過去最弱レーサーは誰? [無断転載禁止]©2ch.net
>>2
黄色ナンバーの軽自動車で自慢しているゴキブリ >>40
おれは20だが40代の方にオートの話聞きたい >>36
トライパワーは同期の田原 勝久と同クラス 渡辺数馬トラで同ハンの3級車に負けた
相手は小松久仁一 大松 啓治
アカツキ
平井 勉
カイザ
城田 敏夫
A・カミュ
荒古 正人
ヨーホー
斉藤 昇
キタカミ
蓮沼 節夫
ディスモ
古谷 進
ブリンクス 小野幸夫が浜松遠征時の上りタイム
初日 3,79
二日目3,81
最終日3,86
真冬のしかも良走路、決して湿走路ではありません >>50
小野 幸夫...
浜松から伊勢崎に移籍した選手ですね
シンマチが記憶にあります 川口のメグリヤ選手。
雨でも晴れでも
同じタイムで走る。
こんな技量持ち
他にはおりませんなぁ。 >>68
ビバセイシュンの頃はトップクラスだったのに... 俺が見始めた15年ほど前は川口の佐藤武之が全国最軽ハン大内だったと思う 30年前の浜松なら
小野雄二かなぁ
その後なら鈴木伸昭 浜松・・・増田佳彦も小野雄二と同格、超長欠の原島祥康も 晩年の黒川哲男と長島暢正も、血筋は良かったけど元からダメな坊田一真も追加で 浜松なら
加藤 晶敏-ホオガワ76
鈴木 国男-サーク >>79
勲はそんな遅くなかったよ
雨は乗れたしね 雨で連に1回も絡まなかった選手なんているの?
すぐ首になったのとかじゃなくて 池内神馬だな。竹谷に乳揉まれて、デブをからかわれて引退とかw >>93
土田栄治はフジの頃に最重ハン30前で走っていた時期があるからなぁ… >>93
宮地 一美
1975.8.5篠崎実を破り優勝
1978.12.5且元滋紀を破り優勝
1979.2.27→最重ハン単騎(90M)で優勝
1981.2.11広瀬登喜男を破り優勝
1981.9.23阿部光雄を破り優勝
1982.5.25宍戸繁を破り優勝 9期
田中光守(川口)
10期
佐藤慎悟(船橋)
11期
小井戸高盛(伊勢崎)
谷口哲也(川口)
12期
中村憲博(川口)
13期
原口竹虎(船橋)
14期
江上良人(山陽)
15期
今田嘉行(伊勢崎)
16期
五十嵐和佳(伊勢崎)
都留仁(伊勢崎)
石川巌(伊勢崎)
17期
直井龍介(伊勢崎)
坊田一真(浜松)
18期
福田正志(船橋)
19期
井口敬文(浜松)
20期
土田栄治(川口)
21期
鈴木伸昭(浜松)
石川恵一(浜松)
内田進一(船橋)
22期
佐伯忠彦(伊勢崎)
23期
山本雅利(浜松)
26期
梅沢秀明(伊勢崎)
29期
松堂忠利(浜松) ↑まだいるぞ
10期増田佳彦、小野雄二、古谷進、西村明満
11期大庭稔彦(晩年)
13期青山和博、名本邦俊
14期近藤秀徳、本田茂二、永光達三
16期高橋明男
08期佐久間善英
06期菅菊男、是恒孝 期前
伊藤 英彦《伊勢崎》
1期
田中 博光《山陽》
2期
遠藤 文男《川口》
3期
荒木 和敏《山陽》
4期
小野 幸夫《伊勢崎》
5期
宮路 和彦《山陽》
6期
是恒 孝《山陽》
7期
渡辺 数馬《浜松》
8期
吉岡 寿明《山陽》 >>102
本日飯塚で開催している前半レースの1号車かな >>105
新参者か?キャリアの浅い者が来るとこじゃないぜ、別で書けよ 鈴木伸昭に一票
廻谷や青柳のように過去の実績があるわけでもなく、その廻谷がどのレースでも0ハンに置かれるようになって以降、一級東洋単気筒と目黒二級車という違いはあるにせよ、同ハンに置かれた実績のある選手ですからね。(平成2年に廻谷が浜松遠征した際に実現)
当時関東スポニチのオート欄で見ただけなので結果もタイムも増田佳とのハンデ関係も覚えていない。 >>108
俺も断トツで鈴木伸昭だと思う
晴で3.90
雨で4.35
ラス以外の着順はなった事ないと思うけど知ってる人いない? 伸昭と同期の石川恵一も同時にクビ、そんなに遅くなかったが代謝に引っかかった
伸昭より随分マシだったんだが >>110
21期は船橋の内田進一も含め、3人もデビュー4年で新陳代謝喰らってるからねぇ…
>>106
竹虎は3.55くらいが常速だったような気がする
兄貴(彰)は不本意な形で黒潮去ったけどね… >>109
3.90すげー
宮地一美だって3.80前後だってのに >>112
3.90くらいでそんなに驚かないでよ
廻谷に至っては晴れで4.09っていう記録があるんだから
このときは、1周3コーナーでハンデ110の選手に抜かれていた
というか、コース外して邪魔しないようにしていた >>115
廻谷晃一、青柳利明、信田健治、渥美光博が新陳代謝の対象になったのが平成3年(22期のデビュー前)
(渥美は年明け前後に自主的に引退した記憶あり)
ということは、最低でも25年も前の話なので、申し訳ないが、どのレースだったかは覚えていないよ
(その前の年の秋から冬あたりだったかな?) 川口だけ賞金高かったからビリ続きでも年収1000万の時代だった
ましてや10mごとに3000円のハンデ賞があったから一緒に走る選手もウマウマだったよね >>112
宮地一美は家庭内問題で機力が急降下したと、当時のオートマガジンに書いてあったね。
それにしてもあんなに酷くなっちゃうものか… 超レギュラー=廻谷、宮地
レギュラー=遠藤、土田栄
初登場=高村勝馬 引きが強いv(´・∀・`*)v
☆⌒(*^∇゜)v 俺が知ってた宮地一美は3.80前後で次に遅かったのはチャック中村憲で廻谷も遅かったけど宮地よりハンデ貰ってたからねーびっくりだわ。 宮地はイケ面で、そこそこ活躍してましたね、
メニエル病になってだめになったね、
初めから遅くてだめなのは、
川口なら遠藤・鈴木慎一郎・中村憲・二塚などですね、 >>124
21期三人周みたいに、審査対象になってから新陳代謝喰らうまでどのくらいの期間だったかも判断材料になるとは思う。 宮地は3級車時代うまかったぞ。つうか川口の9期生はみんな強かった。
3級から2級に乗り替わりの初戦、9期生全員1着だった。 1990年11月26日
1着佐藤武之40 3,519
2着小堀利治80 3,478
3着大塚計次80 3,481
4着岩本君男1103,470
5着原口 彰70 3,596
6着廻谷晃一0 4,094
次節の上りタイム3、939
3,971
3,987 もうこの頃宮地も中村もクビでいなかったもんなー
フジの宮地一美見たかった。恐るべきタイムが出ただろう パールハーバー遠藤文男が最弱だろな
いつも8着ばっかり
たまに7着があってびっくりすると7車立てレースだった それだけ弱くても金になったいい時代だったんだろうなと >>135
当時川口の平開催、初日予選第1〜4Rの一着賞金は20万円、8着で4万円
施設改善2割引きだった記憶がある。 連投で申し訳ない
>>131
単純計算で、1着の佐藤武之のタイムが1分50秒5、ビリの廻谷が2分06秒9
着差16秒4ってことは…
3.28で回ってくれば一周タイムは16秒4だから…
ほぼ周回遅れってことか。
旗振りも大変だったろうね。 小田修
飯塚100万車券の立役者
長徹今の城戸徹が頭だった >>138
「めぐりや」と読む
ちなみに「廻谷」Googleで検索すると、下段の出てくる関連する検索キーワードに「廻谷晃一」があったりもする。 >>142
これは昭和63年の新聞ですね?
20期(牛澤、高橋祐一、丸山、土田)が2級車で、しかもフジに乗ってる選手が皆無
いいもの見させていただいて、ありがとうございます。
このときの3R
信田 0
廻谷 30
ってなってるけど、2年後には
信田 20
廻谷 0
だもんなぁ… >>143
廻谷ハンデ30もついてたなら元々はそんな遅くなかったんじゃないの?
やっぱ伸昭が最弱では? >>144
廻谷は最重ハン経験者だよ。
晩年の廻谷のハンデを基準とすれば、伸昭は最高でも40mのハンデ位置しか経験していない。
逆に最重ハンとのハンデ差で言えば、晩年の廻谷は120m、伸昭は80mということになる。