2016年、大方の予想に反して開催地はフィリピンのマニラに決定された。
おそらくIOCの開催地への配慮からだろう、ビリヤードが2008年北京、2012年ロンドンで公開競技、
2016年マニラで正式競技として採用された。

満を持してのフィリピンからの代表、最後の3人目に選ばれたのは、
もう数年前ポケットプレイヤーとしての華々しいキャリアにピリオドを打ったエフレン・レイズであった。

エフレン・レイズ、その名を聞いた時、全世界のビリヤードプレイヤー達は思った。
「これはフィリピン・ビリヤード界の温情措置だ、今のレイズではベスト8も難しいだろう」
しかし、競技が進むにつれ、彼らの脳裏にある言葉がまざまざと思い出された。
「俺がオリンピックで始めてフィリピンの旗を真ン中にあげるんだ」

・・・数年ぶりに表舞台に復活したレイズ、彼の手はまさに神の手だった。

一、二回戦を相手に殆どまともな球を撞かせる事無く葬りさると、
三回戦で強烈なブレイクを売り物に伸び盛りの若手相手に@を確実にサイドに入れる正確なブレイクで対抗、
最後は相手のお株を奪うブレイクエースで準決勝に駒を進めた。

準決勝は昨年の世界チャンピオン、優勝候補のカナダ代表アレックス・パグラヤン。
この対戦ではパグラヤンが10−6で先にリーチを掛ける。
11先、最後のセットとなるか?パグラヤン、ブレイクで右コーナーにDを落とした物の取り出しの@は難球。
プッシュアウトかと思われたが長考の末、チャレンジを選択、絶妙なカーブショットで@をポケットした後、
AB・・・とゲームを順調に進めていく、
Eの際にFHのトラブルも処理し、さほど難しくないH・・・決勝に進むのはパグラヤン・・・。
だが、このなんでもないHをパグラヤンがトバしてしまう。
その後、祈るようにプレイを見るパグラヤンを尻目に、レイズが4連続ブレイク・ランナウト。
大逆転の勝利となった。
「アレを外したのは伝説的な大先輩対する配慮か?」不躾な記者へのパグラヤンの返答は
「私は過去も未来もテーブルの上において一度も手を抜いた事は無い。
 あの球にはレイズの持つオーラ、そして全フィリピン人の想いが詰っていた、
 今まで掛けられたどんなセーフティーよりも、あのHを入れることの方が困難だった」であった。

イモネンとの決勝は17先取りの長丁場。
イモネンはブレイクの入りが悪くストレスが溜まる展開だが、高齢のレイズにも疲れが見える。
決勝は精神力の闘いとなった。
取られれば取り返す、両者譲らぬまま先に16セット目をとったのはイモネン。
しかし、次のセットはレイズが取り返し16−16のフルセットでレイズ、ブレイク。
Bイン、球の配置は絶好とは言えないがトラブルも無く良好な方。
@A・・・Cをポケットしたところで緊張からか目頭を押さえるレイズ。
大きく息を吐き出すと、肩をすくめながら軽く微笑んでセットに入る。
DからEへは往年のマジックを彷彿させる手玉の動きで絶妙の出し。
EF・・・片手をレールに置き、何時もよりゆっくり何かを確かめるようにテーブルをまわる。
GからH・・・ついにその時が来た。コッ、放たれた白い手玉はHにあたるとぴったりその場で止まり、
代わりにHがゆっくりとポケットに吸い込まれていった。
エフレン・レイズ、ビリヤードで!フィリピンで最初の金メダルの瞬間!!
国中が歓喜とスタンディングオーべーションに包まれた。

・・・後日、この最終セットは「テーブル上を神が支配したゲーム」として語られるようになる。
ブレイク後、レイズの視力は著しく低下し、Dのあたりではほぼ0に近い状態だったと、
レイズは1mmのくるいも無いコントロールで手玉の位置を把握しブレイクランナウトを成立させたのだと。