柳生新陰流のような有名流派が本当に強いのか [転載禁止]©2ch.net
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今の時代でも、例えば空手界では、実際の技術体系関係なく極真が一番メジャーで、
真贋の微妙なマス伝説によって庇護されているのは事実だと思うし
歌手だって歌唱力でなくて枕とステマがモノを言う世界
根回しや取りいる事が元々この国の文化であることを思い出した
柳生新陰流のような有名流派や御留流とかって、政治家(将軍や殿様)に名を売る事が出来ただけなのかもしれない
もしかしたら宮本武蔵だって、沢庵などのコネを使って大名に名を売り、老人とされる佐々木を討ち取ってステマしたのかもしれない。
亀田の試合のように。
今の日本で言うところの、オリコンでAKB(柳生)に隠れている実力派歌手みたいなのが民弥流みたいな、そういう構図はあったと思いますか?
素朴な疑問です。悪意などはありません。 >>87
ならば但馬守から代替わりしたら辞めさせられてたはずだが、
宗冬までは継いでたろう。 佐川道場 全敗の記録
木村 十元師範 ライター長野に合気上げが通じずブログや本でコケにされまくり
保江 お笑い芸人に捕まれやっと筋力で上げるもスパーでは突き蹴りをもらいまくり
フルコン師範に捕まれまったく上げれず免許皆伝を進呈
佐久間 少林寺黒帯、佐川道場8年黒帯の時に掴んで投げていい大道塾の大会に出たがボコボコにされる
渡辺 佐川8年黒帯、独立してトータル20年の大東流歴、しかし巌流島で相撲経験者に15秒でKOされる
堀辺 佐川道場三元で詠春拳と合体させインチキ歴史の骨法を立ち上げるも
その弟子たちはムエタイ、総合に全敗
橋本 佐川道場初段、ボクシング、大道塾経験あり。自分に勝ったら賞金を出すと煽るも
合気道家、ブラジリアン柔術家に喧嘩売られて逃亡 聞きたいのは、小野派と新陰とか有名流派が技術内容が他と
比べて優れているから存続できたのか、単に運よく歴史の中で
隆盛しただけなのかどうなのか。
素人発想で悪いが、剣に対して同じ素質、能力の人間が10人いたと
仮定して、その内5人は、小野派や新陰を10年習い、もう、5人は
名の知れない剣の流派を同じく10年習ったとしたら、
それぞれの流派の師は実力者だったとして
本来的な技術内容によって、実戦技術的に圧倒的に差がつくんだろうか? 一刀流は知らんが新陰流については3代目の兵庫助が当時一般的だった
重心の低い介者剣術から直立ちの素肌剣術を取り入れた。
当時は他の流派では勝負にならない位の技術的有利だったと思うよ そうなのかあ。素晴らしい。
そのような時代的要請がなかったとしても、技術的優位性はあると
考えてもいいの?新陰は? だとしたら、新陰やってみたくなったなあ。
といっても、技術を身に付けるのは不可能と自覚あるが
そんな話を聞くと憧れるなあ。浸れればいいや。 >>93
素肌剣術は新陰流より古い流儀で既に存在していますよ。
古い剣術のほとんどが介者と素肌を両方とも学べます。 ていうか、新陰流も陰流も最初から素肌剣術だよq
甲冑着てる絵伝書なんて1つも無いし、そもそも甲冑着て剣術なんて実際は殆どなかったでしょうね。 兵庫助もそっちの方が伸び伸びと技が使えるってだけで別に甲冑がどうとか言ってないしな 直立ち云々って、実は宗矩だったか十兵衛の伝書にも書いてあるんだよな 戦国時代は月代剃るくらい甲冑着てたんだから武術もそれに準ずるようになる
この時代の剣術は今とは随分違うもので江戸期の流派あたりの人には想像つかんとは思う >>101
戦国時代ったって、普段から甲冑なんて着てないだろw
365日戦争してたわけじゃあるまいし。 例えば、天真正伝香取神道流の場合。
甲冑を着用した想定の『表之太刀』 五津之太刀 七津之太刀 神集之太刀 八神之太刀
平服 『五行之太刀』 三津之太刀 四津之太刀 陰之太刀 捨之太刀 發之太刀
と二種類に分かれている。 古武道に強いとか弱いとかの概念を持ち出すこと自体が間違い。
普段、戦うための練習を全くしていないのだから、
戦うことになった場合には、普段練習していないことをやることになり、
それはもはや普段練習している新陰流ではない。
新陰流ではないもので戦って勝ったり負けたりしもて、それが新陰流が強いとか弱いとかの話にはならない。
古武道なんて、そんなもん。 >>105
「ぼくがかんがえた武道観」はチラシの裏にでも書いてなさい。 >>107
厳然とした事実を突きつけられると
事実自体は否定できないので、
この程度のことしか言えないのが古武道やってる奴の悲しさ。 新陰流兵法転会で最高の名人と言われた前田英樹氏ですら
本の出版をし始めた頃の若年の甲野善紀氏と袋竹刀で試合をして、
どっこいどっこいの実力しか無かった。
(甲野氏の著書に、前田氏との出会いについて書いてある) >>110
見たんか?
わいは見たけど試合なんてしとらんぞ
甲野さんの道場でお互いの技の交流をしただけ >>111
試合してる記載あるだろ。
甲野に小手を打たれて、前田が「いただきました」って言ったという。
甲野は、自分の袋竹刀は新陰流の袋竹刀と違って、当たれば相当な痛さのはずなのに
平然と「いただきました」とだけ言った前田に感心したとか書いてたじゃん。 甲野に前田英樹が負けた記事の後で
二人仲良く共著を出しているから
甲野の記事はほんぼ事実に近いはず。 佐藤金兵衛さんによると
柳生石舟斎が得た一国一人の免許の「国」は、
大和国という意味であって日本国という意味でない。
そもそもこの当時「国」とは尾張国とか美濃国とかの一地方のことで、
柳生新陰流が新陰流の宗家を語るなど片腹痛いということらしい。
新陰流ではなく、所詮、「柳生」新陰流であると。 茶バネ新陰流みたいなチャンバラごっこではなくて、少なくとも振武舘くらいの身体使いで体系的に稽古している新陰流道場をお教えください。 >>118
新陰流武術探求会でググればお弟子さんのHPが出てくるよ 型を3年くらいやれば、剣道3段ぐらいには実戦でかてるかな。
誰か教えて。 そのぐらいの中身のある型ならいいなあ。
3年は無理でも、5年ぐらいならな。 実戦で斬り合う想定で
竹刀で自由にやり合うってことで
ルールは剣道ルールじゃなっくて
真剣想定でどこでも体に触れたら勝ちって実戦形式でね。 剣道のルールなんて実戦とかけ離れてるからね
面打ちなんて、頭をよけてるよね。
実戦なら首から肩バッサリやられてるわけで。 新陰流の合撃打ちや一刀流の切り落としも
真剣勝負や木刀勝負だと使えないよ。
江戸時代の平和な時に完成した技。
たとえば新陰流の古伝の型(転会にも柳生会にも保存されている)には合撃打ちなんか存在しない。
柳生連也が江戸の宗冬と試合したときも合撃打ちなんて全くやってない。 つまりどういうこと?合撃や切り落とし
以外なら使えるってこと?
新陰やら一刀流の型やってもすべて
俺がいった条件など使えないってこと。
今、伝わっている型はほぼ、ほぼ意味ねえってっこと? 第二次対戦のときに中国兵に日本兵が頭を狙って切りかかって斬れなかった、辛うじて斬れたのは鹿児島の示現流であった(松田隆智の調査、著書にある)。
やっぱり野戦の法と板の間道場の技は違うんだよ。
示現流は稽古場が砂だからな。
稽古着物 第二次対戦のときに中国兵に日本兵が頭を狙って切りかかって斬れなかった、辛うじて斬れたのは鹿児島の示現流であった(松田隆智の調査、著書にある)。
やっぱり野戦の法と板の間道場の技は違うんだよ。
示現流は稽古場が砂だからな。型はタイ捨流から取り入れた。
稽古着は常在戦場の意味で普段のTシャツにGパン。
斬る場所が二の腕か袈裟。
頭は斬らないからね。 剣道のおかしいところは、切られないために鎧をつけている所を叩くと勝ちってのがそもそもおかしいよな。 >>125
>柳生連也が江戸の宗冬と試合したときも
こんな話を信じてる人に言われても… >>132
全くだね。
一緒に演武はしたけど、試合はしてないのにな 合撃や切り落としは、極真空手が昔やってた真剣白刃取りと一緒で
実戦では絶対に使えない技。 後の先の技は相手を動かして初めて使える。技だけ練習しても意味ないね。 柳生先生が連也と宗冬のひぎり稽古は実質は試合でしたと言ったからだよ。。
親指が砕かれて血が吹き出たという。
それじゃ身障者になったということじゃないか(笑)。
当時は整形外科手術など無いのだから。
夢のような話を信じたりするのが
古武道やる人の特長だね。
碁盤、石地蔵を切り裂いたとかな。
そんなもの刀で斬れないだろう。 実際に自分の命が掛かってたら
よほどの力量差がない限りそんな精妙で危ない技使わんだろ >>136
というか当時の記録だとその試合だかがあったはずの日の二週間後に
宗冬は家光と大名達の前で型披露してるんだよな
二週間前に親指砕かれた人間がそんなマネできるのかと
他流使って自分とこの流祖を持ち上げるのって逆に貶めてるだけだと思うんだけど尾張柳生の先生方は違うのかな 厳周師だって江戸と尾張の不仲説は嘘だって言ってたのにな >>127
>辛うじて斬れたのは鹿児島の示現流であった(松田隆智の調査、著書にある)。
胡散くせぇ
どうやって戦後に生まれた松田がそんなこと調査できるんですかね >自分の袋竹刀は新陰流の袋竹刀と違って、
今晩は。通りすがりの者です。ご存じの方がいらしたら
お教え下さい。
柳生杖は現在一般に市販されている六尺棒よりも細いのでしょうか?
工事現場で使われる鉄筋三本分くらいの太さとイメージしてよいので
しょうか?
お教え下さい。 柳生新陰流は小さい頃から鍛えられた延春までは達人と言ってよいレベルだったが
今はもうダメ。やはり武道の継承は力づくでも物心ついた頃に仕込まれないと名人
にはなれない。 >>144
延春氏が達人なんて評判一度も聞いたことない。 柳生杖はとても細いけど、あんなのでしっかり握れるの?
直径一センチくらいでしょう? 厳周は技も人格も文句なしの達人
厳長は強いけど色々問題ある人
延春はそれなりに使える人
ってイメージ >>1
>もしかしたら宮本武蔵だって、
>沢庵などのコネを使って大名に名を売り、
沢庵和尚って武蔵とは関係なくて、
柳生十兵衛の関係者だよね?
>柳生 三厳
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E7%94%9F%E4%B8%89%E5%8E%B3#.E5.8F.B2.E5.AE.9F.E4.B8.8A.E3.81.AE.E9.80.B8.E8.A9.B1
>沢庵を慕っており、最初の著書である『昔飛衛という者あり』を
>父・宗矩に酷評された時、沢庵を頼って相談し、
>その後、沢庵の取り成しもあって、
>印可を認められた。(『昔飛衛という者あり』)
>昔飛衛という者あり
http://archive.fo/xsxva#selection-237.163-237.165
>宮本武蔵との関係
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%A2%E5%BA%B5%E5%AE%97%E5%BD%AD#.E5.AE.AE.E6.9C.AC.E6.AD.A6.E8.94.B5.E3.81.A8.E3.81.AE.E9.96.A2.E4.BF.82
>フィクション上では、しばしば宮本武蔵と結び付けられる。
>例えば、吉川英治作の小説『宮本武蔵』では武蔵を諭す
>キーパーソン的な役割を担っているが、史実において
>武蔵と沢庵和尚の間に接触のあった記録は無い
>(吉川自身も「武蔵と沢庵和尚の出会いは、
>自身による創作である」と明言している)。 >>146
そもそも今となっては古流は伝統文化として継承していくことが求められているから、宗家は形や口伝を正確に伝えるいわば学芸員的な仕事のほうが主で自身が剣豪である必要はないのでは?
それこそ当代が上泉信綱や石舟斎、兵庫助より凄かったらつい今までのやり方はあれも駄目これも駄目と工夫したくなって、いつのまにか新しい流派になってしまっているということになりかねない
ぶっちゃけ習ってる人も今更使う場所もない最強の剣術を身につけたいのではなくて、別に強くなくても歴史ある古流武術をやりたい人が多数派のはず >>146
津本陽の小説に著者の思出話として著者の目の前で一流剣道家を倒した話が挿入されてたな
まあ小説だからどれだけ信憑性は微妙かもしれんが 韓国では、韓国剣道連盟のHPや、韓国剣道連盟の会長が
「剣道は韓国起源」と公言し、世界に広めようとしている。
古流剣術や伝書の存在は、韓国人のウソを否定する有力な証拠として絶大な価値がある。
>>151
>そもそも今となっては古流は伝統文化として継承していくことが求められているから、宗家は形や口伝を正確に伝えるいわば学芸員的な仕事のほうが主で自身が剣豪である必要はないのでは?
いま、黒田さんスレに幻術使いが来てるけど
こういった伝統文化って残すのは大変だろうな、と思う 幻術ともなると技の伝承・継承そのものが困難かも
修行をすれば誰でもそこそこ身に着くと言った技ではないと思う 技だけ覚えても実際には使えないので使えるようにするために修行をする
その過程で人間的に成長するきっかけを得る
武道の価値はそこなわけで、骨董品のように扱うのは違うと思う 武道の価値は、そこから先に広がりがあって
武道を捨てる=技も戦いも必要が無い生き方をべばる様になる事
だと思うよ 働いていれば充分に稽古したり伝承を残すのは
まず無理ですね。 古武道の師範は、日本文化や日本国のためには
戦いの達人である必要はない。形の名人でかつ伝書類をきちんと残す人物であれば良い。
このような古武道があるおかげで(昔から残っている伝書類や形があるおかげで)
韓国武道は韓国起源だという韓国人のウソに対抗することができる。
そういうものが日本にあっても連中はウソを世界中に広めているので(テコンドが五輪競技になったのが良い例)、
日本に古武道の伝承された正確な形と伝書がなくなれば大変なことになる。 幕末最強は、戊辰戦争で薩摩の示現流を抑えた会津の剣士隊達の流派じゃね? ユニークで個性的なネットで稼げる情報とか
一応書いておきます
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
MYJXL 新陰流の動かない相手を動かす体系とか面白いけど=強いという事ではないな。 >>4
黒田氏の技は素晴らしい
あんな凄みの陰にはどうれほどの膨大な研究と稽古があったことか。
でもハゲたらおしまい。
俺は弱くてもフサフサのままがいい。 >>162
会津兵の弱さは蛤御門で長州の雑軍に御所突破されたり(薩摩銃砲隊が撃退)
鳥羽伏見〜戊辰でのだらしない連敗、敗走でお察し
西南戦争の「戊辰の仇〜」とかも吉田茂の創作
溝口派一刀流の佐川官兵衛が指揮官で善戦した位じゃね?戦死してるけど
会津は士道だの忠義だの御用作家の妄想の創作が酷いけど実際はただの弱藩 >>170
吉田茂の創作ってマジ?
なんで吉田茂が? 新スレ立たないしこれを新陰流の本スレということにしようぜ 福岡や佐賀(現在伝承されているか不明)の柳生新陰流って動画でしか見たことないけど尾張の新陰流と全然似てないね。発声するし。長い歴史の中で変化したのでしようか? 基は同じ新陰流でも、九州とか中国地方のは開祖の甥御さんの疋田伝の新陰流なんだっけ?
九州のタイ捨流開祖も石舟斎と同じく新陰流免状持ち
最後のひとりの香坂要ってどうしたんだろ? 流派もないし 香坂姓って事は武田に潰された
長野の方のヒトかね?? 強い弱いは流派ではなく中の人の才能100%
そして才能ある生徒を集めやすい流派が最強
そうなると徳川家御用達のブランドは強力なのさ 剣道ほどは稽古をしないし戦前の大日本武徳会がアメリカに潰されてから武道で食えなくなり、趣味になったから有名流派を稽古しても強くならない。
戦前でも仕事持ちの剣術家は刀振る芸人と言われていたので。
国井先生のようなバリバリの右翼で働かずに生活費出ていた人は別で強かったが。 強くなりたい若い人がここに習いに来る事は昔はともかく今は無いと思うから流派として強いという事は無いのかなと思う。 最後の名人柳生延春が亡くなって柳生新陰流も終わったね
残念 >>1
バカラ賭博でカジノ店経営者(大竹宏幸容疑者)逮捕
12月01日 19時22分
名古屋市の繁華街の雑居ビルの1室でバカラ賭博をさせていたとして、カジノ店の経営者の38歳の男が逮捕されました。
ことしだけで1億1000万円余りの不正な利益を得ていたということで、警察は一部が暴力団の資金源になっていた疑いもあるとみて捜査を進めています。
逮捕されたのは名古屋市千種区の会社社長、大竹宏幸容疑者(38)です。
警察によりますと大竹容疑者はことし7月、名古屋市の繁華街、錦3丁目にあるカジノ店「B」の店内で、トランプを使ったバカラ賭博をさせた疑いがもたれています。
警察は、ことし7月に営業中の店舗を捜索して、店の従業員と客あわせて10人を逮捕していて、その捜査の過程で経営者が大竹容疑者とわかったということです。
警察によりますとこのカジノ店は少なくとも4年前から営業していて、ことしに入ってから7月までの間に1億1500万円の不正な利益を得ていたということです。
警察は、店の売り上げの一部が暴力団の資金源になっていた疑いもあるとみて捜査を進めています。
警察は、大竹容疑者が容疑を認めているかどうか明らかにしていません。
「NHK NEWS より抜粋」
反社で半グレ犯罪者 伝統空手出身の大竹容疑者と仲良く記念撮影する元寸止め出身の堀口恭司くん
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コピペでお楽しみ中ヾ ^_^♪
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