アメリカの人気テレビ番組ファイト・サイエンスも認定した
世界最強の格闘技、忍術=修験道界の格闘技のルーツは、役行者・小角とされます。

彼は、前鬼・後鬼という二匹の鬼を従えたとされる、半ば伝説化された謎の人物です。
現実には、役行者とは、河川の整備や農地開拓などをヤマト朝廷から請負い、
傘下の渡来氏族・秦氏の大集団を束ねて使役したところから付いたあだ名です。

秦氏のルーツは、山東半島の付け根付近に居留した、
蚩尤(兵主神)を奉斎したコーカソイド(インドヨーロッパ語族)のグループです。
秦人は柵外の人(万里の長城の外から来た異民族)という意味を持つ言葉です。
シルクロードの西から来た彼等の集落は
60%がコーカソイド(白人)だったことが判明しており、東夷とも呼ばれました。
『夷』の文字は大と弓を合成したものであり、
中国大陸東岸部に居留する、大柄で弓を引くのに長けた異民族を指す言葉です。
同族の孔子は身長が196cmもあったと伝えられています。
東夷は周王朝などを興したとされますが、怪力を出す筋肉質の巨体ゆえ飢饉には弱く、
地球規模の寒冷化に伴う飢饉とそれが原因で起こった黄巾の乱に始まる
戦国時代に大陸中央部に留まることが出来なかったため、
豊葦原瑞穂の国と呼ばれた、湿地(水田)が多かった日本に渡来しているのです。

山東半島の武器を製造するフイゴ(風)の神である蚩尤は、
東夷族(秦氏)が日本に持ち込んでからは天日矛と呼ばれましたが、
秦氏の王族は鼻が高く大柄で鬼のような外観をしていたため、
別名を都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)=角がある人のニックネームで呼ばれました。
これは、天日矛が中東で流行した牛角の兜を愛用したことによります。
都怒我(つぬが)は後世敦賀と転訛したため、敦賀駅前に彼の銅像が建っています。

秦氏=鬼のような人々を従えて使役し、水田を開拓して順次渡来入植していった、
彼等の歴史を伝説化したものが、役行者の前鬼・後鬼なのです。
蚩尤という暴風神は日本書紀には素戔嗚の名で登場して、
まるで台風の風水害を想わせるような大暴れをしたことで知られています。
八岐大蛇の体内から三種の神器の一つ草薙の剣を得たことでも有名で、武器の神の一面が見て取れます。