔化す輩も居るので、、
師に問うてみてその答え方如何で判断することをお勧めする。
ここで、師にとっても弟子にとっても常識や良識、正しく、広く深い教養
明確な判断力や自己の責任能力はとても大事な素養となる。

願わくばこの拙文を読まれた方々が、そうした奥義に至らんことを願う。