立禅・站椿マラソン
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>>196
殴り合いで実力をはかるかわりに
多分腹をだして殴ってみなさいと言って殴る
攻守交代して腹を殴るって感じで強さをはかってたんじゃないかな
メンツを重んじるから腹の殴り合いで弱い方はなんとなくメンツを立てて退くって感じだと思う
こう考えると色々と辻褄があうんだよね
腹で相手をはじき飛ばしたって逸話けっこうあるし
妙にパンチがテレフォンなのもそうだし中段突きがおおいし
速度より威力を重視してるし
もちろん組み手みたいなのも想定してたと思うけど
実際は腹の殴り合いがメインかなと思う >>194
韓星垣って1983年に亡くなっている筈。
いつスーパーしたんだ?
王玉芳って、文革の時足を銃で撃たれて不自由の筈。
そんな人にスーパーで勝ってうれしいか? スーパーで勝つってなんだよwww
特売品の取り合いでもするのかよwww >スーパーで勝つってなんだよwww
>特売品の取り合いでもするのかよwww
2ch特有の中二病か?
言葉尻だけで鬼の首でも取った気のバカ 中二病www
使い方間違ってね?
つーかスーパーって何よwww スーパーで勝つってw
笑いが止まらない(*^m^*) 一度ならまだしも二度間違っているからな
マジで今までスパーの事をスーパーだと思って生きてきた可能性がある 20分ぐらいじゃ効果ないかな?
最近時間がとれなくて最高で20分なんだよね お前は分刻みでスケジュールが管理されている宮様か何かか?
まさか24時間中20分しか自由時間が無いなんて事は無いよなぁ? >>207
君は他の格闘技かスポーツをやった方がいいと思う。 >>197
俺もそう思う。
中国人は面子を重視するけど、キレると何でもアリになるのはヨウツベの中国人のケンカをみてもわかる。
とにかく勝つためには大人数、武器携帯、そして容赦がない。
だから、キレる前の状態で面子がさほど損なわれない段階で結果を出さなければいけないのだと思う。 立つ時間あったら
スパーリングでもした方がいいんじゃね? タントウ・立禅は感覚と地力をつけていく練習。
スパーリングは総合的に試す練習。
それをどちらかだけやっていればいいとか、武道武術の経験がないのか? >>218 養生班か技撃班か、中国人班か外国人班かによる。 北京の意拳道場に日本の総合ジムの人間が行ったら総ナメ出来る。 ライタイとか出てる伝統拳は総合格闘技としてもわりと高いレベルにあるんだぞ といううか実際総合セミプロの胴締めがライタイでうぃんちゅんの人に負けてたよね
それで総合や胴締めが弱いなんて言うつもりはないけど 王向斉が生きてても技術更新しなかったら寝技に引き込まれてあっけなく負けるよ
寝技が無い時点で中国拳法はきつすぎるよ まあ寝技(寝ての関節技)は日本が発祥だけどね
レスリングは寝ての関節技は無いし 立禅なんてやってる中拳の先輩方はだいたい寝技なんか想定して来てないからな
柔道で転がされてからの寝技は地味だけど恐ろしいぞ。
中国のものって大雑把だもんな シュアイジャオってレスリング式の中国武術があるので・・・
八極だと脇しめてから両手をぐっと下におろす動作とかあるけどタックル切りからの関節狙いだったりします
別にタックル切りって決まってるわけじゃなく頭下げてきた相手への対処全般を抽象化?して型にしたものだけど
大気は知らんが 最近どうしてか立禅始めたんだけどまだ10分がやっと
ヨーガのお陰で肩の力の抜き方がやっとできるようになったが、
膝や足首はなかなか脱力できない
いつも首が右に倒れるように曲がっていて、立っていても右足ばかり痛くなるので
やはり中心位置がずれてるのだろうと、足に体重の配分が偏らないようにかけたり
しているのだけど、これで間違ってないのだろうか? >>228
受け身の取れない投げで頭から落とす
転がした瞬間に靴を履いた足で踏む
とかの方がシンプルで実用的だからな〜 自主練ように使わせていただきます。
今日は雨なので室内で30分。 姚老師のタントウが月刊フルコンタクトKARATEで解説されていたけど、日本の太気拳と違って棒立ちに近いんだよな。肘も真横に張ってないし。 >>235
昔、姚先生の系統の意拳を学んだことがあるんだけど
鍛錬の目的別に数種類のタントウが存在していてあれはそのうちのひとつ
低い姿勢のタントウとかは別にあるよ 道元禅師の説かれる教えは、一言でいえば『坐禅の宗教』です。
その坐禅も一般にいう精神を統一するというレベルではなく、坐禅を「禅」そのものにまで昇華され、坐禅を「参禅」と示され「只管打坐」の坐禅を標榜されます。
只管打坐とは、無所得(何かを得ようとしない)・無所悟(さとりを期待しない)の坐禅ということであり、只、坐禅するのです。
健康の為に坐るとか、肚(はら)を練るためにすわるとかは「有所得」の坐禅となり、サトルために坐禅するということもエゴ坐禅としてしりぞけられるのです。 >>238
坐禅とは宗教色のない宗教。
だからカトリックにも取り入れられている。 多くの仏教宗派においては、坐禅がそれ以外の行と組み合わせられたり、同時に修されることが行われていました。
しかし、只管打坐というのは坐禅の際にそれ以外のことを行ったり考えたりすることを否定するものです。
したがって只管、つまり「ひたすら」といっても、それは何らかの目的・目標のために一生懸命がんばる、という意味でのひたすらではありません。
只管打坐とは、何かを得たり、悟ったりすることを期待したり目標としたりすることのない坐禅ということです。
これが只管打坐、ひたすら坐禅する、という言葉で道元の言わんとしたことです。 •教義
成仏とは一定のレベルに達することで完成するものではなく、たとえ成仏したとしても、さらなる成仏を求めて無限の修行を続けることこそが成仏の本質であり(修証一如)、釈迦に倣い、ただ坐禅にうちこむことが最高の修行である(只管打坐)と主張した。 >>240
>>241
んで、あなたはヨーロッパカトリックに禅が取り入れられていることは知っていましたか?
>>241
成仏とは仏になること。
お釈迦様から弥勒菩薩までは誰も成れない。 >>242
東西霊性交流会のこと?
あまり詳しくは知りませんが、それが何か? >>243
違います。
インテリ以外は話しかけないで下さい。 >>246
日本人だけが禅を語る資格がある。
ヨーロッパでは日本といえば禅、禅といえば日本だ。 禅は古くから仏教徒によって盛んに修行されて来た。
禅という漢字は現在の中国語ではchan, 日本語ではzenと発音され欧米では両者を併用する。
禅宗では菩提達磨がインドから中国に来て禅を伝えたとされる。 >>250
支那らの禅なんて日本の禅の逆輸入であってオリジンは日本じゃん。 >>252
ちなみに朝鮮半島にも禅はあるよwww
日本の禅
看話禅(臨済宗) 黙照禅(曹洞宗) 念仏禅(黄檗宗)
中国の禅
念仏禅
韓国の禅
看話禅 >>255
禅は貴重な文化遺産なのです。
アンタのように民族主義のダシに使うのは感心しませんな〜。 >>256
どこが民族主義なのか?
それから禅を保存し発展させたのは日本。
欧州が求めるのも日本の禅。 >>257
投稿者が朝鮮人か否かをいちいち気にしてるのはアンタだろ。 >>257
日本の禅はあらゆる人種を受け入れるが、お前は朝鮮人を受け入れないだろう。 道元禅師のことば
「…すなわち、上智・下愚を論ぜず、利人・鈍者を選ぶことなかれ…」(普勧坐禅儀より抜粋) >>258
>>259
工作、攻撃しているのは朝鮮人なわけだが?
おまえは火消し朝鮮人。
失せろ朝鮮人! 最終日、「北海道における朝鮮半島出身者の遺骨について」をテーマに薬王寺住職田中清元師より自身の取り組みについてお話しをいただいた。
宗門は2006年より朝鮮半島出身者の遺骨返還事業を日本政府に協力しその取り組みを開始しているが、田中師は国の返還事業以前より開拓殉難者の慰霊供養を行っている。
北海道にも炭鉱労働、開拓事業などで多くの労働者が朝鮮半島から集められ、その数はおよそ10万人ほどになるだろうといわれている。
故郷に帰ることができなかった遺骨について、仏教者として供養していることも報告された。
2013(平成25)年度第1回全国人権擁護推進主事研修会
http://www.sotozen-net.or.jp/column/jinken-forum-2013-12.html >>263
武力をもって併合しただけであって、朝鮮人のDNAが日本国の都合でコロコロ変わるはずがない。国籍をいかに取り繕ったところで民族的には別。 >>264
俺は否定する意味で書いたのだが?
当然そうよまれるべきだろう。 >>235
象気功で站椿をシリーズで解説しているけど、膝が130度くらいと書いてあったな
足の指の付け根と丹田と首の付け根を垂直とあるとから、棒立ちに近いね 1日30分で下半身がどっしりしてくるが、身体が縮んだように感じる >>267
1時間を5ヶ月やったけど効果実感できなかったな そんなにやっていたら足腰の粘りを感じるだろうに
階段の昇降が無意識のうちに楽になっていた 下半身が重くなった気がしたが
慢性的な疲労ですねって言われた >>269
粘りとかは特に感じなかったな
ただ久しぶりに野球したら足つったから
站椿は運動不足解消とは違うなってのは分かったね
昔何処かのブログでも站椿してたけど足つった事書いてたのみてヘーって思ってたけど
いざ自分がそうなると站椿続けるかどうか悩むね
まだ続けてるけどw >>271
あっ
言われてみれば足の中指がメチャメチャ攣るようになった
これは内臓とかの不調から来てるのかと思ったが……
そうか…… >>273
軸って中国拳法でそんな考えないぞ
せめて六面力って言ってくれないと 悟り
禅宗は悟りを開く事が目的とされており、知識ではなく、悟りを重んじる。
禅宗における悟りとは「生きるもの全てが本来持っている本性である仏性に気付く」ことをいう。
仏性というのは「言葉による理解を超えた範囲のことを認知する能力」のことである。
悟りは師から弟子へと伝わるが、それは言葉(ロゴス)による伝達ではなく、坐禅、公案などの感覚的、身体的体験で伝承されていく。
いろいろな方法で悟りの境地を表現できるとされており、特に日本では、詩、絵画、建築などを始めとした分野で悟りが表現されている。 仏教では、この仏性を開発し自由自在に発揮することで、煩悩が残された状態であっても全ての苦しみに煩わされることなく、また他の衆生の苦しみをも救っていける境涯を開くことができるとされる。
この仏性が顕現し有効に活用されている状態を成仏と呼び、仏法修行の究極の目的とされている。 このスレの「立禅」ってのはあくまで武術の「站椿」のことで
別に禅宗の修行とは関係ないんだけど、そこを混同してる人が降臨してるな >>278
肥田式スレにもいるが、確信犯的な荒らしだろ >このスレの「立禅」ってのはあくまで武術の「站椿」のことで
站椿は武術のトレーニングだけども、深層部では精神世界とリンクする面があるからね _人人人人人人人人人人人人人人人_
> そうなんだ、すごいね! <
´ ̄^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^ ̄
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ヽ、 (三,、, _) /
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〉 ) ( ) 「剣禅一如」という言葉もあるように、古の剣豪も禅を重視しておりました。 かつて宮本武蔵や柳生宗矩などの名だたる剣豪たちは、その奥義をきわめていく過程で仏教の禅が説く「無」の思想に大きく傾斜していった。
“切り結ぶ刃の下ぞ地獄なる身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ―” 宗矩は、直接的な技法だけではなく、「心法」にも注目し、この重要性を説いた。
ここでいう心法は観念的なものではなく、現代で言うメンタルトレーニング的な面が強く、相手の動きや心理の洞察、それを踏まえた様々な駆け引き、
またいかなる状況においても自身の実力を完全に発揮し得る心理状態への到達・維持など、実戦における心理的な要素を極めることで、より高みに達することを目指したものであった。
(その心の鍛錬のための手段として、禅の修行が有効であるとしている) 林田と同じでこういうのが居着いたらもう正常なスレの流れは期待しえないと思ったほうがいい
台風が過ぎ去るまで待つように放置するしかないな 精神性を排除し、純粋に身体感覚だけを追求したとしても、正しく鍛錬している限り、いずれは「身心一如」の境地に至ってしまうんじゃないかな。
もちろん言葉としての表現は様々だから、仏教用語で語る必然性はありませんけど。
それでは邪魔者はこの辺で消えます。 禅の専門家(僧侶)が書いた本で「中途半端に禅にかぶれた者には独特の臭みがあって
どうにも鼻持ちならない」って批判されてたがその意味がよくわかった 上で書かれてる通りりつぜんと座禅を混同してる時点でお笑い草
俺も禅はいろいろ調べたけどこんなところでスレチの話題はしないよ 立禅・站椿をしっかり追究したければ太氣拳に入門するのが1番。オススメは天野氏、佐藤聖氏、気功会の島田氏か松井氏だ。後はだめだ >>290は推手や二人組み試力が、最新のやり方が導入されてるが
澤井氏直伝の各種歩法は・・・ゲフン、ゲフン、誰か来たようだ。 しまった
遅かった
291が何者かに殺られた
右の肋骨が折られて肝臓に刺さってやがる わ、わしの最期の頼みを聞いてくれ・・・
、愛人の○子に遺産代わりに手切れ金三百万円たてかえといて・・く・・・れ
わしの机の引き出しに銀のエンゼルが・・ >>292
この手口は・・・最新のやり方・・・
おや、誰か来たようだ。 さて、ここで問題です。
澤井健一の愛人の手切れ金300万を肩代わりしたのは次のうちの誰でしょう。
1.極真城西支部長
2.極真城南支部長
3.極真埼玉支部長
4.黒崎健時
5.岩間統正
6.王祥之
7.西野浩三 291ーーっ!
銀のエンゼル3枚しかない
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