玉はあくまでもそこにある玉で、撞く人がどう撞くかで玉に人の意思が吹き込まれる訳で。
その玉を使うゲームは勝つか、負けるかを競うゲームである訳で。
そこに勝ち負けがある故、賭けることを絡ませるかは撞く人達の意思な訳で。
そして玉に限らず、全ての勝ち負けに関わるもので賭けの対象にならない物はほとんど無い訳で。
つまりは賭ける賭けないというのはプレイヤーが賭けたいか賭けたくないかなのであって。
玉という素晴らしいゲーム自体は賭けても賭けなくてもその本質は変わらない。
なぜなら本来は純粋に勝ち負けを競うゲームなのだから。
だから賭け玉を否定はしない、それは勝ち負けに関わるものだから。
でも、この素晴らしいゲームを賭けないと勝ち負け以下にまで貶める馬鹿は許せない。
賭けないと真剣に撞けない?それは玉に対する冒涜だ。
まさに唾棄すべきプレイヤー。
玉に真摯でない輩が強いなどありえない。
賭けないと強くなれないなど、戯言も甚だしい。