今では世界最強の格闘技とされる、修験道界が伝承してきた古武術は、
忍術としてアメリカで流行していますが、正しい古い呼び方は遁甲であり、
その総本山は、遁甲をよく知る天武天皇が真人(公家)の筆頭に位置付けた、
息長氏の皇祖神を祭祀するお家・息長斎王家です。

このお家の鎌倉時代の歴史学者は、
一族に伝わる伝承や、
邪馬台国の卑弥呼は、魏に遣わした者に周王朝の官位を名乗らせていることを理由に、
卑弥呼もまた、黄帝ゆかりの姫の姓を受け継ぐ、
東夷の王族系の太陽信仰を司っていた日女(ひめ)巫女の王(後世の斎王)だった、
という説を唱えています。
邪馬台国の主要衛星都市国家と思われる伊都国の王は、天日矛の末裔を名乗っているため、
卑弥呼もまた天日矛に連なる、渡来系の東夷の王族だった可能性が高いようです。

日本書紀は、天照大神=神功皇后=卑弥呼?といわんばかりの書き方をしています。
これは、たとえ唐の侵略を受けて皇室が滅んでも、皇祖神の一族さえ残っていれば、
皇統の再興が可能と考えて、あえて真相をボカして仄めかすに留めたものと思われます。

大きく3つの家で構成される息長氏の斎王家は、
又従兄妹までの間でしか婚姻を行わないシキタリが現代まで残っているため、
古い時代の遺伝子をそのまま受け継いでいる可能性が極めて濃厚です。
鬼のような巨体を劣化させることなく維持しており、190センチを超える人ばかりです。
伝承どおり、父方がペルシャ系、母方は縄文系の遺伝子を持つことが分析の結果判明しています。
記紀神話の世界では、皇統は素戔嗚と天照大神の一族の誓約から生まれたとされますが、
男系の継承を重んじる皇室の祖先を女神とするのは、妻問婚の習慣ゆえとも言われています。