中国武術は実戦では使えないカス!2 [転載禁止]©2ch.net
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日清戦争と日中戦争で陸軍力は強くない少数の日本兵に、
人員力では圧倒的に勝る中国兵が完膚なきまでフルボッコにされたことで証明された。
白兵戦という究極の実戦で中国武術は役に立たないカスであることが。
『実戦性』
日本拳法、クラブ・マガ、システマ、エスクリマ、コマンドサンボ>>>>>>>>>>〈越えられない壁〉>>>>>>>>>>中国武術w
前スレ
中国武術は実戦では使えないカス!
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/budou/1322375535/ 中国の武術や拳法が強いという都市伝説はブルースリーがルーツでしょう。
彼の映画のヒットによって、アメリカで大量に中国拳法の道場が出来ました。
ところが、ブルースリーの死後、あっという間に姿を消していきました。
なぜかというと、
ブルースリーの格闘技は彼個人のニワカ造りの歴史が浅いものだったため、
あまりにも技の種類が少なく、
拳法の道場の体裁を維持できるような体系的な要素を持っていなかったからです。
たいして教えることがない道場が、
映画スターの没後も長期間存続できる筈がありません。
ブルースリー亡き後、アメリカで忍者映画がヒットすると、
多くの道場は日本の伝説的な武術とされる忍術に注目して、
中国拳法の道場の多くが忍術の道場へと姿を変えていきました。
今でも、戸隠流の忍術(そのルーツは修験道にある)は
CIAやFBIのトレーニングカリキュラムとして採用されています。
つまり、世界最強の格闘技は日本の修験道界が伝承してきたのです。
昔の本物の忍者は、すぐに正体がバレてしまうような忍者装束など着ていませんでした。
黒い装束はそのシルエットが闇の中で浮き上がって目立つのでナンセンスです。
現在忍者装束と呼ばれているものは、お百姓の野良着(仕事着)を黒く染めたものです。
本物の忍者は、修験者などの姿で修行と称して全国の山野を闊歩し諜報活動を行っていました。
つまり、忍者=旅の修験者や修行僧や歩き巫女などであり、
彼等が身に着けていた護身用の格闘技が忍術の本当の姿ということになります。 じつは、ブルースリーのヌンチャクは、
映画の小道具が何か欲しいと、彼が沖縄のある空手家俳優に相談した結果採用されたものです。
現実には、ヌンチャクは最弱武器の類で、実戦では物の役に立ちません。
中国大陸には、先端が様々な形状の長柄武器が存在します。
それらに向かってヌンチャクを振れば、一瞬で絡まります。
ヌンチャクは片手で持っていますが、多くの長柄武器は両手持ちです。
片手のヌンチャクと両手の長柄武器が絡まった状態で綱引きすれば、
簡単にヌンチャクを絡め取られて、その直後にグサッと刺されて終わりです。
奪い取れると分かっている人なら、一瞬でブルースリーを串刺しに瞬殺出来ます。
フレイルなどの、実用に耐える同系統の武器が、
両手で持つ使い方が可能な柄の長さになっているのには、理由があるわけです。
片手持ちの短いヌンチャクは、あくまでも護身用の簡易携帯武器であって、
合戦用の長柄武器を持って来られれば、トンファーのような実用性は期待できません。
ヌンチャクと違って沖縄発祥のトンファーが高い実用性を備えていることは、
アメリカの警察が採用して広く普及していることからも明らかです。
実用性の高いトンファーではなく、簡単にナンセンス武器と化してしまう、
ほとんど物の役に立たないものを選択して愛用してしまった時点で、
ブルースリーという俳優の格闘技に関する知識と経験が底の浅いものだった現実が、
武術・格闘技の専門家ならば一目で看破できます。
つまり、映画の作り話と現実の間には大きなギャップがあり、混同出来ないのです。
沖縄の空手家に相談して愛用の武器を決めている時点で、
そこには中国四千年の伝統の歴史など、存在しないことが明らかなのです。 アメリカの人気テレビ番組ファイト・サイエンスも認定した
世界最強の格闘技、忍術=修験道界の格闘技のルーツは、役行者・小角とされます。
彼は、前鬼・後鬼という二匹の鬼を従えたとされる、半ば伝説化された謎の人物です。
現実には、役行者とは、河川の整備や農地開拓などをヤマト朝廷から請負い、
傘下の渡来氏族・秦氏の大集団を束ねて使役したところから付いたあだ名です。
秦氏のルーツは、山東半島の付け根付近に居留した、
蚩尤(兵主神)を奉斎したコーカソイド(インドヨーロッパ語族)のグループです。
秦人は柵外の人(万里の長城の外から来た異民族)という意味を持つ言葉です。
シルクロードの西から来た彼等の集落は
60%がコーカソイド(白人)だったことが判明しており、東夷とも呼ばれました。
『夷』の文字は大と弓を合成したものであり、
中国大陸東岸部に居留する、大柄で弓を引くのに長けた異民族を指す言葉です。
同族の孔子は身長が196cmもあったと伝えられています。
東夷は周王朝などを興したとされますが、怪力を出す筋肉質の巨体ゆえ飢饉には弱く、
地球規模の寒冷化に伴う飢饉とそれが原因で起こった黄巾の乱に始まる
戦国時代に大陸中央部に留まることが出来なかったため、
豊葦原瑞穂の国と呼ばれた、湿地(水田)が多かった日本に渡来しているのです。
山東半島の武器を製造するフイゴ(風)の神である蚩尤は、
東夷族(秦氏)が日本に持ち込んでからは天日矛と呼ばれましたが、
秦氏の王族は鼻が高く大柄で鬼のような外観をしていたため、
別名を都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)=角がある人のニックネームで呼ばれました。
これは、天日矛が中東で流行した牛角の兜を愛用したことによります。
都怒我(つぬが)は後世敦賀と転訛したため、敦賀駅前に彼の銅像が建っています。
秦氏=鬼のような人々を従えて使役し、水田を開拓して順次渡来入植していった、
彼等の歴史を伝説化したものが、役行者の前鬼・後鬼なのです。
蚩尤という暴風神は日本書紀には素戔嗚の名で登場して、
まるで台風の風水害を想わせるような大暴れをしたことで知られています。
八岐大蛇の体内から三種の神器の一つ草薙の剣を得たことでも有名で、武器の神の一面が見て取れます。 つまり、今では世界最強とされる戸隠流忍術などのルーツとされる修験道界の格闘技は、
鬼呼ばわりされた東夷の王族、天日矛(素戔嗚)の一族が伝承していた門外不出の格闘技が、
民間へと広まっていったものなのです。
平安京を建設し、聖徳太子に仕えた秦氏の集団が奉じる天日矛は、
仏教と習合した後は、牛頭天王と呼ばれるようになります。
秦氏は大陸の伝染病(天然痘など)対策の知識(免疫を付ける種痘)も持っていたため、
牛頭天王は伝染病の流行を終わらせたことを高く評価されて、
京都を代表する祇園祭の主神として今も厚く信仰されています。
問題の世界最強の格闘技のを生み出したルーツとされる秦氏を率いた東夷の王族ですが、
この一族は日本書紀には息長氏の名で登場しています。
天武天皇が、皇統の最も貴い母方の家(天照大神のお家)として、
真人(公家)の筆頭に据えているのです。
日本書紀に登場する神功皇后は息長氏の出身で、祖先は天日矛とされます。
ヤマト朝廷は、百済や高句麗を滅ぼした唐が、日本をも侵略しかねないと考えて、
息長氏の斎王家(日の巫女の神道を伝える天照大神の神託を司る家)の存在を隠蔽しています。
じつは、一時期は天皇よりも権勢を振ったかに見える藤原氏の祖先は、
神功皇后の審神者(神託を告げる神事に従事する付き人)であり、
真人の筆頭とされる息長氏よりも格下の、神託の内容を天皇に告げる神使の家にすぎません。
つまり、藤原氏の権勢は背後に隠された息長氏の天照大神の虎の威を借りたものだったわけです。
渡来氏族の大集団・秦氏を従えた天日矛の一族直系が、皇祖神・天照大御神の一族です。 >>56
弟子のイノサントに見せてもらったフィリピンのタバクトヨクだろ
本人も「こんなのは実戦では・・・」と言っていたらしいぞ
リーがヌンチャクという言葉を知っていたかすら疑わしい 中国語で両節棍と書いてヌンチャクンと読むことから、
沖縄のヌンチャクのルーツが中国の両節棍と考えるのが妥当だが、
中国の両節棍と沖縄のヌンチャクはサイズも構造も用法も大きく異なる。
ブルースリーは当初日本の空手家俳優と相談してヌンチャクのことを知ったが、
空手の術理に準拠しない
フィリピンのタバクトヨクの技術をショーアップして見せたため、
映画の大ヒットとその後に起こったヌンチャクブームの裏で
ヌンチャクはあんな使い方をしないと、
空手家達から冷ややかな態度を取られていた。
見世物としては軽快なアクションを楽しめるものだったが
実戦で使えないものしか披露出来なかった時点で、
ブルースリーの中国拳法が底の浅いものだったことが分かる。
ショーアクションを下敷きとしたブルースリー愛好者系列の道場が維持できず、
日本の忍術のほうが高く評価されてアメリカで流行したのは当然の成り行きだろう。
日本では、忍者が使ったとされる怪しげな術の数々は架空のもの
というイメージが根強いため、忍術を武術と捉える人は少ないが、
修験道界が伝承していた古武術と正しく位置付けることで、
この間違った先入観に基づく認識を軌道修正することが可能になる。
本物の忍術の多くは門外不出とされてきたため、
忍者の巻物に記されて巷に流出して広まるようなことはなかった。
江戸幕府は、遁甲(忍術・兵法)に関する書を厳しく取り締まり焚書としていた。 今では世界最強の格闘技とされる、修験道界が伝承してきた古武術は、
忍術としてアメリカで流行していますが、正しい古い呼び方は遁甲であり、
その総本山は、遁甲をよく知る天武天皇が真人(公家)の筆頭に位置付けた、
息長氏の皇祖神を祭祀するお家・息長斎王家です。
このお家の鎌倉時代の歴史学者は、
一族に伝わる伝承や、
邪馬台国の卑弥呼は、魏に遣わした者に周王朝の官位を名乗らせていることを理由に、
卑弥呼もまた、黄帝ゆかりの姫の姓を受け継ぐ、
東夷の王族系の太陽信仰を司っていた日女(ひめ)巫女の王(後世の斎王)だった、
という説を唱えています。
邪馬台国の主要衛星都市国家と思われる伊都国の王は、天日矛の末裔を名乗っているため、
卑弥呼もまた天日矛に連なる、渡来系の東夷の王族だった可能性が高いようです。
日本書紀は、天照大神=神功皇后=卑弥呼?といわんばかりの書き方をしています。
これは、たとえ唐の侵略を受けて皇室が滅んでも、皇祖神の一族さえ残っていれば、
皇統の再興が可能と考えて、あえて真相をボカして仄めかすに留めたものと思われます。
大きく3つの家で構成される息長氏の斎王家は、
又従兄妹までの間でしか婚姻を行わないシキタリが現代まで残っているため、
古い時代の遺伝子をそのまま受け継いでいる可能性が極めて濃厚です。
鬼のような巨体を劣化させることなく維持しており、190センチを超える人ばかりです。
伝承どおり、父方がペルシャ系、母方は縄文系の遺伝子を持つことが分析の結果判明しています。
記紀神話の世界では、皇統は素戔嗚と天照大神の一族の誓約から生まれたとされますが、
男系の継承を重んじる皇室の祖先を女神とするのは、妻問婚の習慣ゆえとも言われています。 初日の出を拝んで天照大神の神託を告げる日拝の神事(奇日(くさか)神事)を司る、
皇室と藤原氏の背後に隠された、日の巫女の神道を母系継承する息長氏の斎王家では、
男子は胤を残す役割を担う者以外用がないため、14歳になると家を出されます。
男衆達は、昔は修験者の姿になって斎王家を守護する任に就いたり、
出家して僧侶になったり、医学その他を習得して学者になったり、
宮大工や武器を製造する職人になる者もいたようです。
息長氏の斎王家を取り巻く男衆が今では複数の私立大を運営しているのは、
そういった古い秘伝を伝承する家々が現代化した姿と考えられます。
修験者は言うまでもなく、役行者・小角系の、
現在の忍術に通じる格闘技の体系の伝承主体です。
修行と称して全国の山野を駆け巡って諜報活動を行っていたのが修験者で、
本物の忍者は一目で正体を見破られる真っ黒い忍者装束など着ていなかったようです。
天狗は人を化かすとか惑わすといった伝承が残りますが、
これは、息長氏の斎王家の宮がある隠し里を発見されないように、
また、非公開とされてきた奇日神事をはじめとして、
神聖な儀式が行われている霊場に余人が無闇に立ち入らないようにする目的で、
鼻が高く巨体で知られる彼等が、人々を遠ざけようと、
さまざまな威嚇行動を取ったものが、伝説化した結果と思われます。
息長氏の傘下の秦氏の寺院などに天狗面(秦河勝の舞楽面)などが残されていますが、
http://www.ako-minpo.jp/data/d00008/p834_0.jpg
これは、息長氏が祭祀を行うときに、人を遠ざける警備員達が、
一般人を威嚇して追い払うために、着用して武器を持って舞っていたもの、
という伝承が息長氏の斎王家に残っているようです。 息長氏の斎王家(東夷の王族)をルーツとする格闘技は、
皇室が伝承主体だった、記紀神話にも登場する手乞(てごい)としても知られます。
手乞とは、お手を乞う=「ちょっとお手を拝借」と言って、ヒシイで投げる技のことで、
ひしぐとは、関節を決めるような所作を指すらしく、
現代では、相撲や合気道として一般に広まって知られています。
じつは、門外不出とされている息長氏が伝承する手乞には、
体が鬼のように巨大な息長氏の男衆に適した、現代の相撲に通じる剛の体系と
体が柔軟な息長氏の女衆に適した、現代の合気道に通じる柔の体系の、二系統が存在します。
相撲のほうは説明の必要がないと思いますが、
合気道のほうは、何やら神秘(オカルト)めいた“気”というものが介在するため、
神通力?のような怪しい格闘技?の印象が付きまとっています。
なにしろ、触れるだけで相手を無力化してしまうのですから、
インチキ?のように受け取る人が多くても仕方がないようです。
じつは、気を用いるこの系統の技を習得するのは容易ではないため、
FBIなどは機械的に脳の運動機能をマヒさせる現象を再現するために、
マイオトロンといったパルス刺激系の特殊スタンガンを開発したようです。
本物の手乞の柔の技の体系は、精神感化の一種と判明しつつあります。
ですから、感化されなければかからないわけで、
人によってマチマチですが、
つま先を持ち上げる、口の中で舌を横にちょっとずらす、といった、
体内に余計な“感覚要素”を作るちょっとした工夫で、
ある程度までならば技を回避出来ることが知られています。
もちろん、それでも高段者の技にはかかってしまい、
体が思うように動かない状態に陥ることがよくあります。 天狗は人を化かす(騙す)、という言い伝えの正体が、
息長氏の斎王家を守護する男衆達の、宮や祭祀の場から人を遠ざける、
威嚇行動だったことはすでに触れました。
では、天狗の隠れ蓑の正体とは何でしょうか?
大柄な息長氏の斎王家出身の男衆が、蓑を被ったぐらいで姿を覆い隠せるとは思えません。
大勢で山狩りをして間者(忍者)を駆逐していた猟師を含む人々なら、
蓑を被って隠れている人間など容易に見破ってしまうので、実用に耐える忍法とは言えません。
じつは、息長氏の斎王家の方々は、強力な精神感化の資質を御持ちなので、
天照大神と精神を一つにして(神憑りして)神託を下す祭祀を行っているときの彼等を
一般人が見ると足に震えが来て、とても立ってはいられない状態になります。
神が畏れ多いとされ、神前で跪いて平身低頭するシキタリが生まれた理由がここにあります。
息長氏の斎王家の御宗主様によると、
失立・失歩・失目・失禁・失神という一連の言葉が伝わっているそうです。
失立は、熊と出会って腰が抜けて立てなくなるのと同様の状態。
失歩は、恐怖のあまりフリーズして身動きできなくなる状態。
失目は、精神的ショックを受けて、一時的に目の前が真っ暗になる状態。
失禁と失神は説明するまでもないでしょう。
これらのヒステリー症状が、息長氏の斎王家の男衆(天狗)が伝承する忍法と
密接な関係を持っていることが、斎王家の御宗主様のレクチャーによって明かにされています。 失立・失歩・失目・失禁・失神といったヒステリー症状は、オカルト現象ではありません。
祭祀を司る、生き神扱いの日向の日女(姫)神(日女巫女)の御神威とする解釈が昔からありますが、
宗教的要素とは関係なく、人は恐怖すると腰が抜けたり体が動かなくなり、
場合によっては失禁したり失神もする生き物です。
恐怖に駆られると、心臓が激しく鼓動しているにもかかわらず、顔が真っ青になります。
このとき、心臓から送り出された大量の血液は、四肢の筋肉に送られています。
しかし、頭部への血流は逆に低下して、顔が青くなっていくのです。
全力疾走で猛獣から逃げるために必要なエネルギーを筋肉に送るために、
頭部や脳に行く血流を急激に低下させる体の反射的な仕組みが存在します。
その結果、多くの哺乳動物は、運が良ければ命が助かることもあるわけですが、
脳が肥大化している人間の場合は、脳に行く血流の低下は思わぬ副作用をもたらします。
脳貧血によって、運動機能が一時的な障害を受けると、腰が抜けて立てなくなったりするのです。
恐怖で体が動かなくなるのは、脳機能の一時的な低下に伴う運動障害です。
目の前が真っ暗になるのも、脳の視覚野に行く血液の減少が原因で、黒内障とも呼ばれます。
失禁や失神も、言うまでもなく脳貧血の結果です。
古くから畏れ多いとされてきた、神と精神を一つにした状態の斎女(高位の巫女)を前にすると、
その常人離れした精神的テンションの異様な高さに過剰なプレッシャーを感じて、
精神感化によって恐怖で鳥肌が立って、胆力がない者は強いヒステリー症状を体験するため、
高貴な人は御簾を降ろして御姿を隠す慣習があり、神事が非公開とされてきたわけです。
神聖な儀式の最中に失禁の粗相があってはならないので、
天狗に扮した男衆達が、祭祀の場に一般人が近付かないように警護していたわけです。 ここまで解説すれば、天狗の隠れ蓑という謎めいた忍術?の正体について、
察しの良い人はすでにお気付きと思います。
つまり、息長氏の斎王家の御宗主であらせられる、日の巫女の王(斎王)だけでなく、
男衆も、失立・失歩・失目・失禁・失神といった精神感化を引き起こす資質を有しており、
天狗を見たと認識した恐怖のあまり失目状態に陥った人々は、一時的に目の前が真っ暗になって、
息長氏の男衆が扮した天狗の姿が見えなくなっていたわけです。
こういったものが、忍者が用いたとされる、謎が多い忍法の本当の正体です。
現実に起こり得ない作り話ではなく、西洋医学の視点からも解説可能な現象なのです。
高度な合気道の技の多くも、体に力が入らなくなる系統のもので構成されており、
“気”という定義が曖昧な特殊な概念を想定しなければ説明がつかないような、
非科学的なオカルト現象の類ではありません。
ミラーニューロンが介在する精神感化系の技と判明しています。
医学を知らない昔の人々は、脳貧血や脳神経の外乱が起こっているといった理屈が分からなかったため、
修験道界や陰陽師に伝わる神通力?神威?と、
技を使う側も技に掛かる側も思い込んで使っていたようです。
そのため、怪しげな術の体系が存在するという、現実から乖離した天狗の伝説が生まれたわけです。
息長氏の斎王家の女衆が怖ろしいのは、精神感化に秀でているため、
腕力とは関係なく、合気道の技を使って腕相撲などに簡単に勝ってしまうことです。
4歳の女児が身長197センチ体重160キロを超える大男に腕相撲で勝つのを見て、
理屈が分からなければ、何かの冗談?インチキ?と考えるのが当たり前だと思います。
しかし、今日の合気道にも通じる手乞の技として見れば、誰でも習えば可能になることなのです。
したがって、息長氏の斎王家の巫女様達が、説明がつかない神通力を備えていると考えるのは迷信です。 脳の視覚野に行く血流が低下した結果起こる、失目という精神感化現象は、
西洋医学では黒内障と呼ばれています。
この症状に陥ると、視覚が一部分暗く欠けたり、すべて失われるだけでなく、
恐怖の対象だけが見えない、といった逃避系の症状を体験することもあります。
これが、天狗(修験者姿をした秦氏の忍者衆)の隠れ蓑の正体です。
それだけでなく、黒内障の症状が出ると真っ直ぐに歩けなくなることがあります。
本人は真っ直ぐ進もうとしているのに、結果的に斜めに歩いてしまう、
といった運動障害を伴うケースがあることも知られています。
恐怖の対象を弓で射ろうとしても、良く見えず、違う方向に向かって弓を射てしまい、
まったく当たらないといった事も起こり得ます。
このような一見すると不可解な現象を体験した昔の人々は、
天狗に化かされた、怪しげな術にかけられた、鬼の祟りだ、忍者の忍法だ、
などなど、その場で思い付いた適当な解釈で、伝説を生み出していったわけです。
相撲や戸隠流の忍術が、物理的な格闘技としてかなり優れていることは明らかですが、
そこに精神感化系の技が加わると、
現代のただの中国拳法の達人レベルでは、到底太刀打ち不可能です。
身長197センチ体重160キロを超える、骨太で筋肉質の、
ストロンゲストマン・コンテスト優勝クラスの鬼のような体格の人が、
相撲や修験道の体術を極めたうえで、忍法まで使うとなると、もはや最強!です。
アメリカのテレビ番組ファイト・サイエンスでは、忍者のデスパンチが最強!
という結論を出していましたが、
指先一つの軽い衝撃で神経系に偽情報を与えて、心拍を低下・停止させる、
北斗の拳の元ネタになった息長氏の斎王家が伝承する必殺奥義系の忍術も存在します。 アメリカのテレビ番組ファイト・サイエンスで紹介された忍者のデスパンチは、
日本のテレビでもとりあげられたことがあり、一時期ユーチューブでも紹介されていました。
胸を軽い力でポンと叩くだけで、心拍数が低下して脳貧血が起こって動けなくなり、
気絶したり、場合によっては心停止に至り、蘇生処置を施さずに数分間放置すれば最悪脳死に至ります。
ヘーリング・ブロイウェル反射などとも深く関係している体の反応を、武術へと応用したものです。
サッカーボールを胸に受けたときの軽い衝撃で引き起こされることもあり、
スポーツ事故の報告例も幾つかあります。
したがって、マンガなどの創作物由来のアリエナイ系の作り話ではありません。
巨体で知られる息長氏の斎王家の男衆ならば、
指先一つで軽く胸を押す程度の打撃で、容易にこの反応を引き出して、
相手を昏倒させたり、心停止に至らしめることも可能です。
通しの手法(柔らかい掌などを使って波長の長い打撃を入れる)で甲冑の上から衝撃を加えれば、
屈強な鎧武者すら素手の軽い打突の一撃で簡単に倒すことが可能なようです。
つまり、どう見てもマンガの北斗の拳のモデルになった技の体系に見えるのです。
じつは、天皇=夜の天界を統べる天皇大帝は、北辰(北極星)信仰の対象で、
北斗七星に対する信仰とも密接に繋がっています。
つまり北斗神拳のモデルは皇室が伝承する古武術(手乞/テゴイ)にあり、
皇室は息長氏の斎王家に妻問婚した家、現代風に言えば入り婿の分家ということになります。
(※男系の継承を重んじる皇室の祖先が女神の天照大神とされるのは、これが理由です)
ですから、リアル北斗神拳のルーツは母系社会の痕跡が今も残る息長氏の斎王家ということになります。
息長斎王家を総本山として、息長の男衆から日本の修験道界に伝わっていった古武術が、
アメリカで起こった忍者映画のブームとともに広まって、
人気テレビ番組で放送されてアメリカ人の間で周知されるに至っているのが現状です。
とはいえ、この技によって昏倒した人を蘇生させる適切な処置方法を知らないまま使って
数分間脳への血流が滞ると脳の機能障害や最悪脳死事故に至る可能性があるため、
アメリカの忍術の道場でも秘伝扱いで、誰にでも教えているわけではないようです。 精神感化系の遠当ての技を用いれば、触れもせずにヒステリーの諸症状を引き起こせるため、
忍者のデスパンチ系の技は、日本の修験道界の術者の間では、
胆力を鍛えた精神感化に抵抗力を持つ相手にしか使われず、出番は多くないようです。
自律神経や迷走神経の機能と深く関わっている体の反応なので、
丹田(腹部にある太陽神経叢)を鍛えて、何事にも動じない胆力を身につけることで、
この種の攻撃に対してある程度までなら抵抗力を持つことが可能になります。
息長氏の斎王家が執り行う、初日の出を拝む奇日(クサカ)神事などに列席するには、
精神修養を積んで、胆力を十分に鍛えている必要があります。
崇敬会に属していても、斎王家の御宗主様と御簾を上げた状態で目通りできるのは、
必要十分な胆力を備えた者に限られるわけです。
人間を含む高等動物の多くは、他の個体の優れた体と脳の使い方をその仕草を観察して学習するために、
ミラーニューロンを備えていますが、精神感化の諸現象はこの機能の過剰反応によって起こります。
トランス状態(脳のリミッターを外した状態)に移行して天照大神の神格を宿した斎王(日の巫女の王)の
優雅で神秘的な立ち居振る舞いに、見た人々のミラーニューロンが反応すると、
その常人離れした脳の使い方を模倣しようにも、脳に過剰な負荷がかかって到底不可能と感じてしまい、
その過大なプレッシャーが強い畏怖の感覚として表面化するのです。
脳のリミッターが外れると瞬間的に火事場パワーが発揮できることなどが知られていますが、
その代わり、筋肉が過剰な力を出しすぎて損傷するため、酷い使い痛みになったり、筋肉を傷めることがあります。
そこで、平常時はリミッターによって保護されているわけです。
脳のリミッターは脳神経が細胞単位で過労死するのを防ぐ役割も担っているため、
これを外した斎王の、常人離れした天照大神の立ち居振る舞いを見て感化を受けると、
脳が壊れることに対する本能的な恐怖から、ヒステリー系の諸症状が出てしまうのです。
これが、神憑りした高位の巫女が畏れ多い存在とされてきた、御神威の正体です。 脳細胞に過負荷がかかったとき、細胞単位の過労死を防ぐには、脳を冷やすのが効果的です。
人間ほど脳が肥大化していない猿は、汗腺をほとんど持っていませんが、
人は体表面の毛を取り除いて体の保温性を捨ててまで、汗腺を発達させて、
体の表面全体を使って効率良く脳を冷却できるように進化しているのです。
日本を導く叡智を天皇に授けるために、
天照大神の神託を下す神事を代々担当していた斎王(高位の巫女)は、
トランス状態に移行して脳のリミッターを外してでも、
国の行く末を左右する優れた神託を得ることが求められてきました。
リミッターを外せば、とうぜん脳の機能は一時的に高まりますが、
脳細胞に過大な負荷がかかる危険な状態になります。
それを胆力がない一般人が見ると、ミラーニューロンが反応して同様に脳に強い負荷が加わり、
脳が細胞単位で死んで壊れることに対する、強い本能的な恐怖心が生じます。
結果、脳を保護する目的で、自然にヒステリー系の転換反応(逃避的反応)が起こるのです。
脳のリミッターを外しても、容易に脳細胞がダメージを受けないようにするには、
体の表面全体を使って効率よく脳を冷やす訓練を積んでおく必要があります。
そのため神道界には、冷水を頭からかぶる禊と呼ばれる修行法の体系が伝わっています。
冷たい滝の水に打たれる精神鍛練の修行も、じつは脳冷却を主目的の一つとして存在するのです。
修行が不十分なニワカ宗教家がトランス状態に移行して脳のリミッターを外して
天照大神の神格に移行する神事の真似事をすると、脳が呆気なくオーバーヒートしてしまい、
精神が錯乱して世迷い事を口走る状況に陥ることがあるようです。
神憑り=精神疾患という間違った認識は、修行不足の宗教家達が原因で広まったものだそうです。
もちろん、神道界に伝わる正しい修行を幼少時から積んでいる息長斎王家の高位の巫女達は、
脳のリミッターを外して自己催眠を用いて神の人格へと移行(トランス)しても、
脳の機能に支障を来たすことはなく、優れた懸案解決の妙案を神託として下すことが可能です。
しかし、その脳の使い方は一般人から見ると尋常ならざるものなので、
本能的に発狂の恐怖を感じさせる畏怖の対象とみなされてきたのが実情というわけです。 息長氏の斎王家の斎女(高位の巫女)様達は、たいへんな汗っかきの御体質です。
少し室温が高いだけで、全身から汗が滴り落ちてしまうので、
気温が高くなると、常に扇を用いているようです。
脳冷却を必要とする家業を伝承しているので、そのような体質に進化していて当然と思います。
日本の蒸し暑い夏は大の苦手らしく、好んで標高が高い山中にお住まいになります。
高天原という言葉は、そこから生じたものです。
約7千年前に、阿蘇山よりも大きなカルデラを形成している
九州南方にある鬼界カルデラの海底火山が大噴火したことが、火山灰の地層から分かっています。
日本列島は噴煙で日が陰り、合わせて降灰の影響で農作物や木の実が得られない大飢饉が起こり、
九州から青森県まで避難した後に、丸木の双胴船を作って海外脱出した人々が大勢いたことが、
考古学的な発掘の成果から分かってきています。
この時中国大陸東岸部へと疎開したのが、息長氏の斎王家の母系の祖先(天照大神奉斎集団)です。
山東半島の付け根付近でシルクロードの西から来たコーカソイド(素戔嗚奉斎集団)の一族と混血して
東夷の王族(皇祖の一族)が形成され、集落を築いていったと考えられています。
神話や故老の話だけでなく、DNAの分析結果もこのストーリーと矛盾しないそうです。
大変な汗っかきの体質ですから、大陸でも彼女達は高地に住みたがり、
高句麗国発祥の地とされる五女山城という、
標高5百mのテーブルマウンテンを高天原としていた時代があったそうです。
日本へと里帰りした後に構えた高天原の一つは、丹生都比売神社が建つ標高4百mの高台だったそうです。
現在の西宮の斎宮が建っている芦屋市六甲奥池住宅地も、標高5百mの高台にあります。
六甲奥池の西宮の斎宮は、火災や土石流災害が多い地域ということもあって、
大半が地下施設になっているらしく、内部に奥池の水が流れ落ちる大瀑布があり、
滝を龍に見立てて昔から別名を乙姫(おとひめ/弟姫=妹姫)の竜宮城と呼ばれてきたそうです。
つまり、神宮の内部空間にも神道系の修行が出来る、涼しい滝の施設があるわけです。 骨太・筋肉質の巨体ゆえに大喰らいでカロリー食いの東夷の王族の多くは、
黄巾の乱とその後の大戦乱の原因となった飢饉が深刻な大陸中心部に残ることができず、
海の幸に頼りながら日本へと帰化(里帰り)しましたが、一部はなんとか大陸に踏み止まったようです。
息長氏の斎王家の御宗主・明姫様によると、
その一つが大陸の(朝鮮半島ではない!)高句麗国の王家だそうです。
高句麗語は日本語と数詞が完全に一致するほか(現代の朝鮮半島の言葉は一致しない!)、
高句麗国も日本の応神王朝と同じく、国母神とその息子の祖王を二霊廟を並設して祀り、
妻問婚という、倭人系特有の婚姻の慣習を持っていたようです。
言語も宗教も婚姻のシステムも共通性が見られるなら、ほぼ同族と考えて良いと思われます。
それだけでなく、本来の高天原は高句麗国発祥の地である桓仁の五女山城址(ユネスコ指定)にあった、
という伝承が息長氏の斎王家に残っていることからも、同じ東夷族と見てよいと思います。
高句麗国も古墳が多く存在し、日本の古墳時代と深い結びつきがあったことが考古学的に判明しています。
高句麗が滅ぶと王族の大半が日本に亡命しましたが、一部の血脈は渤海を経て女真族に受け継がれたらしく、
やがて勢力を盛り返して、最後には漢民族を圧倒して清という国を興し、
中国全土を平定してしまいます。
つまり、孔子の教えに始まる義を重んじる武の文化を育んだ東夷族は、
アジア大陸東部で最強の種族ということが、歴史的事実として実証されているわけです。
それだけでなく、漢字を生み出したのも東夷族だったという説が有力視されています。
殷墟などの発掘結果をもとにした、物証を踏まえた見解です。
漢字は、言葉が通じない者同士が筆談によって商取引を行ったことが発端となって広まった、
という説が有力視されてますが、これが正しいとすれば、
かつてシルクロードの西から来たコーカソイドが形成した東夷族の集落とも繋がってきます。 中国数千年の武術と、それを伝承する最強の東夷の血統は日本に渡来しており、
残念ながら今の中国大陸には残っていないようです。
例外的に、チベット方面に疎開した東夷の人々の末裔がいて、
血が薄まってはいるものの、丹の村などに住んでいるようです。
というのは、丹の村出身のアランという中国人歌手の顔が、
息長氏の斎王家の女衆の方々とよく似ているからです。
神功皇后の想像図は、明治に発行され最初に肖像が印刷された壱円札に見ることができ、
モデルとされる大蔵省の東洋的な顔立ちの女性局員よりも
ずっと西洋的な要素を持つ縄文美人として描かれています。
じつは、本当の神功皇后の肖像画のモデルは、息長氏の斎王家の女性と聞いています。
父系(素戔嗚)がコーカソイドなので、洋風に見えて当然と思います。
分家が息長丹生真人氏を名乗り、琵琶湖東岸に古墳群を残していることから分かるように、
丹(水銀朱・日の丸の色)と深い関わりを持っており、
丹の村出身のアランという歌手は、血筋が繋がっている可能性が高いようです。
アジア人でもやや彫が深い、縄文系の整形不要美人に属すると考えて差し支えないと思います。
中国大陸に残らなかったものが、息長一族と修験道界の形で日本に残り、
そこから、相撲や合気道や忍術といった国風文化として再構成されて広まって、
今ではファイト・サイエンスが世界最強の格闘技は忍術と認定するに至り、
FBIやCIAまでが、戸隠流忍術を世界最強の格闘技とみなして、
その習得カリキュラムを採用している状況にあるようです。 ファイト・サイエンスはあくまでもアメリカの娯楽番組。
世界の色々な武器を比較した回を見れば分かるとおり太陽と北風の童話式の比較で片寄った結論を出すナンセンス番組。 >>75
CIAやFBIやアメリカの警察の専門家まで、
ナンセンスな判断をしていると主張できなければ、
その論は通らない。
ファイトサイエンスの製作スタッフ達は、
独自の判断で奇をてらった結論へと視聴者を誘導する、偏向報道を試みているわけではなく、
アメリカの格闘技界の専門家達の見解を後追いして、番組としてまとめているにすぎない。
つまりネットで言えば、ウィキペディアと似たようなものだ。
日本では一笑に付されかねない『最強の格闘技は忍術!』という論が、
本格的な格闘技を修得して、実戦で用いた体験を持つ軍人が多いアメリカで、堂々と通用するのは、
テレビ番組の影響ではない。
映画の忍者ブームが火付け役だが、もしも、空手や柔道その他の有名な格闘技に比べて忍術が、
中身がない紛い物だったなら、
ブルース・リー系の道場と同じように、一時的なブームが起こっても短命に終わっただろう。
そうではなく、CIAやFBIやアメリカの警察官の間で高く評価されている事実からも、
実戦で使える優れた技の体系が存在することが見て取れる。
そして、そのルーツは中国大陸の東夷族にあったことが、歴史的事実として浮かび上がってくる。
問題は、現在の中国ではなぜその伝統が受け継がれておらず、情けない状態にあるのか、という点だ。
本格的に格闘技に関する歴史を研究をしている多くの人々が、
これを不可解と知りつつも、上手く説明できないケースが多い。
したがって、この場を借りた長文による丁寧な解説が必要となる。 日本の沖縄が発信源と言っていい、アメリカの警察で広く採用されているトンファーも
世界的に高い評価を受けていると考えていいと思います。
しかしじつは、トンファーや手裏剣や日本刀などよりも、
遥かに強力な武器が日本には存在します。
それは、五月人形の横に置かれることでも知られる打根です。
一見すると矢のような形をしていますが、槍のような太さがあり、尻に紐が付いるため、
振り回し、投げて、突いて、斬って、絡め取ってと、
遠中近の距離に応じた変幻自在の戦闘が可能な武器です。
今でこそ使い手はほとんどいなくなりましたが、
江戸時代は参勤交代の大名の駕籠に必ずといっていいほど置かれていた護身用の装備です。
この打根の使い方は、弓術の一派がかろうじて伝承しているものの、
それは失伝後に再構成されたものという見方もあります。
息長氏の斎王家が伝える武術は、門外不出とされて直接紹介出来ないそうですが、
3DCGに置き換えたものを、SecondLifeというメタバース(仮想世界)で公開し、
息長氏の斎王家の御宗主・明姫様が御自らモーション・キャプチャーでアバターを動かして、
技の一端を御披露下さったことがあります。
領巾(天の羽衣のような女性が用いるストール)を用いた印地、
忍者の隠し武器として知られる微塵(ボーラ)、
今では使い方が謎とされるチャクラム(法輪)も、
打根とある程度共通する使い方が可能だそうです。 印地とは、石を投げる技全般を指す古語のようですが、
合戦の後大量の死体を集団埋葬した跡から
投石で死亡したと思われる人骨が多数見つかっていることから、
かつて日本ではかなり普及していたと考えられています。
印地は、直接手で石を握って投げるだけでなく、
領巾(天の羽衣のような女性が用いる護身用のストール)や
手拭いに引っ掛けて振り回して殴打したり、投げたり、
布で絡めて捕縛するといった使い方もあります。
微塵(ボーラ)もまた、投げるだけでなく分銅鎖のように扱う方法があり、
印地や打根とも共通する動きが見て取れました。
じつは、チャクラムも紐やストールを用いて振り回す、似たような使い方があり、
そのほうが遥かに武器として有効で、ダメージを与えやすいように見えました。
チャクラムの使い方は一般には謎とされており、
輪の中に突き立てた人差し指を入れて、クルクル回してから投げたとか、
フリスビーのように扱ったとも言われていますが、
それでは強く投げることが難しいため、実用的な武器とは考えにくく、
多くの専門家がそれらの説を疑問視して来たようです。
暴風の激しい音に由来する名を持つ素戔嗚は、
インドの暴風神のルドラやシヴァと共通した特徴を備えており、
シルクロードの西から伝来したことが分かります。
そのため、素戔嗚(天日矛・蚩尤)の直系の子孫とされる
息長氏の斎王家の明姫様は、インドの古い武器の扱い方も伝承しているようです。
SecondLifeの祇園の神社が置かれていたSIMでアバターをモーションキャプチャーで操って、
チャクラム(法輪)の使い方を実演して下さったことがあります。 息長氏の斎王家に伝わるチャクラムを扱う体の動きを見て驚いたのは、
輪の中に指を突っ込んで回して投げるような、
お伽話の伝説の使い方とはまるで異なっていた点です。
輪に革帯を通して、そこに紐やストールを括り付けて釣り下げて携帯し、
そのまま紐やストールを持って振り回すのです。
投げる使い方もありますが、それよりも振り回す使い方が主のようです。
分銅鎖に、錘ではなく刃が付いた状態と考えれば分かりやすいと思います。
あるいは、領巾や手ぬぐいに石を引っ掛けて振り回して殴打する印地の動きのまま、
円盤状の刃物を振りまわしている、と表現することも出来ます。
そのため、普通の服を着ている状態では、錘で叩かれる以上にダメージを受けてしまい、
剃刀のような切れ味が首などに入れば即致命傷という気がします。
まるでヨーヨーのように間合いが変幻自在に変化するようにも見えるだけでなく、
剣や盾で防御しようにも、受けると輪が後ろに回り込んで斬り付けてくるため、
非常に厄介な代物だと思います。
しかし、武器の跳ね返りが予想できない未熟な使用者の体も切れるので危険です。
また、甲冑を着込んだ相手を斬ることは難しく、
打根と比較して、たいしてダメージが入らない印象を受けます。
防具が発達していなかった時代は、戦闘で有効だった武器が、
甲冑の進化と共に陳腐化していき、
そのため使い方が伝承されず、インドの神話の世界の武器に成り果てた、
と考えるのが、どうやら妥当のようです。
現代の息長氏の斎王家でも、法輪は実用的な護身用の武器ではなく、神器扱いのようです。 中国武術界では、三節棍が優勝武器とされることも多いようです。
刀剣の類で攻撃を受け止めることが困難で、一方的に攻撃され続けて逃げ惑ううちに、
したたか打ちのめされて敗れ去ることが多いようです。
しかし、三節棍は鎧を着ていればある程度衝撃が緩和されてしまい、
一撃で致命傷を負わせることが困難な武器のようです。
その点、手裏剣などより遥かに重量がある打根は、鎧の上からでも槍のように貫通し、
鎧の隙間を狙えば致命傷を与えることも容易と思われます。
さらに、息長氏の斎王家に伝わる打根は、
通常の槍先とは異なる、竹槍に通じる特殊な秘伝の形状をしており、
息長氏の男衆が経営する私立医大の外科医の教授によると、
斜めにパイプをカットした形状の内部に蜜蝋を使って封入した毒物を
突き刺すことで体内に効率良く注入することが可能なため、
軽い刺し傷程度のヒットでも、致命的なダメージを与えることが可能との見解です。
じつは、矢先にも同じような細工が施されたものがあり、
現代人はただの透かし彫りの模様のようにしか解釈していないが、
単純に体に風穴が開くだけの銃弾を上回る殺傷力を有しているようです。
昔の人はそれらを、フイゴの神・蚩尤の御神威と解釈していたようですが、
仕組みさえ分かってしまえば、オカルト発想を持ち出す必要はないわけです。 というわけで、
最強格闘技は忍術、最強武器は打根あたりでファイナル・アンサーのようです。
剣道の高段者でも、打根が相手だと、ほとんど手も足も出ないようです。
槍や薙刀が届かない距離からグサッとなるので、
長柄武器も打根の前ではあまり意味がありません。
さらに、息長氏の斎王家には、返し矢の技が伝わっており、
通常の矢は余裕で空中でキャッチされて、投げ返されてしまいます。
もちろん、神威に伴う黒内障の症状が現れると、矢も鉄砲もまともに当たらないため、
まともな戦闘自体が成立しなかったようです。
日本の並み居る豪族を征して皇室の祖となり、中国大陸を征して清帝国の祖先となった、
古代の豪傑のなかでも最強クラスの東夷の王族の子孫が、
世界最強の武術を伝承していても、なんら不思議はないと思います。
最強であることをすでに歴史的事実が証明済みなのですから。
それを、FBIやCIAが認め、
ファイト・サイエンスなどのテレビ番組を通して
アメリカ国民の間では周知の事実になっていることは、当然の結果だと思います。
このことをハッキリ認識できておらず、現実を見誤ってきたのは一般的な多くの日本人のほうです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています