合気道って役に立たないよね(´・ω・`) [転載禁止]©2ch.net
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ようするにストレス解消や健康維持や出会いの場としては役に立つ
でも喧嘩とか護身とか格闘技の試合とかには使えない
ってことで結論でたな 社交ダンスなのに
「突きがきたらこう」 「手刀がきたらこう」 とか約束組手しかやらない
「合気道は先の先 攻撃が来てから捌いては遅い」 とも言ってた
そんな妄想オヤジが5段で師範してた
彼の妄想を解くことは不可能なのだろうか 新型コロナを移しあって免疫強化してるぞ 合気道強いだろ 無防備に腕出してくれる人、正座してくれる人、手を掴ませてくれる人、襟持ってくれる人
限定にしか使えない合気道
弟子しか投げられず決して試合にすら参加しない合気道
そりゃ強いわけやわ
総合格闘技で腕を掴むチャンスなんて一度もないやろうなw
実戦ならもっとないだろうけどwwwwwwwwwwwwww 合気野郎「ヌルいMMAの世界では合気道は使えないけど実戦なら合気道は強い」
批判くん「スパーリングする勇気もないのに実戦とかできるん?」
合気野郎「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
批判くん「戦ったことあるのか?」
合気野郎「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 別に合気道の技は合気道にしかない技でないから合気道が使えないってことはないだろう
約束組手形式で技をかけるタイミングを色々研究する
ってのを好きなだけやれる合気道は強くなるために昔から活用されてる
〜はやるだけ無駄系の人は、やらない理由を探す何もやらない人なんだけど、平成時代は匿名テキスト文書インターネット全盛のため、とても目立ったのでその時の快感が忘れられずこんなスレが延々と作られる 合気道に実戦性を求める人は変人だと思う
他にたくさんの選択肢があるのにあえて遠回りで不確実な合気道
空手じゃなく合気道を選んだ理由を知りたい >>588
逆に空手は実戦的なのかについて。
喧嘩の場合、空手やボクシング的な打撃戦の競合いだけど、
護身逮捕の場合は、取り押さえるという言葉の通り、転倒させたり腕を捻って押さえ込んだりしないとならないので、空手やボクシングは実戦的とはならない
パンチを見切るためにスパーリング経験はあった方が良いけど、実戦を護身や逮捕とすると合気道が合理的な動きになる アホな人が考える実戦なんて自分にとって都合の良いスデゴロタイマンなんでしょ
馬鹿としか言いようがありませんな 合気道じゃ転倒させることも出来ない
間合い感覚が身に付いてないからな
合気道は妄想しか出来ないから簡単に腕を掴めると思ってるんだろうな
現実が分からないのはかわいそうだ 簡単に腕を掴めない
なんて、どんだけ熟達した相手を想定してんだよ
むしろ、自分が素人だから、誰でも達人の動きが出来ると思ってる奴が合気道アンチやってるだろ
キャハみたいなさ 熊沢「武術家の人たちは打撃への反応ができなくてやられてしまう。
武術家の最大の弱点は、目の訓練、反射神経の訓練をやっていない。動かないものや近づいた状態で崩すのは得意なんですが、相手の動きを見てカットしたり受け流したりすることは訓練しないとできない。
多くの武術家は近づく前にやられてしまっている」 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、他武道に全く通用しないのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています