それで結局何が言いたいかと言うと、
より多くの知識を持っている側が可能な限り譲歩しませんか?ということです。
定義が重要なのではなく、認識と認知を合わせていく事が大切なのでは?
というのが私の意見です。(この辺が全く正反対な意見になっていますね)

私は、専門性の高い特殊知識を、簡易な情報もしくは事象にして
一般の人間に供給することが専門家の義務であると思っています。
(というより還元できなければ専門家ではない)

私は技術者なので、複雑な技術で動く装置を、
僅かなボタンと操作方法で一般の人に使えるようにするのが義務です。
(一般の人からみて魔法に見えるくらい簡単にするのが理想です)

どんな高等な論理や技術であっても、それが日常社会に還元されなければ全くの無価値です。
何故かと言うと、そういったものの評価は専門性を持たない人達により行なわれ、
理解できない、使えないと評されれば、それがどんなに優れていても淘汰されるからです。
(世の中、常に正しい事だけが広まるわけではありません)

下手が上手を理解する、より
上手が下手に合わせて教える、ほうが絶対簡単かつ早く情報を伝達できます。

以上です。ICさんにも、こんな考えがあることを知ってもらいたいと思い書きました。