◆◆◆野太刀(薬丸)自顕流2◆◆◆ [転載禁止]©2ch.net
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野太刀自顕流研修会
薬丸野太刀自顕流保存会
薬丸自顕流近江道場
薬丸自顕流顕彰会
野太刀自顕流兵法会(旧奥田派)
設立順 >>612
血縁から見ても嫡流じゃないだろ。
傍系ね。
おまけに、嫡流の兼吉宗家に認められていない。
伝書類も引き継がれていない。
残念だな傍系は。 >>614
そう。
兼吉宗家の教えを守り、兼吉宗家〜奥田先生の流れを組む。
誰かさんみたいに欲に目がくらんでない(笑) 血縁云々いっても血縁の本流が認めていなかったら意味ないよね ごめん、あんま詳しくないんだけど、「千年続いてる派」にとって、兼武の位置付けはどうなってるの?
マイナーバージョンアップ? そもそも戦前は、1000年続いているなんて言ってなかったからね(笑) 研修会も、伴氏から、って広言してた
がっかりだなー そうそう、どこの流派も箔をつけたがるんだよ。
門人達が?と思っててもね(笑) なんで解散なんやろ
会長とかになって、弟子に指導させればええのに やけど、マイナー流派で、本出して支部作ったのは相当やと思うけどな 後十年くらいしたら井谷氏のとこ訪ねてみようかな
それまでお元気で 理論武装したはいいが、結局自己鍛練が足らなかったな 辞めたというのが、所詮お稽古ごとの感覚だったんでしょう。 薬丸自顕流って結局のところ近代になって示現流から枝分かれした新興流派じゃね?
詳しく調べれば調べるほどそういう結論に落ち着くわ Wikiより
薬丸自顕流は先制攻撃を重視する流派であり、万一、敵に先制攻撃を仕掛けられた場合には、自分が斬られるより先に一瞬の差で相手を斬るか、相手の攻撃を自分の攻撃で叩き落とすかで対応する。防御のための技は一切無い。
↑
まんま示現流じゃん >>648
その通り。
平安時代から云々は、箔付けだよ。
ただし、何らかの野太刀の操法は伝わっていた可能性は高いよね。 示現流薬丸派だったとしても箔付けとしては充分だったと思うんだけどな 定寸の刀を想定したら、あんなに足幅を広くとって
腰を落としておまけに左手に右肘をつけて打つ意味がない。 津本氏の小説の影響は大きかったね。
自分も東京で習えないかと調べたしw 結構間違ってること多いけどね(笑)
小説家だからしょうがないか。 薬丸自顕流。その歴史は平安期に伴氏の流れを汲む豪族、肝付氏が大隅国に下向したときに始まる。家伝の剣技として代々野太刀の技を継承したのが肝付氏の支流・薬丸家である。(※顕彰会HP)
なるほど、伴兼行が野太刀の技を伝えた訳ではないのね(  ̄▽ ̄) その小説家がろくに調べもしないで自作に「薬丸自顕流」と書いてあるので
そう呼ぶことにしたって、安易だよなぁ 肝付某が野太刀の技を考案した、という根拠とかあるんかね? 幕末の薬丸流の門人たちも、本来の野太刀(刀長さ3尺以上)なんて使用してないしね。 でも、幕末の頃は南北朝を意識した長刀が
流行ったのは事実だし、薩摩藩では江戸時代から野太刀を備えておくのか習慣だったからな。 >>664
正式名称は野太刀自顕流とするが通称の薬丸自顕流でいくと書いてある。 昭和30年代初めに兼吉さんや奥田さんが研修会の元になった団体を作った時でさえ薬丸自顕流同好会って名前でやってんだから、正式名称がどれとか意識してないでしょ。
単に今は研修会が野太刀自顕流を顕彰会が薬丸自顕流を正式名称にしてるというだけで下らない論議。 薬丸じゃなくてちゃんとした示現流の居合ってどこかに動画あります? 示現流は居合いやっちょらんかな。自顕流は顕彰会が抜きでよくやってるけどな。 その奥田眞夫先生が、野太刀自顕流が正式名だと言われてたよね。
薬丸家文書でも、「野太刀自顕流掟」とあっても薬丸自顕流なんて名称はどこにも載ってないからね。
そもそも、薬丸自顕流という呼び名は東郷家の
示現流を「東郷示現流」と薬丸家の自顕流を「薬
丸自顕流」としたのが始まりなんだから
正式名称なわけがない。 え?だったら戦後、何故、兼吉さんや奥田さんが主体でやられてた時に薬丸自顕流同好会なんて名称で再開したのかね。その後の国体でも薬丸自顕流って名称で出てるし。普通は国のやる公式行事でエントリーした名称を正式名称として認識するでしょ。 薬丸自顕流同好会が設立したときは、兼吉先生は
主体で作られた訳じゃないよ。了解はしてるけどね まぁ最後の正統な当主が薬丸自顕流って名前でやってたんだから薬丸自顕流でも良いし、幕末に野太刀自顕流掟っての作ってるから野太刀自顕流でもよいし。どっちでも良いじゃん、それぞれが正式名称としてれば。 そもそも薬丸家の文書は兼吉先生の娘に渡されており
弟の幸吉さんや他門弟も見ることが出来なかった。
そのため、長年通称で呼ばれ続けてきた。
昭和44年に発刊された鹿児島市史に薬丸家文書の一部が掲載されたのが最初で
その辺りから、門人たちの中では野太刀自顕流と呼ぶようになってきたが
公には昭和53年頃からである。
そのため、昭和32年の設立時や昭和47年の太陽国体
の時にはまだ薬丸自顕流と使われていた。 まあ。長年磯庭園で慕われてきたのが、突然正式名称は仙巌園となったようなもの 兼吉先生も薬丸流や薬丸自顕流は通称という認識であったんだよ。
なので、呼ぶ際には通称でも全く構わないが、正式名称は?となると一つしかないよね。 >>671
自顕流には居合のようなのは伝わってないよ。
今真剣でしている、血振いや納刀は独自にしているもの。
もともと、昔から伝わってるものじゃないです。
昔から伝わってるのは、木刀で抜刀したり長棒に打ち付けたりする抜きという型のみです。 >>669
奥田派も野太刀自顕流
保存会も薬丸はつくが野太刀自顕流
薬丸自顕流は顕彰会のみだよね 何ページかは忘れたが、鹿児島県史料集34の示現流関係史料っての読んだ時、江戸期の稽古のことも書いてあって、東郷も、薬丸も、長刀と長木刀で稽古してたり、闇夜で真剣で稽古して危ないみたいな記述あったぞ。 真剣が身近にあった時代に、真剣で稽古することぐらい、あって当たり前。 稽古したというのと、流儀で技として型になって伝わってるというのは別でしょ? 現実に今、居合として納刀や血振いなどの作法から伝承されてるかといえば、伝わってないからね その伝わってないものを、さも昔からあるように演武など公の場所で行うのはどうかと思うよね。 刀が身近に無い現代だからこそ、木刀木剣による型を真剣にてフィードバックできているかを披露することは有意義でっしゃろ。まぁ見解が人によって違うのは仕方ないから、それぞれ研修会や顕彰会など選んで行けば良いだけの話。 真剣でのフィードバックはわかるよ。
でも、人前で演武する意味はどこにある?
流派として伝承されてないのに。
単なるパフォーマンス。
稽古の中で、研鑽すればいいだけの話 人前で真剣の技、特に抜きとか見てみたいなぁ。
そう思わない人は研修会とか行けばいいし。研修会と保存会とは、何を基準に選べばよいかね。 結局、古伝を守り伝えるか、自分達のオリジナルを付け加えるかの違いになるね。 蜿、豬√→縺?縺」縺ヲ繧ゆセ阪?サ蛻縺ョ譎ゆサ」縺ァ縺ッ縺ェ縺?繧薙□縺九i縲√◎繧後r陬懊≧諢丞袖縺ァ繧ゅ∝?縺ョ貍疲ュヲ遞ス蜿、縺ェ縺ゥ縺ッ諢丞袖縺後≠繧九□繧阪≧縲?
閾ェ鬘墓オ∬?ェ菴灘ョ、逕コ蠕梧悄豎滓虻譛溘→螟牙喧縺励※繧九@縲∝・・逕ー蜈育函繧ゅ∵?斐?ッ縺ェ縺九▲縺滓ョオ菴榊宛蠎ヲ謖√■霎シ繧薙□縺励? 示現流はフィードバックとかいって真剣で演武
なんて絶対にしないだろうねぇ 刀が身近に無い、触ったことすら無いのが一般的な現代だからこそ、真剣に関わらせる流派は素晴らしいと思うなぁ。そう言えば、この件で色々聞いてたら、昔、誰だか稽古の時、真剣を使おうとして手を斬っちまって「真剣は禁止!」となった会派があったと聞いたが笑えるね。 論点がずれてる。
真剣使って稽古するのは全然構わないが、
居合の型としては伝わってないので
昔から伝わってる技のように演武するのは
おかしいよ。ということ。 示現流じゃないけど、伝承されてる技を継承する
のが古武道だからね。
それに、ただ抜きの型を稽古するだけならわざわざ
真剣じゃなくても模擬刀で十分と思うけどね。
真剣使うなら試斬の時でいいと思うよ。 真剣の抜き技って昔から伝わってるからこそ木刀でやるんじゃん。頭わるいね。 わざわざ、高価な真剣買ってまですることじゃのということ。
代用品で十分。
伝わってるのは、木刀で長棒と対峙する型。 刀の存在が生活の中に普通にあった時代と現代の環境の違いを考慮すれば、木刀で稽古したことを生活の中で、例えば抜き技など、庭でやってみるくらいは常識であっただろうね。そうでない現在、真剣での稽古や演武は意味があると私はかんがえる。
そうでないと考える人は研修会に行けば良いし、どちらが正しいとかでなく、見解の違いなんだから争うのは無意味。 個人の見解の違いを流派の伝承技に持ち込むのはナンセンス。
稽古は別に真剣で抜こうが、試斬しようが自由。
しかし、演武は伝えられてるものを披露するもの。
抜刀術である、抜きの技に刀礼や納刀・血振いなどといった居合のような作法も伝わってる?
ないよね。
ないのに、それぞれ自分達のオリジナルで納刀し刀礼したりする。
それはただ人前で真剣を見せつけたいだけだよね。
一種のパフォーマンスにすぎない。
伝承されてるのは、木刀で長棒と対峙する型があるのみ。 それと、研修会に保存会・顕彰会・兵法会
どこも、みんな真剣やら居合刀やら使って稽古してたりしてるよ。
ただ、それを会としてやるか、また人前でわざわざ披露するかの違い。 演武は伝えられてるモノを披露する。なんてのも個人の見解。 オリジナルを組み入れて演武として行ったら
もはや古武道じゃないね 勝手にオリジナルを付け足して、流派の先人達に申し訳がたたないね。 後世に足した部分をちゃんと公言してたらいいんじゃないの?
無外流居合も田宮神剣流も近世になって再編成したんだしそういうポジション明らかにして活動するなら 実際に帯刀していた時代で、戦などの経験から
新しく型に組み入れたりするならともかく
この現代で新しく型に追加してなんの意味がある?
百歩譲って体術なら、現代社会にマッチしたものとかわかるけどね。 結局、人前で自分の持っている真剣を見せたいだけだよね。
真剣の扱い云々というなら、稽古でコツコツと練習したらいいだけのこと。 持ってるよ(笑)
数振り。
パフォーマンスと見せびらかすのが嫌いなだけ。 真剣パフォーマンスも必要だとの見解の人は顕彰会へ、真剣での演武は否定の人は研修会へ。というだけの話。
ちなみに保存会の東さんは真剣で稽古しようとして手を斬ってやめたので、本来は真剣否定派ではないと、その場にいた別府さんがむかし言ってた。 研修会もその東さんと同じ見解だね。
ということは…
自分達のオリジナル型で真剣パフォーマンスしたい人は顕彰会
昔ながらの型を自分達で変えることなく演武したい人は研修会と保存会 結局型を伝承するとか、技を極めたいとかじゃなくて
単に真剣を人前で見せたいというだけなんだから
抜刀道みたいな、真剣だけを扱う流派を立ち上げたらいいんじゃないの?
抜刀道みたく真剣使うなら、抜きで試し斬りでも披露すれば盛り上がるんだろうけど。 >>710
え?研修会も、真剣で稽古しようとして、刀で手を斬って真剣禁止という見解になったの? 真剣否定派ではないということ。
演武でしてないということ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています